00-001.仮想現実技術の今(22世紀視点)

【2000~2020年代】

 仮想現実技術の黎明期であり、VR(仮想現実)技術が一般的に流通し初め、試行錯誤される時代。

 仮想現実技術は、主に五感へ情報を知覚認識させるもので、当時の技術では視覚と聴覚による体感までが実用化された。サイバースペースの疑似現実体験を行うVR(仮想現実)、現実環境にリアルタイムで情報を付与するAR(拡張現実)、現実空間へリアルタイムで仮想環境を提供するMR(複合現実)が展開されるものの、ヘッドマウントディスプレイやモニタ等に投影された情報を閲覧する形式であり、拙いものであった。



【2050年代】

 ナノ回路技術の向上と、絶縁体のフィルムへ電子回路を印刷する技術が標準化され、コンピュータの電子部品はフィルムシート型へとシフトしていった。電子回路を印刷したフィルムシートはフィルム基板と呼ばれ、過去、電子回路の中心であったプリント基板は順次置き換わっていった。


 ナノレベルの製造技術により、フィルム基板は極小化(※1)が進む。I/O性能の飛躍的向上・回路の高性能・定電圧化、且つフィルムの特性で湾曲面への配置が可能であることから、あらゆる物に組み込まれていった。パーソナル分野のコンピュータは、最も恩恵を受けており、一般で使用されていたデスクトップ、ラップトップコンピュータは、手のひらサイズで一世代前の高性能サーバ機と同等の性能となった。ウェアラブルの分野では、腕時計型コンピュータで高性能ワークステーションと同等の性能となり、機能や性能を絞ることで、眼鏡のフレームやアクセサリに実装することも可能となった。それにより、脳波や音声で制御する仮想現実技術向けデバイスとして有効に利用され、VRやAR等の仮想現実技術は、アトラクションやイベント等の一般娯楽はもとより、道案内や交通情報、消費者向けの情報表示等、様々な分野で展開した。需要の拡大に伴いインフラが逐次整備され、より生活に密着していった。


仮想現実技術が抱える課題で、視覚情報と平衡感覚の乖離による身体への問題(※2)については、アプリケーションでの調整により極力発生しないよう工夫をされていたが、何れも一時対応レベルであり、根本的な問題は長い期間解決出来ずにいた。そのため、VRよりARやMRの発展が一歩先を行く形となっていた。


 同時期、量子コンピュータの技術が進み、およそ10年程での実用化が予測された。機器の性質上、プリント基板と大容量の電源装置を実装した大型筐体ではあったが、フィルム基板の性能向上につれ、機器構成は小型化していくことになる。



【2070年代】

 万能型量子コンピュータ技術が実用化されて数年(※3)。科学分野や医療分野等、公共事業では既に運用が開始されており、パーソナル分野へ展開される過渡期であった。現状でも機器の性能を絞ればウェアラブルコンピュータに導入出来るため、仮想現実技術向けデバイスへ率先して組み込まれた(※4)。性能が低いと言えど、既存のデバイスより数倍~数十倍に性能向上しており、より多くのリソースを仮想現実技術で扱うことが出来るようになりVRやARはよりリアルでシームレスとなった。


 万能型量子コンピュータ技術は、情報通信インフラにも順次導入された。通信機器の処理速度が大幅に上昇し、経路間の通信性能が劇的に向上した。また、トンネリングや高bit暗号化データ等、高負荷となる処理も速度遅延は誤差の範囲に収まる程度となった。経路間の通信機器が性能向上したことにより、無線通信の分野でも機能改変が起こる。通信デバイス自体も機能向上したことで、複数の通信ポイントへ常時冗長で送受信することが可能となった(※5)。それにより、通信中に特定の通信ポイントとの切断が発生した場合でも、他の接続ポイントとの通信で接続が担保されることで、常時接続(※6)が保証された。通信データが安定して送受信できるようになった恩恵は、仮想現実技術向けデバイスでも享受された。特にネットワークを介し、サーバとデータ送受信が必要なアプリケーション等のネットワーク遅延はほぼ解消され、より精度の高いサービスを提供可能となった。



【2080年代】

 2つの技術が世間を賑わせた。1つ目は、「東亜脳神経科学研究センター(Toa Center for Cranial nerve Science)」が発表した、脳へ特殊な信号を与えることで、身体の特定部位に神経細胞を通して運動したと脳へ錯覚させる技術、「Virtual balance sensation experience system(仮想平衡感覚体験システム。通称「bses」)」。2つ目は、MR機器メーカである「safetyplant industry(SPI)」(※7)が発表した、ナノ粒子の反射材(※8)を身体の表面上に塗布し、それをモニタとして、仮想現実技術向けデバイスから、任意の部位に現実空間へホログラフを表示する技術、「Mixed Reality Holography Realizer(通称MRHR、もしくはHR)」であった。


 1つ目の技術により、前庭感覚をだますことが出来るようになった(※9)。それは、仮想現実技術で長い間問題となっていた、視覚情報と平衡感覚の乖離が解決した瞬間であった。この技術は、停滞していたVRやMRに歓迎される。より現実的な体験が可能となり機能が拡張され、誰しもフルダイブVRの実現を期待した。


 2つ目の技術は、仮想現実技術向けデバイスが、重力センサ、加速度センサ、接触センサ、静電センサ、レンズ、光子ライトの機能が実装されていることが前提となる。身体をスキャンニングし、部位の位置情報をラーニング後、ホログラフを表示する位置を指定。デバイスから光子を身体へ向けて照射することで、反射材同士の間で光が屈折・伝播し、該当の箇所で結像する(※10)。デバイスと身体は固定ではないため、スキャンニングした身体のデータと各種センサでの位置情報を常に計算し、GPSや外部カメラ、街頭の人感センサ等からリアルタイムで取得したデータ(※11)を計算結果と突合、結像位置を常に一定となるよう制御された。反射材は噴霧による塗布で利用し、2時間程度で剥がれ落ちる(※12)。反射材は効力が切れるまでは結合力が強く、細かな切り傷等を防ぐ副次効果があった。そのことから後年では、ナノスキンの愛称で広く呼ばれた。


 この頃、ナノ回路技術は種別を問わず多岐に渡り展開され、社会インフラも大幅に更新、情報通信インフラとの統合が更に進んだ。無線通信も有線通信の性能に準拠するレベルにまで向上し、仮想現実技術向けデバイスなどのウェアラブルコンピュータでも、より大容量のデータを扱えるようになった。それが、前述した2つの技術を利用するアプリケーションの増加を呼んだ。また、細胞給電を採用したコンタクトレンズ型のモニタが発売されたことにより、ウェアラブルコンピュータは更に最適化し、誰しもが所持しているデバイスとなった。調査機関にて、GPSや各種サービスのトレース機能を基に動作しているウェアラブルコンピュータ台数を調査した際、世界人口の1.25倍の数値が確認された(2088年調査)。


 同年代。MR機器メーカ「SPI」にて、現実空間へのホログラム投影を拡張する試みが開始された。コンセプトを「触れることが出来る映像」とし、脳へ錯覚させる技術「bses」の併用も踏まえ、プロジェクトが発足した。開発は困難を極め、完成に22世紀初頭までかかることとなった。



【2090年代】

 フルダイブVRが登場した(※13)。根幹となるのは脳へ錯覚させる技術であった。多種機能を盛り込むため、専用のヘッドセットが必要となった(※14)。現状では手足などの外部動作をする箇所のみ脳への情報操作が出来たが、何れ内臓器官等への情報操作が確立された場合の影響を考慮され、機器のセキュリティ面や法的面の刷り合わせ、医療機器の認可等、各種承認が必要となった(※15)。仕組みとしては、自身の身体をアバターに入り込んで切り替えたと錯覚させる。次に現実の身体へは神経細胞へ運動していないと錯覚させる(頭部を除く手足、首等の外的動作をする箇所のみ)。動作は脳波を取得し、リアルタイムでアバターに反映することで、自身の身体を操作していると錯覚させる。大まかにこの3段階のステップで実現した。会話は肉声をヘッドセット経由でVRへ反映し、音声はヘッドセットのスピーカー経由となった。視界は網膜投影するアイウェアで、ヘッドセット内の網膜走査投影ディスプレイから直接網膜へ映像を結合する方式を取った(※16)。


 フルダイブVRは、主にゲームなどに利用された。しかし、システムのリリース当初は、個人差による動作の違和感やゲーム性との乖離がなかなか解消されなかった。問題点を消化し、ようやく一定の評価を得られる頃には22世紀を迎えていた。



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[本文注釈]

※1)水晶振動子と同等の性能を持ったプリント可能なトランジスタが開発され、回路構成がさらに小型化した。当時、2cm四方1mm厚のサイズで据え置き型筐体と同程度の処理能力、400TFLOPSを有した。


※2)所謂、VR酔い。視覚上の動作と、現実の身体動作が一致しないため起こりやすい。特にカメラが激しく動く際に顕著となる。視覚情報のみでも遠近全てに焦点が合っている場合、脳の処理が日常と乖離するため体調不良を起こし易くなる。


※3)アルゴリズムは最適化されていたが、量子コンピュータの性質上、処理の不得手があるため、既存のコンピュータ技術を組み合わせて構築された。


※4)当時最大の量子コンピュータは550量子bit、ホスト機やサーバ機等の業務用コンピュータは100~200量子bit、一般用コンピュータは50~100量子bit、仮想現実技術向けデバイスは16~40量子bitの処理性能を有した。


※5)コンピュータの処理能力、および通信データ圧縮の技術が向上したことで、送受信双方の機器で冗長データの整合性とエラー訂正が低負荷で高速に処理することが可能となった。


※6)冗長で通信している全てのデータで同期実行処理しているため、何れかの通信が切断されても切り替えによる停止が発生しない。つまり縮退運転へ移行までの瞬断やサービスのフェイルオーバ時間が発生しなくなり、全ての通信が切断されない限り、物理的に回線切断は発生しなくなった。本来であれば並列で同じ処理を実行する冗長化は非効率であり、技術的には20世紀の古い陳腐な仕組みではあるが、機器の性能向上によりシステムリソースが膨大に利用可能となったため、サービス未停止化を前提としたクラスタリングのソフトウェア開発や運用を行うより、安価で確実に実施可能な単純化したシステムとして再度、日の目を見ることとなった。


※7)safetyplant industry社(本社はチェコ)は、2030年に創立された、AR機器、およびソフトウェア開発を主業務とした老舗メーカ。公共機関関連が主な取引先であったが、2040年に一般市場に参入した。2050年代に安価・軽量・高性能を謳うARデバイスが世界的にヒットしたため、仮想現実技術に関連する企業の内、5本の指に入るまで成長した。新技術を製品化する速度が速く、業界の最先端を牽引する企業として認知されたが、新技術は淘汰され定着するものは少数であるため、商業的に失敗した製品群を多く持つことでも有名。


※8)ベンゼン類、金属、ガラス質を結合した分子構造を持つ。高温・高圧の気化状態で触媒を媒介に科学結合する。特許協力条約(PTC国際出願)により、PTC加盟国にて特許取得。


※9)傾き、動作、速度といった平衡感覚が含む要素の内、視覚を伴う前庭眼反射を取り扱う。「脳が誤認する」ことは、実は日常で身近にある。例えば、冷たいものを食べて頭痛がする等、脳が喉の冷却を痛みと誤認して頭痛が起こる。水など常温のものを摂取すればすぐ直る。


※10)反射材の分子結合が持つ、光波が拡散せず結合内部で反射する特性を利用している。本質的には光ファイバーによる光波伝達に近い。


※11)20世紀からセキュリティ方策として導入さているシステムが拡張したもので、主に犯罪防止や事故等の監視を行う。屋外や事業建築、商業施設等、公共設備に多く導入されている。GPSをはじめ、個人を詳細に判別できるカメラや熱感センサ、磁場センサ等、多数の方式が用いられている。行政へ承認手続きすることで、申請者本人、および家族が利用することに限り、自身が現在感知されているセンサ類のデータをリアルタイムで受け取ることができる。このサービスは本来、児童所在確認や認知症疾患患者放浪対策等の一環として提供されていた。


※12)反射材同士は2時間程度で分子間結合力が弱まり、自然に剥がれ落ちる。または、40度以上の温水で洗い流せる。反射材自体は乾燥すると無色透明となるため、塗布状態は視認では判り辛い。


※13)未完全ではあるがフルダイブVRと呼称している。完全なフルダイブVRを実現するには、脳、小脳、下垂、脊髄神経など神経細胞の構造と機能の解明、接触等が契機となる反射の機能や生理機能の再現、体調等の感覚で判断する体性感覚機構の再現等、課題は非常に多い。特に、人間の味覚は9割が嗅覚によるものであり、個人差が顕著となる項目であるため、標準化自体が頓挫している。少なくとも何らかの技術革新が起こらない限り、100年以内での完全なフルダイブVRは実現が不可能と推測されている。


※14)フルダイブを必要としない場合は、眼鏡のフレームやアクセサリ等に組み込まれた簡易VR機を使用する。自身の動作を前提とするVR機で、効果範囲を手足等の外部動作をする筋肉に対して負荷等の錯覚を持たせる。


※15)脳を中心に身体へ直接影響が発生する可能性が大きいため、医療機関(各種内科、精神神経科含む)による臨床試験、使用法により生死にかかわる可能性があるため、外部からの侵入や不測の事態に対する安全性の確保、長時間使用時の身体影響に関する規定等、法的機関による承認が必須となった。また、世界へ展開するため、プログラムを含む規格の標準化(ISO認証)を策定し、国際法と各国の諸機関にて承認が行われた。


※16)没入型VRでも利用されていた全景観を網膜へ投影する既存のシステム。アバターの両目は眼球の構造を模したカメラとなっており、映像は両目で上下130度、左右200度の範囲で取得し、ピント・ボケ等の被写界深度、および立体感を再現する。現実に近い視界を得られるが、視力は一定。簡易VR機、およびコンタクトレンズタイプのARモニタは併用不可。

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