第109話 見たい顔と見せたい姿
日曜の朝から家を訪ねてソファーに座らせてもらうと、お茶を出してくれた吉乃が隣に座った。
冬の屋外を歩いて来た体にちょうどよい熱さのお茶を一口いただき、ふうと息を吐いた響樹の隣で、吉乃が同じタイミングで湯呑みをテーブルに置く。
「メールの返信はまだありません」
こちらを向かずに正面を見据えたまま、伸ばした手を響樹の手に重ねながら、吉乃は眉尻を下げながらも口元には無理やり作ったような笑みを浮かべた。
手の甲に重ねられた吉乃の手のひらの温度は普段通りだというのに、求める温かさではなく、響樹は手首を返して彼女の手を強く握った。
「まだあれから12時間くらいだろ?」
勇気を出して送ったメールの返信を待つ気持ちは響樹にも少しわかる。両親に送った時は返信など無くてもいいと思った近況報告のつもりだったのに、常にスマホを気にしてしまうほどだった。
今の吉乃はきっとあの時の響樹よりもずっと、そんな気持ちが強いはずだ。テーブルの上に置かれた彼女のスマホに視線をやりながらそう思う。
「会うとなれば仕事のスケジュールの調整だって必要かもしれないし、明日の祝日が終わってから調整するかもしれない」
吉乃だってこの程度の事ならば考えないはずはなく、それでもという不安をこぼしてくれた。
自分の言葉は問題を先送りにすらならないのかもしれないと、一瞬浮かんだそんな考えを消し去った。
会いたい旨を伝えた吉乃に対して返信が無いという事はつまり、会いたくないという無言のメッセージに他ならない。それがどれほど彼女に対して残酷な事か、それだけはあってほしくないと切に願う。
だから響樹はそんな未来は信じないと、改めて強く思って言葉を続ける。
「もう少し待とう。俺だって一緒にいる。暗い顔しないでくれ」
「私……暗い顔をしていましたか?」
ようやく響樹へと向けてくれた吉乃の顔に浮かんだ弱々しい苦笑に、響樹は「ああ」と優しく伝えた。
「吉乃さんは美人だから、そういう表情も綺麗で見惚れるけど」
「……もう、響樹君は。酷い彼氏ですね」
僅かの間目を丸くした吉乃が、眉尻を下げて頬を膨らませる。
吉乃は顔の造作やスタイルで言えば可愛いよりも美しいという言葉が相応しい。スレンダーで背も高めで、大きな目は切れ長ぎみで、高く整った鼻梁やシャープな顎のラインなどがその評価を決定づけるだろう。
以前も思った事だが、儚げであったりしおらしい様子であったりなどはそんな吉乃の外見に大変よく似合う。
もちろん響樹としても吉乃の美しい外見はこの上なく好むところである。
しかしやはり、響樹が見たいのは儚げな美人ではない。見たいのは、たまに幼い顔を覗かせる、様々な感情を響樹に見せてくれる愛らしい顔。
「笑ってる吉乃さんの方が可愛くて好きだ」
「……響樹君のばか」
まばたきを見せた吉乃が即座に顔を伏せ、照れ隠しなのだろう、握ったままの響樹の手をつねった。
「でも……彼氏の要望ですから、彼女として応えない訳にはいきませんね」
「それでこそだな」
しばらく響樹の手の甲を弄んだ吉乃は、ゆっくりと顔を上げ、響樹の見たかった顔を見せてくれる。
「せっかくだし今日は遊びに行くか?」
「気を遣ってもらえるのは嬉しいですけど――」
「一緒にカラオケ行こうって約束、まだだったろ? 試験も近くなるし、今の内にどうかと思って」
週が明けると期末試験まであと一月。吉乃にとっては特別気合を入れて勉強をする期間と言う訳でもないだろうし、響樹も今回はあくまで普通の範囲内の勉強をして彼女に挑むつもりでいる。
だがそれでも1ヶ月前の期間で吉乃の時間を奪ってしまうのもフェアでない気がしていて、彼女を元気づけたいという思いもあって、行くのなら今日か明日だと思うのだ。
「そういう事でしたら、お言葉に甘えます」
「よし。カラオケって言ったけど、他に行きたい所があればそっちにするぞ」
ほんの少し眉尻を下げて目を細めた吉乃が響樹の手を優しく握り返し、「いえ」と小さく首を振る。青みがかった艶やかな長髪の毛先がかすかに揺れた。
「カラオケがいいです。連れて行ってください」
「了解」
「ありがとうござます」
やわらかな微笑みを浮かべた吉乃に大きく頷いてみせると、彼女は「着替えてきます」と手を解いて立ち上がった。
「別にそのままの格好でも――」
「せっかくのデートなんですから、少しでも可愛いと思ってもらえる恰好をするのは当然です」
響樹の言葉を遮って得意げな顔で笑い、吉乃は少し頬の力を抜く。
(もう十分可愛いんだけどな)
カラオケに行く以上吉乃の歌を聴く訳で、歌と外見の相乗効果は心臓に悪いだろうなと予想がつく。
ただそれでも、吉乃にとってそう思ってもらいたい相手は響樹であるし、デートとくれば当然響樹だって吉乃の前で少しでも格好つけたいと思うのだ。
「……俺も着替えに戻っていいか?」
「はい。もっと格好いい響樹君を楽しみにしています」
「ハードル上げるなよ……」
どうしようかと思いながら立ち上がると、吉乃はふふっと笑い、響樹を玄関まで見送ってくれた。
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