落ちました
「さて、じゃあ、そろそろ宿に戻ろうか」
アーシュさんに促されて部屋を出ると、ドアの外には衛兵が待っていた。
「宿までお送りせよとのことです」
「ああ。境光が落ちてるからね。じゃあ、お願いしようかな」
……護衛付きで宿まで帰るの?
衛兵を引き連れて町を歩くなんて、ちょっとイヤだなと思いながら建物を出ると、黒い馬車が1台止まっていた。内装は地味ながら心地よい空間になっている。クッションの綿の量がすごい。しかも外装は黒くて、町中でもそれほど目立たない仕様になっている。アンドレアス様にはとても気が利く部下がいるのだろう。わたしの中のアンドレアス様の好感度が急上昇だ。
「今日はこのまま宿に泊まって、明日家まで送ることにするよ。さすがに境光が落ちた中で森に入るのは危険だからね」
馬車の窓からこっそりと外を見ながら戻ったのだが、領都の中は、境光が落ちていてもある程度明るい。避難所が明るいのは分かっていたが、通り沿いの店の中で大店と呼ばれるような大きい店は、店の前に独自に街灯を置いているようで、それが明るいのだ。中小規模のお店にはないのだが、それでも通り沿いにところどころ明るい街灯があるので、避難所の光が届かないところでも充分明るい。ただし、路地に入ると途端に真っ暗になる。大店は大通りにしか面していないのだ。
「この宿屋には街灯があるんだね」
「ええ。宿屋はだいたい街灯を置いてますよ。帰れなくなって泊まりに来る方もいますからね」
アルヴィンさんの答えになるほどと頷く。そういえば、以前境光が落ちて駆け込んだ時も、アルヴィンさんは街灯を付けていた。あれを目当てに駆け込めばいいのだろう。
「お弁当、ありがとう。食べやすかったしすっごく美味しかった!」
「それは良かったです。力は出し尽くせましたか?」
「うん!すごく集中できたよ。あ、でもランプの火が揺れるせいで集中できなかったって子がいた。なかなか集中できない子は大変だよね」
わたしの場合は一度集中してしまえばそうそう途切れないので分からないが、ちょっとした物音なんかですぐに集中が切れてしまう人もいるという。そういう人は、普段と違う環境で集中しなければならない状況だと不利だろう。
「わたしはお得な性格で良かったよ」
「……まぁ、本人はそうだろうね」
……アーシュさんは最近、返事の中身がダンに似てきた気がする。
翌日、アーシュさんに連れられて、2週間ぶりに家に戻った。アーシュさんの馬で真っ直ぐ帰るので、お昼前には着くことができた。
「ただいまー!」
きっと家に行ってもいないだろうと思って炭やき小屋に向かう。案の定、クリストフさんとダンが焚口を開け始めていたた。これから窯の温度が徐々に上がって行って、今の薄暗い赤い炎が金色に輝き出すのだ。
「ああ、おかえり」
「おう」
2週間ぶりなのに、ついさっき遊びから帰って来たかのような反応だ。変わっていない様子にホッとする。
「これは何の作業ですか?」
「空気を送り込むことで、窯の温度を上げているところだ。少しずつ、明日までかけてゆっくりと上げていく。この手間で、オレの炭は金属のように硬く上質になる」
アーシュさんは興味津々でクリストフさんに尋ねている。今日はこれから二人とも昼夜を問わず窯の面倒を見なければならない。
「合否の発表は一週間後だよ。手紙も来るけど、掲示されるものが見たいなら迎えに来ようか?」
「え?連れてってくれるの?アーシュさん、仕事大丈夫なの?」
アーシュさんはこの2週間、本当に付きっきりで面倒を見てくれた。つまり、その間一度も穀倉領とか王都に帰っていない。
「うん。一応、一月もらってきたからね。ナリタカ様の身分がもっと高かったら難しかっただろうけど、今はまだナリタカ様も僕も結構自由にできるんだよ」
今はまだ、ということは、これから忙しくなる予定なのだろうか。
……わたしは先のことは何も分からないのに。
先のことが見通せない不安と、先が決まってしまっている閉塞感はどちらが辛いのだろうと、ふと考えてしまう。
部屋に荷物を置いてきて、ヴィルヘルミナさんの手伝いに行く。またいつもの生活だ。2週間勉強したって、わたし自身は大して変わってない。今日はアーシュさんが一緒にお昼を食べてから帰るので、そこだけが少し特別だ。
合格の通知は手紙を待つことにした。たった2週間で合格できるはずがないのはみんな分かっているので、誰もわざわざ見に行こうとは言わなかった。もちろん、わたしも特に期待していない。
……お昼食べたらパンを焼く動具を考えなきゃね。
アーシュさんに部品などの加工をお願いしようと思ったが、それだと時間がかかるので、使える物がないか自分で探してみることにした。
アーシュさんが帰ったら、まるで何事もなかったかのように、以前と同じ日常が始まった。
「移動手段がないのが致命的なんだよね」
「駄馬でも買うか?」
ダンに言われて真剣に考えるが、馬に乗れるようになった自分が想像できない。しかも、わたしは動物の世話に自信がない。神呪のことを考え始めたら、きっと一週間くらい放置してしまう。
「ちょっと動具を考える」
これから冬になるので、コスティの出店は一旦お休みとなっている。そして、トピアスさんやエルノさんへの納品も、今年の分は次でお終いだ。
ここからは、春に向けての準備期間になる。
「パンを手に入れる手段も考えないといけないのに」
小麦粉は湖の向こうから運んで来なければならないので、森林領にはあまり出回っていない。普通のお店で簡単に手に入れられるわけではないので、エルノさんにでも聞いてみようかと思っていたのだ。春になったらすぐに動き出したいので、できれば雪が降る前に聞いておきたかった。
「小麦粉は高いわよ?お米で代用はできないの?」
試しにクリストフさんに、小麦粉を手に入れる方法を聞いていたら、ヴィルヘルミナさんが心配そうに言う。なるほど、お米かとちょっと考える。ご飯をギュッと固めてパンみたいに使う?
「ヴィルヘルミナさん、わたしね、パンに木の実のハチミツ漬けを挟んで売ろうと思ってたの。出店でちょっと買って食べるのにちょうどいいでしょ?」
「……そうねぇ、お米を粉にしてパンみたいには焼けないのかしら」
「粉!?お米を!?」
思いがけない提案に驚いて、目と口を大きく開く。
……そうか。お米をお米のままで使おうとするから、使い方が限られるんだ。
「ちょっとやってみる!」
お米を粉にするのはたぶん、そんなに大変ではないと思う。が、なにせわたしには工房がない。既にあるものをちまちま改造するしかないのだ。
「……塩動具、改造していいかな」
「言い訳ねぇだろ、アホか!明後日、出荷の時に買って来い。他にも必要なものがあるだろ。明日までに洗い出しとけ」
わたしの独り言を拾ってダンが突っ込んでくる。独り言なんだから流してくれて構わないのに。独り言で済むかどうかは分からないけど。
それから、出荷に行った時に塩動具とか鉄板とかを買い込んで、早速動具づくりに着手する。試験の合否の発表は明日だが、郵便だと翌日しか届かないので、結局、わたしが通知を受け取れるのは、それから更に2日後だ。
「コスティ、これ、ちょっと食べてみて」
鉄板はまだできていないが、米を粉砕する動具はできたので、試食用に作って持って来た。
今日はクリストフさんの買い出しの日なので、ついでにコスティの家まで送ってもらった。買い物はダンに任せて、私書箱から通知も受け取ってきてもらうことにした。わたしにとっては、不合格と分かっている通知よりも、春から売り出そうとしている出店メニューの方がはるかに現実的で深刻な問題なのだ。
「お米でクレープを作ってみたの。小麦粉で作ったのとはちょっと食感が違うんだけど、どう?」
「いや、それより、お前合否の発表は……」
一応、小さい頃から役人になるように言われてきたコスティは、わたしの合否が気になるようだ。でも、コスティだって不合格になるのは分かってると思う。10日くらい一緒に勉強したので、わたしの基礎学力のなさは、たぶんアーシュさんの次に分かっている。
「え?絶対不合格でしょ?別に気にしないよ?」
「いや、でもやっぱり、気になるだろ?普通……」
アーシュさんも特に気にしている様子はなかったし、クリストフさんたちやダンだって全くもって驚くほど気にしていなかった。そういう環境なので、わたしにとっては気にしない方が普通だ。
「夕方ダンに郵便を取って来てもらうから、ここで一緒に見ればいいよ。それより、クレープだよ。どう?」
コスティはなんだか腑に落ちない表情で、それでもクレープを試食する。
「あ、美味い」
「でしょ!?大丈夫そうだよね!」
一応、わたし自身も試食しているし、ヴィルヘルミナさんにも美味しいと言ってもらっている。コスティへの確認は、最終確認だ。
「これなら買う気になるかもな」
「うん。お米を使ってるからお腹の持ちもいいしね」
それから、わたしが予定しているクレープ焼き用の動具の話をして、いくらで売るのか、いつから売るのかを話し合う。試験勉強よりはるかに楽しいのは、これが現実に直結しているからだろうと思う。
気が付くと、もう夕方になっていて、ダンが迎えに来てくれた。手紙を渡される。
無造作に開くと、「不合格」の文字が力強く書いてあった。
それ自体は分かり切っていたことなので特になんの感動もなかったのだが、横で一緒に見ていたコスティが、開ける直前に僅かに緊張していたことと、不合格と分かった時に微かにため息を吐いた様子が、残念そうにも安心したようにも見えたことが妙に心に残った。
……そんなに重大なことなんだ。
わたしとは、根本的に意識が違うんだなと思う。きっと、一緒に試験を受けた4人の少年たちも、今のコスティのような反応をしているのだろう。春を待つまでの間、わたしは楽しく動具作りをする予定だけど、あの少年たちはずっと勉強をするのだろうか。それは楽しいのだろうか。楽しいばっかりじゃダメなんだろうか。
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