00-003.シュヴァルリの簡単な歴史

 21世紀後半からVRやARはもとより、MR(複合現実)は一般に浸透し、生活の一部となっていた。

仮想技術によるeスポーツと呼ばれる競技(※1)が、21世紀終盤に「競技の一形態」として国際スポーツ連盟に認可されたことを契機に、現実の競技と仮想技術の融合、仮想技術ならではの新たな競技が生まれ、そして淘汰されていった。(※2)


 21世紀終盤から22世紀初頭にかけて開発された、MR技術から派生した「Solid Hologram System」(以降「SHS」と呼称)は、特定の条件を満たした環境下にて疑似的な質量を付与したホログラム――「触れることが出来る映像」――を生み出すシステムとしてリリースされた。(※3)



2110年。「触れることが出来る映像」は、医療、軍事、教育現場などの公共事業を中心に展開された。2115年には、その有用性が認められ確固たる地位を獲得し、各国で導入された。



2115年。SHSが一般に認知された同時期。

 事の始まりはフルダイブVRでファンタジー系RPGゲームを遊ぶコアなユーザ達が挙げた不満からであった。

 フルダイブVRでリアルな経験が出来たとしても、コンピュータゲームである以上、データの計算が全てであり、導き出される結果は想定された値でなければ成り立たない。

 そのため、想定された動作以外は制約が入ることとなり、少なからず現実との乖離が生まれユーザが改善を求めた。(※4)

 結局、ゲームシステムの根幹に係わり改善点が膨大で困難であること、現在発売中のハードウェアでは要求が満たせない等の理由で、現状維持となり話題は終息していった。

 しかし、一部のユーザは別のアプローチで模索し、SHSに可能性を見出す。

 ――このシステムを流用すれば現実で剣と魔法の世界を楽しめるのではないか

 そこで開発を共にする有志を募りプロジェクトを立ち上げ、SHS開発元である「safetyplant industry」(以降「SPI」と呼称)へ企画の提案をした。

 SPIでもSHSの一般市場へ展開を検討していたため、「剣と魔法」を再現するアトラクション企画は大いに興味を持たれた。結果、アウトソースのベンダとして開発依頼を請け負う形でコアプログラムの貸与とサポート、および資金提供を取り付けた。(※5)

契約の際、SPIからの追加依頼として提案された「SHSを利用した新たな公式競技の模索」を同時に請け負うこととなり、SPI社員を含めた混成チームの結成後、開発と並行で実施する方針とした。



 開発は2116年から開始し、1年後には試作版が完成する。

「剣と魔法」を体現する武器などは、刀身などの攻撃実施部位を安全面からSHSで全てホログラム化した。魔法の杖なども、暫定的に握り部位以外をホログラム化した。刀身等の形状データは、物理装置として用意した柄の内部へ格納した。着衣はホログラムに反応する「Hologram Cell」(以降「HC」と呼称)を繊維状にして織り込んだ衣服と、粒子状にして混ぜ合わせた強化プラスチックの鎧を用意し、刀身による当たり判定が行える仕組みとした。武器の基本となる柄は、単に「デバイス」と呼ばれ、重力センサーや接触センサー等、随時追加改修が行われ、デバイスの形状も柄、鍔、鞘へ納めるための3cmほどの突起部で構成が落ち着いた。以後、試験的に、メイスなどの打撃武器や、槍などの竿武器を追加していった。(※6)

武器・防具の仮想重量、および身体部位へダメージを負った場合の負荷等は、既存の簡易VR機を流用した。(※7)

 試作版製作時点でシステムの大部分が既存のSHSを流用可能で、機能拡充によるコストも想定より低く抑えることが出来た。そのため、元より安価なシステムであったが、コストパフォーマンスに優れた製品になることが予想された。

試作版の仮称を「Épée et magie」とした。シンプルに「剣と魔法」と銘打たれたが、プロジェクトの発起人がフランス人であったため、フランス語の表記とした。この仮称が以降の試験運用中に定着し、製品版にて正式名称へと昇格した。



 2118年には実働可能な準製品版が完成し、アトラクションとして試験運用を開始した。

設計のコンセプトは「剣と魔法」であるため、ファンタジー要素を多く盛り込み、MRやSHSで構成されたモンスターの盗伐、魔法の行使(当初の魔法は銃器と同様に直進のみ。後にレーザポインタ状の照準で着弾する方式へ変更)、NPCやアクターとの対戦など、子供から大人まで楽しめる身体を使った遊戯として好評を得、半年間の試験運用を終了した。

 試験運用中から「Épée et magie」出展を打診していたアミューズメントパーク、テーマパーク等に対して、維持・運用が問題なく実施可能な団体を精査し随時展開していった。通常のアトラクションに比べ、イニシャルコストが非常に安価、且つ構築も容易であるため、世界各所に普及していき、一般のSHSに対する認知度を深める幇助となった。(※8)


 「Épée et magie」の開発と並行して検討していた「新たな公式競技」の候補はいくつか検討されていたが、最終的に開発したシステムをそのまま流用する中世騎士同士の剣戟による対戦に決定した。これは開発コンセプトの根幹である「現実での剣と魔法の世界」が、既存の剣術競技に当てはまる面を持っており、競技として確立し易いこと、仮想化技術にて、より安全に過去の体現と新たな体験の両立が試験運用で確認されたこと、既存の剣術競技の発展系とも言えるため、一般への理解が深まり易いこと、なによりSHSならではの競技であることを鑑みて公式競技として認可される可能性が非常に高いと鑑みた結果である。

 世界展開を踏まえ、国際スポーツ連盟への認可申請する方針とした。当初はオリンピックも視野に入れていたため、予め競技設立時に公的機関を絡めておきたい思惑があった。(※9)

正式な競技名を「シュヴァルリ(Chevalerie)」(騎士道もしくは騎士団)とし、競技者を「シュヴァリエ(Chevalier)」(騎士)、競技システムを「Système de compétition Chevalerie」(以降、「SDC」と呼称)と名称を定めた。この名称もプロジェクト発起人に敬意を払う意でフランス語に決定した。また、競技検討チームは引き続き、国際スポーツ連盟とのインターフェイスを担うこととなり、追加で外交担当、法務担当をチームに参画させる。既存のSHS製品を導入した国で得た、公共機関関係とのパイプを活用し、政治的に協力を受けられるよう、各国と調整を行った。それに併せ、国際シュヴァルリ評議会発足の準備を開始した。

 また、2120年には、SPIから出荷するシュヴァルリの装備品は、設立した自社ブランド「イストワール:アルジェンテ(Histoire:argentée)(銀色物語)」にて製造・販売を行う方針とした。製造自体は自社工場ではなく、OEM生産受託メーカーへアウトソーシングを行い、SPI自身は仕様検討と製品設計に注力した。(※10)


2121年

 国際スポーツ連盟へ競技コンセプト、およびルール素案をもって国際競技化を打診。先行して公開したアトラクションによる稼働実績と過去の試験運用から現在までに安全性が担保出来ていること、競技への投資費用が比較的安価であるため普及しやすいこと、競技が一般的に認知され易い内容であること、SHSを利用による実戦的な競技であることから概ね良好に捉えられ、認可までは観察期間として5年を設け、1年ごとに、競技人口の推移、普及率を確認した結果を持って世界選手権大会が可能な競技か見極める旨の回答を受領する。


2122年

 SPIから正式に競技名、初期の確定している競技ルール(デュエル:Duel(1対1の決闘))、今後展開予定の競技ルール、および競技における投資費用を一般公開した。(※11)

競技導入のモデルケースとして、世界の中高等教育機関から任意30か所へ1年間の試用依頼を出し、競技資材一式を提供した。(※12)

 試用時のレポートから、デバイスを含む装備品の外見をカスタマイズしたいと言うユーザが多いことが判明する。外見のカスタマイズはOEM生産受託メーカへ追加の製品仕様を持って検討を打診し、デバイスの刀身部分についてはユーザにてデザインが可能となるアプリケーションを試用開始から半年後に配布した。(※13)

 また、一部のユーザにより、シュヴァルリの動画がインターネット上に掲載された。実際の競技がどのようになるか垣間見え、競技者のコスチュームプレイやロールプレイ、独自ルールが幅広く適用可能、また、競技フィールドは、「Solid Hologram Field」(以降「SHF」と呼称 )のポールが設置出来れば場所を選ばない等、エンターテイメントとしての側面も高いことが判り、一般の人気は徐々に上がっていった。(※14)

 同年。SPIは国際シュヴァルリ評議会を発足し、ドイツ南部ローゼンハイム(Rosenheim)に本部拠点を置いた。国際競技に向けた競技規定を精査、および制定、競技の復興を開始する。(※15)


2123年

 「Épée et magie」の成功や動画による競技の様子から、競技参画の検討や既に導入を決定した各教育機関からの問い合わせが増加。また、各種団体や一般からの導入も同様に増加した。

初期段階での競技人口増加率が想定を上回り、装備品の供給が追い付かない可能性が高く、且つデザインの多様化やカスタマイズ要望を満たすことを理由として、ライセンス契約による生産に乗り出した。(※16)


2124年

 各国へ、国際シュヴァルリ評議会の支部を設立し、評議会へ競技者の登録、実施される大会の参加内容や競技ルールの告知、参加申請を行う管理機構として機能を開始する。

 装備品のライセンス生産は、大小数多くのメーカが参入した。大規模のメーカにより規格品が増産されたが、オリジナル製品やテーラーメイドの対応は、むしろ極小規模のメーカにて多く実施された。

強化プラスチック製の装備品は、金型ではなくシリコン型でも容易に成型を可能としたためである。(※17)

 中~極小メーカからは、版権物としてゲームや漫画等のキャラクターコスチュームが数多く製品化され、HCを織り込んだ衣類で構成された製品も登場した。コスチュームプレイを楽しむユーザは多数存在しており、中には独自ルールにてキャラクタを表現するケースもあった。(※18)


 同年。インターネットで公開された1つの動画が話題となった。教育機関が主催した中学生大会でのシュヴァルリ競技風景であったが、一際目を引く見目麗しい少女がそこにいた。

テーラーメイドの白銀に煌めく鎧、同じくテーラーメイドと思われる極端に短いスカートの独自衣装。彼女のポリシーなのか、レギンスやアンダースコートを履かず、見えるのは問題としていない激しい動き。最初は邪な目線の視聴者で動画再生数が増加したが、彼女の卓越した技量は人々を魅了し、王者が醸し出すような威風堂々とした佇まいは見るものを圧倒した。いつの間にか男女関係なく視聴者は増え、人気を博していった。

 次々更新される彼女の撮影動画は、どれも再生回数は鰻登りとなる。メディアでも取り上げられ、更に彼女の人気へ火が付いた。同時にシュヴァルリの競技自体も脚光を浴びることとなり、人々の目に触れる機会が増え興味を持たれるようになった。メディアが彼女を「シュヴァルリの女王」と称したことにより、「女王」の二つ名で呼ばれるようになる。年若い少女に対して「姫」の敬称が付かなかったのは、彼女が持つ王者の覇気が原因であろうと、後年評された。「女王」に傾倒した少女達が新たなシュヴァリエなることが非常に多く、当初の予測で競技者人口は男性で占めると見ていたが、実際は女性人口が6割を超えることとなった。

 そして、「女王」が「履いてない」ことは当たり前な日常風景となり、触れられることはなくなっていた。(※19)



2125年

 4年で競技人数が世界で160万人を超過したことから、国際スポーツ連盟より、国際競技種目として認可がおりる。国際シュヴァルリ評議会の主催で、翌年晩秋(11月上旬)に第一回世界選手権大会の開催、併せて、各国内で選考会を兼ねる大会は冬季(1月~3月)、世界選手権大会への代表選手を決定する予選大会は夏季(6月~9月)を実施する旨を告知。各国のシュヴァルリ競技団体へ大会の参加を呼び掛ける。

 この時期、衣類型装備品の着用も正式に競技ルールへ採用した。



2126年晩秋

 第一回世界選手権大会は盛況を持って終了した。「ロマンが現実となる」をキャッチフレーズに、年齢・男女の区別なく実施された大会では、色とりどりなコスチューム、実戦さながらの剣戟、更に剣術師範や著名な武術家など確たる実力者の参加に人々は熱狂した。(※20)

 優勝者は、「女王」と呼ばれた16歳の少女。彼女は「女王」の名にたがわず、圧倒的な技量で並居る強豪を真正面から下した。以後、10年間王座に君臨するが、その間、彼女が世界中の少女達に与えた影響は大きく、模倣は勿論のこと、「戦いは美しくあれ」といった言動やポリシーまで浸透していった。特に、「履いてない」ことは少女達のルールにも加えられた。それにより、下着メーカーや服飾メーカーが、下着と水着の中間に位置する、美麗なデザインの競技用下着を数多く発売した。(※21)



2129年

 デバイスに弓を追加。中遠距離での戦闘が可能となったが、デュエルでは効果がないため、使用されることは稀であった。(※22)

 この年の前後では競技環境はだいぶ変わり、社会人リーグの発足や、スポンサードを受けたシュヴァリエが現れる。それに伴い、国際シュヴァルリ評議会以外の主催で大会が開催されるようになる。興行収入の採算が十分取れることが判り高額な優勝賞金が設定されることもあった。それに触発されたかのように、アマチュアの団体や、地方大会などが一気に増加した。(※23)

 また、教育機関でのシュヴァルリ導入が加速度的に増加したことを受け、ドイツ(※24)で初のシュヴァルリ競技者育成学校である「マクシミリアン国際騎士育成学園(Maximilian Internationale Ritter Erziehungsschule)」が開校した。(※25)

学園が軌道に乗るまでは、「女王」が技術指導やカリキュラムを組むことがあった。設備内容の検証や改善等にも係わり、初期メンバーの一人であった。



2131年

 第一回世界選手権大会から競技人口は急速に増え続けており、1,200万人を超えた。そのうち女性競技者は7割となる。

 この年、団体戦として、リュッツ:luttes(8人全員が敵となる乱戦)と、メレ:Mêlée(12対12の殲滅戦)が正式に公開された。競技フィールドは広くなり、弓の活用や伏兵など、集団戦による戦略の概念が加味された。また、団体戦向けに、屋内での競技フィールド展開時に自然物や障害物の設置が選択できるよう機能が追加された。(※26)



2133年

 広範囲な地形を利用する団体戦として、クァティエジェネラル:Quartier général(12対12の陣地取得防衛戦)が公開され、より高度な戦略性が人気となった。

 3か所の拠点を占領して取り合う競技で、この競技のみ、退場した競技者復活リスポーンの概念が追加されていた。(※27)



2134年

 メレとクァティエジェネラルの概念を取り入れた、ドラポー:Drapeau(8対8のフラッグ戦)を公開。この時、競技人口は2,000万人。

 旗指物を持った騎士を倒せば試合が終了するため、有利な展開でも一瞬で逆転されることもあり、兵の運用や隠密行動など、現実の兵法に基づく戦いが顕著に顕れた。(※28)



2135年

 国際シュヴァルリ評議会にてプロフェッショナルリーグの規定を発表。初年度は12か国でプロリーグが発足。年内は国内での調整を兼ねた総当たり戦を開催する国が多く、翌年から団体戦を含むリーグ戦が開始された。(※29)

 世界選手権大会は、装備の価格による優劣が発生しないためプロ・アマ問わず参加可能となった。



2136年

 第十回世界選手権大会は、デュエル、リュッツ、メレ、クァティエジェネラル、ドラポーの計5種目が揃ったこと、プロリーグから初めての競技者が参加した記念すべき大会となった。世界一の騎士を決めるデュエルはシュヴァルリの華と呼ばれ、共闘や裏切りなどの駆け引きが楽しめるリュッツはヨーロッパで人気が高く、メレ、クァティエジェネラル、ドラポーなどはアジアや新大陸で人気を博した。

 この大会で、「女王」はデュエルとリュッツに参加する。デュエルでは世界が注目する中、10連覇を果たす。今大会初出場のリュッツでは優勝を決めた。決勝までの8戦中6戦が1対7となるが、まるで相手が多人数であることが当前の如く全てを捻じ伏せる様は後々までの語り草となった。今大会を最後に「女王」は引退。国際シュヴァルリ評議会は、彼女の偉業(競技発展への多大な貢献、および無敗の10連覇)を讃え、シュヴァルリの正式な名誉称号として「永世女王」の名を送る。この称号授与以降、シュヴァルリに貢献した競技者へ、貢献内容に則した名誉称号が贈られることとなる。(※30)

 以後の彼女は、迷いなく競技から離れ、結婚・出産・子育てを経て、シュヴァルリの後進を育てるため教鞭を取ることとなる。

 尚、彼女は競技を始めた13歳から26歳の引退まで、全ての参加した大会を無敗であった(勝率100%はいまだ破られていない)。世界選手権大会、および一般の大会での総額獲得賞金は480万DEM(ドイツマルク)、日本円で約30億円(レート1マルク62.3円)。また、メディアへの出演料や、写真集、映像集(PV含む)の副収入が約3万5千DEM(日本円で約2億2千万円)。(※31)

 同年、競技者の世界ランキングを発表。世界選手権大会、および各公式大会での成績を基準に、競技ごとのランキングを導入。競技者名と二つ名、戦績と勝率が表示された。団体戦は団体名となる。(※32)



2140年

 馬上競技として、ジョスト:Joste(馬上槍試合)を追加。競技者は全身鎧となるが、騎馬、および頭部は判定対象外として設定された。また、SHSの仕様上、打突による落馬は発生しないため、特定の強打により落馬判定を行うものとなった。(※33)



2142年

 ジョストの団体戦である、トゥルネイ:Tornei(6対6のジョスト)が追加された。横一列に並んだ騎馬同士が激突する様は迫力があり人気も高かったが、競技に適した騎馬を保有する必要等、イニシャルコスト、およびランニングコストが嵩むため、競技人口はそれほど多くはならなかった。(世界で1,000人程度)

 また、馬上競技の亜種として、メレやドラポーにも騎馬を用いた対戦が見られるようになった。(※34)



2153年9月

 「永世女王」の息女2人がマクシミリアン国際騎士育成学園に入学していることの繋がりで、同学園にて、「永世女王」が後進育成のため教鞭を取ることとなる。この時、彼女は43歳。20代の若々しさを保っており、相変わらず極めて丈の短いスカートを着用。(※35)

 このとき、「永世女王」の娘は、長女が中等部3年生(14歳)と次女が中等部1年生(12歳)。(※36)



2155年9月

 フロレンティーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク(Florentina von Braunschweig-Calenberg)がエスターライヒ(※37)から、マクシミリアン国際騎士育成学園へ入学。



2156年春

 この物語の開始年。第一回世界選手権大会から30年。競技人口は2,500万人。女性競技者は約7割をキープされている。



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[本文注釈]

※1)主にARやMRを使用した、あくまで自身の身体で運動を行う競技体系に限る。所謂、電子ゲームで行われる、キャラクタを操作するスポーツは対象外。


※2)現実の競技との融合はハードルや棒高跳びの設備等をMRなどで電子表示された。また、仮想現実技術を使った新しい試みが幾つも芽吹いたが、実りには程遠かった。


※3)ホログラムが表示できるエリアは、閉鎖的な一種のサイバースペースとなり、範囲は設置した装置数により変動する。


※4)例えば剣を振る動作。システムのアシストにより、コントローラで剣を振る操作をすると同様、決まった動作以外は攻撃判定とならなかった。これは、全てのユーザが日常的に剣技を習得しているわけではなく、動作を補完する必要があったため。また、システムの補完を停止させ、自身で剣を振った場合、ユーザの想定した結果を得られなかった。刀身の位置による攻撃判定の変動や剣の峰や腹を使った技能など、どの操作が攻撃でどの位の攻撃力を持つかシステムで判定が出来ないためである。様々な箇所で発生した、個人差による曖昧な判定が必要な部分は、個々の対応が現実的ではないため、システム側で用意した固定の判定となった。


※5)本来はアドオンによるアプリケーション開発の許可か、あわよくばOSS(Open Source Software)としてコアソースの提供を受ければ最良としていたが、新技術をすぐさま製品化することに定評のあるSPIのフットワークが想定以上に軽く、あれよあれよという間に戦略子会社が用意され、開発ベンダとして取り込まれた。


※6)どの武器も基本は柄の部分のみ実態で、攻撃判定を実施する部分はホログラムにて再現する。棒、竿等、長柄武器のみ両手で掴む範囲(約90cm長)の柄となり、柄部分でも攻撃を防御出来る設定をした。


※7)簡易VR機:小型のアクセサリ型脳波制御装置。頭部へ装備する。脳へ特定の信号を送信し、身体へ状況による負荷を与え、現実であるように錯覚させる。日常で使用する装置のデフォルト機能となったが、主にMRゲームなど、プラスチック製の剣へ本物の重量感を与えたり、身体部位の動作に負荷をかけ、ダメージを表現する等に用いられることが多い。機器は、ヘアピンやイヤリング、カチューシャ等の一般のアクセサリー状のものから、眼鏡、ヘッドセット、ヘルメット等、多岐に渡ったサイズやデザインにて発売されている。アプリケーションの基本仕様は国際標準化している。


※8)基本、装置は安価なため販売のみとし、ソフトウェアを顧客要望へ反映するカスタマイズ、および年間保守プログラムはオプション販売とした。導入側は、設置スペースと電源が確保出来ればよく、デパート屋上の遊具施設やイベント企画会社等、幅広く導入された。


※9)新たな競技を共に制定し育むスタンスとすることで関係を密にし、将来の展開を政治的に便宜が受け易くするための一方策。


※10)新規の金型を多く作成する必要があること、世界規模に展開する際、製品を占有販売してもペイが少なく市場の拡大に限度があることを予測したため、初期はOEMにて需要と供給の推移を図ることとした。


※11)シュヴァルリはデュエルを中心に推すこととした。見て理解し易い1対1の対戦を世間一般に前提知識として刷り込んでから団体戦を展開する予定とした。競技の基本セットは、日本円で最小40万円程度。個人の装備は2、3万円程度(基本キットの場合)。また簡易VR機は、個人の持ち込みとした。


※12)2120年から世界中の教育機関へ打診していた。特に、スポーツが盛んな学校や、在校生が多い学校を選択した。後にシュヴァルリが一般化した際、地方で学生数が少なく競技へ本格的に取り組めない学校や、後進国の貧しい地域等に基本セットと装備を寄贈していった。


※13)刀身の形状デザイン、サイズ、材質を設定する。デバイスからSDCの管理装置がデータを読み取り、材質情報から疑似重量と強度が設定され、個人の簡易VR機へ質量情報を適用する。身の丈を超す鉄塊の特大剣を設定したが、構えるどころか持ち上げることすら出来なかった笑い話がある。


※14)もともとの開発コンセプトがロールプレイに準拠しているため、コスチュームプレイとの親和性は非常に高かった。また、独自ルールの変わり種で、ナイフやマチェットを使いジャングルでのゲリラ戦を模したサバイバルゲームを敢行したユーザがおり、やりかた次第で遊び方が広がることを示唆した。


※15)第1回世界選手権大会から試合の勝敗予想など、公式競技くじの運営も行った。総売上から当選金への還元率は75%と比較的良心的であった。くじの公正性から、競技者は自身の試合での投票権は許可されなかった。


※16)OEM供給を受けている際、自社工場ラインでの生産も検討していたが、装備のバリエーション要求が想定より遥かに多く、自社工場の生産力では対応がほぼ不可能であるため断念した。


※17)SPIでは、競技者が学生も含むことを考慮し、若年層向けの鎧などの装備品は、身体の成長に伴いある程度可変が出来る規格部品を予め含めるよう仕様化されており、原則、量産製品は仕様に則るようライセンス規約に含めている。尚、成人向けの装備品は、規格部品の制限はなく、競技仕様に準拠していれば自由に構成出来た。


※18)SDCの管理装置で予め攻撃の当たり判定部位を決定するが、HCが含まれた範囲全てを対象にすることも可能であった。但し、仕様として首と頭部、下腹部は設定不可(シュヴァルリ競技以外ではオプション選択可)。また、遊具用として、魔法デバイスが販売されたことで競技以外の楽しみ方が広がることとなった。


※19)ローライズ等、腰が浅く布地が少ないものを好んで着用した。学生時代は綿素材が多かったが、後にレースを多用に含んだものや絹製品を多く着用した。一部のファンが青と白のボーダー着用の希望を動画コメントに記載したが、彼女の美意識では下品なデザイン扱いとなるため着用しない、と本人からコメントがあった。そのコメントは、アンチとファンの間で一時炎上したが、有志によって立ち上げられていたインターネット百科事典の彼女専用ページに、本来の趣旨から斜め上をいった彼女が着用した下着を紹介する項目が画像と共に追加され、話題がそちらへ移っていった。項目については、彼女本人は笑って容認し、もっと見栄えの良い画像を掲載するよう要求するなど、むしろ協力的ですらあった。尚、掲載された画像数はインターネット百科事典の内部では歴代第一位を誇り、未だ破られてはいない。後年、彼女はインターネット百科事典の運営団体へ多大の資金を寄贈した。


※20)騎士のみならず、日本の侍大将や三国志時代の中国武将、ナバホの戦士やマラサイ等、様々な達人が流派発足当時を起想する装束で出場した。達人たちの高い技量から、さながら戦乱の世で部族を懸けた一騎打ちの様相を呈した。本大会を契機に、今まで表立ってはこなかった細々とした古流剣術に脚光があたり、門徒が後を絶たなかった。個人レベルの伝承まで広く知れ渡ることになる(一子相伝の流派以外は好調だった)。そして世界中の異なる剣術に対する戦法・戦略が練られていった。

 また、これ程の脚光を浴びることとなった競技ではあるが、SPIらしからぬ余りにも安易なキャッチフレーズに、どの様な戦略があったのか様々な憶測が飛んだが、それも含めての戦略だったのでは、と囁かれるようになった。キャッチコピーが誰しも聞いたことがあるレベルに浸透したことを考えると、あながち間違いではないと思われる。


※21)世論の情報を敏感にキャッチしていた業界最大手を皮切りに、大小様々な下着メーカと水着メーカが参入した。身体にフィットする薄手の素材を扱った製品が数多く製品化され、中にはボディスーツやOバックなども登場した(流石に矯正下着はデザインに含まれなかった)。また、ストッキングやガーターベルトへも波及し、一般製品と見た目が変わらない競技用の製品が発売された。


※22)矢がホログラムとなるため、矢筒は必要としない。


※23)賞金が設定された大会は、基本スポンサードの大会となる。年々賞金額が高額になり、優勝賞金が日本円で1億円を超える大会も度々開催された。有名なシュヴァリエを招待する場合もあり、TV放送も盛んに実施された。


※24)過去、ドイツの教育機関は州が管轄していたため、入学時期は個人の能力と州ごとに異なっていた(入学式や卒業式もない)。22世紀には、教育機関は国家で管轄しており、世界的にも採用が多い9月入学(9/1~翌年8/31までの誕生日で満6歳から小学年)へ統一している。基本教育制度は変更がないため、初等教育を6-10歳で修了後、大学進学向け8年制のギムナジウム、6年制の実科学校、5年制の基幹学校、5-8年制の総合学校のいづれかへ進学となる。


※25)2125年から国際シュヴァルリ評議会を経由しSPIから国家、および教育機関へ学院創立へ向け打診。建設地100haを調達し、各所調整を経て、2127年より竣工を開始、2128年完成。所在地はバイエルン州ローゼンハイム郡(郡独立市の方ではない)の郊外。変則型の6年制実科学校(職業教育学校)で、遠方、および国外からの入学を考慮しパブリックスクール(全寮制)の形式をとる(寄宿は必須ではなく通学可)。年少期の人格形成における影響を考慮し、入学資格は満12歳からとしている。ヨーロッパ型ギムナジウムの教育制度に準拠しているため、初等教育修了後、2年間いずれかの中等教育を受けてより編入する形式となる。また、国外の教育年数制度の差異に対応するため、中等部4年(日本の高等部1年)での入学(ISCEDレベル3以上が条件)を受け付けている。尚、専攻した科によっては、職業上級専門校や大学への入試資格が取得可能(ISCEDレベルで4A相当)。学費の大部分は国家、州、および出資団体負担だが、私立学校であるため、生徒は月1.4万円+寮費4.5万円(最低額)の負担が必要。(州による奨学金制度あり)

学園名は、中世最後の騎士と言われる「マクシミリアン1世」から採られている。創立者は、オーストリア=ハプスブルグ家傍系の子孫(SPI経営幹部)。創立費用のメイン出資者は、国際シュヴァルリ評議会名義でSPI。


※26)SHF環境を拡大するため、各辺に設置されるポールを20m間隔で増設することで競技フィールドを大きくとることが出来た。基本、ポール自体の性能は200m間隔の設置でも問題ないが、より高精度にエミュレートを保証する距離の仕様が20mであった。その場合、縦横40mを超えるフィールドでは、フィールド中間地点が空白地帯となってしまうため、設置したポールの上部へ空白地帯専用の高性能ポールをフィールド内部へ向けるように連結することで対応した。設置した形状がギリシア文字のΓに見えるため、ガンマポール、あるいはガンマと愛称で呼ばれることが多かった。屋内の競技場では、横に倒したポールを天井に張り付けて対応する場合もあった。後に、価格の高い高性能ポールが登場したことで、大手の大会等ではガンマポールは消えていったが、一般では追加オプションとして拡充できるため、根強く使用された。


※27)競技で唯一の退場者復活を取り入れている。3か所の拠点を奪取・防衛時間でポイントが加算され、総ポイント数で勝敗を決するルールであり、敵騎士の殲滅は別の競技となってしまうため。


※28)一般では、夜戦なども実施された。SHFのポールに実装されたカメラは、サーマル暗視にて映像を取得できるため、モノクロ画像による競技動画が公開されることもあった。オプションで高感度カメラも販売している。


※29)デュエルなどの個人戦ほか、団体戦のチームなど、一つの団体で競技別に複数のチームを保有することが多かった。デュエル、メレ、ドラポーが人気を博した。また、国内ルールとして、5対5の勝ち抜き戦なども実施する国もあった。


※30)シュヴァルリ評議会が定める称号。一般的な名誉称号とは意味合いと称号の名称規格が異なる。競技の閲覧者が競技者のあだ名を個別に呼び、それが定着した「二つ名」とは別物。


※31)国際選手権大会のデュエル優勝賞金は、日本円でおよそ400万円程度。


※32)二つ名は一般での呼び名が固着するもので、競技者の責任範疇ではないが、場合によっては精神的ダメージを伴う二つ名もあった。日本では、女性競技者のスカートを絶えず注視し、下着が見えると満面の笑顔となる「チラリスト」や、チャンスと見るや如何にも自然を装いスライディングでスカートの中を覗く「スライディング大王」などの二つ名を冠するアマチュアの男子競技者がいた。ハラスメントを恐れない行動は、ある意味勇者として尊敬と侮蔑を持って有名となった。たまに見える下着を性的表現として浸透したのは日本人特有であり、両方の二つ名は海外では、特にマナーの観点から表面上は理解され難い性癖であった。


※33)基本、装備はプレートアーマー(全身鎧)で、首を防御する肩鎧と、脇下を防御するベサギューの装備が必須となった。また、ほぼ全身を隠す大盾の使用は禁止された。


※34)トゥルネイが実施されていた中世では本来、剣や槍も含めた競技であったが、ルールの明確化のため突撃槍のみ採用とした。しかし、馬上競技となるため、騎馬の用立てに難があり競技者人口は一定数から伸び悩んだ。また、競技に向かない競走馬(サラブレット種)を用立て、馬を潰してしまった競技者もいた。その競走馬はレース優勝馬の血統を引いており、次代を期待されていた2歳馬であったため、いささか問題となり、笑い話ではすまない事態に発展した。


※35)学園設立の初期メンバーは未だ多く残っており、彼女の当時と殆ど変わりない若々しさに驚きを隠せず、また、相変わらずの着衣の拘りにある意味安心した。


※36)9月入学制のため、中等部4年(日本でいう高等部1年)は9/1~翌年8/31までに16歳、中等部2年は9/1~翌年8/31までに14歳を迎える。物語がR18指定の場合は、学校は学園という表記に変わり、個人の年齢は公表されず、登場人物は全て18歳以上となる。


※37)エスターライヒ(Österreich)は東の国と言う意味でオーストリアのこと。この物語では独語呼び。個人名で、〇○○ von Österreichとなる場合は、神聖ローマ帝国時代のオーストリア公王の家族または直系。(大抵はハプスブルグ家)


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