#04: 歌姫計画は無情にも進む
#04-01: セルフィッシュ・スタンド回収事件
五月の上旬――桜は咲くや否や散った。
窓から外を見ていたレオン――寝る時以外は、当然のように部屋に居座っている――は、柔らかな春の青空を見上げ、次に視線を地面の方へと向けた。そうしてから、レオンは窓に背を向けて、私からコーヒー入りの白いマグカップを受け取った。
レオンはまた窓の外を見て、呟いた。
「ひさかたの光のどけき春の日に」
「
応じた私に向かってカップを掲げてみせるレオン。かっこいいなぁと改めて思う。そんな風に脳内ノロケを始めていた私に、キッチンの方からレニーが声をかけてくる。
「マリー、アルマどこ行ったか知らない?」
「朝起きたときにはいなかったよ。レニーが出た時には?」
「三時だったからまだ寝てたわね」
「なーんか、ヤバイことやってんじゃないかなって気がしてるんだよね」
私は自分の
レニーは自分のコーヒーをドリップしながら、少し眉根を寄せていた。
まるでそのタイミングを狙っていたかのように、
「おかえりーって、何その袋?」
私はレオンと共に窓を背にした状態のまま尋ねる。アルマはかなり得意げな顔をして、「手に入れてやった!」と高らかに勝利宣言を発した。そしてテーブルのところまでやってくると、今一番話題の本――しかも
真っ先にそれに手を伸ばしたレオンが、少し引きつった表情をしている。
「これって……閲覧不可、入手不可、廃棄命令の出てるアレだよね」
「うん。そうなることは見越してあったんだ。電子書籍のロック解除プログラムも組めたから、大きなアップデートがかかるまでは大丈夫。
「だいじょうぶなの、それ。話題のセルフィッシュ・スタンドって本だよね」
「さぁ? 怒られるかもねぇ」
私の問いにあっけらかんと答えるアルマ。
「実はこの紙媒体の方も、発売日に入手して、隠しておいたんだよ」
「どうしてそんなことを?」
「たまたま仮想本屋を巡っていたら見つけたんだけど、読んだ瞬間ピンときた。著者があのサミュエル・ディケンズ記者だというのもポイントかな」
「ディケンズ……って、以前の会見で毒舌吐きまくってた記者さん?」
「そうそう、それ。その人。ちょっと調べたら、ヴェーラやレベッカがデビューした頃からずっと取材してる人なんだってさ。十何年の世界」
そこでレニーが「あ!」と手を打った。
「サムだ! サムのことだわ!」
「サム?」
「レベッカが以前言っていたの。取材は苦手だけど、サムが相手なら大丈夫って」
「へぇ!」
その言葉に、俄然興味が湧いた。
レオンが最初のページに戻りながら、読み上げる。
「当書籍は、数日の内に
その続きを、アルマが
「当書籍への
だってさ――とアルマは得意げに言った。
私はその間、ネットで「セルフィッシュ・スタンド」に関連しそうなものを次々と検索したが、そのことごとくはキャッシュにも残っていなかった。まさに徹底的にだ。
「すごいね、検閲。AI
「でもこれ、サムの思惑通りなんじゃない?」
レニーが言う。その表情は少し曇っている。
「レニー?」
「あ、いえ、もしかして……政治的妥協案かしら」
「政治的?」
私が訊くと、レニーはアルマから
「レ、レニー? まさかそのスピードで読んでるの?」
「全部は無理。斜め読みよ」
「それにしたって速すぎでしょ……」
レオンの紙をめくる速度も大概だが、レニーのは常軌を逸するスピードだった。私には「文字らしいもの」がカッ飛んでいっているようにしか見えない。
「なるほど」
レオンがページを目次に戻して頷いた。
「現在のこの高度情報化社会にあって、ひとかけらの痕跡もなしに存在を抹消できるだなんて、誰も考えてはいないはずだ。だから、最初から削除させることが目的だったと言えるんじゃないか」
一息つくレオン。ぽかんとしている私を見て少し擦れたような微笑を見せる。
「政府がそのような
「えっと、レオン。それ、誰が得をするの?」
「今の政府や軍のあり方に反対する人たちさ」
レオンにそう言われても、いまいちよくわからない私。アルマは指定席で腕を組んでじっとしていた。考え事をしている顔だ。
困り果てた私を救ったのはレニーだった。
「今、政府も軍も、
「ってことは、私たちが邪魔な人たち?」
「そうね――」
「だけじゃない」
レニーの肯定に割り込むアルマ。
「あたしたちの退路を断ちたい誰かじゃないか」
「ううん、私、バカなのかな……」
状況が全然理解できていない。そしてこの四人の中で唯一混乱している。レオンが私の肩に手を回してくる。
「マリーはバカじゃないよ。これを読めば納得いくだろうけど、この本は痛烈にヤーグベルテの国民を非難してる。だけど多分、これからネットにAIによって許可された断片情報が上がっていくことだろうね。
「……炎上?」
「
その結果……
「……参謀部第三課」
レニーが呻くように言った。私はレニーを振り返る。
「第三課って、空軍の主幹だったよね?」
「そうね。アダムス大佐が統括を務めている……。そして第三課主体の反撃侵攻計画があるわ」
「テラブレイク計画、だっけ」
アルマが言った。そして
「超高高度戦略攻撃機を用いた、アーシュオン本土直接打撃計画……か」
「それよ。アダムス大佐は昔から
「
アルマはそう言いながら、納得したようだ。私たちはしばし沈黙する。それを破ったのは、レオンだった。
「
これは「イリアス」の一節だ。私は反射的にそれを翻訳する。
「女神よ、怒りを歌い給え――」
私の発した音が、部屋の隅に落ちて消えていく。私はその沈黙に耐えられず、言葉を続けた。
「私、怒りなんかで戦いたくない」
「私もだよ、マリー」
レオンは私の肩を抱く。私はレオンの体温を感じながら、その太ももを枕に横になった。真上にレオンの顔がある。私は
「サミュエル・ディケンズの情報を集めて」
『サミュエル・ディケンズについての情報はありません』
「え?」
何か間違えたかなと身体を起こして、手動で検索を実行する。けど、検索で引っかかった件数はゼロ。ありえないことだった。私の手元にみんなが注目している。私は再び
「アエネアス社のディケンズ記者の情報を出して」
『検索結果、アエネアス社のニュースリリース。チェック済みです』
「嘘……」
レオンが後ろから私の右肩に手を置いた。
「政府あるいは軍による情報統制は始まってる。だよね、レニー」
「ええ。それだけじゃないわ。
レニーの褐色の瞳が私を見据えている。
「でも、私たちにはセイレネスがある。あの論理空間の中では、私たちは一切の嘘をつけない」
「だとしたらイザベラは……」
「マリー、イザベラは……ずっとヴェーラを演じてたのよ」
「え?」
私たち三人の声が揃う。レニーは目を閉じて首を振った。
「何年か前に、マリーとアルマが見たように。イザベラこそがヴェーラの本質だったというわけ」
その時、私たちの四台の
「第七艦隊、奇襲攻撃に成功。侵攻中のアーシュオン潜水艦艦隊を殲滅。ナイアーラトテップ
「クラゲを撃沈? 通常艦隊が?」
レニーも慌てて自分の
「第七艦隊って、クロフォード中将の艦隊だよね?」
「潜水艦キラーのね」
レオンが真っ先に回答してくれる。そうだ、潜水艦キラー、リチャード・クロフォード中将。最新鋭の航空母艦ヘスティアを旗艦とする第七艦隊の司令官だ。ヘスティアは艦隊をあらゆる探査から
しかし――。
「通常艦隊がどうやってクラゲを沈めたの? 二隻も……」
「あ。続報だよ、マリー」
レオンが私を再び膝枕しながら、それを読んでいる。
「なるほどね。ヘスティアにエウロスが載っていたってことらしい」
「
「メラルティン大佐直属のエンプレス隊が二十四機――つまり全機搭載されていたみたいだ」
「災難だねぇ、それ」
過日の戦いでその実力を嫌というほど見せつけられている私には、そのくらいの感想しか出てこない。あの時は十二機だった。今度はその倍いたというのだ。
「あ、そうか。メラルティン大佐が沈めたんだね、クラゲを」
「だろうね。ナイトゴーントやロイガーを撃墜できるのもメラルティン大佐だけだし。それに大佐の戦闘力があれば、武器さえあればクラゲくらいどうにでもなるかもしれないね」
レオンはそう応えてから「あれ?」と首を傾げた。
「そういえば今夜って、メラルティン大佐の特別講座があったよね?」
「それ、
レニーが言う。
「アーシュオンにとっての脅威となる人物、カティ・メラルティン大佐がここにいるということを信じ込ませた。今は第一艦隊も第二艦隊も、当該の海域にはいないこともはっきりしている。だからアーシュオンはその間隙をついてやってきた。でも、そこに待ち構えていたのが、あの第七艦隊と、
「情報戦だぁ……」
私は感心半分、うんざり半分でそう反応した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます