vol.21 雨降り、欲ばり


 香坂はバイトを一つ辞めた。


「え、本屋?」

「最低賃金だし、人も育ったし」

「でもやりたかったバイトなんでしょ?」

「うん。だから経験出来て良かった」


 そっか、と大津は頷いた。辞めたのだから、今更兎や角言うことはない。人は決断する時は一人で決め、一人で行動を起こす。

 お互いゼミだったり選択授業だったり、大津の遊びとバイト、サークルがあったりで、顔を合わせるのは一週間ぶりとなった。


「新しいバイトするの?」

「今はスーパーだけで良いかなって。時間ないし」

「脚本書いてるの?」

「……書いたり、書かなかったり」


 実際、その通りだった。

 脚本と小説は似ているようで全然違う。人間が動く想像をしながら書くのは、とても頭を使う。情景、動き、台詞。それだけで物語を動かし、伝える。

 どちらかに飽きればどちらかに移る。という中途半端を重ね、こつこつと書き連ねていた。


「百合香のサークルは、今年も夏合宿やるの?」

「やるやる。新入生入ってきたし、他バンドと合同練習とか曲作りとか。五月のとこもある?」

「今年あるらしくて……」


 ランダムにも新しい顔が増えた。映画コンクールで最優秀を取ったのが効いたのだろう。

 つまりそれまでに脚本を形にしなくてはならなくて。

 書きたいものが形にならないもどかしさと闘う。悪くない、心地の良い闘いだけれど。


「行きたくない?」

「それ以前の話のような」

「以前?」


 間に合うのか否か、という。









 雨に降られた。レポートを出して友人たちと別れた在原は、校舎の入口で空を少し睨んだ。梅雨は苦手だった。雨は買ったばかりのビニール傘はすぐに盗まれるし、スニーカーが濡れて色を変える。

 加えて、天気が変わりやすい。今朝天気予報で久々の晴れだと言っていたのにこれだ。

 溜息を吐いていると、前を香坂が通った。


「五月ちゃん」


 声をかけると香坂が在原の方へ顔を向ける。なんだかいつもより荷物が多い気がする。


「……何ですか?」

「え、送別会?」


 呼び止めたのは駅まで傘に入れて欲しいと思ったからだ。しかし、口から出たのはただの質問。

 香坂は怪訝な顔をして足を止めた。その腕にはブランド物の紙袋や小さな花束が袋に入って、ぶら下がっている。

 在原の視線の先を辿り、漸く合点がいった。


「ああ、プレゼントです」

「なんの?」

「誕生日の」


 目を丸くする在原。


「五月ちゃんの?」

「うん」

「今日?」

「そうです」

「初耳なんだけど」

「言ってないんで」

「おめでとう。それで傘に入れて欲しい」

「どうぞ」


 特に嫌な顔はせず、香坂は傘を傾けた。身体を屈めてその中に入る。その窮屈さには嫌な顔をした。


「姫、俺が傘を持ちます」

「どうも」


 そうするのが合理的だ。傘を在原に預け、香坂は荷物を持ち直した。

 それに目を向ける。ブランド物の紙袋は大津だろう。小さい花束は誰だ。香坂の交友関係を考えても、顔は出てこない。


「花束、誰から?」

「これは棗がくれた。白いの、綺麗だよね」


 白を基調とした花が集まっている。ダリアやカスミソウ。楢の中の、香坂のイメージ色が分かった気がした。


「なんで楢が五月ちゃんの誕生日知ってんの」

「午前中に会って言ったら、午後に花束くれた」


 ……できた後輩である。在原は遠い目をする。

 対して香坂は、在原が傘を持つことによって快適になった環境を楽しんでいた。高身長の在原が持つと、傘が遠い。

 大学を出て駅の方へと歩く。


「てことは、今タメじゃん。同い年」

「タメ口利いて良いってこと?」

「いつも利いてんだろ」


 その言葉にふふ、と笑う香坂。ぱっと在原はそちらを向くが、既に無表情に戻った後だった。

 雨音が二人を包む。在原が傘を持つ手とは反対の手で、香坂の紙袋の紐を引いた。少し身体が在原の方へ寄る。何か、と顔を見上げるより先に、脇を後ろから車が通って行った。


「ありがとう」

「いいえ。ところで脚本はどうよ」


 尋ねながら、車道側へと回る。香坂はその様子を見ながら、傾けられたままの傘を真っ直ぐに直す。


「……まあ、書いてはいる」

「新入生に脚本志望入ってきただろ? あいつも書くって」

「そうなんだ」

「なにホッとした顔してんだよ」


 呆れた顔で言う。安堵を見破られ、香坂は居心地悪そうに視線を落とした。

 自分が書かなくても迷惑がかからない。前回のことを思い出すと、胃がキリキリと痛むことがある。書くのは苦ではないが、それから先の皆の苦労に痛むのだ。

 何も返さない香坂に、在原は口を開く。


「俺、お前のこと結構好きなんだけど」

「……そうですか」


 作品の話だろう、と香坂は脳内補填した。


「お前の書くもの好きなんだけど」

「そうですか」

「お前のファン一号なんだけど」

「……何が言いたいの?」

「早く読ませてくれ、新作」


 鼓舞のつもりか。

 香坂は顔を見上げる。さらりと肩から髪の毛が一房落ちた。瞳の奥の光に吸い込まれそうになる。

 香坂は光を持っているのだ。在原はそれを知っていた。


「誕生日なのに要求ばっかりされる」

「あーそうでしたね、すみませんね、欲しいものありますか?」

「まかろん」

「マカロン……?」

「大きいやつ、食べてみたい」


 マカロンを食べさせてやりたい、と在原は額を抱える。








「真澄くん、今フリーなんですか?」


 ドニが尋ねる。その隣には楢がいた。


「フリーでーす、彼女募集中でーす」

「ただし好きな子に限るっていう注釈付きですよね」

「梅雨だからかめちゃくちゃ性欲が」

「今はセフレいないんですか?」


 何故呼ばれたのか分からない楢はとりあえずビールを飲んだ。今年四月に成人した為、在原の前で飲める。

 掌をドニの方へ見せた。


「いないし今後作らない」

「じゃあ風俗ですかね」

「俺の友達、風俗行って性病になりました」

「本当にあった怖い話ですね。でもセフレじゃらじゃらさせてた真澄くんなら怖くはないんじゃないですか?」

「一番こえーよ、あの後ちゃんと検査したわ」


 ドニと在原が一緒に飲んでいたのは、ドニが女を在原に紹介する話を持ってきたからだ。というより、ドニの友人が在原を紹介して欲しいと言ってきた、という話をする為だった。

 その話がばっさりと斬られたので、早々に誰が呼び出そう、楢はどうだ、と事が運んだ。呼ばれて来てしまう楢も楢だ。


「棗くんは彼女いるんですか?」

「いません」

「あ、香坂さんが好きなんですっけ?」

「は?」


 忘年会での話を掘り返したドニに、在原は低い声が出た。あれは飲みの席の話ではなかったのか。今も飲みの席ではあるが。


「そういや、花束やってた」

「なんですか、その暗号」

「あげました。五月さんの誕生日に」

「いや、五月ちゃんはダメだわ」


 楢は在原の黒ビールの泡が消えていくのを見た。ダメ、とは。


「うちの五月は脚本で忙しいので、どこにもやれません」

「保護者ですか……」

「もうこれは編集担当ですよ」

「何故誰も監督とは言ってくれない」


 笑いながら、楢は香坂の誕生日のことを思い出していた。白い花束をやると、香坂は微笑んでいた。その帰り、雨の中を歩く二人を見た。在原が持つ傘に、香坂が入っていた。後ろ姿で分かったのは、花束を持っていたからだ。

 傘は明らかに香坂のもので、きっと忘れた在原が入ったのだろう。ただそれだけだと予想もできるし、現実も同じだ、と思うのに。


「はー、このままじゃ彼女ができるまでお預け……」

「その枷は誰の得になるんですか?」

「そんな身も蓋もない」

「というより、誰にそう思われたいんですか?」


 質問に、二人が黙った。ドニは偶に核心をつきにくる。楢は在原を見た。

 身長もあり、顔も良い、頭も悪くない、監督への野心は十分、酷く横暴でもなければ女性には紳士的で、酒は飲むが煙草は吸わない。しかも今はセフレとは関係を切っている。男から見ても、短所の方が少ない。

 誰に……? 確かに、前はセフレがいようと告白してきたどうでも良い女と付き合おうが、それはそれで良かった。何に対して、自分を律するのか。

 その答えは出ないまま、話題は他へと移った。在原は、ずっとその答えをぐるぐると自分の中で探していた。

 答えは出ないままだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る