#03: 夢は泡沫にして、凄烈なるもの
#03-01: ディーヴァの夢は醒めゆく
レベッカの鉄壁の防御、エディタたちの熾烈な攻撃。それがいつもの戦い方のはずだ。だけど、今は艦隊の防御は丸裸も同然だ。
現地時刻は午前八時。夜もすっかり明けきった大海原で、レベッカの第二艦隊約五十隻が、太陽目掛けて突っ込んでいく。敵は通常艦隊が一つ。そして――。
「ナイアーラトテップが十二!?」
私たちは同時に声を出す。
しかし、レベッカは歌うことなく指揮権を譲る。
『エディタ、
『
敵の通常艦隊からの航空戦力が第二艦隊に襲来する。
「
唐突にものすごい頭痛がやってくる。頭を抱えて唸ってしまうレベルの頭痛だ。そんな私の背中をさすってくれる手がある。レオンのものだ。やっとで顔を上げると、アルマも唇を噛んで
第二艦隊は敵艦隊を
『アーメリング提督! 被害が!』
エディタの右腕でもあるトリーネの叫び。
『提督――!』
『
レベッカの短い応答は、全てを拒絶しているようにも見えた。
「どうして……」
なぜ、レベッカは歌わない? どうして、味方を守らない?
私の左肩に回されたレオンの指先。それが私のパジャマに皺を作る。
また一隻駆逐艦が沈んだ。敵の航空部隊は壊滅させたが、その最後の一機が駆逐艦に体当たりを仕掛けたのだ。脱出もできただろうに――。
エディタの鋭い声が飛ぶ。
『クララ、テレサ、敵通常艦隊の殲滅を急げ! トリーネ、クラゲの状況は!』
『四隻が後退開始!』
『了解した、トリーネ。私がやる。レニー、戦術支援!』
エディタの呼びかけに一瞬の間も置かずにレニーの声が返る。
『レネ、了解。クラゲたちの座標転送。
『助かる、レニー』
レニーも戦っている。
『旗艦よりエディタ。私は引き続き督戦します。あなたの全力をお見せなさい』
『……イエス・マム』
『それと』
しばらく沈黙が流れる。戦闘は続く。
『――殺し漏らさないように』
『捕虜を取らぬと?』
『イエス。ひとり残らず、殺しなさい』
その言葉に私たちは一様に硬直する。そんなことしたら……アーシュオンと同じじゃないか。
『投降は……』
『認めません。全員、その場で殺しなさい』
『お言葉ですが、提督。それは国際法に――』
『戦争にルールなどありません』
硬い声音だった。レベッカ自身、納得している様子ではない――いや、単に私が「そうであって欲しい」と思いたかっただけかもしれない。
『しかし、提督……!』
『その責任は全て私が負います。いいですね、一人の捕虜も、一つの遺体も、必要ありません。全てをこの海に沈めなさい』
その間に、クラゲによって
「レベッカは、戦争をあるべき形にしようとしている」
レオンが呻く。
「戦争の、あたりまえの形に戻そうとしている」
「どういう、こと?」
「エンタメなんかじゃないってことを見せようとしている」
レオンはそう言うと私を抱き寄せる。私は……なされるがままだ。
「敵も、味方も、戦えば共に大きな傷を負うんだってことを見せようとしている。新しいあたりまえを作り出そうとしている」
「でも、そんなことしたら、
「……それが、戦争だ」
レオンの低い声は、少し震えている。
「こっちに攻撃を仕掛けたら、絶対に一人も生きては帰れない――レベッカは全世界にそれを発信しようとしている。同時に、ヤーグベルテの国民には、味方もたくさん死ぬんだぞということを伝えようとしている」
「でもそれじゃ死ななくてもいい人まで!」
「そうじゃないんだ!」
レオンが怒鳴った。私は思わず身を
「死ななくてもいい人ってなんだ? じゃぁ、死んでもいい人がいるのか?」
「そ、それは……」
「なぁ、マリー。違うんだよ」
レオンは低く掠れた声で、言葉を一つ一つ選びながら、言った。
「これはね、戦争なんだよ。戦争であるべきなんだ。一方的な殺戮劇なんかであるべきではないんだ。お互いに傷を負う命がけの戦いであるべきなんだ」
「あたしたちは――」
アルマが視線だけを上げる。
「虐殺に慣れすぎた」
虐殺に――慣れた?
その言葉の衝撃に、私は口がきけなくなる。
「あたしたちは、ヤーグベルテの国民は、
「ヴェーラが危篤――今こそ最大の好機と踏んだんだろうね、レベッカは」
アルマとレオンが次々に言った。レオンは私を膝枕しながら続ける。
「
「そのために、先輩を大勢殺す……」
私はレオンの太ももに両目をこすりつける。涙が止まらない。レオンは私を撫でてくれた。
「
「あたしたちだってさ、同じだ」
アルマが掠れた声で言う。
「ヴェーラが自らに火を放ち、今、生死の境を彷徨っている。あたしたちだって、それでようやく気付いたんじゃないか? 最強の
「それは――」
「レベッカは今、その事を国民全てに向かって伝えようとしている」
「わかるけど、それはわかるけど、でも」
私はレオンを見上げる。レオンは困ったような微笑を見せる。
「そのために味方を見殺しにするとか、やっぱりおかしいよ」
「マリーお嬢様」
レオンがゆっくりと私の頬に触れる。そして
「今日百人を救ったら、明日は千人救えない。今日百人見殺しにしたら、明日は確実に千人救える。今日救う? 明日救う?」
「えっと……それは」
「レベッカは決めたんだよ、きっと。それで、より多くを救う道を選んだんだ」
レオンの涙が私に落ちる。レオンは慌てたように目をこすり、小さく鼻をすすった。
「多分、マリーとアルマと……私のために」
「今回の……私たちのための犠牲だっていうの?」
「たった三年だ。私たちが戦場に立つまであと三年もない。その時のために、レベッカは――」
アーシュオンの残存艦艇が逃走しようとしている。だが、それは叶わなかった。エディタは命令に忠実に従い、ありとあらゆる海上構造物を撃滅した。救命ボートすら破壊した。凄惨な映像が何度も流れたが、私は目を逸らせなかった。
三年たったら、私もこんなことを命じられるのだろうか。抵抗もできなくなった人たちに砲弾を撃ち込めと言われるのだろうか。
「マリー、それ以上考えるな」
アルマが言う。
「一人や二人で、未来永劫この国を守ることはできない。どれほど力があったとしても、その献身が自己犠牲である限り、必ず限界は来る。摩耗して消耗して疲れ切って、やがて破綻する――ヴェーラのように」
「負ければ国が滅ぶ。何億人もの犠牲者が出るようになる。レベッカは、今、たったの一人でその責任を負っているんだよ、マリー」
二人にそう言われ、私は何も答えられなくなる。どうしてこの二人は、ここまで冷静でいられるのか――私にはわからない。
「冷静なんかじゃない」
レオンは私の心を読んだ。そして繰り返す。
「冷静でなんていられるもんか」
「でも――」
「マリーが苦しんでくれているから、私はまだ……耐えている。本当は私だって叫びたい。なぜ、どうして。そんなのおかしい。そう言いたい。けど、マリーがそれをしてくれているから、私は……私、はっ」
レオンは言葉を詰まらせる。ぽたぽたと私の上から涙が降ってくる。レオンは震えている。全身を強張らせて、耐えていた。私はレオンの頬に手を伸ばして、涙を拭く。でも次々と流れてくる雫の全ては拾えなかった。
アルマの方を伺うと、彼女はまるで能面のような表情で私たちを見て、ぼそぼそと言った。
「ディーヴァたちが見せてくれていた夢は、もう、そろそろ終わる。あたしたちの一方的な願望、欲求、思い込み――そんなもので作られた
「……アルマ?」
「始まるのさ」
アルマはゆっくりと立ち上がった。私の
「現実という名前を持った、悪夢がね」
そうして、重たい足取りで寝室へと向かってしまった。リビングには私とレオンだけが残る。
「現実という名の悪夢か」
レオンはまたあの荒んだ表情を見せる。だが、涙はまだ止まっていない。声も震えている。私は身体を起こすと、レオンを強く抱きしめた。レオンは私の背中に手を回し、掠れた低い声で語る。
「ヴェーラも、レベッカも。その悪夢から私たちを守っていたのさ。私たちは今まで二人がしてくれていたことに、その
「傲、慢……」
また視界が歪んだ。多分、涙がこぼれただろう。レオンは私の後頭部に手をやって、ぐいっと抱き寄せる。抵抗するつもりはなかった。レオンがキスを求めるなら、キスをしよう。そう決めていた。だけど、レオンは自分の左肩に私の顎を乗せさせただけだった。
私の左耳に、レオンの心地良いアルトが入り込む。
「嗚咽しようが、激怒しようが、絶望しようが――未来はやってくる。その未来をどうしたいのか。どうなっていてほしいのか。力があるはずの私たちは考えなきゃならない。力があるからこそ、人の命を簡単に消し飛ばせる力があるからこそ、私たちは刹那的な
「レオン、あのね、訊いていい?」
「……何でございましょう、私のお姫様」
レオンはそう言って耳に息を吹きかけてきた。思わず強張る私に、レオンは小さく笑ったりする。でも、今はいい。それでもいい。
私は何度か深呼吸を繰り返した。
「私はレオンに死ねなんて絶対に言えない。レベッカみたいな、あんな指揮を
「甘い、とは思うよ」
レオンは私の頬にふわっとしたキスをした。……全然不愉快な気持ちにはならなかった。
「でも、それはマリーの正義。変わるものじゃない。大丈夫、お膳立ては全部やってくれるよ、レベッカと……ヴェーラが」
立ち上がりかけたレオンの手を引っ張って座らせる。今、離れては欲しくなかった。
「あのね、マリー」
レオンは私の両肩に手を置いた。
「私もアルマも、マリーのそのまっすぐな正義に惚れているんだよ」
「ただの……エゴだよ」
「エゴで結構。エゴは嘘をつかないだろ」
「……かもしれないけど」
「マリーの
「レオン……」
胸が痛い。私は息の吐き方を忘れてしまったかもしれない。レオンは私を軽く抱いて、またゆっくりした口調で囁いた。
「でもそうすると、マリーは私に口説かれ続けることにもなるなぁ。それはイヤかな?」
「……そういうやり方、ずるい」
「お姫様を
レオンはそう言って今度こそ立ち上がった。そして寝室の方を見て、「ご心配なく」と軽く手を振った。慌てて振り返った時には暗い寝室しか見えなかったが、もしかしたらアルマが見ていたのかもしれない。
「マリー」
「は、はひっ」
真面目な顔で名前を呼ばれて、なんか変な声が出た。
「もし、私が男だったら。惚れてた?」
「ううん」
私は反射的に首を横に降った。レオンは小さく息を吐いて、「そっか」と部屋を出ていこうとした。
慌てて立ち上がって「待って!」と追いかける私。
「うん? おやすみのキスでもしてくれる?」
「キスは……」
私は少し背伸びして、レオンの頬にキスをする。そして何故か、間髪入れずに言っていた。
「女の子でも、惚れてる……かも」
必死の思いで呟いた私の頭にレオンは手を乗せてきた。
「いつかそのかもを取っ払いたいね」
「その……ごめんね?」
「一歩前進。まことに結構」
レオンはそう言って、ドアの向こうへと消えていった。
ガランとした部屋が、少し寒かった。
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