森の中のあばら家

 クリストフさんは馬車を持っている。町へ行くのにも使うが、炭にするための木を伐り出して運ぶためのものだ。


 炭やき職人の仕事の半分ほどは、窯の前ではなく森の中にある。木を伐る仕事だ。窯で炭を焼く作業は実質10日くらいらしい。まずは材料となる木を伐り出してこなければ始まらないのだ。


 体力がいる仕事なのでダンには馴染みがなく、毎日疲れ果てて帰って来る。ご飯を食べて浴室でざっと水を浴びると、そのまま死んだように眠る日々だ。当然、日々の会話に神呪のしの字も出てこない。というか、夜は疲れていて声を出すのも億劫なようで、多少なりとも会話ができるのは朝だけだ。

 ちなみに、わたしたちが来てからまだ一度も窯の作業は行っていない。窯の様子が見学できないなら森で木を伐るのを見たかったんだけど、さすがにそれは危険だからと止められた。


「今日はコスティ少年の家に連れてってもらうんだー」

「ああ、そういやそんなこと言ってたな」

「ヴィルヘルミナさんがお弁当作ってくれるんだよ」

「へぇ……」


 ダンとクリストフさんは境光が出るとすぐに森に入って行き、境光がある間にと、できるだけ長く森の中にいる。後の4の鐘が鳴るまでは森にいることにしているらしい。伐り出してきた木を真っ直ぐにする作業とかなら境光がなくてもランプがいくつかあればできなくはないが、さすがに森の中に入るのに境光がないと困る。しかも、森の中にいる間に境光が落ちればそのまま待機しなくてはならないので、どうかするとその日中に戻って来れない日もある。お弁当とは別に携帯食も持参しているそうだ。

 一日の流れは穀倉領にいた時と違って、日々大きく変わる。


 そんな中でも、まだ子どものわたしは基本的に規則正しい生活を心がけている。ダンが戻らなくても一人でご飯を食べ、ダンがまだ寝ていても始めの4の鐘が鳴れば起きる。そしてお昼前にヴィルヘルミナさんのところへ行き、一緒にお昼ご飯を食べている。ヴィルヘルミナさんは、クリストフさんだけじゃなくダンのお弁当やわたしのお昼ご飯も毎日作ってくれているのだ。


「ヴィルヘルミナさんも一緒に行ければ良かったのにな……」

「お前の面倒を見る羽目になることを思えば、行かない方が正解だろうな」


 わたしが一人でお留守番をするヴィルヘルミナさんの寂しさを気遣う心は、ダンには伝わらなかったようだ。






 わたしは馬車の荷台に揺れられている。ガッタンガッタンと。もう、舌を噛まないようにとかのレベルではない。一応道になっているとはいえ森の中だ。木の根はあるし大きな石は埋まっているしタイヤはそれらを容赦なく踏んでいくし。


 ……落ーーーちーーーるーーーーー!!!


 荷台の縁にしがみ付いて何とか生き延びようと必死なわたしの努力を嘲笑うかのように、クリストフさんは容赦なく馬を進める。途中でダンが気づいてクリストフさんに声をかけてくれたが、多少ゆっくりになったところで道がなだらかになるわけではない。

 同じ道をまた辿って帰るというのだろうか。わたし、生きて家に戻れるだろうか……。


 恐怖と戦いながらも周囲を見回す。家から見える森の姿と同じで、幹がうねった木が多く、どれも枝が四方八方に伸びている。木というとなんとなく、一本の太い幹があって、上の方に豊富な葉が茂っている印象だが、この辺りの木は幹の真ん中あたりから何本も枝が分かれていて、葉もびっしりというよりはちょっとまだらな感じでついている。濃い緑色の葉の奥に他の木の薄い緑色が覗いたりして、なんだか優し気で頼りなげな印象だ。それでも、わたしの体よりは太いんだけどね。


「最近はこの奥で木を伐り出している。この辺りは木の種類が違うが、奥の斜面に生えている木を使う」


 クリストフさんが馬車をちょっと停めて教えてくれる。地面にある何かを拾っているようだ。


「斜面?」

「そうだ。オレが作る炭は特に質が良いと言われる。そもそも元にする木が違うんだ」

「斜面には馬車で行けないよね?」

「ああ、馬車は置いて歩いていく」


 つまり木があるところまで歩き、斜面に生える木を伐り、それを持ってまた馬車に戻るのだろうか。


「……切った木を運ぶ手段があればいいのにね」

「そうだな。だが、だからこそ、オレの作る炭は高値が付く」


 ……なるほど。ここでも希少価値というやつか。


 クリストフさんが手を握ったまま突き出して、手を広げるように促される。


「あ、かわいい!」


 渡されたのは、茶色くて丸っこい固い木の実だった。艶があって、なんだか帽子のようなものをかぶっている。逆の先端が少しとがっているので、ますます帽子をかぶった顔にみえて、かわいい。


「どんぐりという」


 わたしはどんぐりをポケットに入れた。見回すと、違う大きさや太さのどんぐりが他にも落ちている。何か工作に使えそうだ。今度拾ってきてもらおう。


 そのまま真っ直ぐに道を進むと、やがて馬車がゆっくりと停まった。目の前には一軒の家がある。一応、人が住んでいる、はずだ。


「えっと……ここ?」

「ああ」


 クリストフさんに連れてきてもらったコスティ少年の家は、一言で言うと、あばら家だった。

 わたしとダンが住んでいる小屋より大きいのだが、なんというか、壁の色が茶色くくすんでいて、一部黒くなっているところもあり、屋根が落ちている個所もある。黒い所は腐っているのではないだろうか。


「ハチミツって高かったよね?」

「そうだな」


 わたしの質問に、ハチミツを買ってくれたクリストフさんが重々しく頷く。


「なのに、お家は貧乏?」

「売ってる商品が高くても、売れなければ収入にはならねぇからな」

 

 ダンの言葉に、なるほどと納得する。そういえば、最初に見た時とその次に見た時で商品が変わっている気配がなかった。


「やっぱり限定商品とか裏メニューとかにする方が売れるのかな……」

「いや、それ以前の問題だろ。てか、お前、おかしなことばっかり習得すんな」


 わたしの呟きが聞こえたのかダンが突っ込んできた。でも、ゾーラさんもお魚の行商さんも、アーシュさんでさえ言っていたことなのだ。そして彼らは、少なくともあばら家には住んでいない。


「先達には学ぶべきだと思う」

「それ以外にも学ぶべきことがあるだろうが」

「……あ、そうだね。裏メニューにするには表メニューが必要だもんね」


 ダンが隣で「いや、需要と供給の話だろ……」と額を押さえているが、わたしも間違ってはいないと思う。


「とりあえず、コスティ少年にも意見を聞くことにするよ」


 わたしは荷台から降りてクリストフさんを振り返った。


「では、後の4の鐘が鳴ったら迎えに来る」

「おかしなこと言ったり、勝手に物を壊したりするなよ」


 ……ダンの言葉の前半は分かるんだけど、後半は納得できない。


「勝手になんて壊さないよ。壊しそうな時はちゃんと壊すかもって言ってるもん」

「他人ん家の物を壊すな!」


 ダンがもの言いたげに何度も振り返りながら、クリストフさんと仕事に出発した。ダンは相変わらず心配性だ。






「こんにちはー!」


 わたしはあばら家……ではなく、コスティ少年の家のドアをコンコンと小さく叩きながら大声をあげる。ドアを普通にドンドンすると屋根ごと崩れ落ちてきそうだ。


「コースティーしょーおねーん!」


 わたしがリズミカルにしつこく呼びかけていると、やがてドアの中からガタガタと音がして、ドアがギギギっと音を立てながらゆっくり開いた。


「うるさいな……静かにしてくれ」


 なんだか、ダン以上に無精なおひげの酒臭いおじさんが、これでもかという程顔を顰めて出てきた。顰めすぎて目まで閉じていそうだ。

 コスティ少年は茶色い髪に水色の瞳だったが、おじさんは茶色い髪に紺色の瞳だ。だが、顰めた顔は、気難しそうなコスティ少年と重なって見える。年齢的にも、きっとこれがクリストフさんが気にしていた父親なのだろう。


「騒いでごめんなさい。でも、ドア叩くと壊れそうで……」

「おーい!コスティ!」


 素直に謝るわたしの言葉を遮って、父親がコスティ少年を呼んでくれる。そういえば、昨日はコスティ少年がクリストフさんの言葉を遮っていた。この感覚がいわゆる既視感とかいうやつだろうか。


「……ホントに来たのか」


 わたしが一人でうんうん頷いて納得していると、コスティ少年が驚いた顔で出てきた。


「うん。ハチミツって蜂を使って蜜を集めるってホント?」

「うわっ!ちょ、ちょっと……こっち来い!」


 コスティ少年が焦ったようにわたしを引っ張って、家から離れた。


 ……そういえば、お父さんには言ってないんだっけ。


 あの場で話すとお父さんに聞こえてしまうのかもしれない。失敗失敗。

 反省するわたしをそのままグイグイ引っ張って、厩の方まで来た。


「あ、馬だ。あれ?この馬なんかキレイだね」

「ああ。賢くていい馬だよ」


 コスティ少年が目を細めて馬の鼻を撫でる。穀倉領でも馬を見たが、もっと足が短くてずんぐりしていた。だがこの茶色い馬は毛艶も良く、足が長くてスラッとしている。


「元々荷物持ち用というよりは乗馬用の馬だからな。足が速いんだ」


 コスティ少年が自慢するように言う。蜂を使って蜜を集めることといい、コスティ少年は動物好きなのかも知れない。動物が友達というやつだ。


「コスティ少年、わたし蜂さんが蜜を集めてるとこ見たいんだけど」

「……なんで?」

「ハチミツ持ってきたから。まだ食べてないの」


 わたしは、怪訝そうな顔をするコスティ少年に、クリストフさんに買ってもらったハチミツの壺を見せた。


「蜂さんがハチミツを集めるところを見ながら食べたくて」

「…………いや、それ、お前が蜂まみれになるから」


 蜂の前でハチミツを食べるのはダメらしい。


「蜂さんって放し飼いってこと?」

「当たり前だろ」

「当たり前なの?」

「放してないとどうやって蜜を集めてくんだよ」


 ……そうか。蜂さんは自由に蜜を集めるのか。


「ん?蜂さんが集めた蜜を、どうやって受け取るの?」

「巣箱から蜜を採集するんだよ」

「……それって、蜂さんが集めた蜜をわたしが横取りしちゃったってこと?」


 わたしは目を丸くして手のひらの壺を見つめる。


「まぁ、そうだな。でもオレも蜂が住みやすい環境を作ってやったりするんだからお互い様だ」

「へぇ~。蜂が住みやすい家って人間に分かるものなの?何が違うの?あ、今は言わなくていいよ。蜂さん見ながら教えて。早く行こ!」

「…………いつ行くって決定したんだよ」


 コスティ少年がぶつぶつ文句を言いながらも馬に乗る準備をする。蜂がいるところへ案内してもらうことになった。





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