第91話 恋人同士の進化形

 週が明けて登校した時には既に海と優月が付き合い始めた事が周知の事実になっていた。顔の広い二人がメッセージで流しておいた結果らしい。

 2週間目である吉乃と響樹の交際よりも互いに交友関係の広い海と優月の話題の方が新鮮という事もあってか、二人はある意味で響樹と吉乃の防波堤になっている。


 そんなふうに響樹と吉乃の周りがある程度落ち着きを取り戻してきた週の半ば。朝の段階で担任教師から「帰りのHRは長くなるぞ」と宣言があった通り、帰りのHRでは珍しく複数枚のプリントが配られた。

 朝の宣言の時点どころか週の初めの段階でほぼ皆がわかっていた通り、配られたのは文理選択の用紙と、文理それぞれの大まかなカリキュラム表。


「締め切りは来週末の金曜だ。一応春休みまでは変更を受け付けるが、だからと言って安易に考えないように。それから相談は当然受け付ける。私でなくとも構わないが相談したい場合は相手の都合を考えてアポを取る事」


 それぞれの説明を行い、最後にこの言葉で締めてHRは終わり。

 担任が出て行った教室内では、普段よりも帰り支度をする者が少なく見えた。ほとんどが文理選択についてを周囲と話している。


「響樹は理系か? 俺は文系」

「……決めてないな」

「意外だな。響樹は理系とばっかり思ってた」

「まあ成績で考えるならな」


 少し驚いた様子の海に苦笑で応じ、そう言えば海とこの話をした事は無かったなと思った。

 別に響樹と海だけではなく、文理選択の話などを周囲のクラスメイトたちが話すのも今まで聞いた事は無い。精々今週に入ってから一、二件耳にした程度だ。


「まあ、まだ悩んでる奴も結構いるから焦る必要は無いだろうけどな」

「ああ、時間いっぱい使って考えるつもりでいるよ」

「因みに優月も文系だぞ」

「聞いてねーよ」


 今週に入って海がウザい。優月と一緒にいる時には今まで通りを装おうと逆にぎこちないのだが、いない所ではこれである。来年は一緒のクラスになれたらいいとでも思っているのだろう、顔が少しだらしない。


「烏丸さんはどっちなんだ?」

「吉乃さんは多分文系だろうけど、後で聞いとく」

「おう。じゃあ二組に行くか。彼女を迎えに」


 ウザい。ウザいのだが海の惚気のおかげで響樹が相対的にマシに見えている面もあるらしいので文句が言えない。それがまたウザい。

 そのくせ辿り着いた二組の教室では、照れくさいのか響樹の背中を押して先を譲るのだ。



「あいつ自分から尻に敷かれに行ってるよな」


 教室から四人で連れ立って歩くのも校門まで。そこで別れた海と優月の背中を見送って歩き出した後、響樹が思い出したように呟くと隣の吉乃がくすりと笑った。


「優月さんも『頑張って告白してくれたみたいだからしばらくは大目に見る』と言っていましたね」

「そんな事言われてるのか……」


 またもくすりと笑った吉乃が言うには、海がかなり意識して優月に接するためか、優月はクラスの中でだいぶからかわれているらしい。


「でも、そうは言っても優月さんも嬉しそうでしたよ」

「まあ本人たちがいいならいいだろうけど」

「ええ」


 笑って頷いた吉乃に響樹も頷き返し、辺りを見回した。人目は無い。


「先週は人目があってもしてくれたのに」

「デートだったからな」


 隣を歩く吉乃の手を取れば、彼女はほんの少しだけ、可愛らしく頬を膨らませた。


「ああ言えばこう言うんですから」


 そう言ってふふっと笑い、吉乃は響樹との距離を半歩詰める。繋いだ手の根本、腕が歩くたびにぶつかる距離だ。


「歩きにくくないか?」

「少し」


 笑いながら尋ねて響樹に、吉乃がはにかみながら答える。

 それでも、「だよな」と応じた響樹も、「ええ」と笑った吉乃も、どちらも互いから離れない。


「せっかくなので、このまま腕を組んで歩きませんか?」

「それはいいけど、どうやるんだ?」


 上目遣いで尋ねる吉乃に尋ね返すと、彼女は「響樹君はそのままで」と繋いだ手を離した。

 この後また接触するというのに、やはり手を離す瞬間に感じる寂しさは拭えない。慣れてしまいたくないと思う。


「それでは……」

「どうぞ……」


 一度立ち止まって自然な体勢をとると、どこか緊張気味の吉乃が響樹の右腕に自分の左腕を伸ばし、肘の辺りで絡めた。


(冬の屋外で良かった)


 コートとブレザーの厚みが無ければ響樹はとてもお見せできないような顔を晒した事だろう。吉乃の胸元に抱かれた自分の右腕を見てそう思う。


「どうでしょうか?」

「いいと思う」


 上目遣いでほんの少し眉尻を下げる吉乃にそう応じれば、彼女は少し嬉しそうに表情を崩した。


「心臓の音が聞けないのが残念です」


 返答から響樹の緊張が十分に伝わったのだろう、吉乃は優しく目を細めながら僅かに口を尖らせて見せた。


「歩くぞ?」

「はい」


 今聞かれたらこの前と同じで吉乃にだいぶからかわれるハメになるだろうと、響樹はそれには応じずに尋ねた。

 吉乃はそんな響樹の照れ隠しなどお見通しだと言わんばかりにニコリと笑い、一歩踏み出す。二人のバランスが崩れないようにゆっくりと。


「歩きにくいですね」

「ああ。やめるか?」

「やめません」


 冗談めかして腕を軽く引いてみると、絡めた腕をグイっと引き戻された。

 響樹がふっと笑むと、吉乃もいたずらっぽく笑う。

 そうして歩く二人の速度はいつもよりも遅い。


「鞄が無ければもっと密着できるんですけどね。右腕も使って抱き着けますから」

「そんな進化形があるのか」

「ええ。そこから更に頭を肩に預けたりもありますよ」


 驚く響樹に吉乃がふふっと笑い、「いつかしましょうね」と可愛らしく首を傾げる。


「ああ」

「約束しましたよ?」


 心臓にはまた頑張ってもらう必要があるなと苦笑しつつも、響樹はもう一度「ああ」と頷いた。

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