第13話 ハブハンターハンティング
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ヒメコが見つかったのは市内から十キロほど南下したマングローブ林から川沿いに上流にむかう林道だった。
キヨミチはヒメコが飛び出していったあと、ハブハンター仲間に「若い女性のハンターを見かけたら連絡をくれ」と網を張っていてくれて、そこにうまい具合にヒメコがかかったわけだ。
さすがはハンター。ヒメハブもきっちりと捕獲してくれる。
なんて感心している場合じゃない。
おれはハンドルを握る両手に力を込める。今日の昼間に思い知らされたように、雨上がりで湿度の高い夜は、ハブにとって好環境だ。ハブハンターにとっては好都合だが、まだ駆け出しの女子高生ハンターが一人でハントするには危険すぎる。
林道は深い闇の世界が続いていた。頭上にぽっかりとあいた木々の割れ目に浮かぶ青白い月の光だけが、湿度の高い初夏の夜空にぼんやりと滲み、スクーターのヘッドランプがダンジョンを旅する冒険者の松明のように、頼りなげな光で荒れたアスファルトを切り裂いていた。
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林道を十五分ほど進んだところで、見覚えのある一つ目おばけのスクーターが道端に停められているのを発見した。
おれもそこに自分のスクーターを停めると、懐中電灯を取り出してあたりを照らす。
数メートルほど先にある藪の中で人の気配がした。枯草を踏む乾いた音にむかって呼びかける。
「ヒメコ、いるんだろ!?」
なおも音がするその藪に分け入ろうとして足を踏み出した瞬間、懐中電灯が照らす光の中に、小さな赤さび色のふたつの瞳がぬっと現れ、おれは仰天して声をあげて尻もちをついた。
「ふん、肝っ玉のない男」
トゲのある声が響いたと思えば、草叢を割ってヒメコが現れた。彼女の手にはハブ捕り棒が握られていて、その先端には捕獲したハブがだらりと垂れ下がっていた。おれの目の前に突如現れたのはそのハブの瞳だったわけだ。
「驚かすなよ! それに危ないだろ!」
尻もちをついた姿勢のまま、おれはヒメコに精一杯虚勢をはった。正直自分でも情けない格好だと思う。ヒメコは道端にとめた自分のスクーターのところまでハブを掴んだまま歩いていく。
「あんまりしつこいと女にモテないよ」
「別に、ヒメコみたいなガキんちょに興味ない」
おれは泥に汚れた尻を払いながら立ち上がる。ヒメコはおれの言葉にムッとしたのか、嫌悪感たっぷりにおれに一瞥をくれると、慣れた手つきでハブをハブ箱の中に突っ込んで、しっかりと蓋を閉めた。
「じゃあ、なんであたしにつきまとうの? 正直、鬱陶しいんだけど。アンタのおかげで
「いっただろ、あんたの親父さんに頼まれたんだ。けれど、今はまたちょっと事情が変わった」
「そっちの事情に巻き込まないでもらえる? あたしは一人で生きていくんだから。お父さんは保護費もらってるんだし、自分一人生きていくくらいならなんとかなるでしょ? そもそも、あたしがいないほうが食い扶持だって減るんだから」
ようやく本音をちらつかせたな。やはり父親が保護費をもらって生活していることに対する彼女なりの思惑があるんだと確信する。
「ヒメコは親父さんが生活保護を受給していることは悪いこと、なんて思っているのか?」
「……別に。でも、まわりがどう思うかぐらいは想像つくでしょ? 島外から来た人間が生活保護をもらっていたら」
「だから、ヒメコは生活保護下にある今の生活を抜けて自活をしようとしている。それで、少しでも親父さんの負担を減らそうと思ってる。そういうことだな」
「わかったんならもういいでしょ? お父さんにもそういってあげて。あたしのことはあたし自身でなんとかする」
ヒメコはハブ捕り棒を手にしてふたたび深い森の中に入っていく。
「そうはいかないんだよ。お父さんに今必要なのは、生活保護のお金なんかじゃない。家族の支えだ。数年前に奥さんを亡くして、今やこの島で唯一の肉親である、ヒメコ、あんたの支えなんだよ!」
おれは藪の中に消えようとしていたヒメコに大声で叫んだ。そのとき、おれの手にした懐中電灯の光が彼女の後ろ姿に一筋の影を映し込んだ。
一応、あんたたちのもいっておく。
もし、南の島にいって夜の森を探索するなら、足元だけに注意を払っていてもダメだからな。
奴らはなんと木の上にも平気でのぼってきやがるんだ。
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ヒメコの背後の梢に、これまでに見たことがないくらいの大物のハブが、今にも飛びかからんばかりに鎌首を持ち上げて、ヒメコの後ろ姿に狙いをつけているのがハッキリと見えた。
「危ないッ!」
自分でも信じられないくらいの跳躍をしてヒメコの背中を突き飛ばし、それと同時に、彼女の背後から飛びつこうとしていたハブを左手で払いのける。
ヒメコが「きゃっ!」と短い悲鳴をあげるのと同時に、おれの左手にまるで焼けた釘でも打ち込まれたような鋭い痛みが走る。
おれは短い呻き声をあげて、それでもヒメコにその危険を伝えるために叫んだ。
「ハブだ! ヒメコの後ろッ!」
ハブはおれが振り払った手の勢いで、ヒメコの三メートルほど後方に弾き飛んでいた。
おれの声に反応すると、ヒメコは暗闇の中、おれが落とした懐中電灯の僅かな光を頼りに、手にしていたハブ捕り棒を操り、実に鮮やかな動作で巨大ハブの首元をガッチリと捕らえた。
「ちょ、ちょっと。あんた、大丈夫?」
ハブの頭を地面に押さえつけながら振りむいたヒメコの声に、おれは絞り出すように「多分、手を咬まれた」といって、痛みに手を抱えてうずくまった。
「ちょっと見せなさい」
ヒメコは懐中電灯を拾うと、おれの手を照らす。左手の小指の付け根付近に、小さな赤い点が並んでいた。
「こっちに来て」
ヒメコは右手にハブのぶら下がったハブ捕り棒、左手におれの腕を掴んで藪の中から脱出すると、捕まえたハブを箱の中に突っ込み、さらに、スクーターのエンジンを始動させてヘッドランプをつける。
真っ暗だった山中に鋭い光が通り抜け、あたりを視認できる程度に明るくした。ヒメコは腰に巻いたポーチの中から、プラスチックのケースを取り出すと、中に入っていた注射器のようなものを手にした。その先にカップ状の器具を取り付けるとおれの手のひらに強く押し当て、ピストンの部分をぐいっと押し込んだ。おれは痛みに顔を歪めながらヒメコにたずねた。
「……それは?」
「ハブの毒を吸引する道具。ハブ毒はとにかく早く毒を吸い出すのが優先よ。それと、あんたハンカチ持ってる?」
「今は持ってない」
「何よ、そのくらい持っていなさいよ。ちょっと吸引機持ってて」
ヒメコはそういうとポーチから今度は小花柄のハンカチを取り出し、それをおれの肘のあたりに巻きつけると、落ちていた枝をその中に通して、ぐるぐるとねじって圧迫していく。咬まれた部分の血液が体内へと流れるのを止めるための措置だとすぐに理解した。
「きつくない?」
「ああ、大丈夫だ。ありがとう」
手際よくおれの応急手当をするヒメコに、おれは痛みで朦朧としながら、精一杯の笑みを浮かべた。そんなおれをみて、怪訝そうにヒメコはいう。
「なにヘラヘラしてんのよ? ハブに咬まれて頭にまで毒が回ったんじゃないでしょうね?」
「いや。ヒメコの親父さんがさ、あんたが注射器のようなものを持っているって、それで悪い人たちとつるんでるんじゃないかって心配してたな、と思ったらおかしくてさ」
「なにそれ、馬鹿じゃない? だいたい、お父さんもなんで吸引器のこと知らないのよ」
ヒメコは呆れたようにいうと、吸引機をいったん抜いてもう一度同じようにして吸引を繰り返した。
「知らないんじゃないんだよ……記憶が、抜けていく。そういう……病気」
手のひらの痛みはどんどん強くなってきて、まともに目も開けていられないほどで、おれは苦痛に顔を歪めたままぎゅっと目をつむり、路上にへたり込んだ。
「あんた、バイク乗れそう?」
「無茶いうなよ。意識ごと持って行かれそうなんだぜ」
「あたしだって、あんた担いで病院まで運べないんだからね! ちょっと、しっかりしてよ!」
おれは返事もできず、上半身をヒメコの腕の中にあずけながら、ぼんやりとした視界が強い光の中に包まれていくのを感じていた。
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