#03-05: イザベラの処女戦
四月にはなったけど、桜はまだ咲く気配もない。私の施設があったところでは、とっくに散ってしまっている頃合いだというのに。ヤーグベルテの国土はなるほど広大だなと思わされる。そして今、正午をまわった頃。イザベラ・ネーミア提督による処女戦が始まろうとしている。
「第一、第二連合艦隊、か」
私はアルマを見る。今日はレオンは風邪で寝込んでいるとのことだ。あとで様子を見に行かなくちゃと思いつつ、今はこの戦闘を見るのが最優先だ。私たちは第一、第二艦隊の全ての戦闘を把握しておくことが義務付けられている。まして、今日は新生第一艦隊による大規模迎撃作戦だ。言われなくても私たちは配信に
ニュースサイトの方は仰々しいテロップとナレーションをつけて、視聴者を煽っている。一方、軍のチャネルは何の説明もなしに第一艦隊旗艦、セイレーン
「始まる」
アルマが短く息を吐いた。私は逆に息を吸う。
『全艦、セイレネス
イザベラの荘厳な声が響き渡った。現地時間十七時。黄昏を背負った第一、第二艦隊が遥か彼方――水平線にすっかり隠れるほど遠く――にいるアーシュオンの艦隊に向けて進路を固定して輪形陣を取る。各艦の装甲が展開し、緑色の輝きが放出され始める。
セイレネスより生み出された歌が粒子となって、黄金色の海面をオーロラグリーンに染め上げていく。
『エディタ、トリーネ、クララ、テレサ! ナイアーラトテップ
『イエス・マム』
四人がそれぞれ応える。そこに遠隔で支援を行っているレニーが通信を入れる。
『レネより、ネーミア提督。
「十五!」
私は思わず声を出す。それは過去最大の戦力だ。
『
『アイ・マム』
状況が動いているようには見えなかったが、戦闘のシーケンスは着々と進んでいた。
『ネーミア提督、戦力が足りません。第二艦隊の
『エディタ、あの子たちはレベッカの指揮下にある』
ぴしゃりと言い切るイザベラに被せるように、レベッカが言う。
『アーメリングより第一艦隊へ。第二艦隊からのこれ以上の増援は許可しません。ネーミア提督、よろしいですね』
『イエス。第二艦隊は
『アーメリング、了解。第二艦隊、全艦、バトコンレベル最大で
まるで脚本でもあるんじゃないかという具合に、スラスラと進んでいく戦闘の
私はこめかみのあたりにチリっとした違和感を覚えた。アルマも同じだったようで、「なんだ?」と呟いた。その時、画面の中からレニーの緊迫した声が響いた。
『ネーミア提督! 海中を秒速一千メートルで接近する物体あり!』
『一千メートル!? 亜音速魚雷ではないのか!』
イザベラを始め、いろんな人物の声が重なる。レニーがひときわ大きな声を発する。
『亜音速魚雷の可能性は、
『
それが向かっている先は、最先鋒を務めているトリーネの重巡洋艦レグルスだ。
『退避、間に合いません!』
トリーネの悲鳴が聞こえる。四天王中実力ナンバー2の彼女をしても、何の手立ても持ち得ないそれは――。
私とアルマは顔を見合わせる。アルマの顔が青白い。きっと私もそうだ。私は苦労して声を出す。
「インスマウスだ……!」
かつて私たちの故郷を襲ったインスマウスは、巨大な飛行物体だった。一方で、今回のは潜水艦。しかし、この音には聞き覚えがあった。というより、忘れられない音だった。
鳥肌が立つ。汗ばむ。喉が渇く。まばたきができない。
『レネより全艦! 音を確認! こいつっ!
『ネーミア提督、トリーネを!』
エディタの叫びが
「嘘だろ……」
アルマの声はカサカサだ。
ニュースサイトのキャスターたちも何が起きたのかわからずに右往左往している。軍のカメラは無情にもトリーネの艦からの映像を映している。海面を叩き割りながら突き進んでくるその何か。到達まで十秒もない……!
『みんなっ、ごめん!』
トリーネの悲痛な叫びが響く。わん、と、空間が振動したのが映像を通して伝わってくる。オーロラグリーンの粒子が槍となって、その海中物体を撃つ。一度、二度、三度――矢継ぎ早に突き刺さった光の槍は、しかし、なんの効果も上げられなかった。
『うわああああああああああああああっ!』
トリーネの絶叫と共に、画面が白転する。
映像発信元が切り替わる。トリーネの艦に最も近い位置にいた重巡洋艦――エディタの艦・アルデバランのカメラからのものだった。
トリーネとその護衛艦がいた辺りの海域が、巨大な渦を巻いている。エディタの重巡アルデバランですら、その渦に飲まれそうになるほどの荒れきった海面だった。
『トリーネ! 応答しろ、トリーネ!』
あのエディタが取り乱している。私もアルマも過呼吸状態で、何も言えない。あんなものが敵? 私たちはあんなものと戦うの? それで頭がいっぱいだ。
『エディタ、落ち着きなさい』
レベッカの声だった。
『重巡レグルスおよび駆逐艦三、
『しかしっ……!』
『ネーミアより、第一艦隊全艦。戦闘はまだ終わってはいない。クラゲのみならず、敵三個艦隊の殲滅を果たせ』
レベッカもそうだが、イザベラもまた冷血だった。その声が、その言葉が、ゾッとするほど、恐ろしい。
『エディタ、
第一次ではない……。
私は唾を飲む。喉が鳴った。
第一次目標は、あくまで敵の殲滅だということだ。
『……
『クララ、了解』
『テレサ、承知』
もう、誰も彼もが無感情だ。戦闘シーケンスはまた一つ進む。
『レニーより艦隊全艦。
『アーメリングより全艦、敵特殊航空戦力は私が相手をします』
『ネーミアよりアーメリング提督。頼む』
直後、空が光る。セイレネスによるオーロラが黄昏を切り裂いた。接近しつつあったナイトゴーントがバタバタと撃墜されていく。
「すごい……」
あのナイトゴーントがこんな簡単に?
私の言葉に反応して、アルマが首を振った。
「コーラスだ」
「え?」
「
「それって三人以上いないとできない……よ?」
「そうだけど、でも、そうじゃないと説明がつかない」
アルマはタブレット端末を引っ張り出してきて何やら計算をし始める。
「ほら、この撃墜位置、レベッカの直接有効打撃距離じゃない。三割増しくらいにしない限りこの破壊力を持ったフィールドの展開はできない。そしてそんなことができる技術なんて、コーラス以外にない」
「イザベラとレベッカが二人で?」
「そうだと思う」
アルマの顔が険しい。レベッカはイザベラを踏み台にしたとも言える。そんなこと、今まで聞いたこともない。
『こちら、アーメリング。
『ネーミア、了解。敵通常航空戦力に関しては第一艦隊で十分だ。協力に感謝する』
『アーメリングよりネーミア提督。善戦を期待します』
『――善処しよう』
トリーネという大戦力を失ったにも関わらず、イザベラの声は全く揺れていない。もはや立ち直ったというのか。私はいまだ、トリーネの喪失を受け
『第一艦隊全艦、第一次目的を忠実に果たせ。通常艦隊ごときに遅れを取るな!』
とはいえ、敵は三個艦隊。手数にして三倍あるいは四倍もの差がある。いくら
水平線の彼方から、うんざりするほどの攻撃機が飛来する。二百、いや、三百はいる。こんな数の攻撃機、今まで見たことがない。暗くなった空を埋め尽くす、より暗い影。その数は――悪夢だ。
『アーメリングより、ネーミア提督。敵航空戦力が想定を上回る。我が第二艦隊の支援の要を
『こちらエウロス飛行隊隊長、メラルティン。エンプレス隊、
えっ?
私は思わず映像の空を見た。軍のカメラも遠く西の空を映している。
「赤い……」
陽光の
「全部でたったの十二機?」
アルマが
『エウロスより眼下の
『ネーミアより、メラルティン大佐。我々は――』
『黙れ、イザベラ。ヤーグベルテの空はアタシたちのものだ』
そうこうしているうちに、空での戦闘が始まる。多弾頭ミサイルが放たれる。敵のほうが圧倒的に多いその弾頭。ミサイル同士がぶつかりあい、たちまち墨色の空が爆発する。
『ネーミアよりメラルティン大佐。数に差がありすぎる。増派あるいは撤退を推奨――』
『誰に
メラルティン大佐の鋭い声が響く。
『エンプレス隊、散開! 各自撃墜スコアを稼げ! 主目的、敵の殲滅。第二次目的、全員の生還!
空中戦が開始される。ミサイルにやられた味方機は一機もいない。アルマが呻く。
「うそだろ……っ!?」
空を覆い尽くした敵の多弾頭誘導ミサイル。しかし、ただの一機にも
「ものすごい……ことしかわからないね」
「ああ」
いったいぜんたい、メラルティン大佐の戦闘機はどういう構造をしているのか。およそ戦闘機とは思えない
その後ろでめいめいに戦っているエンプレス隊の黒い機体もまた、恐ろしく強い。機関砲の一連射が、面白いように敵機に吸い込まれていく。変幻自在な飛行技術。それは
秒単位で敵機は数を減らしていく。
『レネより、第一艦隊および、メラルティン大佐。敵航空戦力の半減を確認』
『索敵ご苦労、レニー。君のことはよく聞いている』
メラルティン大佐がそう応じる。
『エンプレス隊、敵航空戦力を
『ネーミアよりメラルティン大佐。戦場は我々第一艦隊の
『空軍には空軍の都合があってね。第六課の許可は今さっきもらったところだ』
『なんだって?』
イザベラのやや動揺の感じられる声を受けて、アルマが慌てて参謀部発の命令文を呼び出す。
「ほんとだ」
私もその端末を覗き込む。確かに、参謀部第六課が、空軍に対して正式にエウロス派遣を要請している。タイムスタンプ的には、それはエウロスが到着した後の話なんだけど――。
でも、今の
メラルティン大佐は激しい戦闘をしているとは思えないほど落ち着いた声を発する。
『第一艦隊は敵海上構造物の破壊殲滅に
あんな戦闘行動をしながら喋れる事自体が驚きだ。史上最強――その呼び名は伊達ではなかったということが、今全国民の前で改めて証明された格好だ。私は息をするのも忘れていた。間一髪、私は胸に溜まった二酸化炭素を吐き出した。
『わたしたちの活躍の場まで奪わないでもらっていいかな、メラルティン大佐』
『イザベラ、意地で戦争はできんぞ?』
『……全艦、
イザベラはその指令を
『戦艦、セイレーン
「うわっ!?」
私とアルマは同時に耳を塞いだ。
凄まじい歌が、響き渡ったからだ。音量の話ではない、圧力だ。全身を絞られるような、そんな圧力に、私たちは身動き一つもできなくなる。
「これが、イザベラ・ネーミア提督の力……!?」
その
「信じられない」
私は思わずそう言った。アルマも引きつった表情を見せて頷いている。
『セイレーン
え。なに? なにがおきてるの?
呆然と画面を見つめる私の前で、白銀の超巨大戦艦が姿を変えていく。後部装甲が次々と青や緑に輝きながら展開し、セイレーン
間髪をいれずに、艦首の装甲が三つに分離展開する。中から現れたのは三連装誘導砲身……。
「なにが、始まるんだ?」
「わからない」
いや、わかっている。うっすらと記憶にある。ヴェーラとレベッカの初めての戦い。戦艦たちのデビュー戦。その時に使われたきりの武器、だ。
そして――これから起きるのは、圧倒的な
イザベラの声が響く。
『ヤーグベルテ第一艦隊司令官イザベラ・ネーミアより、アーシュオンの侵攻艦隊に警告する。この警告はわたし個人の善意により発されるものである。本攻撃は国際法を犯すものに
『こ、こちら、アーシュオン連合艦隊。本国への問い合わせにもう少し時間が必要だ。それまで、て、停戦というわけには――』
『残り十五秒』
無情な声が響く。そう、イザベラは最初から逃がす気はないんだ。
この警告は――ただの
『シーケンス8・8・8へ
『ま、まってく――』
『
そして、無情にもイザベラの号令が飛ぶ。
『
セイレーン
その光は味方の艦をも巻き込んだが……味方艦は全くの無傷だった。だが、その光を受けた敵の艦船は、爆発すら起こさずにただ
この一撃で事実上、戦闘は終わった。倒すべき敵は、その一撃でほとんど消え去ってしまった。あまりといえば、あまりの幕切れだ。
空の敵はエウロス飛行隊の活躍によってもはや一機も無く、海上に残った敵艦艇も、退却も降伏も認められぬままに沈められていく。トリーネを失ったことで、普段は沈着冷静なエディタが、修羅と化していた。重巡アルデバランは無茶苦茶に最前線を動き回り、アーシュオンの残存艦艇を流れ作業のように粉砕していった。
『レネより、第一艦隊。アーシュオン全艦隊の殲滅を確認。参謀部第六課統括ハーディ中佐より、戦闘行動終了の許可が下りました』
『ネーミアより参謀部。行動終了許可を確認。エディタ、状況報告』
『……敵残存兵力、なし。捕虜、なし。海上に生存者発見できず』
『ネーミアより全艦。アーシュオン
『
エディタの声は未だピッチが高かった。興奮状態が続いているのがわかる。
『こちら、エンプレス1・メラルティン。エウロス、
『ネーミアより、
『アーメリングより、メラルティン大佐。帰路、お気をつけて』
『……
メラルティン大佐は密かに笑ったようだ。
『
そう言い残すと、真紅の戦闘機は十一機の僚機を連れて、闇の空へと飛び去っていった。
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