目的地は、森
「いってらっしゃいませ」
受付のお兄さんは、今日も笑顔で丁寧だ。
受付のお兄さんはアルヴィンさんという。森林領に来て8日が過ぎたが、まだ、丁寧な他人行儀を崩さない。
「今日は、境光が消えるまで粘るから、ちょっと帰りが遅くなるかもしれないんだ。ダンが帰ってきたら、心配しないように言っといてくれる?」
「……かしこまりました」
アルヴィンさんは、ちょっと驚いたように一瞬口ごもったけれど、すぐに平常心を取り戻して頷いた。
……普通は、境光がある内に戻って来たいものだからね。
アルヴィンさんはさすがだ。
今日は是非、境光が落ちた後の、避難所の広場の様子が見てみたい。昨夜は一晩中境光が照りっ放しだったらしいので、そろそろ落ちるのではないかと踏んでいる。
森林領の家は、木で作られている。
丸太を横に並べたように積み上げてある壁は色とりどりで、その鮮やかさが瀟洒に感じさせると同時に、何だか見ているこちらの気持ちもちょっとウキウキしてくる。
……人間って、けっこう色に左右されるんだな。
通り沿いの家々も明るい雰囲気だが、看板もまた色とりどりだった。穀倉領では金属を加工した看板だったが、ここでは木製だ。じっくり見て回ると、扱っているものが同じお店は、看板の色も統一されているのだと気付いた。一目見て何屋さんかだいたい分かる。たかが色だが、それを領内で統一させようと思うと大変だろう。
……便利だよね。昨日の屋台付きの避難所といい。
森林領は、領民の声が領主様に届きやすいのかもしれない。穀倉領も、領民のことを気にかけてくれるいい領主様だと思ったけど、領主様の指示を領民が聞いて、町が成り立っている感じだった。森林領は逆な気がする。領民の声に答えるように役人が動いている。
わたしは、看板の文字を見て、一軒のお店に入った。食料品屋さんだ。野菜や肉が売ってある隅に、ちょっとしたお菓子が売ってあった。
麦の粉を水で練って焼いたものや、米をついて平べったくして焼いたものなど、家庭で手軽に作るようなものだ。もっとも、小麦粉は高いので、その分値段も米のお菓子より高くなっているが。
……あめ玉は売ってないなぁ。
あめ玉を作る動具は、持って来ていた。わたしが自作した物だったし、手軽に作れて手軽にエネルギー補給ができるので、旅に向いているとの判断だ。もちろん、ダンには睨まれたけど。
わたしはお米のお菓子を一袋買ってお店を出ると、避難所に向かった。
避難所について、出店を見ながらぶらぶらと時間を潰していると、辺りがフッと一段暗くなったように感じた。
「ん?」
なんだろうと思い、周囲をキョロキョロと見回すと、お店に並んでいるお客さんたちの様子は特に変わったようには見えないが、お店の店員さんがそわそわしだした。一人、また一人と、手の空いた店員さんが次々と、街灯に触れる。その間にも徐々に周囲が暗くなる。境光が落ちたのだ。
店員さんが作動させた街灯が次々に光を灯す。だが、その明かりはほんのりと小さい。避難所の目安にはなるだろうが、足元まで照らすことはできていない。
……あれじゃ、結局危なくて移動できないよね。
次々と小さく明かりがともるのを見ながら、わたしが少し不満を覚え始めた頃、最後の店員さんが急いで街灯に駆けつけて明かりを灯す。
その瞬間、広場にあった全ての街灯が突然、煌々とした白っぽい光を発し始めた。
その白っぽい光は、火そのものだった。杯のような器の淵から溢れんばかりの白い炎が渦巻くように高く高く伸びる。上空から光が降り注ぎ、境光がある時とそれ程変わらない明るさになる。これほどまでの炎なのに、熱を感じない。冷却用の神呪が同時に作動するのだろう。
あまりに幻想的な光景に、わたしは息を呑んでその光景に見入った。
それまでわたしが見て来た動具は、何か一つの作業を行うもので、こんな風に広い範囲で、しかも複数の神呪同士が共鳴するような動具は見たことがなかった。
……こんな使い方があるんだ。
わたしは感動のあまり言葉もなく、目を見開いたまま突っ立っていたが、徐々に周囲の喧騒が耳に戻って来た。
みんなそのまま広場に過ごすようで、避難所に向かう人はほとんどいない。周囲から駆け込んできた人たちで溢れかえる広場で、わたしはダンが迎えに来るまで夢中になって、街灯の神呪を見続けていた。
「アルヴィンさん、お菓子、いる?」
「ありがとうございます。でも、結構ですよ」
「何ならいる?」
「特にこれといって……」
アルヴィンさんの丁寧な態度は崩れない。ちょっと困った顔をされたので、これ以上は止めておく。困らせたいわけではない。
「ダン、受付のお兄さん、アルヴィンさんっていうの、知ってる?」
「いや」
ダンは知らないらしい。でも別に優越感は沸かない。ダンはそもそも興味を持ってないだろうし、アルヴィンさんは、聞けばあっさり教えてくれる。聞かれないからわざわざ言わないだけだ。おもしろくない。
「……ハァ。どうしたら、アルヴィンさんと仲良くなれるかなぁ」
「ぶっ!ゲホゲホ!」
わたしがため息をつきながら相談すると、ダンが飲んでいた水を吹き出しそうになって咳き込んだ。危ない危ない。危うくベッドが水攻めされるところだった。
「はぁはぁ……ったく……今度はなんだ?なんで仲良くなりたいんだ?」
ダンが、意味が分からないというように聞いてきたが、そんなに驚かれたこちらも意味が分からない。
「だって、仲良くなって宿のお手伝いとかしたら宿代が安くなるかもしれないじゃない。そのままここで働けるかもしれないし」
「いや、お前に手伝えることなんてないだろ?」
「え?穀倉領風の野菜炒めとかできるよ。お肉がいっぱいあるらしいから、何が作れるか考えるのも楽しそうだね」
「仕事は遊びじゃねぇんだぞ。……あと、この宿は明後日には出る予定だ」
「えっ!?」
……一月いるのだと思っていたが、予定よりずいぶん早い。
「そういえば、ダン、ずっとどこに行ってたの?」
宿に泊まった翌日から、ダンとは別行動となっていた。わたしは朝ご飯を食べて、ちょっとのんびりしてから町の散策に出たり、境光が消えるまで避難所で粘ったりして過ごしていたのだが、通りをぶらぶらしていても、一度もダンと会わなかった。
「ちょっと人を探してた。直接の知り合いじゃねぇからもっと時間がかかるかと思ってたんだがな」
「そっか……じゃあ、荷物をまとめないとね」
「ああ、明日買い出しに行く。お前はどうする?ついてくるか?」
付いて行きたい気持ちはある。わたしは大通りを避難所までウロウロした程度なので、町のどこに何があるのか、よく分かっていないのだ。だが、わたしの小さい体でチマチマと付いて行ったら足手まといになるだろう。明後日宿を出るのなら、明日中に買い物を済ませないといけないはずだ。
「別に、それほど買う物があるわけじゃねぇから、急がねぇぞ」
わたしが躊躇って視線を彷徨わせていたら、ダンが察してくれた。ダンはぶっきらぼうに見えて、実は人の表情なんかをよく見ていると思う。だから、身なりを取り繕わないのに、すぐに信用を得られるのだろう。
「じゃあ、行く。何買うの?」
「4~5日暮らせる日用品だ」
ずいぶん中途半端だ。
「やっていけそうなら、そこにそのまま住むことにする。その時はまた改めていろいろと準備する予定だ」
「え?住むとこ決まったの?」
森林領に来て、まだ8日だ。穀倉領では、ヤダルさんの工房に紹介してもらって家に落ち着くまで、1ヶ月以上かかっている。
……早い……よね?
穀倉領を出る時、ダンはタージオンさんに、行先は決まっていると言っていた。では、前々から準備していたのだろうか。でも、わたしがいつ何をやらかすかなんて、予期できるとは思えない。
……あの神呪のことがなくても、いつか穀倉領を出るつもりだった?
わたしは微かに眉根が寄るのを感じた。ダンが、どういうつもりなのか。次はいつ、誰との別れがあるのか。どうして教えてくれないのか。
不信という程ではない程度の疑問がわき上がる。穀倉領を出て、あと何日かすればもう一月になる。
穀倉領を出た時のことを思い出すと、どうしても、まだ胸が痛んだ。
日用品を買い、翌日宿で朝ご飯を食べて、そのまま宿を出ようとしたら、ちょうど境光が落ちた。仕方がないのでそのまま宿で待機し、更にその翌日に、宿を引き払って馬動車に乗った。
この馬動車は、近隣を行き来する専用の馬動車だそうで、多い時だと並んでも乗れないほどの人数が利用するらしい。
初めの5の鐘がなるちょっと前に一度境光が落ちたが、薄暗くなった程度なので、馬動車はそのまま領都を出て街道を進む。領都の西の門を出て少し進むと川が見え、その川沿いを、川を遡るように南西に進む。川は広くて、対岸は見えるものの何があるのかまではよく分からない。
川とは反対側の景色を見ると畑が広がっていて、何かの葉っぱで覆われている。何が植えられているのかダンに聞いたら、隣に座っていたおばさんがジャガイモだと教えてくれた。森林領は森からの恵みが豊富なため、畑はあまり多くはないのだそうだ。
薄暗い中ゆっくりと進んでいたが、鐘一つ分より早いくらいでまた境光が出てきたので、馬動車は少し速度を上げて、後の3の鐘の前には次の町に着いた。
だが、そこからが少し大変だった。森の入り口まで連れて行ってくれる人が見つからないのだ。
馬動車が運んでくれるのは、人の行き来が多くある町の入り口までだ。森になど行く人はそういない。馬動車どころか馬車も出ていない。しかも、夕方だ。猟師ももうとっくに引き上げてきている。結局、その日は町の中に宿を取り、翌朝狩りに出かける人を探すことにした。もちろん、わたしは宿でお留守番だ。
「この町はオレも避難所がどこにあるか分からねぇ。今日はこのまま寝てろ」
そう言い残して、ダンは宿を出て行った。知らない町で、大丈夫だろうか?
……まぁ、わたしが心配してもどうにもならないしね。
とりあえず、あと何日かかかるかもしれない覚悟をして寝ることにした。ダンが帰って来たのは後の5の鐘が鳴った後で、わたしはもうベッドに入っていた。ダンは、ちょっと荷物を整理してからすぐ寝たので、たぶん、明日には出かけられるんだと思う。
宿を引き払ってダンに連れてこられたのは、森の奥のちょっと開けた空間に建つ粗末な小屋だった。近くに別の小屋や納屋のようなものがあり、厩もある。小屋の裏手からは煙が上っているのが見えた。
「クリストフさん、いますか?」
ダンが小屋のドアをノックする。返事がない。
「おかしいな……クリストフさん?」
ダンが、今度は強めにノックした。すると、今度は返答があった。
「はーい、ちょっとお待ちくださーい」
……クリストフさんって男の人の名前だよね?
わたしは首を傾げる。聞こえてきたのは柔らかい女の人の声だった。
「お待たせしちゃって、ごめんなさい」
そう言いながらドアを開けてくれたのは、薄いグレーの髪に水色の瞳の、とてもキレイな若い女の人だった。
「兄さんから聞いているわ。ダンさんでしょう?兄さんちょっと出かけているの。もう少しで戻ると思うから、入って待っていてくださる?」
女の人は柔らかく微笑んで、部屋の奥へ案内する。わたしたちは、中に入って待たせてもらうことにした。ダンも驚いた顔をしているので、もしかしたら、クリストフさんという人に妹がいるということは知らなかったのかもしれない。
「はじめまして。わたしはヴィルヘルミナというの。これからよろしくね」
ヴィルヘルミナさんは、おっとりした感じの、ちょっと変わった話し方をする人だった。
「はじめまして。オレはダン。こっちはアキと言います。よろしくお願いします」
ダンが丁寧にあいさつすると、ヴィルヘルミナさんは、ちょっと困った顔をした。
「ごめんなさい。わたし、耳が悪くて……大きな声じゃないと、聞き取れないの」
……なるほど。それで出るのが遅くなったんだ。
一度目のノックは聞き取れなかったのだろう。もう少し大きな音で呼び出せるものがドアにあればいいのに。
「はじめまして。オレはダン。こっちはアキだ。よろしく」
「アキだよ!よろしく!」
ダンが大きな声で言うと、ヴィルヘルミナさんが笑顔で頷いた。
「よろしくね。ダンさん、アキちゃん」
無事、声が届いたようで安心した。ダンがよろしくと言うからには、この先お世話になるのだろう。柔らかい笑顔でおっとりとほほ笑む、優しそうな人で良かったと思う。
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