相談

 今日は待ちに待った、火の日だ。リッキ・グランゼルムの出店にはエルノさんが考えた新メニューが出されるはず。

 今日からクリストフさんもダンも夜通し作業なので、コスティに出店に行く前に寄ってもらって一緒に連れて行ってもらうことにした。


「じゃあ、ちょっと行ってくるね」


 わたしはコスティに断って、リッキ・グランゼルムの出店がある広場へ向かった。


「うわっ。相変わらずの行列だなぁ」


 リッキ・グランゼルムは、始めの5の鐘が鳴ったころに料理人がお店を出て、出店の準備を始める。そして、なんと後の1の鐘が鳴る頃には売り切れてしまうのだ。


 もうそろそろ売り切れる頃だと思っていると、案の定、店員さんが残り3人宣言を出す。行列に並んでいた人たちが、残念そうに散り散りになっていくのが印象的だ。


 ……毎回こうなのに、それでも並ぶ人がいるんだから、すごいよね。


「お、アキちゃん!」


 少し離れたところから、散り散りになっていくお客さんをうんうん頷きながら眺めていると、エルノさんが走ってきた。手にはわたしとコスティの分の商品を持って来てくれている。


「見て見てアキちゃん。漬物手に入ったんだよ!」


 そう言って、糠漬けの肉巻きを見せてくれる。出店なので、一口大に切って小皿に乗せてあるが、お店で出す時にはきっと美しく盛り付けられるのだろう。


「ヌカヅケって塩漬けとは違ったんだね」


 ……そうか。説明してなかったんだっけ。


 それでよく、糠漬けにたどり着いたものだと思う。


「あの後、穀倉領から来たっていうお客さんがいたからさ、ダメ元で聞いてみたんだけど、なんと、すぐに取り寄せてくれたんだよ」

「取り寄せ?」


 聞き慣れない言葉に目をぱちぱちする。


 ……誰かに持って来てもらうのかな。行商さんじゃないよね。


「な~んか、いかにも上品な人でさぁ。うちの店が大店っつっても所詮グランゼルムでは、だろ?やっぱ、周りの客からちょっと浮いてんだよなぁ。オレ、ああいう人は領都にしかいないと思ってたよ」


 特に理由はないが、薬剤師のあの人が頭に浮かぶ。


「で、その人が、ちょうど穀倉領に手紙送るとこだったらしくてさ。なんか穀倉領の特産品だからよろしくって、試供用の石けんと一緒に従者に持って来させたんだって。ハイ、アキちゃんにも一つ」


 紙に包まれた、手のひらに乗る小さな石けんがポンと渡された。


 ……あの人で間違いないだろうな。


 アーシュさんは相変わらず、時々やって来てはダンに何か話しかけている。そしてわたしには、官僚採用試験を受けるよう誘ってくる。だが目的がよく分からなくて、なんというか、スッキリしない。


 ……そもそも、受からないよね?


 ちゃんと勉強なんかしたこともないのに受かるとは思えない。受験料をかけてまで、今受けさせたい意味が分からない

 ちなみに受験費用はなんとナリタカ様が出してくれるらしい。さすが王族。太っ腹だ。だが、ナリタカ様にお世話になると思うと更に受ける気が消え失せていく。できれば関わりたくない。鬱陶しいから。


「ねぇ、エルノさん、官僚採用試験って知ってる?」

「ああ、知ってる知ってる」


 独り言に近い呟きで結果は期待していなかったのだが、意外な答えが軽く返って来た。


 ……知ってるんだ。


 なんとなく、職人とか料理人ってそういうのとは無縁に生きているんだと思っていた。


「お客さん、役人が多いしね」


 ああ、なるほど。リッキ・グランゼルムが特別なのかもしれない。


「官僚になる気がないのに受けることって、あるのかなぁ?」

「そりゃ、受けるチャンスがあればあるでしょ」


 エルノさんがサラッと答える。意外なことに、ある方だ。


「えっ、あるの?」

「だって箔が付くでしょ」


 ……箔っ……て、あれだよね。よく分かんないけど何かスゴいとか、何やったか知らないけど何かエラそうとか。


「…………」

「いや、別にそんな浅いこと言ってるわけじゃないからね!?自分の価値って話しだからね!?」


 わたしがほんの少しだけ白けた目で見たのがバレたようで、エルノさんが慌てて釈明する。


 いつも思うけど、エルノさんは手を振るときの速さが超人的だ。


「……若いとさ、実績なんてほとんどないも同然だろ?どんだけ、オレは料理上手いんだぜって言ったって、どれくらい上手いかなんて、そんな言葉じゃ伝わらないし、信じてもらえない」


 まぁ、そうだろうなと思う。オレはスゴいなんて台詞を言うだけなら、誰にだってできてしまう。


「だからって、じゃあ、実績積もうと思っても、そもそも何ができるか分からない奴にそうそうチャンスなんてもらえない。だって、チャンスが欲しい、オレより実績のある奴なんてゴロゴロいるからな」


 エルノさんの言葉にハッとして、目を見開く。


 ……ああ、そうか。チャンスがもらえることが、そもそも幸運なのか。


 目から鱗が落ちたみたいだった。だって、わたしは今まで、やりたいと思うのにやらせてもらえない経験がほとんどなかった。


 穀倉領でも森林領でも、最初は何も持っていなかった。何も持っていなかったわたしに、「やってみるか」と声をかけてくれた人たちがいた。振り返ってみると、今わたしができることは全て、そこから始まっている気がする。


……チャンスがもらえるって、すごいことだったんだ。


 コスティやトピアスさんからもらったチャンスがなければ、今、毎月稼げている数万ウェインは0だったはずなのだ。


「オレ、いずれは城の料理人になりたいんだよ」

「お城?」


 ……リッキ・グランゼルムの料理長とかじゃないんだ。


「リッキ・グランゼルムはそのチャンスをもらうための階段の一つなんだ」

「階段?」


 目をぱちくりする。エルノさんはリッキ・グランゼルムの料理人だという意識があったので、それは違うと言われると、少し戸惑う。目的地はまだ上だったということか。


「ああ。最初は小さい村の食事処で修行して、次にちょっと大きな町の食事処で修行。そして今はリッキ・グランゼルムで修行中。ここで実力とそれを証明できる実績ができたら、今度は領都の食事処に移籍したいと思ってる。そうやって、オレの実力を証明しながら少しずつ登って行ってるとこなんだ」


 一つ一つ、丁寧に。それは、わたし自身が言われたことがある言葉だ。エルノさんは軽い人に見えて、案外しっかりと前を見据えている人だった。一段一段、飛ばしたり走ったりせずに、丁寧に丁寧に登って行っている。


「試験だろうがなんだろうが、自分はこういう人間ですって証明の一つになるんなら、持ってて損はないとオレは思うけどね」







 コスティの出店に戻り、二人で糠漬けの肉巻きを食べながら、ちょっとコスティの様子を伺う。


「コスティ、官僚採用試験ってどんなの?」


 コスティのお父さんは、コスティを役人にしたがっている。コスティなら詳しく知っているんじゃないかと思うのだが、コスティにとっては嫌な話題かもしれない。


「は?なに、いきなり。あ、上手い」


 コスティが怪訝そうに聞いてくる。でも、すごく嫌がっている風ではない。


「アーシュさんがね、官僚採用試験を受けないかってしつこく誘ってくるの。あ、美味し~い!」


 あのしつこさを見ると、やっぱりナリタカ様の従者なんだなと思う。違いは実験に、乗ってくるか止めに来るかだ。


「ああ、あの人。いかにも上流っぽいもんな。これ、初めて食べる味だ」

「うん。官僚になる気はないって言ったら、官僚にならなくてもお得な使い道がいっぱいだって言うの。でしょ?穀倉領の農家の味なんだよ。卵とか漬けるとすっごく美味しいんだけどね」


 糠漬けの味と匂いで懐かしい思い出が蘇ってくる。今思うとなんだか遠いキラキラした記憶のような気がする。


「まぁ、受かればな。へぇ、こっちじゃできないのか?」

「そうなんだよね。受かればなんだよね。だって、今まで全然勉強とかしてないんだよ?受かるわけないでしょ?受ける意味が分かんないんだよね。こっちだとブランが手に入らないからなぁ」


 コスティが食べ物に興味を示してくるのは珍しい。卵やトマトの糠漬けを食べさせてあげられないのが残念だ。


「まぁ、あの試験は普通一発で受かったりしないからな。まずは腕試しで一度受けて、そこから必要な勉強を選んで始める奴もいるよ。みんな何度か挑戦するのは覚悟の上だ。ごちそうさまでした」

「え?そうなの?受験料、もったいなくない?」


 あっと言う間に糠漬けの肉巻きはなくなってしまった。また作ってくれないかな。


「そもそも本を買うにも金がかかるんだから、試験を受けるのも基本、上流階級出身の奴らばかりだ。受験料なんて大した出費だとは思わないんだろ」

「そっか……。う~ん…………」


 うちはお金持ちじゃない。だが、エルノさんの言葉は結構心に刺さった。これからのことを考えると、立場があやふやなわたしには、自分の価値を証明するものはあった方がいいかもしれない。


 そんなことを考えながら、何気なく石けんの紙を開くと、小さな石けんに小さく字が彫り込んであった。


 『試供品 米糠石けん』


 ハッと息を飲んで、そのまま息を詰める。


「うん?どうした?」


 急に無言になって石けんを凝視するわたしを見て、コスティが訝し気に眉を顰める。


「おい?」

「………………特産品」


 エルノさんはそう言っていた。


「残ってたんだ…………」


 全て捨ててきたと思っていた。穀倉領ではもう何もかもなくなって、わたしの存在は0になってしまったんだと思っていた。


「糠漬け……誰か作ってるんだ……」


 わたしがやっていたことが、何もなかったかのように、みんなの中から消えてしまったわけじゃなかった。


 特産品というくらいだ。農家の女将さんが作業の合間にとかではなく、ちゃんと商品として作っている人がいるのだろう。もしかしたら、卵とかリンゴの糠漬けなんかもあるかもしれない。


「石けん、できたんだ…………」


 開発は、ナリタカ様が突然やって来たあの日で打ち止めになってしまっていた。その後どうなったのか、少しだけ気になっていた。


「……みんな、がんばってる」


 わたしは木の実のハチミツ漬けを作って、ハチミツ飴を作って、ランプを作った。ちゃんと前に進んで行っていると思う。でも、それはみんな同じだ。きっと、ゾーラさんだってミルレだって前に向かって進んでいる。


 ……ザルトだって。


 一歩一歩進んでいるのは、わたし一人じゃない。その発見は、嬉しいと同時に不安にもさせる。だって、みんながどれくらい進んでるのか見えない。もしまた会える日があったとして、わたしはここまで来たよって堂々と言えるくらい、前に進めているだろうか。


「………………試験……か」


 不意に、何かしなきゃいけない衝動に駆られた。


 わたしが、みんなの中から消えたわけではなかった。だったら、また会える日が来るかもしれない。その時に笑っていられるようにしたい。みんながどんどん先に進んでいて、自分だけ置いて行かれた気分になるのは嫌だ。


 落ちると分かっているのに受けるなんて、何の意味があるのか未だにしっかりと納得はしていない。けれどチャンスをくれる人がいるのだから、とりあえずそれを掴んでみてもいいかもしれない。


 


 

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