vol.22 切り取る
すぐに夏はやってきた。奇しくも香坂の脚本は間に合い、合宿へ強制的に行くことになった。
海が見える。レンタカーを三台借り、分かれてコテージへと向かう。助手席で窓の外を見る香坂と、その隣で先頭を運転する在原。
「思ったより綺麗」
「東京湾とは違いますね」
そりゃ東京湾に比べたら、と運転席と助手席の二人が心で呟いた。
地図を閉じて香坂も海の方を見た。海を見る三人と運転手以外の裏方チームは同じ車に乗っているが、爆睡。とても静かだった。きっと起きていたら、この数倍は騒がしかったことだろう。
「二泊三日って短いよー真澄くん」
「そこ、文句言わない。コンクールの賞金では旅費賄ってんだから」
「はーい」
「そういえばドニさん、お仕事休めたんですね」
香坂が尋ねると、ドニが海から視線を戻した。
ドニは今年から社会人だ。ランダムは学生サークルではあるが、卒業は自分で決められるらしい。勿論、去年で辞めた先輩もいる。
「そこら辺は融通利くので」
「ブラックなイメージしかないわ」
「今のところホワイトです」
今年、ドニは広告代理店に就職した。大手企業だ。佐田の予想では「英語とフランス語が出来るから」ということらしい。広告業界も海外進出を進めている。
「佐田さんは就活してるんですか?」
「一応ねー、でも音楽業界って狭き門過ぎて心折れてるとこ」
「折れた後かよ」
在原の突っ込みと共に、停車する。海からそう離れていない場所に、コテージはあった。少し古く見えないこともないが、ランダムの演者メンバー、百瀬のツテで安く貸して貰えることになった。
肝心の百瀬は最後尾の車の助手席でぐっすりと眠っていた。
荷物や機材をコテージに置き、夕方まで自由時間。夕方から台詞読み合わせがある。
一応男女と部屋を分けてはいるが、二日目の夜は飲み会が開催されるのでリビングで雑魚寝となることが予想される。コテージでひとはしゃぎし、元気な面子はすぐに海へ走って行った。
「元気か」
「若いなー、五月ちゃん行かないの?」
「海怖いので……」
意外だ。佐田は首を傾げる。
「昔、地元の海で溺れたことがあって。それから近付いてません」
「トラウマじゃん、それは怖いね」
「佐田さんは行かないんですか?」
「日に焼けるのやだもーん」
確かに佐田は夏の気温の中、七歩袖を着ていた。ドニと楢は演者のキラキラした仲間に連れられ、既にコテージを離れていた。
「俺寝るわ、夕方起きる」
在原に続き、俺もー、と運転手たちが欠伸を噛み締める。佐田も眠ることに決め、香坂は仲間を失った。
コテージから海が見える。海水浴客は少なく、確かに穴場なのだろう。裏は林だった。
しんとしたリビングには大きなテレビ。キッチンもついており、お風呂は近くに大浴場があるらしい。普通に借りたら絶対に高いだろうに、百瀬は何者なのだろう。
香坂はリビングを一通り彷徨き、裏の林を探検することに決めた。道らしきものもあったし、動物注意の標識はあったけれど熊出没は無かった。すぐ横は道路なので猪が出ることも、そう無いだろう。
虫除けをとりあえずかけて、一応上着を羽織った。
「香坂、どこいくの」
キッチンへ行こうとしていた在原が、入念な用意をして出ていこうとする香坂を呼び止めた。
「裏の、林」
「え、一人で?」
「うん」
他に仲間がいるように見えるのか、と逆に不審な顔を見せる。
「……俺も行くから、ちょっと待ってて」
「え、寝るんでしょ?」
朝から運転しっぱなしだったのは、助手席にいた香坂も分かっている。
「いや、危ねえだろ。何かあったらどうすんの」
「そんな、ちょっと歩いて帰ってくるだけ」
「お前、ホラー映画じゃそういうこと言ってる奴が最初にグロく死ぬんだからな」
良いからちょっと待ってろ、と在原は香坂の居る場所を指差した。ここはいつからホラー映画の舞台になったのだ、と不満な思いは募るが、もし何かあった時に責任をとるのは在原なのだという事実はある。
在原が一度部屋に戻り上着を羽織った後、リビングに行くと、香坂の姿が無かった。変なフラグを回収するなよ、と急いで玄関を出る。
すぐそこの階段に、香坂は座っていた。日傘を差して。
「……お待たせしました、姫」
「今、あいつ先に行きやがって、っていう勢いだった」
図星である。それ故にそろりと視線を逸らし、コテージの鍵を閉める。そういえば、鍵のことを考えていなかったな、と思い返す。香坂一人で出て行っていたら、コテージは入り放題となっていた。
「眠らなくて良いの?」
「眠いっつーか、疲れてたから誰かといるのが嫌だった」
香坂も海以外を歩くならどこでも良かった。探検と称して林を目指そうと思っただけで、平坦な歩道を延々と歩くのも苦ではない。一人で歩きたかったのだ。
「じゃあ会話なしで」
「お、話したら罰ゲームな」
「なんでよ……」
「五月ちゃんが負けたらー、今書いてる小説読まして」
「は」
声が漏れる。何故今小説を書いていることが分かったのか、というよりそれは罰ゲームにする内容なのか。在原になら、渋々だが香坂は見せただろう。
複雑そうな表情で香坂は了承した。小説を書いていることは勘だったが、言質は取れた。
「はい、五月ちゃんの条件は」
「姫って呼ぶのやめて」
きょとんとした顔をしてから、在原は言葉を返す。
「え……お前早く言えよ、ずっと呼んだりして最低な奴じゃん俺」
「というか、姫とか呼んで下手に出てるように見せて話すのやめて。他の人はどうかわかんないけど、あたしは嫌だ」
「そういうの時間差で言わないで、思ったときに言って欲しいんだけど。これからは」
思ったときは、これから先がないと考えていたのだ。映画コンクールの脚本を作って終わりだと。
「てか俺そんなに下手に出てる? 確かに香坂といるとき、下僕っぽいなとは思ったことあるけどさ?」
「……もしかして、そういう性質なの?」
「どんな性質だよ」
結局、歩きながら喋っていた。他愛ないことから映画のことから小説のことまで。
「五月ちゃんっていつから小説書いてんの?」
「中学の時から。書いたのが母親に見つかって、喧嘩になって、その後映画の広告に父親の名前を見つけた」
「なんで喧嘩すんだよ、笑われたか?」
親が、子供の創作物を笑うのは、何故か想像できた。古今東西よく起こっていることなのか。
実際、在原が「映画を撮ってる」と母に伝えたとき、爆笑された。それから「良いんじゃないの」と笑い疲れた顔で言われた。
「いや、うちの母親、物語が嫌いなひとで」
香坂が浮かべたのは苦笑ではなく愛想笑いだった。下手な笑顔は、誰に向けられたものなのか。香坂は前を向いて歩いていた。
人の歩く道は続いており、木の間を通る。木漏れ日が時折二人を照らした。
「隠れて映画も観たし、小説も漫画も読んでた」
「へー、そんな親いんだな」
「いるね。そんな親には、反発する子供が付き物だけど」
こうして反発した子供は映画にも関わっているわけだ。耳にしたら、目を三角にして怒るだろうけれど。
想像は容易に出来るのに、もう脚本を書いていない自分は想像できない。不思議だ。
木々が途切れた向こうに広場があった。柵が張られており、少し高台になっている。
「……涼しい」
潮風の匂いは薄く、吹いた風が葉を揺らす。夏の葉は青く、まだまだ成長の最中だった。
「ここ、主人公の気持ちを吐露するシーンに良くね?」
「うん、同じこと思った」
「良い収穫。林散策も意味あったな」
在原はスマホを出し、風景を写真に納めた。ふとそのカメラを香坂に向ける。香坂はすぐにそれを察知して、視線を頑なに上げなかった。
――もう少し、交友関係広げたら。
今まで何度か、在原はそれを香坂に告げようとした。団体の中でまた更にコロニーが作られる。香坂は誰とでも普通に会話するが、誰かについて行くことはしない。佐田ともドニとも、一緒に行こうと言われて行くことはあっても。
きっと、香坂は隣を歩いているように見えて、地獄と天国の道が二人を分かつ時、他人の背中を天国へ押しやって、清々しい笑顔で「さよなら」と言いながら一人地獄へ行ってしまう。
そんな人間だ。
在原は構わずシャッターを切った。その音に香坂が顔を上げる。もう一度シャッターを切る。
「肖像権」
「ランダムに属するものとされてるんで」
「人権!」
「早く帰って夕方まで寝よーぜ」
笑う在原はスマホをポケットにしまった。
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