#06-02: セッティング
私たちは参謀部第六課の保有する会議室に放置された。私たち、というのは、レオンと私のことだ。なぜこんなところに連れてこられたのか、今一つ釈然としないままに、私とレオンは隅の方にある椅子に並んで座っていた。
「やっぱり、あの戦闘のことかな」
「マリーを責める奴なんていないさ」
私の背中をさすってくれる手が心強い。
「マリーは頑張った。二隻ちゃんと沈めたじゃないか」
「私が頑張ったら何千人も死ぬんだ。私みたいな親のいない子が生まれたりもするんだ。そして、改造されたりしちゃうんだ……」
「マリー。世界中に神様はたくさんいるよね」
「う、うん?」
何の話だろう?
「どんな神様も、世界を平和にはできなかった。古き神様――核兵器。それにとって代わる神様。それが私たち。だけど、私たちは兵器なんだ。この戦いで私もはっきり理解した。
――私たちは
レベッカの言葉が頭の中で響く。レオンは私の頭を撫でながら言う。
「私たちがヤーグベルテで出来ることと言えば、徹底的に守り抜くことだけなんだって。改めて私はそう思ったよ。誰もが敵対することを諦めるまで、ひたすら守って守って守り抜くこと」
「そうすれば戦争は終わる?」
「わからない。終わっても敵はすぐ現れる。でも十年、二十年くらいは平和がくるかもしれない――政治方面の人が頑張ればね」
私は
「マリー、ちょっと目を閉じたら?」
「寝ちゃうよ……」
「寝てないんだろ、ほとんど」
「うん」
一週間、眠っては飛び起きる、その繰り返しだった。今ではもう、眠るのが怖い。
「誰か来たら起こすから、寝てたらいいよ」
「でも、レオンだって」
「お姫様が眠れてないのに、私がうっかり眠れるわけがないよね」
「そういうところ、ずるい」
私が眠れるようになるまで、レオンは寝ない――そう言っている。レオンは私の右手を緩く握ってくれている。染みわたる温かさだった。
「目を閉じるだけだからね……」
……不意に耐えきれなくなり、私は机に突っ伏した。
はたと気が付いて目を開けると、私と同じように机に頬をつけている人がいた。灰色の髪に深緑の瞳。すぐそこに眼鏡が置かれている――眼鏡!
私は飛び起きて立ち上がった。後ろでレオンが「あはは!」と声を上げて笑っている。私と同じような体勢をとっていたレベッカは、身体を起こすと眼鏡を掛けた。
レベッカは眼鏡をはずしても恐ろしく美人——って今はそんなことを言っていられる場面じゃなくて! 私はレオンをちらりと振り返るが、レオンは「いたずら成功!」みたいな表情をしていた。してやられたのか。
そんな私に、レベッカは「座って」とゆっくりした声で言った。レベッカの声に張りがない。疲労が滲んでいた。私は元の椅子に腰を下ろし、レベッカと向き合った。
「それでは、私は席を外します」
レオンは私の頭を軽く撫でて、颯爽と部屋を出て行った。これで会議室には私とレベッカの二人だ。
「ねぇ、マリー」
「は、はい」
「私に言いたいことがあるのではない?」
レベッカはまっすぐに私を見つめている。レンズが天井灯を柔らかく反射している。
「確かに、味方を見殺しにしたとか、私には荷が重い課題だったとか、いろいろ思いました。でも、それって言っても仕方ないじゃないですか」
「恨まないの?」
「私たち、戦争、してるんですよね」
「納得してないわね?」
「できませんよ」
私は首を振る。レベッカの前では、何を取り繕っても無駄なことは分かっている。レベッカはきっと、言葉すら必要としていないんだ。だから私は言葉ではっきり言わなきゃならないと思った。
「そう、言葉は必要よ、マリー」
レベッカは微笑む。
「言葉を
「でも、言葉でもすれ違うことがあります」
「だからこそ、私たちは言葉で理解しないとならないの」
哀しげに眉尻を下げるレベッカだ。その口調は自分に言い聞かせているようで、そして今にも泣きそうな表情にも見える。
「マリー、今、つらい?」
「……はい。でも——」
「なんでつらいって言わないの? レオナには言った?」
「私だけがつらいわけじゃない……ですよね」
「それはね、
「欺瞞……ですか」
私はレベッカの胸あたりに視線を泳がせる。レベッカは不意に前のめりになり、私の両手を握る。
「不器用だから、私、そんなに上手に話せない。だけど、あなたは次の司令官。司令官になってしまったら、つらいだなんて言えなくなる。今はまだ、あなたは私に不満や不安をぶつける権利がある。あなたは、つらいんでしょう? なら、つらいって。そう言って。誰のことも考えなくていいの。去年、レニーは言っていたそうよ。あなたたちに気持ちを吐き出せて、すごく楽になったって」
「それはアルマが……」
「なら、あなたにはレオナがいる」
「じゃぁ、レオンは? レオンのつらさはどうしたらいいんです?」
「あなたが受け止めればいい」
レベッカは迷いなく言った。
「私とヴェーラがかつてそうしたように。今、私とイズーがそうしているように」
「でも」
「そう。私はヴェーラを支えきれなかった。私はヴェーラの心を守り切れなかった」
私は何も言えなくなる。レベッカは泣きそうな顔で私を見つめている。
「マリー」
「は、はい」
「あなたには、守りたいものがありますか?」
「はい」
「レオナ?」
「肯定です」
「ふふ……」
私の即答に、小さく笑うレベッカ。
「私もずーっとそうだった。ヴェーラを守りたくて、ただその一心で戦って、泣いて、笑って、苦しんでいた。そのつもりだった。だけど――」
レベッカの頬を涙が伝う。
「私はヴェーラの顔を見たい。あの美しい顔を、もう一度見たいの」
「しかし、火傷は……」
「そう。あの子は、全身を再建したけど、顔だけは触らせなかった。別人として生きる覚悟だったのかもしれないわ。でも、私はヴェーラとまた生きたい。
レベッカは唇を噛んで、沈黙する。眼鏡越しにもその目が潤んでいるのが分かる。
「儚い夢、でしょう?」
「それは……」
やはり私には何も言えない。
ひりつくような沈黙が落ちかけるのとほぼ同時に、ドアがノックされた。入ってきたのはイザベラだった。
「ベッキー、話はできたかい?」
「あなたほど上手には喋れないわ」
レベッカは椅子を一つ引っ張ってきてそこにイザベラを座らせた。
「あの、イザベラ」
私は勇気を出して話しかける。
「私たちは、
「
イザベラの問いに、私は記憶の中を必死に検索する。
「テーマを繰り返しながら、間に別の旋律を挟む楽曲の形式……?」
「正解。私たち
「それじゃぁ……あまりにも救いがないじゃないですか」
「あまりにも、ないね」
明確に断定するイザベラ。そこで
「アルマ?」
「きみたち二人に聞いてほしい話だからね」
と、イザベラはアルマをまた別の椅子に座らせた。
「わたし――ヴェーラ・グリエールとしてのわたしも。結局のところ何一つ変えられなかった」
「自分の願いも祈りも、そのすべてが虚しい。ヴェーラはそう思ってしまった。自分の持つ圧倒的な力が、決して良い方向に使われないことにも気付いてしまった。ただのすごい兵器。無敵の兵器。言えば何でもやってくれる兵器。
軍も政府も、そして国民も。ヴェーラに求めたのは
「でも、レベッカがいたじゃないですか」
「カティも、エディットも、マリアもいたよ。ああ、そうだよ、いたんだ。いてくれたんだ」
私の言葉に、イザベラは首を振る。
「だけど、ヴェーラは欲張りだったんだね。もっともっと。もっと多くの人に言葉を届けたい。伝えたい。理解されたい。そう思ってしまっていたんだ。だから、すぐそばでヴェーラを支えてくれていた人たちを、あって当然のものだと思ってしまっていた。なんて傲慢だったんだって、今となっては思っていると思うよ」
胸の奥がチリチリする。これは、怒りかもしれない。イザベラの胸の奥にある怒り、そして痛み。それが私に伝わってきているのかもしれない。
「ヴェーラはね、初めて好きになった人すら、守れなかった。国家を揺るがす力を持っていながら、本当に守りたいと心から思った人の一人すら、守れなかった。何もできなかった。だから……。何のための力なんだ。何のための献身だったんだ。何のために虐殺者の汚名を甘んじて受けているのか。ヴェーラは……わからなくなった」
レベッカは下を向いていた。前髪に隠れて表情が全く見えない。イザベラは一つ息を吸う。
「わたしたちの存在はね、ヤーグベルテを軍事強国に仕立て上げる役割を果たした。私たち
……彼らはそれしか言わない。
ヴェーラもね、その事実に、その現実に、怒り、悲しみ、絶望した。殺戮の手段にしか過ぎない自分に気が付いてしまったから。自分が良かれと戦うほどに戦線は拡大し、守るためだけに使われていた力は、やがて報復攻撃の方向へと舵を切った。アーシュオンに
殺さなければならない敵は、雪だるま式に増えていく。ヴェーラは何百もの歌を歌い、何百万と殺戮した。人々はその歌を勝利の歌、
そして――と、イザベラは続けた。
「この数年で発見されてしまった、価値ある断末魔。それによって人々はまた、わたしたちに別の
イザベラは完全に
「マリー、その
「継続的に供給される、断末魔……」
「正解」
イザベラは「なぁ、吐き気がするだろう?」と追い打ちを駆けてくる。私はアルマと顔を見合わせる。
「人々は求めている。
「そんなことが
私は思わず立ち上がる。が、アルマによって椅子に戻される。
「ヴェーラが死に、トリーネも死に、多くの
「
レベッカが続けた。私はアルマと顔を見合わせる。
「確か、その……カワセ大佐は」
「その親玉の一人だね」
あっけらかんとイザベラは言う。私はまたアルマを見、イザベラに向き直る。
「だとしたら、どうしてこんな!」
「マリアもまた、
「でも、だったら、カワセ大佐に」
「
肩を竦めるイザベラに、アルマが静かに問いかける。
「敵とは考えないのですか?」
「考えないねぇ」
「それは、なぜですか」
「あの子は、わたしたちのためなら迷いなく命を賭ける」
「それすら――」
「アルマ」
イザベラは諭すように言った。
「マリアは、絶対にきみたちの敵じゃない。それだけは言っておくよ」
有無を言わせぬ口調に、私たちは押し黙らざるを得ない。イザベラの口元がふと緩む。
「一つ、訊いてもいいかな」
「は、はい」
私は頷く。アルマもだ。
「きみたちは、ヴェーラ・グリエールを好きかい?」
「もちろんです」
私は即答していた。アルマも同時だったかもしれない。
「それはよかった」
イザベラは口角を上げる。
「ヴェーラもね、八年前だっけ。あのライヴの日。きみたちに出会えて救われたんだ。きみたちには申し訳ないけれどね」
「で、でも!」
「ん?」
「再会の約束が、果たせていません」
私が言う。再会の日を待っているよ――あの時ヴェーラはそう言った。
「あははは!」
イザベラは笑う。
「そうだった。きみたちには悪いことをしたね」
「でも今……」
「私はイザベラ・ネーミアだよ。でも、そうだね。きっと会える。そう遠くないうちに」
その言葉の意味を理解できたのは――。
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