vol.20 大切な糸
大学にも新入生が入り、勿論バイト先にも新しい面子が入った。GWは映画館も書き入れ時だ。連日忙しい。
フロア仕事を新人の女子に教えている在原に、休憩が言い渡される。仕事の引き継ぎを行う。
昼ご飯をどうしようか迷うほど、施設内は混み合っていた。コンビニで何か買ってバックルームで食べるか、と考え、上着を羽織って館内を出る。
外に出ると、上着を羽織ったのを後悔する気温。まだ五月なのに、暑い。
「さつきちゃん、どこにいるの?」
前から歩いて来る女性が、電話相手に話している。知っている名前に思わず視線を向ける。
「え、南口? 反対側に来ちゃった、今から行くね」
ばいばーい、と会話を終える。
同じ名前なんて沢山いるだろう。在原はコンビニへと入った。
「都会迷う」
「迷うほどの広さじゃないでしょ……」
「ごめんってば」
香坂に言われ、守谷はおどけたように肩を竦めた。駅の出口は南北の二つだけで、改札はひとつだ。単に守谷が出口を間違えただけである。
「久しぶり。一年ぶりくらい?」
「去年の春ぶりだね、お互い無事三年生になったし」
「聡子が留年しなくて良かった」
「私も同じこと思ったよ」
守谷聡子、大学三年。香坂と同じ高校出身であり、同じくこちらへ上京してきた。日本屈指の大学の理工学部へ通っている。
「五月ちゃん、もうインターシップとか行くの? 就活してるの? てか彼氏できた?」
「質問を、ひとつずつして欲しい」
「最近面白いことあった?」
その一言に要約された。守谷はにこにこ笑いながら香坂を見る。
香坂と守谷は同じクラスになったことはなかった。図書館に入り浸る仲間として顔を知ってはいたが、一匹狼の守谷と話すようになったのは、東京進学を決めてからだ。
『香坂さん、東京行くの?』
進路相談室で過去問をコピーしていた時、初めて声をかけられた。少し低く、聴きやすい声だった。
『どこ行くの? なんで行くの? 親も納得してる?』
『……質問を、ひとつずつして欲しい』
『私と一緒に勉強しない?』
守谷は、高校の中では……というより、地元では異色だった。通っていた公立高校は県内で一番偏差値の良い高校ではあったが、その中でもずば抜けて頭が良かった。よく全国模試でトップの方に名前が載っている。
そんな天才がこの地にいること。誰とも群れずに飄々としていること。そして、今香坂へ声をかけたこと。
『……化学、教えてくれるなら』
『やったー。私も日本史教えて欲しい』
にこにこしながら守谷は返事をした。
もっと堅物な人間だと思っていた。香坂は驚いて同じページを二度コピーしてしまった。
上京した今も年に数回会っている。それはこれから先ずっと、続くような気がしていた。
「最近、脚本書いてる」
「劇?」
「映画、かな。今年からうちの大学のサークルになったとこで」
「へえ、五月ちゃんから書きたいって入ったの?」
言い淀む香坂に、守谷は首を傾げる。違うのか、そうなのか。
「誘われて……」
「ピンポイント過ぎる誘い方じゃない? てか、五月ちゃんママは知ってるの?」
沈黙。
肯定だ。というより、知られたらまずい。
「やっぱ怒るよね」
「それは本人が一番よく知ってるんじゃないの」
春休みに行われた学生映画コンクールに出席する際、元々帰省するはずだった日付をずらした。理由をバイトでヘルプが入ったからだとしたが。
正直に言っても、喧嘩の種になるだけだろうと香坂は踏んでいた。しかも家でやる喧嘩とはワケが違う。距離があるだけ、何か大事な糸が切れてしまう気がした。
「でも、五月ちゃんママも何となく分かってるんじゃない? 上京したかった理由。自分の好きなものを他人に制限されるなんてさ、私なら耐えらんないけどな」
「もうそれって上京じゃなくて逃避だよね」
「いや、ある意味そうでしょ。あそこは良い場所だったけど……」
その後に続く言葉は無かった。しかし、香坂は聞いたことがあった。
『聡子は仲良い友達っていないの?』
『五月ちゃん』
『あたし以外で』
『そりゃあ表面上では仲良い顔してるけど、なんていうか、皆薄っぺらいんだもの。うちのばーさんの言葉でいうと、とじぇねぁーって感じ』
寂しいとか、退屈。
「春休み、帰ったの?」
「帰ってない。研究忙しいしバイトしなきゃだしお金ないし」
「忙しいのに今日来てくれてありがとう」
守谷は香坂を見た。
「こちらこそ、こんな私に時間を割いてくれてありがとう」
にこにこと笑う守谷は、ずっと変わらないのだろう。
近況を話したり過去の笑い話を喋っていると、時が経つのは早い。暗くなった空を見上げて思う。
「すごいよね、映画撮るって。しかもセンスある」
「裏方チームの能力が高いからかな」
「あと演出が良い。これって監督がやってるんでしょ? すごいね」
「それは思う」
香坂は反対側の歩道を行く姿を捉えた。佐田だ。
「知り合い?」
視線の先を守谷も追う。明るい髪色の女性が、隣に父親ほどのスーツ姿の男を連れている。腕を絡ませ、仲が良さそうに見えた。
「……一緒に映画作ってる、先輩」
「隣にいるのお父さんかね」
「ううん、違う」
この前の男性とも違う男だ。彼氏でもないだろう。
「じゃあパパ活?」
「援交ってこと?」
「今は色々あるよ。一緒にお出かけだけでも、お金貰えるみたいな」
お出かけ、お金。
佐田が欲しているのは、本当にそれだろうか。
"寂しさを誰かで埋める"という言葉が、ぼんやり浮かぶ。
この前の男性も彼氏ではなく、その"寂しさを埋める誰か"だったら。
「……年離れた友達かもよ?」
思案する香坂を気遣うように守谷は言った。香坂の姿を見る限り、かなり可能性の薄い提案だったが、無いよりはマシだろう。
それを汲み取り、「そうだよね」と香坂は笑顔を返した。
「そういえば、おばーちゃんは元気なの?」
「たまに連絡してるけど、腰痛いくらいしか言わない」
「今年の夏は帰るの?」
去年の夏、成人式で守谷を見かけた。きっと実家には帰らず、祖母の家で過ごしたのだろう。
「お盆くらいはね」
静かに言う。守谷はお婆ちゃん子だ。仕事で忙しい両親より、一緒に過ごしてきた祖母に懐いている。祖父が亡くなってから更にそれが深まった。
東京進学を両親から反対された時も、祖母だけが味方でいてくれた。育てた孫が地元を出て行くのは寂しかっただろうとも。
『人の役さ立づ人間になれ』
祖母はそう言って守谷を送り出した。
『自分さ何たりねぁがなんて自分にはわがらね。んだんて、他人どご補える人間になれ』
他人を補える人間。それを心に、守谷は何をすべきか決めることにしていた。
「軽蔑するの?」
ふと口から出た質問に、香坂が顔を上げる。何に、誰に、どうして。
「もしさっきのひとが、パパ活とか援交してたら」
「しないけど、全然」
「あはは、それでこそ五月ちゃん」
笑う守谷に、怪訝な顔をする香坂。
昼は暑いくらいの気温だったが、まだ春の残りだ。夜の空気は少し冷たい。薄着の守谷がポケットに手を突っ込む。
「良いとこでもあって、悪いとこでもある」
「そう?」
「人間には見えない面とか違う面があるの、忘れちゃ駄目だよ」
「違う面」
「自分には見せない顔も、その人だから。全部ひっくるめて」
自分には関係のない面を切り離す傾向が香坂にあることを、守谷は感じていた。実際、在原の女関係を無視した所為で、被害に遭ったことがある。
しかし、それを拒絶する術が香坂にはなかった。いや、守谷は拒絶すべきだと言っているわけではない。
「大切なら尚更、その顔は知っとくべきだと思うよ」
その言葉に、香坂は振り向いた。もう佐田の姿は見えず、どこの角で曲がったのか真っ直ぐ行ったのかすら分からない。
夜の暗さがあるだけだった。
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