第44話 デート



 ピーンポーン。

 

 それは、唐突に僕の静寂を乱した。

 ただ、この静けさは僕の望むものではなくて、虚がいないからあるもので、だから僕は少しだけほっとする。

 けれど相手が誰かわからなくて、僕は立ち上がる前にうつむく。

 どうしよう。

 いや、わざわざ来てくれた誰かを待たせるのは良くないはずだ。

 しばらく迷って、僕は立ち上がった。


 今はもう、扉を開けた先には誰もいないんじゃないか、なんて恐怖する必要はないはずだから。僕は安心していいはずなんだ。

 そう言い聞かせてわずかに扉を開ける。



 そこにいたのは、お隣の少女、毒島さんだった。

 朝日を背に浴びている彼女は、なんだかとてもまぶしくて、僕は目を細める。


 「毒島さん?」


 「おはよう! 空くん、リンゴ食べる?」


 変わらない笑顔。いつもどおりのセリフ。なんとも肩透かしを食らった気分だ。

 僕は少し笑って扉を開け放つ。彼女を迎えるように。

 正直彼女のことは嫌いじゃない。

 だからと言って、落ち込んだときに会いたくなる人かといわれると……。

 さすがにそれはない。


 いつもならいらないよ。と返すところだけれど、僕はどういうわけかあいまいに「ああ、いや」と返していた。

 毒島さんも僕の反応に驚いたのか、不思議そうに僕を見つめる。

 今、なんであいまいに答えちゃったのかな。変なの。リンゴ、食べてもいいかなと一瞬思ってしまった気がする。


 その時、何を思ったのか、唐突に毒島さんは僕の手を取った。

 ビクリとする。

 なぜかって、彼女は女の子だ。

 僕は女性を殺してしまう。そういう人間なんだって最近知ったばかりなんだ。なのにこんなことをされて、もしなにかあったら……。

 そう思う僕の内心をすべて知っているかのように、毒島さんは優しい表情で笑った。


「大丈夫。アタシピンク好きだから」


 きょとんとした僕を誰も責められまい。


 何が大丈夫なんだろう。

 ピンク……関係あるかな……。

 不思議に思って首を傾けてすぐに、そう言えばネイルが赤だとか、口紅が赤いとかそんな話もあったな……。と思い出す。

 虚が、僕が出会い、暴力を振るってきた相手はいつもそういう特徴を持っていた。母と同じ特徴を。

 そのことをすっかり忘れてた。


 ああ、こんな風に、大したことがないみたいに、忘れてしまったりする。僕は本当に白状で、そしてこんなにもひどい人間だったんだ。


「ね、空くん」


 快活な声に呼ばれて顔を上げる。

 今はそっとしておいてほしいのに。僕はそう思ったけど、彼女はそんなことには気づいてくれない。

 ただ、毒島さんは嬉しそうな顔でこういった。


「デートしようよ!」


 虚がいなくなって以来、初めての衝撃が僕を襲った。



 ◇ ◇ ◇



 人通りの多い商店街の一角、そこで彼女は足を止めた。

 僕は目の前の店を見上げて、本日数度目のため息を吐き出す。


「デートって、僕のバイト先ばかりじゃないか」


 僕は思わずあきれた声を上げた。

 スキップするように店にはいっていく毒島さんを追って、僕も店に入る。

 そこは戸建ての一階にある小さなパン屋。僕がバイトとして働いている店だ。


「表屋くんデートなのかい?」


 などと声をかけてきた店長に苦笑いを返し、僕はこの店の一番人気であるカレーパンを1つ購入する。


 それを、店の中を楽しそうに見ていた毒島さんに渡した。


「僕の一番のおすすめ。これだよ」


「わぁ、ありがとぉ。カレーパン、アタシすきよ。って空くんはたべないの?」


 と言われて僕は言葉を詰まらせる。

 彼女のリンゴを断る際にも使っているが、家訓で食べられないという事になっている。

 実際には、やはり手作りだとわかっているパンを食べることが僕にはできないだけだ。

 店長はいい人だし、作っている過程だって見てる。

 何も怪しむ必要はないのに、僕はそれを受け取って食べることができない。


 カレーパンがおすすめなのは、あくまでもお客さんの反応を見ていて感じた僕の想像だ。

 実際この店のカレーパンはおいしい。らしい。

 

 僕が言葉に詰まったのをどうとったのかわからないが、毒島さんは一瞬眉を寄せたものの、すぐに「まあいっか」と言ってカレーパンを頬張り始めた。


「ここのパンおいし-!」


 と毒島さんはいう。

 店長が大喜びしている横で、僕は小さく肩をすくめた。

 それからそっと彼女を盗み見る。

 

 夏も近いというのに、ふわふわのファーがついたカーディガンを羽織る姿をみていると、季節感が分からなくなりそうだ。

 しかもたべているのはカレーパン。

 冬か。と僕は突っ込みをいれたくなる。

 そういえば、いつもセーターとか着ていたな……。暑さとか感じないのかな。


 うん。この思考は僕の現実逃避だ。

 僕は頭を振って、物理的に意識を切り替える。

 そもそもデートなんて言葉で僕を呼び出して、毒島さんは何がしたいのだろう。のこのこついてきた僕も馬鹿だとは思うけれど。


「やだなぁ空くん、そんな顔しないでよ」


 微笑む彼女の左手には、僕が働いている書店の袋がひっさげられている。


 ついさっき僕達は本屋にいったばかりだった。

 買ったのは料理本。女の子らしい趣味があるのかもしれない。リンゴで毒殺しようとする子だけど。

 で、書店の前には僕が働いていたカフェに行って、僕はコーヒーを飲んだ。

 毒島さんが飲んでいたのは砂糖たっぷりのカフェオレ。


 まさか彼女、このときのために僕のバイト先に出没していたんじゃないか? そう思うほど彼女は迷い無くこれらの僕のバイト先を巡り歩いていた。

 そうして、すでに夕方である。

 結局丸一日付き合わされた形だ。


 このあとはどうするつもりなんだろう。


 パン屋をでて、カレーパンを食べ歩きする毒島さんと、その隣を歩く僕。

 毒島さんは、なんてことない学校の話をしたり、通りかかった子供とたわむれたり、見かけた店に突然入ったりと、僕には考えられないほど自由気ままに歩き回る。


 なんだろう。

 なんか、本当にデートみたい。


 そう僕が思ったその時。毒島さんが一軒の花屋を指差した。


「空くん。お花買っていい?」


 その言葉を聞いて、毒島さんの楽しそうな顔を見て、そして彼女のピンクの髪を見て。

 彼女は花が似合いそうだ、と僕は思った。



 ◇ ◇ ◇



 僕たちは、ピンクとオレンジの花を数本買って帰路についた。


 部屋も隣だし、なんだか面映い。

 玄関前にきたところで、毒島さんが花束を二つに分ける。ピンクの花は毒島さん。僕にはオレンジの花が渡された。


「花瓶2つ買ってたのは、このためだったんだ?」


 僕は渡された花を手に持ったまま尋ねる。

 毒島さんは、ピンクの花を手に持ち、嬉しそうに顔を花の中にうずめる。そして香りにひたりながら頷いた。


「うん。生花ってすぐ枯れちゃうから、ちゃんとかわいくして飾ってあげて」


 これに関しては、僕は二つ返事で答えた。

 


 部屋に帰ってすぐ、僕は花瓶に水を入れて玄関に置く。

 そこにオレンジの花が生けられて、なんだか部屋が明るくなった気がした。


 小さくため息がもれる。

 これは嫌なため息じゃない。そういう感じだ。

 僕は花を見つめながら、本当に、本当に久しぶりに、穏やかな気持ちを味わっていた。


 

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