【閑話】報告

「これを……あの子どもが…………」


 そう言ったっきり、ナリタカ様が言葉を失う。


 船と馬を乗り継いで急いで王都に戻り、ナリタカ様にランプの試作品を渡した。この驚愕ぶりを見るに、アキの実力はこの5年で衰えるどころか成長しているらしい。


 ……きっと、他にもいろいろ試したりしてたんだろうな。


 なんだか、一年間神呪を描き散らしていたとダンが言っていた。アキが一心不乱に神呪を描く姿が頭に浮かぶ。ランプを作っていた時の、神秘的とも言えるような奇妙な美しさを思い出す。


「まったく、完成した時はホントに衝撃でしたよ。信じられない。10歳の子どもが如何にも無造作に、部品に次々と神呪を描きこんでいくんです。知らずに見たら、子どもが熱心にお絵描きでもしているようにしか見えませんよ、あれ」


 作動させたその瞬間、不覚にも驚愕に震えた。目の前で、何が起こっているのか分からなかった。頭が真っ白になって、一瞬、呼吸すら忘れた。


 動具から、光が溢れていた。火を燃やすのとは全く違う、不安定に揺れることもない力強い光だった。間違いなく、神呪による発光という現象だと分かる。


 ……ダンさんはさすがだったな。


 目が合った瞬間、こちらの反応を見てアキはたしかに怯えた。恐らく、自分のやったことがこれ程の反応を引き出すとは考えていなかったのだろう。本人はただ純粋に楽しんでいただけだ。

 咄嗟に振り返った先で、ダンにいつも通りの対応をされたことでアキは落ち着きを取り戻していた。その直前まで、ダンだって驚愕に言葉を失っていたのに。


 ……まだまだ修行が足りないな。


 ため息をもらす僕の前で、ランプを眺めては従者に作動させ、ナリタカ様が感嘆の息を漏らしている。もっともな反応だ。いや、むしろもっと驚いてもいいと思う。


「……私は同じ衝撃を6年前に受けたよ。いや、私の方が衝撃は大きかったんじゃないか?なにせ、4歳の子どもが、洗濯樽をじっと見つめていたかと思うと、突然スルスルと神呪を描き出したんだ。何事かと思ったよ」


 なるほど。4歳の時点で既にその域だったわけか。ならば、あの手慣れた感じも納得だ。


 ……それは何というか……化け物に見えただろうな、小さい分余計に。


 ナリタカ様は当時から神呪に注目していた。政治的に活かせないかと言っていたが、恐らく純粋に描く方にも興味を持っていたと思う。


「まぁ、その後それを作動させたら水が縦横無尽に暴れ始めて、最終的には洗濯が自動で済むどころか水が空中高くに舞い上がり、落下してきたその水で辺り一面水浸しになった時の衝撃もすごかったがな」


 当然私も水浸しだと、ナリタカ様が遠い目をする。


 ……うん。やらかすところも変わらずか。


「だが、当時は失敗ばかりだったようだよ。あの子どもが集中し出すとその後被害が続出していたからな。成功したものなんて、あったのかな……」


 ナリタカ様が思い出すように首を傾げて視線を彷徨わせる。その憂いのある姿は、神が何かの手違いを犯したかと思う程美しい。


 ……目が合った瞬間、魂を抜かれたようになる者もいるからな。


 王族は何故か皆美しく生まれる傾向があるが、この主は一際その傾向が強い。性差の区別なく美しい。老若男女が見惚れるのも理解できる。


 ……これで、女性に全く興味を示さないのだからもったいない。


 この美貌の使い道は、今のところ政治的な場面にしか活かされていない。このままだと恋人もなく一生を終えそうだ。


「そういえば、途中馬にやたらと興味を持って、神呪を描いた紙を馬の体に押し付けてみたり、果ては馬の脚で神呪を踏ませようとしたりしていたな。すぐにいつもの男が気づいて首根っこを掴んで止めていたから良かったが、あのまま突っ込んでいたら間違いなく蹴られていたよ。あれはいったい、何をしようとしていたんだろうな」


 ……そういえば、アキちゃんもかわいいけど、恋愛とかに興味持ちそうに見えないな。


 地面に座り込んで、蹲るようにして迷いなく神呪を書き込んでいく姿を思い出す。そんな恰好なのに、こちらに目もくれないその姿は、神がかったような異様な美しさを放っていて、まるで別人のようだった。神呪を描き終わると次の瞬間には元のあの子に戻っていて、その変わりっぷりに更に息を飲んだ。


 ……石灰のことで集中していても、あの感じはなかったな。年齢のせいなのか、神呪が関係しているのか。


 女の子は精神面で早熟な子が多いので、あれくらいの年ならばもう恋の話などをしていてもおかしくはないとは思うのだが。


 ……いや、ないな。


 あの異様さを差し引いても、あの子をそういう対象に見る男は、なかなかいなそうだ。


「……欲しいな」

「…………っっっふぅええええっ!?いやいや……まさかの幼女趣味……!?」


 アキには恋だのなんだの言ったが、あくまで冗談だ。さすがに成人している男が10歳の子どもに恋慕するというのはどうなのか?


 ……いや、でも8歳差か。アリか?アリなのか?いや、ナシだろう!?まだ10歳だぞ!?


「お前は何を狼狽えているんだ?」


 僕の、主の趣味への深慮を冷たい目線で封じる。美人の冷たい視線はより心を抉る。


 ……まぁ、僕は今更抉られないけどね。


「いや、女装趣味で幼女趣味だと、さすがに僕も応援できないなと……」

「誰の何の話だ!?」


 この反応。違ったのか。良かった。


「いえ、違うんですね。良かった。さすがにこれ以上重なるとアキちゃんに完全に避けられちゃいますからね、ナリタカ様」


 アキの反応を思い出して噴き出していると、ナリタカ様は憮然とした顔になった。


「既に避けられてる。私の親切心は彼女には伝わらなかったからな。まぁ、お前が間に入ればいいだろ」


 ナリタカ様は、他人に冷たくされるのに慣れていない。今でこそいろんな立場の人間の思惑に触れる機会も増え、冷遇されることもなくはないのだが、当時のナリタカ様は12歳。まだまだチヤホヤされていた頃だ。


 ……ショックが斜め上に表出しちゃったんだろうな。


 僕はあの時、邪魔になるからと置いて行かれたので見ていないのだが、同行した護衛の話によると、ナリタカ様のアキへの執着ぶりはすごかったらしい。

 他と違う反応を示すおもしろさや、それがおもしろくないという感情が相まって、しつこくしつこく絡む結果となってしまったようだ。神呪師としての才能に嫉妬する気持ちも入っていたのかもしれない。


 ……まるで、好きな子に意地悪する男の子だな。…………あれ……やっぱり恋?


「……妄想もたいがいにしておけよ」


 まるで人の心を読んだような主の冷たい視線が、剣呑な光を帯びてきた。おふざけもこれくらいにしておこう。


「まぁ、それはともかく。試験、受けさせます?もう10歳ですよ」


 王族の従者となる道は、一応、庶民にも開かれている。それが、官僚採用試験だ。


「受かるか?」

「いやいや、育った環境が環境ですし、あの性格では無理でしょう。ですが、その方が取り込みやすい」


 この試験に合格すれば、もちろん官僚としての道が開ける。だが、この試験が年齢制限の下限を決めていない理由はもっと別にある。


「高得点を出せれば私の従者として指名しても不自然ではないしな」


 成人前の子どもがこの試験に受かることなど、ほとんどない。だが、将来有能かどうかは判断できる。要は青田買いだ。たしかに、才能のある部下は欲しい。特に神呪の分野は、現在不足している。


「鍵は養父でしょうね」


 アキに紹介された男を思い浮かべる。中肉中背で無精髭を生やしているが、言動に粗さがない。口調は荒っぽいが、口をついて出る言葉は細かく配慮されている。


 ……アキはいい人に育てられたな。


 二人のやり取りは微笑ましいもので、両親をいっぺんに亡くしたはずなのに、アキの瞳には曇りがない。あの男が如何に心を砕いてアキを育ててきたかが分かる。


「ああ……あの男」


 ナリタカ様が疲れたように、ため息混じりに呟く。あの養父とも何かあったのだろうか。


「接点はそれほどなかったんでしょう?」


 たしか、そんな話だったはずだ。


「……直接はな」


 ナリタカ様が美しく眉を潜める。


 ……いや、本人はうんざりした顔をしてるつもりなんだろうけどね。


 本人の意図と周囲の認識のズレが酷すぎて、もう笑うしかない。


「私があの子に近付くとピリピリした空気を目一杯飛ばして来るんだ。私があの小さい子どもに、いったい何をすると思ってたんだか……」


 ナリタカ様はぶうぶう文句を言っているが、護衛に聞いた執着っぷりを考えると、当然の反応だ。


 ……ていうか、護衛が言ってたこと、本当だったんだな。


 僕としては、あの養父よりも主の当時の奇行にがっかりだ。


「今でもいろいろと情報を持っていそうでしたよ。まるで本当の親のような過保護っぷりです。アキの信頼も厚いので、あそこを説得できないと我々は手が出せませんね」


 アキには元々目をつけていた。神呪のことがなくても、取り込みたいと思わせる何かがあると思う。それを分かっているからこそ、あの養父も神経を尖らせているのだろう。


「穀倉領から森林領に入っていることからも、立ち位置は我々と同じでしょう。あとは、こちらに任せても良いと思わせることができれば、ですね」


 現在、政局は大きく2派に分かれている。あの養父もそれを意識していた。


「あれは何をやらかすか分からないからな。そこも含めて、見えるところに置いておきたい」


 ……気持ちはよく分かる。


 穀倉領では糠漬けで周囲を巻き込み、今ではゾーラの口とかいうおかしな名前の店の名物になっているそうだ。店主の息子が、アキの残した味を再現させたのだとか。庄屋の奥方も一枚噛んでいるようだから、そのうちトゥルムツェルグ名物とかになるんじゃないだろうか。


 ……そしたら、米糠石鹸と抱き合わせで広げるかな。


 そして、行方を眩ませたかと思えば、今度はハチミツ飴だ。本人は、動具で作ったのがバレないように半球形にしたというが、そもそも売り文句が「加熱処理していない、ハチミツそのままの飴」だ。


 ……加熱で処理せずに、どうやって飴を作るんだよ!


 子どもならではの柔軟さと間抜けさで本人だとバレバレだ。しかも、木の実のハチミツ漬けだとかで、二つの町の高級料理店をまたにかけて商売しているという。


 ……目立ちすぎだろう!?


 何故そんな状態でアキを放置しておくのか。あの養父に会うまでは、あの男が何を考えているのかさっぱり分からず警戒していたが、会ってみると何のことはない。ただ、養い子に振り回されているだけだった。


 ……いや、もしかしてあれで、あそこまで抑えられている、と称賛するところなのか?


 どちらにせよ、いつかあの養父の元を巣立つ時までに、こちらでもアキを制御できるようになっていなければならないだろう。こと神呪に関しては、本当に何が引き起こされるか分からないのだ。森林領に入ったのは、むしろ好都合かもしれない。


「森林領は穀倉領より神呪師が活発だからな。あの子どもにとってはいいことだろうが……」


 ナリタカ様も同じことを考えたようだ。


「ええ。まずは戸籍問題ですね。一度本人と話してみて、必要であればアンドレアス様に協力を要請しましょうか」

「……取られないか?」


 有能な部下が欲しいのは誰でも同じだ。


「そこはアンドレアス様とアキへの働きかけ次第でしょうね」


 ナリタカ様の懸念は分かるが、そこは敢えて突き放してみる。


 アンドレアス様はナリタカ様の従兄だが、6歳年上で、ナリタカ様のことも小さい頃から知っている。ナリタカ様からすれば、自分の幼い頃のあれこれを知っているちょっと苦手な相手で、ごり押しは効かない目上の立場だ。


「アキにこちらを選んでもらえるよう、頑張りましょうね」


 恐らく、アキの対応は全面的に僕に任せるつもりだったに違いない。だが、アキを欲しいのはナリタカ様だ。主になりたいのなら、そう認めて貰えるよう主の方も努力しないとね。





 

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