【閑話】女王と剣舞の姫 ~その1~ Vergangenheit.
2136年11月16日 金曜日 朝11:00。
ドイツ連邦共和国バイエルン州の州都ミュンヘン。ミュンヘン=オスト駅の北東にあるミュンヘン競馬場からすぐ北側に位置する、ミュンヘン=アレーナ屋内競技場。収容数6万8千人の席がすべて埋まり、熱狂の渦が巻き起こっている。
この競技場、2100年の夏季オリンピックで久々にミュンヘンが会場となったため、約4億
通年、日程固定で11月7日から11月16日まで
先ほどまで、
先日、世界最強の
まさかの蹂躙劇に観客も大いに沸き、ネット配信やTVの視聴率にかなり貢献したところだ。
これから、
第十回
歓声に手を振りながら笑顔で応えるサービスは、今は未だ生まれていないが
「さすがに、歓声が凄いものだわ。私が最後だからかしら。それともあの
ポツリと零れたアスラウグの言葉は、最後の試合を感慨深く迎える者ではなく、これから起こることを待ち望む子供の様に楽し気な抑揚が含まれていた。
観客のみならずTVや動画配信で視聴しているユーザに至るまで否が応でも盛り上がる。この試合を勝利すれば十連覇の偉業を果たす大一番。しかし、この盛り上がりはそれだけではないのだ。
そのもう一つの原因が現れた。観客達が更に熱狂の渦に巻き込まれた。
「あら、また凄い歓声ね。全く…。楽しむのは良しとするけど、騒ぎ過ぎは止めて欲しいわね。」
愛称ルーンこと、【剣舞の姫】アルベルタ・ジーグルーン・ツー・ケーニヒスヴァルト。西側ゲートから現れた、この年若い
時は逆戻り、10年前の第一回
ほぼ初見の武術同士がぶつかり合い、互いの武術を攻略しながら戦う混迷とした試合状況。
アスラウグも全勝したのだが、まだ他流、それも異種目とも言える武術との対戦経験が不足していたため、未知の武術から一つ、自国の家伝古武術で戦う相手から一つの計二つ、ポイントを獲られたのだ。
だが、未知の武術との戦いが不足していたピースを埋め、アスラウグを完成に導いた。
それ以降は公式、非公式を問わず全ての戦いでポイントを一つも許すことは無くなる。完成した武術は年を経るごとに円熟し、荘厳にして流麗な戦いは世間から「王者ここに在り」と口々に語られる様になった。
【女王】の絶対的な強さに、幾人もの
――そして昨年の第九回
ついに【女王】へ、その剣を届かせる者が現れた。
それは、公式記録も全く存在しない無名の
全国大会の出場が初めて
ドイツ式武術の歩法と身体運用を使いながら、
美しく剣で舞う姿から【剣舞の姫】と囁かれた二つ名が一気に広まる。しかし、二つ名とは裏腹に、試合を開始すると漏れ出す殺気は観客にも伝わり、大いに畏怖される
その彼女は全盛期のアスラウグへ二太刀浴びせた。それぞれが
そして、【女王】と呼ばれる
一つのターニングポイント。
この二人が出会ったからこそ
だから第十回
また【女王】の本気が見られると。
また【剣舞の姫】の戦いが見られると。
引退を決めた【女王】が最後の試合をどう戦うのかを。
次の世代を担う【剣舞の姫】がどれ程のことを成し遂げるのかを。
『みなさま、お待たせしました。これより第十回
アナウンサーの放送で一気に観客席が沸き、アレーナ場内が震える。それ程、今この時を待ち侘びていたのだろう。
『出場選手の紹介です。
観客に笑顔で手を振るアスラウグ。彼女は人々からは敬愛を込めて【女王】と呼ばれるが、親しい者はアズと愛称で呼ぶ。
ダークブロンドの波をうった金髪を肩甲骨辺りまで伸ばし、ノルド人によく見る肌の白さを持ち、良く映える緑が濃い碧眼を持つ。頭部には金の蔦と純白の羽根を象ったティアラ型簡易VRデバイスとなっており、端正な容姿を引き立てる。
鎧下扱いの騎士服は純白のワンピース型で裾がフレアーとなっており股下4cmと丈が短く、動きを阻害することはない。
『
場内に軽く礼をし、寡黙に入場したルーン。ストロベリーブロンドが茶系に濃くなった髪をシニヨンで纏めているのは、彼女の動きが激しくなるからだ。
頭部には雛菊の白い花弁が2、3纏められた簡易VRデバイスを髪留めのピンとして使っている。
『双方、開始線へ』
審判の合図でコートに対峙する二人。騎士の礼をまず審判に、次に互いが礼を交わす。
アスラウグがこれから戦う相手が友人だとでも言う様に気軽に声を掛ける。大抵の競技ならば、試合直前は闘志を燃やしていることだろう。それも剣を交える真剣勝負であれば
が、ここ数年で開始線に対峙した際に
故に、対峙した
「やっぱり、最後の締め括りはアナタでなくちゃね、ルーン。」
「それは光栄です、と言った方が良いのかしら。むしろ、今まであなたの相手をして来た
「彼女達も素晴らしい
「あら、無敗の女王は随分評価をして下さるのね。では期待には応えなきゃね。今度こそ斃すわよ、アズ。」
「フフ、期待してるわよ。アナタの技だけはアナタだけのもの。私が身に付けられない特別製ですもの。」
その言葉にピクリ、とルーンの眉が動く。自分の技は、ドイツ式武術をベースに偽装しており、ほんの一部だけその技術の延長から派生させたと見える様に本来の武術を仕込んでいる。さすが自分が戦ってみたいと思った
「思った通り、あなたは面白いわ、アズ。後、4、5年は付き合わないかしら?」
4、5年。まだ戦いたい、との本音だが、残念ながらその言葉は聞き届けられることはなかった。
「そうねぇ。それも楽しそうだけど、もう決めちゃったから。」
「そう。聞き流して。単なる私の我儘だから。」
そして、獲物を狩る
対してアスラウグも極寒地に吹く風の如く、触れれば斬れる様な気配を漂わせる。これは、ルーンと戦う時のみ生み出される。
双方が戦闘態勢に入ったと見て審判が合図をかける。
『双方、抜剣』
アスラウグは
引き抜かれた剣は刀身が90cm強の白銀の剣。刀身は
ルーンが剣を引き抜く。剣、と言って良いのだろうか。その形状は刀身が60cmはあると思われるほんのり内側へ「く」の字に湾曲しており、分厚く剣幅も広く造られた片刃の
『双方、構え』
アスラウグは左半身になり右脚を引き、腰元に剣の柄を構え切っ先を相手の胸元に向ける型、
本来この型は相手の頭部に切っ先を向けるのだが、
一方、ルーンは、やや左半身になり、
『用意、――始め!』
審判の合図で、まず動いたのはアスラウグだった。
ジリジリと左に動きつつ距離を詰めていく。その動きにルーンは、正中線を合わせる様に位置取りを微調整するだけだ。
その僅かな動きでアスラウグはルーンの技量を噛みしめる。昨年戦った時よりも確実に所作が精錬されているのを見て取った。
「(この娘がドイツ式の剣術に偽装してるのは、流派の制約で表立たない様にしてるのかしら? その状態で私を追い詰められる力量が驚きよね。)」
「(…最後だものね。私も本来の技を使わせて貰うわ。)」
アスラウグの動きが変わる。
今迄、復古したドイツ式武術の使い手と世間からも認識されていたが、違う顔を見せた。
歩法は地表ギリギリで脚を滑らす様な独特な動き。これまでと比べて速度が倍近くなっている。
更に彼女本来の技法であれば、ここから技を自由に変えることが出来、あらゆる攻撃方法、防御方法が取れる最良の距離である。
それは、誰にも見せたことのなかったヴォルスング一族の家伝である奥義に移行したことを意味する。
「(まだこの先があったなんて。さすが世界最強、か。来てよかったわ、ホントに。)」
ルーンが
競技だが実戦さながらの戦いを出来る特性があるため、ここに実戦、つまり殺し合いの鍛錬を積みに来た。彼女は自分の修める流派で麒麟児と呼ばれ、一族の歴史でも類を見ない強さを誇る。それは
そして、今年も再び巡り合った――
固唾を飲んで試合を見守っていた観客が一番驚いたことだろう。
思考の隙間を縫ったかの様にそれは起こった。
――強襲。
キヒャン、と後を引く甲高い音が響く。
円を描きながら左に回り込むアスラウグと、それに呼応して点の回転で追従するルーン。
それが呼吸の読み合いも、攻撃の予備動作も見せずに、お互いが同時に飛び込んでから再び距離を取って対峙していた。
一瞬で
アスラウグの間合いは、迎撃や攻撃を有利に――
傍目から見ても何処を攻めようが対処されるだろう領域が構築されているのはルーンも判っていた。だが、当たり前だとでも言う様に躊躇いなど微塵も無く
自身の攻撃範囲は相手より半歩短い。より深く入り込まなければ懐まで届かない。ならば、最速の
アスラウグの圏内に入り込んだ瞬間に、ノーモーションから繰り出された高速の斬り上げが目の前を吹き抜ける。時間差もなく吹き抜けた剣が超高速で斬り下ろされた時、既にルーンは半歩分を稼ぎ、飛来する剣を迎撃と攻撃をする用意は出来ていた。
だが、ルーンの攻撃が成されることはなかった。
アスラウグは攻撃を弾かれた瞬間には距離を取っていた。この先の展開を読まれ、最も単純で効果のある方法を取られたのだ。
正に変幻自在。
これを攻略するには骨が折れると、ルーンは
アスラウグは自身の圏内であれば、相手のあらゆる攻撃行動を認識出来、且つ最適な技をノータイムで繰り出すことが出来る。特定範囲内では絶対的な強さを生み出す「竜殺しの法」と呼ばれるヴォルスング家が代々伝えて来た秘技である。それは技や型などではなく理合そのものであり、どの様な剣技や歩法を使おうが、その理合を正しく用いれば等しく効果を得られる。
彼女の研ぎ澄まされた知覚と常識を逸脱した技能が加われば、まず破られることは無い必殺技となる。
それが、初見であるなど関係なくルーンは踏み込んでくるどころか、攻撃を
だからこそ、退避を選ばざるを得なかった。
全力を出せる相手。
あの場に留まっていたら獲られていただろう、と。アスラウグからも
お互いが
最初の
アスラウグの支配領域など関係ないと言うかの如く、平然と
近づき離れ、また近づくを繰り返す。
互いに防御と攻撃、攻撃と防御が繋がらずに攻めあぐねる。
何度も繰り返す剣戟は、どちらも如何に相手を仕留められるのか組み立てを確かめている様に振るわれる。
このまま決着を付けられるのだろうかと誰もが思った時に、突然、均衡が崩れた。
ルーンが何時の間にか
同格の相手では致命的な遅延になる。
その時、アスラウグが放っていたのは、相手の
それは、後ろ脚を内に回しながら踏み締めて生まれた力を腰の回転に乗せ、肩から腕へ通すことで力の出難い剣先に自重を移動させ、少しの接触でも相手の武器を弾き飛ばすことが出来る威力を持たせた。
ルーンの
そこから
アスラウグがその間、剣の挙動に気を裂けなかったのは、知覚が遅れた
そのお陰で、防御の選択肢を潰された。
剣を左側に持ち上げられたことで右半身に上方向の捻りをさせられる。
ルーンは
これが全て同時に行われていたのだ。
防ぎつつ攻撃をされた。ならば、こちらは受けつつ攻撃をする。
「!?」
苦い思いをさせられたのはルーンだった。
アスラウグの両腕を剣と共に斜めに逸らせて押さえ付けたのは、身体の自由を奪い防御の選択肢を全て潰すためであった。打ち合いの中で5連撃を臭わせ、
――ポーンと、攻撃が成功したことを知らせる通知音の後に、ヴィーーと、1本取得を知らせる通知音が響き渡る。
『ヴォルスング選手 1本。第一試合終了。待機線へ』
アレーナの観客席から場内を揺らす歓声が響き渡る。
インフォメーションスクリーンには、アスラウグが1本、ルーンが1ポイントを取得したことが表示されている。
――右腕
アスラウグは剣を支える腕を捨てて来た。片腕、しかも
当然の如く、剣同士の拮抗は崩れる。
押し切られ体勢を左前に崩したアスラウグへ、剣を押し弾いた
アスラウグは身体の不安定さすら利用した。左の肩甲骨を反時計回りに動かし、剣を
「(あそこから巻き返される、か。倒れ込む体勢も利用するなんてウチの流派みたいだわ。)」
結果として第一試合を獲られたが、ルーンが渇望したギリギリの戦いに笑みが浮かぶ。次はどの手を使おうか、どう対応してくるのか。修練相手では試せずに練り続けてきた技を惜しみなく出せる相手。
その存在が同じ時代に居てくれたことを彼女は感謝するのだ。
「(やっぱりとんでもない
アスラウグは、この戦いを楽しむ。唯一人、全力を出した自分と対等に戦える相手。彼女と巡り会えたことは非常に喜ばしいことだった。
インフォメーションスクリーンに先程の試合がリプレイされている。場内向けの解説者が雄弁に物語る。
観客席は様々な会話が交わされ、盛り上がりが下火になることはなく騒々しいままだ。
【女王】と【剣舞の姫】。
二人の戦いは、どんな
それを観客は知っているのだ。
だからこそ、【女王】が引退する今大会を見逃せないと盛り上がるのだ。
当人達は、外野の盛り上がりなど素知らぬ風であるが。
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