第12話 赤と黒

 ひざしの弱い日だった。無機質な白いビルの壁に一人の少女がもたれかかる。身長の低い彼女の黒髪は無造作に乱れていた。国道に面しており周りには家電量販店や飲食店も立ち並んではいたがそのビルには人が寄り付かない。地域では名が知れた暴力団の事務所だからだ。そんな場所に少女が居着いている理由。


「……疲れた」


 彼女の黒い服と赤いマフラーにはあちこちに傷があった。服の裾は破れそうになっていて埃も被っている。

 彼女の名はモント。覚えている中で一番古い記憶は、目の前で他の組員がナイフで刺された瞬間のもの。物心ついた時から暴力団の一員だった。この日は逃げようとした組員を追い、抵抗にあったため力ずくで捕まえていた。モントの持つ力は組にとっても都合がよく、本人の大人しい気質も相まって利用され続けている。


(いい加減なにか、食べないといけないですね)


 事務所の近くにあるファミリーレストラン、その裏には期限切れのものや不都合品が入れられた大きなゴミ箱があった。組の人間から食料をもらえる機会はほとんど無く、普段モントはそのゴミ箱から食べられるものを探していた。不摂生な食生活に加え受動喫煙の影響、十分な睡眠時間が取れていなかった事もありモントの身体は痩せ細り弱っている。

 小さい歩幅で目的地へと向かおうとしたモント。歩道に出ると、集団下校中の小学生達が前を歩いていた。


 後でお前ん家行くからさ、コントローラー持っていくからさ

 漢字難しすぎない? 覚えてるみんな羨ましいなぁ、ねえ教えてよ

 あ〜俺今日無理 うん、支援学級の子のとこいくから

 兄ちゃんにコンパス借りれて良かった 忘れ物二日連続でするとこだったわ


 彼らが言っている事の大半はモントにとって未知の領域。今年で14歳のモントだが義務教育の一切を受けておらずまともな読み書きもできない。授業、休み時間、給食、先生、宿題。モントは両耳を塞いだ。この場でモントを見る者は誰一人として居なかったが、自分は周りから見てどう思われているのか。そう考え込んでしまう。


(僕には友達もいなくて。親もいなくて。学校にも行ってなかった。それで、他の人たちを傷つけてる。僕の居る組織が社会にとって害だっていうのは知ってる。だったら、その一員の僕は? 家族もいない犯罪者の僕は? 生きる、価値は?)


 自問自答を繰り返すうちに、いつの間にかゴミ箱の前に立っていた。小学生の足が学校への道を自然と覚えていくのと同じように、モントの足はファミリーレストランのゴミ箱へと繋がる道を覚えていた。

 しかしいつもとは違う、先客が居た。痩せ細った黒猫の親子がゴミ箱を漁っている。二匹がモントに気づくと食料を守ろうとし威嚇する。彼らの逆立つ毛にモントは怯えた。


「あの、えっと……」


 言葉の通じない相手。そして暴力を与える気も起きない外見。自身よりも食べることに困っていると見られる体型。


「少し分けてもらっても……いいですか」


 謙遜な態度でゆっくりと近づく。ゴミ箱まで辿り着くとしゃがみ、恐る恐る右手を伸ばしたが。親猫がモントの手の甲を引っ掻いた。


「っ……ごめんなさい、ごめんなさい……すみませんでした」


 驚いたモントは尻もちをつき反射的に謝罪を繰り返す。尚も二匹は威嚇を続け、食料を分け与える気がない事を表した。モントの腹は食を欲していたが諦める他ない。引っ掻かれた手の甲からは血が滲み出る。暗い気分のまま来た道を戻っていった。



 *



「え? ネコちゃん?」

「はい、昨日会ったんです」


 モントと同じく上下共に黒い服の女は猫に興味津々だ。肘まで伸びる赤髪は滑らかで、垂れ気味の眼ではあったが顔のパーツは整っている。事務所の駐車場で煙草を吸っている彼女に、珍しくモントの方から声をかけた。


「動物は癒しだよ。まぁモントもウチにとってはネコちゃんみたいなものだけど。小さいし」

「……タスクさんが、色々と大きいだけです」

「才色兼備。モントと違って出てるところも出てるもんね、ウチは」


 タスクと呼ばれる赤髪の女の身長は男性の平均よりも少し高い程度。足もすらっとしていて長く、彼女とモントのボディラインを比較するとモントが可哀想になってくるほどの差がある。


「今日はウチと一緒に行く? 一応、ウチはモントの世話役を任されたばっかりだし」

「あの野良猫さん達を、無理やり追い払うつもりですか?」

「違う違う。モントにはウチが何か食べさせてあげるから。ただネコちゃん見に行きたいだけ」


 二匹が今もゴミ箱周辺にうろついているとは限らない。気軽な提案ではあるがモントは頷き着いて行った。タスクの歩幅は大きくモントは早歩きでなければ追いつけなかった。

 数分後、無事にレストラン裏へと着いた二人。けれども待ち構えていたのは同じ黒ではあるが違う動物だった。一羽のカラスが、昨日の猫二匹だったものを突っついていた。二匹はカラスのくちばしと爪によって致命傷を与えられていたようで、頭と首から血を流し目玉を貪り食われていた。久々の獲物だったのかカラスの羽は嬉しそうにパタパタと音を立てる。


「あ、あ……」

「うわぁ、酷いね。しっしっどいたどいた」


 野生動物の捕食現場を初めて見たモントは口を押さえて絶句した。対してタスクは動揺もせず蹴る仕草を見せてカラスを追い払った。


「眼球から食べられてる。確かカラスって頭の中身食べるんだっけ? どこかで見た気がしたんだけど」


 死骸をまじまじと見るタスクは呑気に観察した後、再び煙草を取り出し火を付け吸った。だがモントの意外な様子が目に入ると咳き込む。モントは静かに涙を流していた。


「げほっ……えっそんなに落ち込む? そんなに泣くほどなの?」

「えっとその……僕のことが、ますます嫌いになっただけです」

「……どゆこと?」


 気を取り直して煙草を吸うタスク。二人は会ってから一週間も経っていないため互いの事については詳しく知らず、情も移っていなかった。


「だって僕は生まれた時からこんな立場で、学校も行ってなくて友達も誰一人としていなくって……利用されているだけで誰からも特別には必要とされてないんです。でも、その親子は互いに支え合って生きてたはずなんです……だから僕なんかより、生きる価値があったはずなんですよ。僕なんかが生きているのに、その親子が死んでしまった意味が……分からないです! だから、泣いて……ます」


 モントにしては大きい声で主張する。自分を他よりも下に見るモントの性格。気分のままに生きてきたタスクにしてみれば面倒くさい事この上ないものでもある。


(もしかして頻繁にこうやって泣いたりするの? え……うざ。組の人達この性格に嫌気さしてたからウチになすりつけた感じ? あーもうどうしよ)


 煙を吸って吐いてを繰り返し、タスクは思考も繰り返す。どうにかモントの機嫌を取り戻しこの場を丸く収める方法を探した。そうでもしなければ今後も同じようにモントが勝手にショックを受け、勝手に泣き出した時の対処に手間取るだけ。


「うーんそうだな……ウチはモントが居なくなったらまた厳しくて汚いヤなコトさせられるから、モントに生きていて欲しいんだけど……」

「え、ほんとに、ほんとですか……?」

「まぁ、うん」


 するとモントの瞳から大粒の涙が溢れ出した。一方的な嬉し涙だった。


「ありがとう、ございます……! 僕を大切だと思ってくれて」

(そうは言ってないんだけどなぁ)


 溜め息を吐き呆れたタスクは煙草を落とし踏みつける事で火を消した。二匹の死骸を横目にモントへと歩いていくと、肩を叩き前を見るよう促した。


「何食べる? 鶏肉?」

「あれを見た後に肉食べる気なんて起きませんよ…………蕎麦をお願いしていいですか」

「了解~」


 互いが互いに向ける感情には大きな差がある。それでも隣を付かず離れず。そんな関係がしばらくは続くと、タスクは思っていたが。2人を待っているのは非情な現実のみ。

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