アーシュさんの用件

「……へ?……アーシュさん!?」


 思いがけない人物の登場にポカンとする。

 久しぶりに見たアーシュさんは、相変わらず身形が良く所作が上品で、こんな何もない小屋の中に佇んでいると違和感しか感じない。


「探したよ。何の相談もなく領都からいなくなっちゃうんだもん、びっくりしたよ。まさか、隣にいるとはね」


 かぱっと口を開けて見上げるわたしに、クスッ笑いながらアーシュさんが告げる。


「でも、森林領で良かったよ。アキちゃんが無事でホッとした」

「あ……」


 アーシュさんの、本当に安心したという表情にハッとする。


 ……心配させてしまったんだ。


 自分の感情ばっかりで、そこには思い至っていなかった。でも、そうだ。あんな別れだったのだ。みんなが心配するのは当然だ。


「……ごめんなさい」

「あれ、アキちゃん、もしかしてこの1年の間に殊勝な子になっちゃった?」


 項垂れて謝るわたしに、アーシュさんが茶化すような口調で言った。


「僕は、以前の天真爛漫なアキちゃんの方が好きだったけどな。あんまり大人になると、みんなアキちゃんだって分かってくれなくなっちゃうよ?」


 アーシュさんが屈んで、目の高さを合わせて笑いかけてくれる。小首をかしげて明るく話しかけてくるそれは、わたしへの気づかいだ。

 言ってる内容が失礼だということについては後日問い合わせることとして。正直言って、アーシュさんがこんな風に元気づけようとしてくれるなんて想像もしてなかった。ただ、研究好きな人で、わたしのことは研究好き同士気が合うなくらいのものだと思っていた。


 ……ああ、わたし、こんなにいろんな人に、気にかけてもらってたんだ。


 きっと、アーシュさんだけではないのだろう。自分が本当に周囲の誰も見ていなかったのだと、改めて気付かされる。以前クリストフさんに言われた通りだ。


「うん……。そうだね。ザルトにもまた心配かけちゃう」

「そうそう。アキちゃんは何があってもいつもみたいに飄々としてればいいんだよ。そんなアキちゃんの様子につられて、みんなも元気になるんだからさ」


 相変わらず優しいアーシュさんにつられて笑うと、アーシュさんがコスティに目を向けた。


「お友達?」

「うん。コスティっていうの。とってもしっかり者なんだよ」

「ふ~ん。いくつ?」

「9歳です」


 少し固い表情で答えたコスティの言葉で、わたしは初めてコスティの年齢を知った。


「へぇ。コスティ、9歳だったんだ。わたしの1つ上なんだね」

「そうなのか?」


 しっかり者で物知りだと思っていたら、年上だった。


「お前の方が上だと思ってたよ」


 ……これは、わたしがしっかり者で物知りだということだろうか。


「おかしなことばっかり考え付くから」

「おかしなこと?アキちゃん、ここでも何かやってるの?」


 アーシュさんが完全におもしろがる口調で聞いてくるが、二人とも、おかしなことという言葉の意味がわたしの知ってる意味と違うと思う。


「でも、ハチミツ、ちょっとは売れるようになったじゃない」

「ああ。ああいうやり方があるんだな。知らなかった。本当にすごいと思う」

「え~?気になるなぁ。何やったの?」


 ちょっと唇を尖らせて言うと、コスティが真面目な顔で素直に頷く。相変わらずからかい口調のアーシュさんとは正反対だ。


「木の実のハチミツ漬けを売ってるんだよ。買う?」

「買う買う」


 値段を聞くことなく即答で買うと言えるところが、さすがはガルス薬剤店の薬剤師だ。


「あ、美味しい。へぇ。果物のハチミツ漬けってちょっと甘すぎて苦手だったんだけど、これなら美味しいね。木の実なんて、意外なところに目を付けたもんだねぇ~」

「でしょ?お料理に使ったりもできるから食事処にも卸してるんだよ。お味噌とも合うの」


 わたしは気分が良くなってふふんと胸を張る。穀倉領の味を知ってるアーシュさんなら分かってくれるはずだ。


「辛いものから甘いものまで、よく思いつくもんだねぇ」

「うん。保存も効くから宿屋さんにも置かせてもらってるんだ。出店と違ってお金がかからないから気楽なんだよ」

「ああ、なるほどね。旅の間は野菜が不足するからその栄養を補えるのか。ふぅん、いいねぇ……」


 アーシュさんが顎に手を当てて考え出す。これを機にガルス薬剤店でも置いてくれないだろうか。


 ……あ、でも輸送費がかかるから高くなっちゃうか。


 しかも、わたしの存在は秘密にしてもらわなきゃいけないから難しいところだ。


「あ、それはそうと、アキちゃん」


 何気ない口調で声をかけてくる、アーシュさんの目の奥がキラリと光る。こういう時のアーシュさんは空気がちょっと変わる。実は気難しい人なんじゃないかなと、密かに思っている。


「最近、何か困ったこと、ない?」


 ……出た!アーシュさんの千里眼!


「え……えぇ?いや……なんで……?」


 いくらアーシュさんが相手でも、さすがに神呪のことは知られてはいけない。わたしは目を逸らしつつしどろもどろに答える。


「何となく。アキちゃん、行き詰るとあからさまに上の空になるからすぐ分かるよ」

「ええ!?いや、べつに上の空じゃなかったよ!?ちゃんと会話してたよね!?」


 そんなこと初めて言われたと驚くわたしの横で、コスティが項垂れて首を振っている。おかしいな。


「返事しながらも別の事考えてるのが丸わかりなんだよ」


 アーシュさんが笑いながら言う。


 ……うぅ、それじゃ態度の悪い人みたいじゃないか。


「で?何に困ってるの?」


 アーシュさんが軽い口調で聞いてくる。でも、安易なことは言えない。黙りこくるわたしに、アーシュさんは更に言葉を重ねる。


「そうだねぇ……、あ、僕さ、ガラス工房とか金属工房とかに知り合いがいるんだけど。それは何か役に立つかな?」


 …………アーシュさんが怖いよ!


「何か、作りたいもの、あるんじゃない?」


 千里眼っていったいどういう仕組みなんだろうか。


「うぅ……。そ、そもそも、わたしこんな森の中にいるのに、どうやってわたしの居場所が分かったの?」

「ああ。それはハチミツ飴だよ」

「へ?」


 かなり意外なところから切り込まれた。


 ……ハチミツ飴?……って、あんまり売れてなかった気がするけど。


「領都の薬剤店に試食用として配ったんだろう?それがたまたま、ガルス薬剤店に回ってきてね」


 アーシュさんが思い出すように笑いながら言う。


「子どもが作ってるって聞いてすぐにピンと来たよ。アキちゃん、穀倉領でもあめ玉作ってたでしょ」


 ……アーシュさんはわたしの何をどこまで知っているんだろう。


 思わず遠い目になってしまう。


「真ん丸い形が不自然だって言われて改良したんだけど……」

「いやいや、ハチミツを加熱処理せずにあめ玉にしちゃう時点で自然じゃないよね」


 なるほど。言われてみれば、たしかにそうかもしれない。隣でコスティもため息を吐いている。


「…………アーシュさん」

「うん?」


 わたしの警戒なんてものともしない。強者だ。


「アーシュさん、何しに来たの?」

「え?アキちゃんに会いにだよ。心配したって言ったでしょ?」


 森の中なんて、そこにいる人か物か、明確な目的がなければ滅多に足を踏み入れたりしない。ましてや、ここはコスティが一人で養蜂をやっている小屋だ。知っているのはコスティとわたしとクリストフさんとダンだけだろう。

 

「ここに、どうやって来たの?」

「ん?馬だよ」


 ……アーシュさん、馬乗れるんだ。


 意外な気もするが、やっぱりという気もする。コスティもそうだが、馬に鞍を置いて直接乗るなんて、庶民はそうそうしない。身一つで、馬で行かなければならないほど遠くまで行くことが、そもそもないのだ。馬を持っている庶民は馬車を引かせるために馬を使う。それは大店だって同じだと思う。アーシュさんは細身なので、馬に乗ってヒャッハーとか言いながら狩りをするイメージはないのだが、荷物持ちの従者を何人か連れて軽やかに馬を走らせて散策しているイメージなら湧く。


 ……役人?よりもっと上の立場っぽいよね。


 いつか見た、いかにも王族関連っぽい男か女か分からない人が頭に浮かんだ。実はわたしにとっては危険人物だったりするのかもしれない。


「わたしを探してたって言ったよね。どうして?」


 ……心配だったからってだけじゃないよね、絶対。


 手がかりがそうそうあったとも思えないので、探すために時間や手間をかけたはずだ。アーシュさんは忙しいはずなのに。


「うーん。そうだね、ちょっと外に出て話そうか」


 そういうと、アーシュさんは目でわたしを促して外に出た。目配せが実にスマートだ。ちょっと羨ましい。わたしはコスティに気付いてもらえなかったのに。


「実は、ナリタカ様の命令でね」


 わたしが外に出ると、アーシュさんがにっこり笑って言った。


「ナリタカ様?」


 誰だろう。名前が特徴的だなと思う。人のことは言えないけど。


「そうそう。ほら、覚えてるかな?最後に店に来た時に、僕に急な来客があったでしょ?あの人なんだけどね。お店ですれ違ってるよ」

「ああ、あの人……。男の人だったんだ」


 ……変わった名前だけど、男……だよね?


「ええっ?そんな反応?男の人だったんだって……さすがアキちゃん!」


 アーシュさんが爆笑している。笑うポイントが分からない。


「あの人美人だからさ、お近づきになりたいって人が多いんだよ。まさか性別の時点で引っ掛かられるとはね~」


 なんか、わたしがズレてる風に言っているが、すっごくキレイな人だなとは、わたしだって思ったのだ。ただ、性別がハッキリしなかっただけで。


 ……前に、お兄さんだと思ってた人がお姉さんだったことがあるんだよ。


「それで、どうしてあの人がわたしを探すの?」

「うん。ちょっと探し物をしててね。君が何か知ってるんじゃないかと思うんだ」

「……へ?」


 全く思ってもいない言葉だった。


 ……一度すれ違っただけなのに。


「わたし?」

「うん、そう。たぶん、君なんだよね」


 首を傾げて考える。お店で会ったあの時に、何かあっただろうか。


「何か失くしたの?」

「うん。大事なものなんだ。ある事件の真相に関わる手掛かりでね」


 ……事件?何かあったっけ?


 ますます分からない。わたしが何かに巻き込まれたら、ダンから何かしら言われたりするだろうけど、それらしい心当たりがない。


「ホントに分かんないみたいだね」


 アーシュさんが苦笑しながら顔を寄せてきた。口元を手で囲って、わたしの耳に当てる。


 ……内緒話?


「……闇の神呪」


 なんだなんだと、若干ワクワクしながら耳を傾けるわたしに、アーシュさんが短く囁いた。


 ヒュッと喉が音を立てた気がした。


「ね。知ってるでしょ?」


 固まるわたしに、アーシュさんが目を細めて笑う。まるで観察されてるみたいだ。




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