文化の違い
ブーツを注文してから、7日が過ぎた。もう出来上がっているはずだ。
わたしとダンは、ブーツを受け取るのと買い出しのために、町中まで来ている。今日はクリストフさんも一緒だ。
「ヴィルヘルミナさんは、お留守番?」
「ああ、呼びかけられても気付かなかったりするからな。あまり来たがらない」
そうか。周りの音がうるさいから、呼びかけられる人の声が埋もれちゃって更に聞き取り辛くなるのかもしれない。
わたしは周囲を見回して、ちょっと納得する。この町は小さいから馬車はあまり町中を通らないが、それでも台車を押す音や何かの動具が動く音、人のざわめきなんかが耳に入ってくる。
……あれ?でも、今、意識して聞くまではあんまり騒音って聞こえてなかったな。
わたしはちょっと首を傾げるが、そもそもわたしは集中すると周りの音がすぐに聞こえなくなる。そんなものかと納得した。
まずは、革製品のお店に行って、ブーツを受け取る。
「お姉さん、靴、ここで履き替えていい?」
「……では、奥へご案内致しましょうか?」
お姉さんが、ちょっと迷うように対応してくれる。靴を履き替えるだけなのに、ここじゃダメなのだろうか。
「そちらが構わないのなら、ここで構わないのですが、どうですか?」
「当店の方は特に構いません。ですが、他のお客様もいらっしゃいますよ?」
「大丈夫です」
「では、こちらへどうぞ」
ダンとお姉さんが話しているが、構う構わないの中身が分からない。
……わたしの靴のことだよね?
お姉さんは、カウンターの中へブーツを運んでくれる。わたしは付いて行きながら、お姉さんに尋ねる。
「わたし、人前で靴を履き替えちゃダメなの?」
「……女性ですからね。ただ、まだお小さいですからそれほど神経質になる必要はないかもしれませんが」
…………女性って言われた!女性だよ!?大人の女の人ってことだよね!?わたし、大人として扱われてる!
わたしは大きく目を見開いて、勢いよくダンを振り返った。
「分かった分かった。いいから早く履き替えろ」
わたしが何も言ってないのに、ダンが面倒くさそうに他所を向いたまま手をひらひらさせて答える。
森林領の店員さんは、やっぱりみんな生真面目で礼儀正しい傾向があるようだ。そしてダンはやっぱり失礼だ。
カウンターの中に入って靴を履き替える。さすがに裸足では少し肌寒くなってきていたので靴下を履いていたのだ。ちょうど良かった。
「女の人はどうして人前で靴を履き替えちゃダメなの?」
わたしは先ほどの疑問をお姉さんにぶつける。だって、穀倉領ではみんな裸足になって田植えをしていたのだ。当然、女の人だって人前で草鞋を脱いだり履いたりしていた。
「どうしてと言われましても……そういう習慣と言いますか……」
お姉さんが困った顔をするが、わたしも困ってしまう。理由が分からないのでは、どう気を付けたらいいのか分からない。靴を履き替えるのがダメなのか、脱ぐところが見られるのがダメなのか、靴じゃなければ、例えばエプロンを着るとかならいいのか。
「基本的には靴も服も人前で脱いだり着たりは致しませんね」
お姉さんが、考えるように視線を揺らしながら首を傾げて答えてくれる。これまで聞かれたことがないのだろう。つまり、それくらい、この領ではそれが当然のことなのだ。
「穀倉領では領都の職人さんとかもみんな、農業のお手伝いをしていたの。だからその時は、みんないる前で上着を脱いだり靴を履き替えたりしてたよ?」
「そうなんですね。こちらでも外套くらいは人前で羽織ったりも致しますが……領地によって随分違うようですね」
初めて聞いたという風にお姉さんが驚いた顔をする。なるほど。領地の違い、つまり文化が違うというやつなのだろう。気を付けないと。
「まぁ、ここは領都からもちょっと離れていますし、独特の文化が特に強いのかもしれませんね。領都だと、もう少し王都や他の領地の習慣に馴染んでいる部分があるかもしれません」
お姉さんは優しく微笑んで付け足してくれた。他所の領地から来たわたしを気遣ってくれているのだろう。アルヴィンさんもそうだが、態度が堅苦しい割に気遣いは細かい。優しさが、馴れ馴れしさではなく真面目さで表れている感じだ。
そういえば、ヴィルヘルミナさんもクリストフさんも優しいけれど、馴れ馴れしさは感じない。なんというか、必要以上には踏み込んで来ない気がする。かと言って余所余所しさを感じさせるわけでもない。そういう距離のようなものが心地よく感じる。穀倉領の、みんな仲間って感じも楽しかったけどね。
「あ、あったかい!しかも、やっぱり歩きやすい!」
靴を履き替えて、歩いてみたり軽く飛び跳ねてみたりする。足首より上まで覆っているので、多少の動かしにくさはあるが、木の靴のようにカポカポ抜けそうなズレ感がない。紐で縛るため、足が靴の中でグラグラ揺れない安心感がある。
「履いてるうちに革が柔らかくなって履きやすくなるだろ」
ダンが残りの支払いを済ませてドアに向かう。木靴は町の古着屋さんで売ることにした。ブーツが暑いと感じるころには、わたしも成長しているので、あの木靴はもう履けなくなっているだろう。
「ふふ。誕生日のお祝いだね!」
「……誕生日?」
クリストフさんがわたしの歩く速さに合わせてゆっくりと歩きながら、見下ろしてくる。
「うん。この前誕生日だったの。8歳になったよ」
「……8歳か」
「ええ」
クリストフさんの言葉にダンが頷く。なんだかクリストフさんとダンが何か目で語り合っている気配がする。なんだろう。わたしのお誕生日のお祝いについてだろうか。
「え?二人とも、お誕生日会とか別にしなくていいよ?ダンに新品の靴、買ってもらったしね」
「…………」
「……では、今日は広場でなんでも好きなものを好きなだけ奢ってやろう」
ダンが、何故か残念な子を見る目でわたしを見下ろす横で、クリストフさんが優しく提案してくれた。
「やったー!クリストフさん、ありがとう!」
ダンはもう放っておこう。避難所広場はすぐそこだ。
「とは言っても、もうお肉の種類も残ってないしなぁ」
広場に着いて、出店を見て回るが、もう既に食べたことがあるものばかりだ。何か変わったお肉でもないだろうか。そう思いながら奥に進んで行くと、以前と同じ、一番奥の狭いスペースに、以前と同じ少年が店を開いていた。相変わらず、品数が少なく、高い。少年は襤褸とまでは行かないが、擦り切れた薄い服を着ている。なんというか、売っている物の価格と売り主の身形のバランスが取れていない。
「……コスティ?」
わたしが何となくハチミツ少年を見ていると、クリストフさんが少年に声をかけた。知り合いかな?
「あ、クリストフさん。お久しぶりです」
少年は、身形からは想像が付かない、丁寧な言葉で挨拶を返した。よく見ると、商品を並べてある机の奥に座っているその姿勢も、スッと背筋が伸びていて育ちの良さを感じさせる。
……バランスが取れてないのは服なんだね。
「ここで商売してるのか。いつからだ?」
「先月から……」
「これは?」
「ハチミツです」
「ハチミツ?」
ふむふむと頷いていると、クリストフさんが手を伸ばして壺を手に取った。
「オレ、前から村はずれの養蜂家の家に出入りしてたから、養蜂のやり方をちょっと知ってたんです」
「……父親は知っているのか?」
「……っ、いえ……」
父親、というクリストフさんの言葉に、少年が言いよどむ気配を見せる。クリストフさんが少し固い顔をした。
「家で勉強はしているのか?」
「いえ……」
「家を出かける時、父親には何と?」
「…………」
「コスティ、お前の父親はお前に試験を……」
「……クリストフさん」
クッと顔を上げて、完全にお説教モードのクリストフさんの言葉を遮るように、コスティ少年がクリストフさんの名前を呼ぶ。
まるで熊のようなクリストフさんのお説教を遮ることができるなんて、勇者だと思う。
「クリストフさんには感謝してます。オレ達が村を追われた後、クリストフさんに手を差し伸べてもらわなければ、きっと父さんもオレも生きては行けなかった」
言葉を遮られた形のクリストフさんは、怒るでもなく、静かにコスティ少年の言葉に耳を傾けている。
「けど、いつまでもクリストフさんにお世話になり続けるわけにはいかないんです。オレも、父さんも、もういい加減、今の現実を受け入れて、歩き出さなければいけない。今、多少の貯えがある間に、動き出さないといけないんです」
コスティ少年は、クリストフさんを真っ直ぐに見つめたまま、静かに、でも強く、ハッキリと告げる。まるで、自分に言い聞かせているみたいだと思った。
「…………そうか。分かった」
クリストフさんはしばらくコスティ少年をじっと見つめた後、頷いて、わたしを見た。
「アキ、ハチミツが気になっていたようなら、誕生祝はこれにするか?」
「……へ?」
突然話を振られて、驚いてしまう。どういう流れでそういう話になったんだっけ?
「他に欲しいものがあるか?」
「え……?」
言われてわたしは周囲を見回す。お肉も果物も、あとは一通り食べたことがあるものだけだった。
「ん~……。目新しいものは他に特にないかなぁ」
「では、コスティ。これを一つ」
「……ええぇぇっ!?いやいや、いいよ。こんな高価なの、受け取れないよ!」
わたしは一歩あとずさりながら両手を前に突き出して、首と共に激しく横に振る。
……だって、ダンならともかく、クリストフさんって、会ってまだ数日だよ!?
その辺の100ウェインの肉とかならともかく、手のひらサイズの小さい壺で10,000ウェインもするような高級品、とてもじゃないが受け取れない。糠漬けで商売ができないわたしは文無しなのだ。相応のお礼を返せる見込みがない。
「ダン、構わないか?」
「……オレは構いませんが……いいんですか?」
ダンも渋い顔をする。保護者としては当然の反応だろう。
「構わない。10,000ウェインだな」
「……あ、ありがとうございます」
クリストフさんはダンの渋い顔をサラッと流すと、革袋から穴開銀貨を1枚差し出す。話の流れを呆然と聞いていたコスティ少年が、ハッとしたように、慌ててお金を受け取っている。
「……その値札はしまっといた方がいいんじゃないか?高価なものを売ってると目を付けられるぞ」
ダンの言葉に、コスティ少年は素直に頷いて値札を下げる。他人の話を受け入れない頑固者というわけではなさそうだ。
「クリストフさん、ありがとう!わぁ……。わたし、ハチミツって初めて」
「食べたことはなかったか?」
クリストフさんが小首を傾げて聞いてくるが、こんな高いものをみんな普通に食べているのだろうか。
「普通、食べたことあるものなの?」
「いや……ないかもしれないな」
「穀倉領では一般的ではないですからね」
お互いに小首を傾げながらやり取りをするわたしとクリストフさんに、ダンが割って入ってフォローする。そうか。育った領地が違うからか。
「いや、森林領でもそこまで一般的じゃないけど……」
コスティ少年がボソッと呟く。
「コスティ少年はどこに住んでるの?どこでハチミツ作ってるの?」
「……この町から少し離れた森の中。クリストフさんの家から馬でちょっとのところ」
「馬!?馬が基準!?わたし、馬乗れないよ。どうすれば行けるの?」
「は!?来る気か!?」
コスティ少年が目を見開いて、何故か驚き慌てている。どの部分が驚きだったんだろう。
「え、ダメ?」
「いや、ダメというか……」
コスティ少年は困った顔でクリストフさんを見る。
「炭の材料を刈りに行くついでに送り迎えしてやってもいいが……」
わたしとコスティ少年の会話を興味深そうに聞いていたクリストフさんが、尋ねるようにダンを振り返る。
戸惑い顔のコスティ少年と、わずかに期待を覗かせるクリストフさんと、隠す気など全くない期待に目を輝かせるわたしに見つめられて、ダンが押されるように一歩引いている。
「…………まぁ、クリストフさんがそう言うなら……」
「やったぁー!楽しみだね!」
両手を上に上げて喜ぶわたしと、目を白黒させるコスティ少年を、クリストフさんが興味深く見つめる。その横で、ダンはいつも通り額を抑えてため息を吐いていた。
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