【閑話】刮目相看:浙江紅山茶は旋風を結ぶ ~透花その2~

2156年8月5日 木曜日

 今日この日は、国営放送や民放、ネット放送局などで『Chevalerieシュヴァルリ帝位争奪戦』イベント開催の記者会見が開かれた。仰々しい名称だが、イベントの内容は花花ファファが世界選手権大会中華人民共和国代表選手の座をかけて代表選手達と勝敗を決する試合である。


 7月半ば頃に事前告知されていた日程通り、8月14日 土曜日、8月15日 日曜日の2日間で行われるこのイベントは、1日目は4戦、2日目は3戦と、試合数で言えば多くはない。しかし、その全てを花花ファファが連戦する訳であり、スポーツ競技として考えれば選手の負担は相当に大きいと思われるものである。


 だからこそ、当初は1日1人と試合し、数日のインターバル期間を設けて次の試合をする方向でシュヴァルリ評議会中国支部統括本部と国内武術総連が調整していたのだが、当の花花ファファが1日で全7戦を行っても構わないと言い出した。


「いっそ、luttes乱戦で勝敗決めてもいいヨ。全員と戦って斃すことには変わらないヨ。」


 そんな台詞まで飛び出す始末である。


 さすがにそれはストップをかけられ、協議の結果、2日に分けて全7戦を行う方針になったのだった。


 騎士シュヴァリエは、プロの興行試合ならば1日1戦であることが多い。試合に向けてコンディションを整え、最良の状態で戦いに赴くためだ。しかし、アマチュアも参加する公式大会などは兎角、出場人数が多いため、日に複数回戦うことはざらにある。だが、多くとも3、4戦が限度だ。7戦ともなれば気力は兎も角、体力と集中力が持たないのだ。

 それを前提として比較した場合、1日で全てを終えることになろうとも花花ファファ自身は1日7戦程度と言い放てるくらい、体力と技の精度を保てる様な継続戦闘の訓練を積んでいるので全く問題にしない。一般的な常識で会話をすると話が噛み合わなくなる悪い例でもある。


 花花ファファと戦うDuel決闘代表選手の数は6名と補欠1名。規定では補欠2名だが、その内の1名が花花ファファなので省くとして、全員と勝敗を決めるには全7戦、と言うことになる。

 今年は、全国大会のベスト8入賞者全員が代表選手と補欠になった判り易い構成であったため、花花ファファの世界選手権代表の異議申し立てが通り易かったとも言える。

 なぜならば、大抵は全国大会の4位入賞者まで代表入りが確定し、それ以外の選手は過去数年の実績を加味して決められるため、ベスト8以外の選手が代表入りすることがあるからだ。そう言った状況で異議申し立てを行えば、選考から漏れたベスト8の選手からも同様に異議が上がることは目に見えており、混乱を招く引き金となったであろう。それを鑑みれば、最良のタイミングであったからこそ舞台が整ったと言う訳だ。


 試合の日程や競技場の手配などの段取りは、シュヴァルリ評議会中国支部統括本部と国内武術総連が協力して行った。メインイベントは花花ファファ達、騎士シュヴァリエの試合、合間合間に演武など他のイベントも相乗りさせ、エンターテイメント性を高める方針となったのだ。そして、彼等が押さえた戦いの舞台も中々に仰々しい。国の直轄市である北京市で数年前に建造された最新鋭の陸上競技場を借りて来たのだ。収容人数は7万人と規模は大きめである。

 この競技場、最新式だけあって陸上競技だけに収まらず、サッカーやラグビー、武術競技やChevalerieシュヴァルリ競技、更にはジョストなど、馬を使った競技まで行える多目的グラウンドとして設計されている。客席に天井があり競技エリアは空を眺めるオープン型なのだが、雨天の際は可変式フィルム天井が展開してドームを形成する珍しい方式を採用している全天候型屋外競技場なのだ。2日間の観戦チケットは8月5日の発売開始から直ぐに完売。遠方の省からも多く予約が入ったところを見るに、やはり全国規模で注目されていると伺える。



「おー、観戦チケットは初日で完売したヨ。たくさんの人にワタシの技いっぱい見せられるヨ!」


 練習の合間にネットニュースで観戦チケットの売れ行き状況を見て、満足気な花花ファファ。呑気者である。

 ここは花花ファファの地元にあるキックボクシングのジム。以前から打撃練習の相手として女子キックボクサーやボクサーからの転向組とマス寸止めスパーリングを度々行っている。長期休暇で帰省した時は必ず顔を出す道場の一つだ。

 今も3分1ラウンドを既に4回こなした後の一休み中だ。


「すごいね、30分で完売だなんて何処のアイドルコンサートだよ。ウラヤマシイよ全く。」

雹華ヒョウカの試合も2万枚完売って聞いたヨ?」

「ウチの名前で売れたんじゃねーってば。興行も日本リーベンだからこその販売数だって。中国でやったらこの数は捌けないって。」


 花花ファファマス寸止めスパーリングに付き合っていた彼女はルオ雹華ヒョウカ。ムエタイスタイルからオランダ式スタイルへ変えたことで急速に伸びてきているキックボクサーだ。来月に格闘イベントで試合があるため渡日する予定だ。独特のスタイルではあるが手技脚技共に高度な技術を使う花花ファファとの実戦形式の練習は、自身の調整相手としても渡りに船の存在なのである。


嗯嗯むむむ。この国の悪いところヨ。自国の武術に誇りを持つのはいいケド、他の武術にもっと目を向けないとヨ。」

「まぁ、一朝一夕で変わんないだろーけどね。競技人口は意外といるハズなんだけどなー。それより。」

「ん? なにヨ?」

「その自国の武術に誇り持ってる武門によく喧嘩売ったなーってね。」

「もっと大騒動になるハズだったヨ。それで再戦に持ち込む予定だったヨ…。」


 武術の流派では兎角、面子メンツを大事にすることが多い。今回、花花ファファの異議申し立ては、本来であれば代表選手達が所属する流派の面子メンツを潰したも同然である。それこそが、花花ファファの作戦であった。各流派から怒りを買い、代表選手との再戦へ事を運ぶための一手だったのだ。ところが、面子メンツに拘ると言う気性を利用して再戦する流れになる筈が、逆に好意を持って受け入れられ、拍子抜けする程スムーズに決まってしまった。すったもんだしたのは、調整や再試合による選考基準の特例事項の策定や今後のルールに適用するための指針造りなどを行う運営側が、各処を巻き込んで大騒ぎになったくらいだ。


「ま、いいんじゃない? スムーズに話が決まったんだからさ。」

「おかげで楽は楽だったヨ。そんじゃ、そろそろ再開するヨ。次はムエタイスタイルでロー出すから注意ヨ?」

「へいへーい。ウチの脚は折らんでちょーだいね。いや、マジで。」


 一寛ぎ後もまだまだラウンドをこなしていく様子である。



 なぜ花花ファファがキックボクシングのスパーリングをやっているのか。


 それは古武術が持つ弱点を補うためである。


 そもそも古武術は、ボクシングなどの近代格闘術に対応する技を持っていない。

 特に、中国拳法は破落戸ゴロツキからの自衛や、武器を持った相手に素手でどの様に対応するかなどを中心に練られているものである。破落戸ゴロツキなどは武術を知らない、もしくは齧っている程度の無頼漢であり、拳の威力を出そうと肘を大きく引いて勢いを乗せる様に円を描いて殴って来る。それはテレフォンパンチと言われる大振りの打撃で、武術家からすれば面白い様に技を決められる相手である。


 しかし、近代になりボクシングを代表する様な近代格闘術が編み出された。ノーモーションで高速に最短距離を飛来するジャブ、チャンスと見れば即座に刺し込まれる腰が入ったストレートや、特化したパリングにスウェーやダッキングといった防御手段などなど。ボクシングに限らず近代格闘術は、古来から引き継がれてきた武術とは戦法も技術様式も異なってくる。

 そう言った新しい技術を取り入れ、研究を重ねなければ古武術は異種格闘技などの実戦で勝つことが難しくなるのだ。一部の古武術が持つ慮外の秘技などは別として、高レベルの近代格闘家達は、古武術が伝えて来た身体運用に等しいものを近代格闘術の中から見出し修得している。つまり、同等の相手と言っても良いだろう。そうなれば、いくら古武術で一撃必殺の技を持っていたとしても、それを出す前に相手の技で畳み込まれてしまう可能性が高くなるのだ。相手はどんどんと新しいものを取り入れて最適化していくのであるから、古くから変わらないものは後れを取ってしまうことが容易に想像できるだろう。


 花花ファファの流派である、陳家太極拳でも伝統の技以外に実践の技として近代武術に対応する新しい技も編み出されている。それでも、流派として伝統と技を継承する目的が優先されるため、新しい技自体がまだまだ練られきってはいない現状である。

 が、それは表の流派に限った話だ。裏社会でも現役で暗躍する裏流派を修めている花花ファファが使う技には、ボクシングやシステマなどの近代格闘術も熱心に取り入れ研究して生み出された技が実践レベルで蓄積されている。更には奥義や秘伝などの特殊な鍛錬が必要な技以外については、近代的なトレーニングや近代格闘術で代用できる鍛錬法も盛んに取り入れている。現役の実戦武術だからこそ、時代に合わせて技術を最適化することが最優先となるのだ。


 だからこそ、花花ファファは対近代格闘術の練習相手として、キックボクシングや総合格闘技などの道場に足繁く通うのである。


 ちなみに、現役の確殺術を修めるティナの流派も同様に新しい技術を常に取り入れている。




2156年8月14日 土曜日

 夏真っ盛りの午後、蒼天からす様な日差しと蒸し暑い空気は、慣れていなければ思わずむせ返りそうになる。ここ、北京ペィジン市朝陽区东风乡東風郷にある北京国際体育場は、暑気など関係ないかの様に人、人、人で溢れかえっている。

 14:00から開始したイベント『Chevalerieシュヴァルリ帝位争奪戦』は、目下順調に進んでいた。開会式後、様々なイベントを1戦ごとに挟みながら1時間半。既に3戦までこなし、本日最後の戦いとなる。


 ここまで戦った花花ファファは、ポイントを奪われることなく勝ち進んだ。そして、その戦い方が注目を浴びることとなった。

 花花ファファの言う「本当で戦うの技」は、一見すると陳式太極剣の技だが、その全てが違うものであった。観客などでも判別できる単なる変化技や技に至る流れ、組み合わせなどに違いを見いだせるのだが、実際に戦っている相手からすれば、その技自体の本質的なものが異なるのだ。中国単剣とは思えない程の威力があり、尚且つ花花ファファの剣に接触した瞬間に弾かれる。攻撃を剣で受ける挙動しかしていないにも関わらずである。明らかに自分達が知らない秘伝の技を使っていると認識させられた。そして、極めつけは、誰も見たことがない技や、良く知られている型から派生する見知らぬ技法。

 なにせ、型通りに技が振るわれないのだ。競技に特化して組まれた技を使う対戦者は肝が冷える思いをさせられることとなった。その反面、観客は武術競技や国内のChevalerieシュヴァルリ競技などで見たことがない結果を生み出す技の数々に熱狂した。


 ここで、この国の武術競技について説明して置く。

 競技としての武術は、一定の動作を演武してその技術水準を評価する演武競技、一定のルールで相手と散打組手をする対抗性競技に分かれる。特に演武競技は一般的になっており、競技用統一規定套路タオルーで演武する型が決められている。そして、器を用いる競技も同様に演武競技に含まれるため、型を披露することが目的となり打ち合いなどはしない。その延長線上にChevalerieシュヴァルリ競技が当て嵌められたため、競技の技、つまり型稽古から打ち合いを出来る技で組み方を派生させたものが主流となった。だから実戦形式ではあるものの、どこかしら演武が抜けきらなかったのである。

 今回、それを花花ファファが崩したことになる。


 そして、本日最後になる第4戦目。

 花花ファファの相手は、河南省大会の決勝戦で戦った詠春拳八斬刀を使う剣士であるジィァン翠蘭スイラン。競技用に特化した武術に対し、攻撃も防御も虚とすることで相手に自身の意図を読ませないスタイルを使う。

 河南省では珍しい詠春拳は広東や香港など、中国南部で盛んな短打接近戦の徒手による武術だ。手技による拳打格闘を主とし、震脚などの踏み込み技が少ないため船舶上でも鍛錬が可能である。八斬刀は両手に刃渡り2、30cmの片刃の剣を両手に持ち、拳の延長で使用される格闘を考慮した一種独特な剣技を持つ。


『双方、開始線へ』


 審判の呼び声で二人は試合コートを進む。審判、そして互いに向かって拱手ゴンショウをする。


翠蘭スイラン、久しぶりヨ。元気そうでなによりヨ。」

「ええ、久しぶりね。あなたが代表全員倒すって言い出した時にはどうなることかと思ったわ。こんな簡単に実現するとはビックリね。」

「もっと荒れると思ったヨ。まさかワタシの技見たい言われて決まったのは予想外ヨ。」

「フフフ。だけどそのお陰でChevalerieシュヴァルリの認識が変わったわ。」

「…そうカ。それは良かったヨ。」

「ええ、本当に。」


 この国のChevalerieシュヴァルリ競技にも新しい風が吹き始めた。その風は一気に吹き抜け空高く舞い上がる。そして、渦を巻いてどんどん大きくなるだろう。その中心には一輪の椿が舞う。


『双方、抜剣』


 審判の合図で手に持っていた武器デバイスから剣身が生成される。花花ファファは何時もの中国単剣、ジィァン翠蘭スイランは両手に持った八斬刀。

 中国武術で使用する剣は鞘を持ち込まないことが多い。上下動を含めた身体の動きが激しいため、鞘が邪魔になるのだ。


『双方、構え』


 花花ファファは、中国単剣を使う時、陳式太極剣36式の第一段で剣を構えるまでの型を披露する。預備式ユーベイシーの状態から、起式チーシー攔門剣ランメンジィェン仙人指路シィェンレンヂールー叶底藏花イェディツァンファ朝陽剣チャオヤンジィェンまで流れる様に行った。だが、今日は秘伝の技法を用いており、いつもと同じ套路タオルーでも内実が全く異なる。だから全ての型が大きく見え躍動感に満ち溢れ、たとえ素人が見たとしても何かが違うと感じさせるのだ。

 一方、ジィァン翠蘭スイランは特に型を披露することはない。預備式ユーベイシーから、起式チーシーに移行しただけだ。彼女の修めている詠春拳八斬刀は特殊な技とも言えるため、演武で披露する前提の組み合わせは持っていないのだ。

 

『用意、――始め!』


 開始の合図で翠蘭スイランはスルリと滑らかな脚捌きで八卦掌の走圏による円の動きを行う。走圏は通常の両脚を接地双重する歩法ではなく、片脚のみ接地単重させることで走るが如く移動する。八卦掌の歩法で最大の特徴は相手の懐に入り、相手の力も利用して円の歩法でそのまま追従し最終的に技を決めることが出来る。拳の届く範囲を基本とする八斬刀を生かすために翠蘭スイランが隠し持っていた技である。両手の八斬刀は斬刀と呼ばれる胸の位置に刃を上に垂直に立てる型。ちょうどボクサーが両手を構えている様で、正に八斬刀が拳の延長であることを物語る型だ。

 対する花花ファファは、少林寺拳から派生した流派で基本となる歩法を使い翠蘭スイランの円を描く動きに追従する。この場合、相手の横へ移動する反三才歩を使用している。後ろ脚を斜め前に踏み込み、身体を捻る様に前足を引く形を繰り返す。走圏と比べれば移動速度は遅いため、時たま通常の三才歩――前脚を横にスライドし後ろ脚を踏み出す歩法――を織り交ぜて、相手が一気に懐に踏み込まない様、牽制の動きで様子を見ている。


「(ここにきて八卦掌持ってること初めて見せたヨ。イイネ! 翠蘭スイランChevalerieシュヴァルリのこと判ったネ!)」


 笑みを零す花花ファファ。見せたことのなかった技を使ってきた相手は自分を満足させてくれることが判ったからだ。

 ここまでの試合で花花ファファが見せた戦いの布石。演武競技の技から剣戟競技に特化させた「競技の技」では対応することが出来ない「実戦の技」。今までとは違い、型を型通りに振るう先の剣戟ではなく「戦うこと」を前提に技を組み立てなければ勝てない競技になったと。それを理解する者が出てきたことの嬉しさで花花ファファは笑うのだ。


 三才歩、反三才歩を切り替えることで、翠蘭スイランも走圏を即座に反対方向へ切り返してくる。そのタイミングで反三才歩に見せかけ、前脚を先にみ込み、後ろ脚を追従させる猿猴歩法で一気に踏み込んだ花花ファファは、接地する後ろ脚に震脚を練り込んだ。

 剣の柄を両手で持ち、飛び込みながら左弓歩左脚を踏み込んだ形で突きを放つ陳式太極剣36式の野馬跳澗を翠蘭スイランの胸へ放った。

 翠蘭スイランは、攤刀タンダオの型――両手の剣を上に逆八の字に持ち左右をその形のまま繰り出す――へ切り替え、両の剣を八の字にクロスさせて花花ファファの中国単剣を二つの刃で滑らせながら持ち上げて受ける。が、それこそが花花ファファの罠だ。野馬跳澗の技は謂わば釣りで、本当の動きはここからだ。突きを受け止め、攻撃の導線を上に外した翠蘭スイランは、次に行われた想定外の挙動に対応出来なかった。受け止めてそのままち上げた状態の剣が、スルリとその場から垂直に落下する。花花ファファ左弓歩左膝を曲げ前に出す形で踏み込んでいた左脚がそのまま滑って行ったのだ。そして右脚の膝を身体の外側に向けて座ったようになり、通常であれば、劈剣ピージィェン摔棍シュァイガンの亜流で腕や脚を斬るには持ってこいの位置にいる。だが、花花ファファは真っすぐに滑らした左脚にこそ纏絲てんしを纏わせ、身体を前に引っ張り、翠蘭スイランの右脇の下を通る様に態勢を起こす。

 その時点で捉えられていた剣はフリーになり、斜め後ろに剣先をもった中国単剣は、身体の移動に追従しながら翠蘭スイランの右腕根本に繋がる大胸筋の端を斬り抜いた。この部分は胴への攻撃判定が出る箇所だ。

 右腕を使用不能にされた翠蘭スイランは即座に反撃する。劏刀トンダオの型で下から手首をクルリと斬り上げる用法を流用して、まだ無事な左手を届かせるため身体を捩り、花花ファファの右肩――正確には僧帽筋だが――へ追撃を届かせた。


 一瞬、相討ちかと思われたが、花花ファファの攻撃はまだ続いていた。ここで花花ファファが前脚を八卦掌の平起平落足の裏を水平に移動で滑らせ、後ろ脚を三才歩で追いかけることにより、完全に翠蘭スイランの裏へ回る。翠蘭スイランは上半身を捻ったため、歩法がまだ追い付いて来ていない。その隙に後ろ手に引っ張ってきた単剣を引き、彼女が反転し終わる前に胴をそのまま薙いだ。


 ――ポーンと、攻撃が成功したことを知らせる通知音が2連続でなり、その後に、――ブーと、合わせて1本となった時の通知音が響く。


ジィァン翠蘭スイラン選手2ポイント、チェン透花トゥファ選手1本と1ポイント、第一試合終了。待機線へ』


 観客の歓声でスタジアムが降れる。さすがに7万人も入場者が入っていると声援だけでも壮観である。まぁ、純粋なファンだけではなく、アンチも声を上げているのは時たま耳に入る。今までになかった実戦に則した技を両方の選手が使ったのだ。

 これまでになかった展開に、若干の不安と期待、そして古き良き時代を頑なに守るための拒絶。色々な思いが織り交ざった状態に陥る観客も少なからずいた。その場で競技について討論を開始した者などもおり、白熱し過ぎであわや乱闘騒ぎになる寸前、係員に連行されると言うハプニングもあったりと、一部に混乱をもたらした試合であった。


 競技コントロール機材の登録エリア脇には待機場所として休息スペースが設けられている。そこで花花ファファは鼻歌が出る程ご機嫌になっている。決められた型で演武の様な戦いをしなくて済むこと、そして相手も自分と同様に本当に戦うための技を出してくれたことからテンションが上がっているのである。


「イイネ、イイネ! タノシイヨ! これなら次はイイネ!」


 反対側の登録エリアの休息スペースでは、ジィァン翠蘭スイランが先ほどまで戦った内容をおさらいしている。


「なるほど。型は型として、それをどう使えるかが戦うための最低限に必要なことか。競技の技に対するカウンターは全て捨てるべきね。競技の技で布石を置こうとして身に染みたわ。彼女、今まで一体どれだけの技を出せてなかったのかしら。」


 試合のインターバルである1分が経過した。二人は再びコートで向かい合う。


「さっきは見事にやられたわ。まだまだ色々と持ってそうだけど、こっちにも色々あることを見せてあげるわ。」

「イイネ! それ最高ヨ! ワタシももっと魅せるヨ! お楽しみヨ!」

「それはこっちもよ。まさか競技で本気の技を出せるとは思わなかったもの。」

「そうヨ! みんな誤解してるヨ! もっと自由でいいんだヨ!」


 クスリ、と笑みを零す翠蘭スイラン。自由と言う言葉がこれ程当て嵌まるのを身を以て体験するとは思わなかったからだ。


『用意、――始め!』


 審判の声が響く。翠蘭スイランは、剣先を上に逆ハの字に開く攤刀タンダオの型を再び取る。そして、猿猴歩法――跳ねる様に前脚を出し、後ろ脚は身体の真下の位置に滑らせる――の独特なスキップする様な歩法はボクサーのステップに通じるところがある。リズミカルに一足で花花ファファの懐に飛び込む。

 攤刀タンダオの技は、片方の剣をそのままの形で押し出す様に斬り付け、もう片方で突く、払うを行う拳の届く範囲で使う接近型の攻撃技だ。通常であれば。

 花花ファファは陳式太極剣の落花式にて前に構えた中国単剣で、面で斬り付けてくる左手の八斬刀を受ける。マクシミリアンのアバターに花花ファファの格闘術を組み込んでから纏絲てんしChevalerieシュヴァルリのシステムでも再現される様になっている。花花ファファ纏絲てんしは、本来身体だけではなく、持っている武器にまで纏うことが出来る。それが再現される様になっているのだ。だからこそ、八斬刀はただ受けられただけで弾き飛ばされた。

 だが、もう片方、右手の八斬刀が花花ファファの胸元まで伸びる。翠蘭スイランはここで纏絲てんしを持っていることを明かした。後ろ脚で発生させた纏絲てんしを前脚を滑らせながら身体の捻りに加える。中国単剣の横に入り込んで花花ファファの胴体を射程距離に届かせたのだ。翠蘭スイランは、従来の技に見せて歩法を変えることで本来の用法では在り得ない挙動に持ち込んだのだ。


 花花ファファが用いた型である落花式は退歩帯剣とも呼ばれ、剣を縦に円を描く様に回しながら後退する型だ。懐に入り込んだ翠蘭スイランに対して、前脚を引きながら剣を上から下へ通る様にクルリと円を描く途中で、胴へ突き込まれる八斬刀を弾き飛ばす。しかし、翠蘭スイランは踏み込んだ前脚にも纏絲てんしをかけて姿勢を変え、最初に弾き飛ばされた八斬刀を腕花ワンファでクルリと一回りさせ、突きの形で胴を狙う。しかし、それは見せかけで、突きの途中から花花ファファが後ろに一回りさせて上より降ってくる剣を持つ腕に斬り払いを仕掛けた。


「(オモシロイヨ! 纏絲てんしで身体の流れ変えながら斬って来るヨ! でもチョット、足りなかったヨ。)」


 虚をつく様な翠蘭スイランの左斬り払いはスルリと回避された、などの言葉では表せなかった。花花ファファの腕が消えたのだ。腕だけではなく、花花ファファ自体が視界から消えていた。

 そして、心臓部分クリティカルに刺突が入った感触が伝わった。


 ヴィーーと、1本取得を知らせる通知音が響く。


チェン透花トゥファ選手、1本』


『試合終了。双方開始線へ』

『東側 ジィァン翠蘭スイラン選手2ポイント』

『西側 チェン透花トゥファ選手2本と1ポイント』


『よって勝者は、チェン透花トゥファ選手』


 審判の宣言は、今日の戦いが全て終わったことを告げる。観客も大騒ぎである。尋常でない花花ファファの動きを目にしたからだ。この国で武術競技を見ている者は誰しも判るであろう、武の神髄へ辿り着いている者の動き。そして、それを使わせるまで追い込んだ翠蘭スイランの技に惜しみない拍手が鳴り響く。


「とんでもないわね、透花トゥファは。退歩帯剣はけいを練るためだったのね。」

「それ見抜くのもスゴイヨ? 気付かれない様にしてたヨ。翠蘭スイラン纏絲てんし持ってるのはビックリだったよ。でも二歩目は纏絲てんしじゃなくて震脚だったら真横からの攻撃になってたヨ。」

「あー、纏絲てんしの威力で前に出過ぎてたのかぁ。私がアナタの腕に視線を落とした時?」

「そうヨ。あの時、両脚の纏絲てんしと腰の纏絲てんしを合わせて移動したヨ。」


 花花ファファは今回、左右の脚で生み出した纏絲てんしを全身に行き渡らせなかった。脚は脚、腰は腰にけいを溜め、ここぞと言う時に高速な回転軌道を描いたのだ。翠蘭スイラン纏絲てんしの威力で前に出過ぎたこともあり、瞬間的に後ろまで回り込むことが出来た。そこからは後ろより心臓部分クリティカルへ刺突するだけであった。


 それは、関節や筋肉個別に回転を掛け、体幹で制御する姫騎士がおおやけで見せた技能とよく似ていた。


「楽しかったわよ。秘義を一つ出したけどそれを簡単に上回られちゃったわ。」

「オモシロイ技だったヨ。猿猴歩法に纏絲てんしを左右踏み込む毎に仕掛けるなんて始めて見たヨ。そこから身体を左右逆回転に回したのもイイ使い方ヨ。」

「あなたこそ、防御の技を攻撃の技に繋げる捨て技にするなんて発想が面白いわ。とんでもない瞬歩が見れたのも価値ある試合だったわ。」

翠蘭スイランと次戦う時が楽しみヨ。この国の武術家、技持ってるヒトいっぱいいるヨ。この試合、Chevalerieシュヴァルリで魅せられるの判ってくれたかネ?」

「そうね。少なくとも理解した者はここにいるわ。次はもっと面白くしてあげるから。」

「イイネ! もっとみんなで盛り上がりたいネ!」


 ――世界選手権大会で会いましょう――


 そう言い残し、ジィァン翠蘭スイランは会場を後にした。




 観客を騒がせるだけ騒がせたイベントの第1日目が終了する。まだ日暮れまでには時間があり、斜陽が生まれようとしている頃合いである。


 騎士シュヴァリエ達は、イベント主催側で用意されている会場直ぐ側の選手宿舎――ホテルの上級施設並みの部屋だが――へ早々に引っ込んでいった。これから花花ファファと戦う者は今までの戦法では通じなくなったことをひしひしと感じている。


 そして花花ファファに敗れた者達は、今までの競技とこれからの競技について想いを馳せているのだろう、言葉少なく考え事をしている者も多い。この辺りはさすがにベスト8に入る騎士シュヴァリエだけあって、ただの一人が巻き起こしただけでは終わらない新しい時代が来ることを感じている。


 中々に密度が濃い内容だったのではなかろうか。今まで強いと言われていた騎士シュヴァリエが、競技で使われていない技に手も足も出ない事態が発生し、順応していった騎士シュヴァリエだけが戦うことが出来た。


 海外のChevalerieシュヴァルリ競技では、試合に参加してもこの国の騎士シュヴァリエは余り良い成績は得られていない。実戦と言う言葉は伝統と型の美しさを求める技能とせめぎ合いになってしまっているためだ。


 それではイカンと、陽気な娘が目の前で実際に魅せたのだ。「本当で戦う技」。つまり実戦で戦う思考を持つことが如何に大事であり、また必要であると知らしめたのである。


 鼻歌交じりでビュッフェを楽しむ呑気者がこの風を巻き起こした張本人だ。



 一輪の【舞椿】が引き起こした風は何処まで行くのだろうか。

 きっと世界にも届くであろうと人々は夢見るのだ。


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