第22話 その表情の理由

「天羽君は日直ですか?」

「よくわかったな」


 隣を歩く吉乃からの質問に正解の意を示すと、彼女は少し得意げに笑い理由を説明し始めた。


「前回お会いした日からの日数的にそうかなと。時間もぴったり同じですし、日直の日に早く家を出ると考えると腑に落ちまして」

「なるほど。流石の記憶力だな」

「お褒め頂き光栄です」


 嬉しそうに笑った吉乃にそのまま日直の話題を振ってみると、彼女は穏やかに笑いながら当たり障りのない事ばかりを口にする。


「日直嫌いなのか? まあ得もなくて面倒があるだけだから嫌いな奴の方が多いだろうけど」


 全員に割り振られる作業であるためこなしたところで教師の覚えが良くなる訳でもなく、逆に手を抜けば悪くなる。簡単な日誌作成のほかに授業ごとの黒板消しと号令、提出物の回収なども日直の仕事。楽な日もあれば手間のかかる日もあって不平等感も発生してしまう。

 むしろこれでどうやって好きになれと言うのだという話だが、吉乃の嫌いはそういったものではない気がした。


「……あまり好きではありませんね。でも、よくわかりましたね?」

「言ったろ? からす――」

「その先は言わなくていいです」


 ほんの少しだけ渋い顔を見せた吉乃におどけてみせようとしたが、早口で遮られた。少し寄せられた眉根の下からはじとっとした視線が送られてきていたが、頬は少しだけ色付いている。

 少しの間目が離せないでいると、何かを言おうと口を開いて途中でやめた吉乃がふいっと顔を逸らし、可愛らしい咳払いをした。見過ぎたなと少し気まずくなった響樹は「あー」とまず誤魔化すように間を置いてから話を元に戻す。


「まあ冗談はさておき、何となくそう思っただけだ」

「……それで当てられるのは悔しいですね」


 苦笑の後に小さなため息をついた吉乃が語ってくれたところによると、彼女と日直でパートナーになり得る出席番号が前後の生徒は両方が男子なのだそうだ。

 吉乃はそれだけ言って「それで色々と」と言葉を濁したが、流石に響樹でも察するものがある。


 言うまでもなく烏丸吉乃は美しい少女である、それも文句なく圧倒的に。そして猫を被った吉乃は絵に描いたようないい子だ。どんな時でも穏やかな笑顔を絶やさず人当たりもいいと噂の、完全無欠の美少女。

 彼女の出席番号前後の男子二人がそんな吉乃の気を引きたいと考えるのも仕方のない事だと思う。むしろ日直に全く関係の無い男子すら関わってきたのかもしれない。しかし結果彼女としては面白くないだろうし、余計なやっかみすら受ける事になったのではないか。


「美人も大変だな」

「美人……」


 伏し目がちにしていた吉乃が響樹の言葉を反芻し、すぐにハッとしたように響樹へと恨めしげな視線を向け、またも小さな可愛らしい咳払いをみせた。


「まあ、利用しようと思えば得も多いと思いますけどね」

「思わない訳だろ?」

「誰かに借りを作りたくありませんから」


 肩を竦めて笑う吉乃に尋ねてみれば、彼女は顔を上げてほんの少し口を尖らせた。


「負けず嫌いと言うかいじっぱりと言うか」

「この件に関しては本当に天羽君にだけは言われたくありませんけど?」


 吉乃はしなを作りながらからかうように首を傾げる。

 響樹としても吉乃に対しては散々借りを返すといった事を口にしていはするが、それに対しては一応言い分がある。


「俺は別に借りを作りたくないとは思ってないし」

「どの口がそんな事を言うんですか」


 僅かに頬を膨らませた吉乃に「いやほんとに」と返せば、怪訝そうな視線が送り返されてくる。


「俺は借りを作る事じゃなくて返せない事が嫌なんだよ」

「……それは言葉遊びではありませんか?」

「まあそうとも言うな」

「天羽君はああ言えばこう言いますね」

「お互い様だろ?」

「そうかもしれませんね」


 はあ、と呆れたように息を吐いて、そして吉乃は優しく微笑んだ。


 その後は特にこれと言った会話も無く数分歩き、学校が近付いて来た。


「そろそろですね」

「ああ」


 吉乃が穏やかに微笑みながら足を止めるので、響樹も一旦それに合わせて立ち止まる。

 駅方向からの学生が通学路の選び方次第ではもうそろそろ現れる頃合いで、以前はほんの数人に目撃されただけで噂になってしまったのだからこの辺りで別れる必要がある。


「今日も、俺が先に行く……でいいか?」

「ええ。日直の天羽君がお先にどうぞ」


 穏やかな笑顔を湛えた吉乃がそう言って手のひらで進行方向を示す。感情を隠す彼女の笑み。だが、響樹にわかるのはそこまで。吉乃がどんな感情を隠しているのかはわからない。

 わからないのに、以前もそうだった。どうして吉乃のこの表情を見ると寂しそうだと感じてしまうのだろうか。


「天羽君?」


 頭の中がぐちゃぐちゃになりかけていた響樹に、吉乃が覗き込むようにして声をかけた。少し首を傾げ、心配そうに。


「どうかしましたか? せっかく早く出て来たのに遅れてしまいますよ?」

「……いや、何でもない。それじゃあ、先に行くから」

「ええ。それではお気を付けて」

「そっちもな」

「はい、ありがとうございます」


 相変わらずの穏やかな笑み、きっちりとした美しい礼で揺れる、更に美しい黒い髪。

 ずっと見ていられそうなくらい綺麗なそれを見ていたくなくて、響樹は体の向きを変えて歩き出した。



「また今日もぼーっとしてるな」

「疲れてるだけだ」

「今日は疲れないだろ」


 体育の授業は男女で別れる関係もあって二クラス合同。延々走らされるような日は別だが、今日のように体育館でバスケとなるとコートの関係でそれなりに休む時間も出てくる。しかも全体的に楽しむ雰囲気が形成されているので運動量も多くない。


「何か悩み事かね、少年」

「お前そんなキャラだっけ?」


 ぽんと優しく肩に手を置いた海にわざと胡乱な視線を向けると、「いいだろたまには」と笑う。


「あれだ。恋の悩みだ」

「ちげーよ」


 海の手を払いながら、そう言えば海が響樹に対して恋愛の話をいきなり出してくるのは珍しいなと意外に思った。そしてそれを不快に感じなかった自分にも。

 一瞬またボケッとしてしまったように見えたのだろう。海がニヤリと笑う。


「お? 口では違うって言いながら実はそうなのか?」

「違うって……恋の悩みがあるのはお前だろ」

「あー…………バレた?」

「流石に。俺じゃ相談には乗れそうにないけどな」


 気まずそうにそう言った海は少し響樹に近付けていた顔を元の距離感へと戻し、ははっと笑った。


「響樹に恋愛相談するようじゃヤバいだろ」

「だろうな」

「自分で言うなよ」


 からかうように笑う海に肩を竦めて同意し、ついでに肩を殴っておいた。「いてーよ」と笑った海はその後で少し長い息を吐いた。


「まあでもあれだ。恋愛じゃなくても悩みがあるなら相談には乗るぞ」

「そうだな……じゃあ一つ聞いていいか?」

「おう、何でも聞いてくれ、少年」

「……相手が何考えてるかわかんない時、どうする?」

「聞く」


 実にあっさりとした、単純な返答だった。


「まあ聞ければ苦労しないんだけどな」


 そのシンプルさに少しだけ感心した響樹の前で、海はそう言って自嘲気味に笑った。


「台無しじゃねーか」

「だからまあ、相手の事をよく知るしかないんじゃないか? 慣れだ慣れ。こんな時にはそいつがどんな風に思うってのをちょっとずつ知っていけば、ちょっとずつ相手の事がわかってくる」

「よく知る、か」


 吉乃が隠している感情を知りたいと思った。彼女が寂しそうに見える理由を知りたい。

 響樹にとって吉乃は大きな借りのある相手で、散々世話になった相手だ。今の響樹の生活は彼女の手助け無しでは成り立っていない。寂しそうに見える表情が響樹のせいなら良し。良くはないがいくらでも改善ができる。

 しかしそうでないとしても、そのまま放っておくのは恩知らずにもほどがある。


「おう。因みに響樹は結構わかりやすいくせに意外とわかりづらい」

「どっちだよ」

「さあな?」


 海はそう言って軽い笑みを浮かべるので、響樹が言おうと思っていた礼はだいぶ軽量化されて口から出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る