第49話 302号室の強襲


 

 目の前に座ってそわそわしている八重子やえこを見ながら、俺はため息をついた。

 宴会してて悲鳴が聞こえた。なんて、どこぞの推理小説じゃあるまいし、適当に放っておこうと思ったのに。

 どうしてそういう正義感をだしてくるかなぁ大人ってのは。

 俺は、こういうときにすぐに飛び出すほど、ここの住人達に愛着はない。だから、誰かの悲鳴に飛び出していった表屋と毒島ぶすじまを、あきれて見送った。

 一応呼び止めたのは、面倒ごとに首を突っ込む馬鹿どもをみていられなかったからだ。

 でも人の忠告を聞きもせずに走っていきやがった。そんな連中のことは知らねーな。


 だからのんびりと俺は部屋で菓子を食うことにする。

 せっかく買った菓子があるんだ、食べないほうが勿体無い。しばらくそうしていたが、なかなか二人はかえってこない。ついでに暗丘のオッサンも戻ってこないしよ。

 

 向かいに座る八重子が表屋たちを気にしてそわそわしてるのがうざいんだよなぁ。

 


 そのとき、チャイムがなった。


 「暗丘か?」


 俺は小さくつぶやいて、玄関近くにいた八重子に玄関を開けるように顎で指示をだす。


「なんで八重子が……」


「近くにいるんだからいけよ」


「でも……」


「表屋と毒島かもしれないけど」


 なんて、表屋が一緒ならチャイムを鳴らす必要はないけどな。八重子はどうも表屋にいろいろ罪悪感を感じてるみたいで、そばから離れないし、そう言えば動くだろう。

 思った通り、八重子はいかにも不満げに顔をゆがめるも、しぶしぶ立ち上がった。

 ほんとこいつ何やるにもいやいやだな……。


 まあ、どうでもいいつーか。気持ちはわかるけどさ。今日だって、なんで表屋のために遊びに来てやらないといけないんだよ。毒島のやつに呼び出されたからきてやったけどよ。意味わかんね。

 そんなことが頭に浮かびながら適当に待っているのも退屈だ。

 

 突然八重子の悲鳴が聞こえた。

 また悲鳴かよ。


「あ? おい、どうし──」

 

 様子をのぞくために座ったままふすまの向こうに顔を出した俺はその体制で静止した。


「あんた、だれ?」


 そこには女がいた。


 見たこともない女。いや、どこかで見覚えがある。

 その手に持っているものをみて、俺はぎょっとした。右手にもってんの……ナイフ? 包丁か?

 つか、よく見なくても、この女血だらけじゃねーか。

 嘘だろ?


 動揺しながら視線を走らせると、玄関そばで左手首を抑えてうずくまる八重子が見えた。その手から赤い液体がしたたったのをみて、即座に立ち上がる。


 やばい。

 やばい。やばい。やばい。

 よくわかんねーけど、これはやばいやつだ。

 空き巣じゃなくて、強盗。強盗じゃなくて、えーっと、とにかくやばい。


 おもむろに、女のそばにいた八重子が再びナイフで切りつけられる。

 悲鳴を上げて、八重子は立ち上がると、よろよろと歩きながら居間に転がり込んだ。そして俺の足元で躓く。


「どわっ!」


 俺のほうに転がってくるなよ!!

 何とか八重子をよけて、次いで追ってきた女から距離をとるように後ずさる。


 ——女が、ニタリと笑った。


「あらら、おいしそうな子供が二人も。運がいいわぁ」


 そのセリフを聞いて、俺はこいつが誰かということに気づいた。

 

 ――こいつ! 

 

 まさか、早いだろ! 来るのがよ! もうすこし後のはずだっただろうが


 内心で叫びながら、それが今更な叫びなのも俺には分かっている。ともかく俺は再び女からじりじりと距離をとる。

 その時、女がすぐそばにいる八重子に向かった。

 あっちのほうが若いんだ。そりゃそっちを狙うだろうなっ!

 しかし、しめた。

 正直八重子のことなど、どうでもいい。とにかく逃げるが勝ちだ。女が八重子をターゲットにしたことに気づいてすぐに、俺は居間のふすま扉に手をかけた。

 さっさと八重子をおいて逃げるのが正解だろ。

 悪いがこれも運だ! そして俺は運がいい!


 八重子にやつの意識が向いている今、俺は逃げることができるはず。

 あいまいで根拠がないって? 知るか! とにかく俺は逃げる!


 襖扉ふすまとびらを抜けて、台所を通り、あと少しで玄関。

 ――というその一瞬で、うしろから腕をつかまれた。折れてない左側の手。

 ただし俺の走る勢いもあって、思いっきり引っ張られたことで肩がミシッと音を立てた気がした。


 「うぐぅ」


 くっそ、またかよ! 俺の腕だめにしやがって!


 と叫ぶこともできずに転倒する。うつぶせになった俺はしたたかに顎を床にぶつけて、呻いた。

 いてぇ。

 しかしすぐに背中に体重をかけられて俺は身動きが取れなくなる。

 女が馬乗りになっているのが分かった。


 ふっざけんな! どけ! と叫びたいのに声がでない。

 

 目の前にある鏡面の冷蔵庫に、女の姿が映っている。

 長い黒髪、赤い口紅、全身赤に染まった鬼女きじょのような姿。その女が刃物を振り上げる姿が冷蔵庫に、そして俺のまなこに映る。

 

 ああ…………やべぇ。

 振り下ろされるそれがスローモーションのように見えて――。


 あ、死んだ……。



 そう思った。


 その時。

 扉があいた。

 そして誰かがなだれ込んでくる。


 暗丘?

 そんな希望を打ち砕く声。


「あれぇ?」

 

 間延びした女の声。それから……。


「進士くんっ!」


 その声に俺は正直どうしようもない脱力感を感じた。


 どっちかというと、来てもらっちゃ困るやつ来たじゃねーか!

 後ろから聞こえる八重子のうめき声をBGMに俺は思いっきり文句を言いたくなった。


 そこにいたのは表屋空。その後ろに毒島一笑。いや、問題は俺の上の女。

 黒髪で、まさに最悪の組み合わせ。

 俺は心内で叫ぶ。


 最悪だっ!!!


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