#01-03: 私たちは、再会の約束をしたんだ

 ヴェーラ・グリエール。そして、レベッカ・アーメリング。どちらも一個艦隊の司令官。そして同時に、国家的アイドル。二人が同じライヴに顔を出すことはまず滅多にない。なぜなら今のヤーグベルテの安全は、この二人によって守られているから。二人のどちらかが海に出ているだけで、宿敵アーシュオンはまともに攻めては来られない――そんなことは、私みたいな子どもだって知っている。


 そしてだ。圧倒的に過ぎる歌は、国内外、それこそ宿敵アーシュオンの人々さえも魅了していると言われている。それは配信を聴くだけでも十分わかっていたのだけど、実際にこうして最前列中央センターで目にしてみて、その認識はまだまだぜんっぜん甘かったことに気付かされた。


 感動もある。衝撃もある。周囲の観客の喧騒なんて、すぐに聞こえなくなった。私はヴェーラとレベッカの歌に、完全に取り込まれていた。左手にアルマの体温を感じる他には、なにひとつ――足の裏が地面にちゃんとくっついているのかどうかすら――確かめられずにいた。


 ヴェーラとレベッカが共にふわりとステージから姿を消す。次の曲のための休憩だろう。私たちにも休憩が必要だった。このままでは心臓と脳みそが爆発してしまう。


「マリー、あのさ……」


 アルマが囁いた。聞こえるはずのない音量なのに、私の耳はそれをきちんと拾い上げた。アルマは私をまっすぐに見て訊いてくる。


「どう思った?」

「その……凄かった」

「だけ?」


 短い音節で追及してくる褐色の瞳から、私は逃げられない。私は観念して俯いた。


「だよね」


 アルマは私の両肩を軽く叩いて、またかすれた声で囁いた。


「配信聴いた時なんかとは比べ物にならないくらい、胸が痛い」

「うん……」


 そう、刺さるのだ。心に。感動とかそういうものとはまったく違う。血が流れそうなほど、二人のが突き刺さるのだ。曲間の今でも、傷口は開いていく。


 それは、嘆き? それとも、苦しみ?


 私の表現力ではぜんぜん表しきれない何か。良くない何か。それが私を刺し貫いて、切り裂いている。アルマは私を抱きしめる。私もアルマを抱きしめる。


 その瞬間、ステージがギラギラと無遠慮に輝いた。輝く雲の中から、ヴェーラとレベッカが悠然と現れる。白金プラチナの長い髪を揺らめかせるヴェーラ。灰色の髪をなびかせ、眼鏡の位置を直すレベッカ。レンズがキラリと輝き、一瞬だけレベッカの表情を消した。


 誰もが言う。どちらも最高の娯楽提供者エンターティナーにして、どちらも戦争の切り札ジョーカー――勝利の女神だって。


 ヤーグベルテは六年前とは違うんだ、もはや。今はこの二人が戦場にいる。だから二度と、あの八都市空襲のような悲劇は起きない。私たちはみんな、そう信じている。


 二人の女神は同時に目を閉じて、ゆっくりと息を吸った。私の聴覚はその音さえ拾う。私の耳、どうしちゃったんだろう――そんな不安と共に。


 アルマはゆっくりと私から離れた。でも、手はつないでいてくれた。


 それを合図にしたみたいなタイミングで、楽器の音がうねり始める。囁くような音から爆音へと一息にクレシェンド。ステージから鳴り響く強烈な重低音を切り破るようなハスキーな声で、アルマは呟いた。


「聴こう」


 ――と。


 前奏が終わる。アウフタクトから、歌が始まる。変幻自在な衣装。一瞬一瞬で移り変わっていくステージエフェクト。見たことのない映像。音――音――音! ステージからただよい降りてきた冷たい雲が、私たちの体温を少しだけ盗んでいく。二人の歌姫がステージを駆け巡る。規則正しい硬質な足音が、伴奏に華を添える。


 ヴェーラの声。レベッカの声。二つの声が重なり合い、共鳴し、別れていく。私たちを圧倒するそののエネルギー。胸が苦しい。空気が欲しい。私は胸に手を当てる。心臓がバクバクいっている。呼吸にノイズが乗っている。意識にノイズが乗ってくる。


「マリー」


 アルマが手を握りなおしてくれた。良かった。一瞬遅かったら倒れていたかもしれない。アルマのおかげで踏みとどまれた。でも、私の中でノイズが重なり合って、重なり合って、重なり合って、次第に心が真っ黒くなっていく。黒よりももっとずっと暗い色に落ちていく。なんだろう、この――冷たさは。この会場はものすごい熱気なのに。なのに、なんで私の心はこんなに冷たいのだろう。ドライアイスの雲なんか比較にならないくらいに、私の内側はこごえている。


 寂しい。


 寒い。


 ――痛い。


「なんで……」


 視界が歪む。私は泣いていた。涙が止まらなかった。あまりに痛くて苦しくて、涙が止まらなかった。そんな私を、アルマはまた抱きしめてくれた。そしてステージに向かって強い声で言い放った。


「歌うのをやめたら、ダメだ」


 一瞬何を言っているのだろうと思った。ヴェーラもレベッカも歌い続けていたし、まだ終わる気配もない。だけど、すぐわかった。アルマもまた感じていたのだ。二人の歌姫が、歌うことで自分自身のをごまかしているということを。だから、もし歌うのをやめたら、その時は――。


「歌って!」


 わ、私っ? 今叫んだのは私?


 こんな声、私、出せたの?


 動揺する私。私は――ヴェーラの空色の瞳に射すくめられていた。ヴェーラは。息を飲む。呼吸を忘れる。女神の虹彩が私の心臓を止めようとしている。あまりにも透明な矢に射抜かれて、私の膝が震え始める。私は掌でアルマの体温をむさぼった。さもなくば私はきっと冷え切って死んでしまう。そう思ったから。


『きみたちに、何がわかるんだい?』


 私の内側でヴェーラの乾いた声が跳ね回る。


『何がわかっているんだい?』


 畳み掛けられる。こんなの現実じゃない――そう思いたかった、けど。


 ヴェーラの視線が外れた。ヴェーラは笑っていた。明るい表情を貼り付けて、レベッカと共に歌い踊舞おどっていた。だけど私にはわかった。ヴェーラは――。


いかってる……」


 私とアルマの声が重なる。


 女神が、


 今流れているのは、そんな曲じゃない。そんな歌じゃない。だけど、私には、そして多分アルマにも、二人の女神が絶望的なまでに怒り狂っていることがわかっていた。


『きみたちには、わたしのこの想いが、わかるというのかい?』


 ヴェーラの声。頭の中で跳ね回る声。美しく、力強く、きらめく声。私の心臓は動き出せない。


「どんな事があったって、あなたたちの歌に救われる人がいる!」

『なるほど――?』


 今度はレベッカの声が私の胸の内側で響き始める。リンと鳴るような、透明な声だった。間奏のリズムに合わせてステージ上を動き回るレベッカの口角がわずかに上がる。眼鏡のレンズ越しの瞳が、私たちを真っ直ぐに見詰めて――見下ろしていた。


『だそうよ、ヴェーラ?』

『ははは! そうかもしれないね!』


 私の意識の中で二人が会話をしている。どうしちゃったんだろう、私。


 私の内側には、ヴェーラとレベッカ、そしてアルマしかいない。他の人たちなんて、気配も感じない。清々しいほどに、何もない。音も光も、ない。その中に私たちだけがぽっかり浮かんでいる。


『ならば、わたしは歌うのをやめないだろう』


 ヴェーラの声が響く。その残響に、ヴェーラは言葉を重ねた。


『わたしは人々のために、歌い続けるだろう!』


 微笑むヴェーラ。でも私の表情は動かない。人々のために――その言葉が引っかかった。なんでもないただの言葉。それなのに、喉にひりひりと絡みついてくる。


「さぁ!」


 ステージ上のヴェーラが両手を振り上げた。その瞬間に、私の意識は現実リアルに引き戻される。轟音、喧騒、絶叫。音の津波に私はもてあそばれる。アルマの手だけが私を繋ぎ止めてくれる。溺れながら必死にしがみついた。


準備運動チューン・アップはここまでだ!」


 会場の空気が爆発する。世界が一瞬、暗転する。


 オーロラのような緑の輝きが周囲を侵食する――これはセイレネスの色。二人が時に振りまく、死と勝利の色だった。


 二つのスポットライトが二人の歌姫セイレーンを浮かび上がらせる。二人の戦争の女神は、暗黒の投影衣装ドレスを纏っていた。


 レベッカが右手の人差指で眼鏡の位置を直す。


「本物の、私たちの歌を聴かせましょう!」

「さぁ、みんな!」


 ヴェーラが前に出る。スポットライトが追尾する。二人は常に輝きの中心にあった。

 

時は来たウェイ・アンカー! 恍惚に酔えゲット・イントゥ・ア・トランス!」


 剥ぎ捨てられる、偶像の仮面ペルソナ。浮かび上がる


 それは奈落のように深くて、痛いほどに悲しい。


 なのに、みんな――アルマ以外のみんなは、ただひたすらに温度を上げていく。私たちはこんなにも冷え切っているのに。


『わたしは君たちに用がある』


 凍えている私に、ヴェーラの声が降ってくる。そんなはずはない。ヴェーラは今、歌っている。だけど――。


『マリオン、アルマ。再会の日を待っているよ』


 ――ぶつん。


 私の意識はそこで終わる。

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