ナイドの記憶

追想『ミッドナイト・ミッドナイド』

 少年は、裕福とは言えない家庭で育った。そこそこの自由は持っていたがそれも金がかからない物事に限定。

 母親は2人目の子供を産んだ際に亡くなっている。父親は金にがめつく、高校生になったばかりの少年には時給の高いアルバイトへ半ば強制的に勤めさせた。その彼の名はナイド。


「ナイドくん、おつかれ」

「お先です、キーネさん」


 質素なスーパーマーケットでのアルバイトだった。交代の時間になり、パート従業員のキーネと入れ違いで店を出た。疲れ切っているナイドの様子に、キーネは心配を持っていたが口に出せずにいる。

 徒歩5分程度で家に着き、鍵の開いている引き戸から中へと入る。玄関の下駄箱付近には袋に乱雑に纏められたゴミ達が溜まっていた。これを処理するのも、ナイド。


「ただいま」


 返事は無かった。けれどこの家には、ついこの間3回目の誕生日を迎えた幼児がいる。ナイドは早歩きで彼女の元まで歩き、専用のベッドの隣に座った。

 すやすやと幼児は眠っており、夢の世界。ナイドは何も言わずに眺めるだけ。妹を起こしてはいけないと、優しさを見せている。


「スーパーの人達から貰ったんだ。箱がへこんじゃって売り物にならない、紙パックのミルク……後で、飲ませてあげるからね」


 ため息混じりの笑顔。この頃の彼にとっての生きがいは、妹であるナイアの成長を見届ける事だけしか無かった。


「……おい、ナイドも今帰ってきたのか?」


 玄関から男性の声が。迎えに行ったナイドは金が入った封筒を握りしめていた。


「おかえり、父さん」


 ナイドに背を向け靴を下駄箱にしまったその灰髪の男は、そのまま右手を後ろに出した。何も言わず、慣れた手つきで。


「……今月分だよ」

「それでいい。お前の金は俺が管理するからな」


 1ヶ月の給与を全額父親に渡したナイド。不満を顕にしていたが反抗できるわけもなく、ただ従うだけ。ナイド自身も父親の行動はあながち間違っていない、とも思っていたが。


「夕飯の準備もしてくれ」

「……わかった」



 *



 この日々が始まってから実に半年。ナイドは心身共に疲弊していた。しかし学業での成績は良く、アルバイトでの仕事ぶりを褒められる事もあったためネガティブにはならなかった。溜まっていたのは、親への少なくない不満。


(いつになったら、自由にお金を使えるんだろう)


 高校を卒業し、大学に入って更に卒業してからなのか。大学には行かずそのまま就職したら早める事もできるのか。

 自然とナイドの頭の片隅には、“金を自由に使いたい”という欲望が常に張り付くようになった。

 俯きながらのアルバイトを終えた帰り道。曇り空の下繁華街を歩くナイドの目に、衝撃の光景が入った。


「父さん?」


 思わず声が出ていた。二車線の道路を挟んだ先。新しく開店した大型のパチンコ店に、父親が入る瞬間だった。ナイドは右目を擦ったが見間違いではない。


「……どうして」


 パチンコ店に立ち入るだけならナイドも失望はしなかった。問題は、昨日に渡した封筒を持っていた事。

 自身が必死に働いて稼いだ給料が、父親のパチンコ代に使われているかもしれないという事。

 ナイドは歩き出した。



 *



「……父さん」

「ナイド……?」


 実に1時間後。建物の陰に隠れていたナイドは、退店した自らの父親にゆっくりと近づいた。辺りに人の気配はなく、あるのは沢山の自動車と自転車。まるで見守っているような形。


「あの、さ。さっきここに入った時、昨日僕が渡した封筒……持ってなかった?」

「……帰るぞ」


 ナイドの質問を無視し、父親は背を向け歩き出そうとする。


「待って。答えて」


 しかしナイドは右手を伸ばし引き止めた。単なる見間違いならば心の不安は晴れる。だからこそナイドは真実を確かめようとした。

 だが振り向いた父親の眉間にはシワがよっている。


「ナイドお前……誰のおかげで生きていけてると思ってるんだ?【NON FICTION】!」

「なっ!?」


 ナイドの父親はズボンのポケットから灰色のカプセルを取り出し人形ドールを出現させた。【NON FICTION】の姿は機械仕掛けの千手観音。実際に生えている腕は4本のみだったが、ナイドの動きを封じるには十分。両腕と両肩をガッチリと捕まれ、そのまま持ち上げられ無理やりに移動させられてしまう。


「はっ離して……!」


 父親は変わらず応えず、自身の自動車の中へとナイドを運び込む。開けられたドアに乱雑に投げ込まれたナイドの上に父親は馬乗りに。


「答えてやる。お前が稼いだ金を全額つぎ込んだんだよ! 結果はそこそこって感じだ。可もなく不可もなく!」

「管理するって、言ってたのに……信じてたのに!」


 溜まっていた不満も吐き出していた。だが何より、信じていた父親に裏切られた悲しみの方が強かった。涙目になるが容赦もされず、右手による殴りが入る。


(家族にこんな酷い隠し事をするなんて……)


 心の痛みの方が大きかった。恐怖と失意によってカプセルを取り出す事もできず、ただ睨んでくる瞳を受け止めるしかなかった。


「……俺は先に帰る」


 父親はナイドの首元を掴み、力ずくで車の外へと投げ飛ばした。コンクリートに不時着したナイドは震えながら上半身を起こしたが、車のマフラーから漏れ出る煙をまともに浴びてしまう。咳き込む音もエンジンの騒音でかき消され、残ったのはナイド1人のみ。


「そんな……」


 涙も溢れ、黒い地に僅かな水滴が溜まった。今まで暴力を受けた事はなく、段々とナイドの精神を蝕んでいった。長い間一緒に過ごしてきた父親の正体を受け入れる事もできず、過呼吸を起こしてもいる。


「はぁ、はぁ……うっ。……なんだ?」


 その時。ナイドの足元にペットボトルのソーダ飲料が転がってきた。ナイドは掴んで持ち上げ、出処であろう右方向へ顔を向ける。そこには自販機と、自販機にもたれかかる謎の人物が。


「お前、思ったよりも深刻かもな!」

「……なんですか? 嫌がらせですか?」


 その人物の外見は男とも女とも判別がつかない見た目をしている。紫色の髪はやや長く、後ろは首の根元まで伸びていた。白い服に黒いズボン。

 これが、ナイドとジャムの出会い。


「オレはな、人の考えてる事が分かるんだよ。人形ドールの力でな。今お前は父親に裏切られて絶望……殺意すら持ち始めてる」

「いきなり、何を……」

「まあそいつでも飲めよ」


 ジャムが指さしたのはペットボトルのソーダ飲料で、ナイドは戸惑ったものの従いキャップを回す。危ないものが入っているのかもしれないと警戒はしていたが。

 しかし想定外。キャップを回し始めた瞬間、ソーダ飲料は壮大に暴発しナイドの顔面に飛び散った。


「うっ……わ」

「投げて転がしたんだからな! そりゃあそうだろ。そんな事も分からないくらい……今お前の精神はヤバいってワケだな」


 顔がベタついてしまったナイドに、ジャムは優しく近づき真っ白なタオルを手渡した。


「もう1本買ってあるから後でやるよ」

「あ……ありがとうございます」

「敬語はいらないんだよ」


 やけに親切なジャムに疑念を抱いてはいたが、敵意は持たなかった。ジャムの提案で自販機の隣にあるベンチまで移動し、2人並ぶとジャムは宣言通りソーダ飲料を再び渡した。


「オレの名前はジャム。トーストに塗りたくるアレとは違うけどな。ちなみにそっちのジャムだとブルーベリーが好きだ」

「僕は……苺かな」


 ナイドも自己紹介を考えたが、心を読まれていたのだと思い出しジャムの話題に乗った。


「……お前さ、金を取り戻してみたくないか?」

「え……?」

「特殊詐欺だ。お前の父親をハメて、今まで奪われた金を全部取り戻そうぜ」

「そ、そんな事って」

「『キャッシュカードの不正利用』……お前が父親にやられちまったのはそれと変わらないだろ。だったらこっちもあいつのカードを利用してハメてやろうって事」


 明らかな犯罪行為の提案。もちろんナイドは困惑し拒否しようと口を動かしかけたが、行動には移せなかった。父親を恨んでいる証拠だ。


「不正に奪われたものを取り返すだけだ。犯罪には犯罪で対抗。バレなきゃ犯罪じゃない。でも父親はバレた。だがお前と俺ならバレない」


 甘い誘惑。ナイドは顔を寄せてくるジャムを受け入れ、静かに頷いた。



 *



 1週間後。父親は家の玄関で寝転ぶ形で、薬の大量服薬によって自殺しているのがナイドとジャムによって発見された。口元からは少しの泡を吹いており、安らかな表情で眠っている。


「父さん……」

「こうもあっさり自殺するとはねぇ」


 詐欺の被害にあった、という証拠をもみ消すためジャムは父親の衣服を探る。もちろん手袋は着用済みだ。

 身体を少し動かすと、遺体の下敷きになっている紙切れが姿を表した。遺書と推測したジャムはサッと手に取り、内容を凝視する。


「……こいつ」

「どうかしたの?」


 遺体を目の前にしたナイドは、憎しみが薄れていたがほんの少しの寂しさも生まれていた。けれど涙は出ておらず悲しむ素振りも無い。


「読み上げるぞ。

『これをナイドが読んでいる頃にはきっと、俺はこの世から逃げ出しているだろう。必死に働いて稼いだ金を勝手につぎ込んで本当にすまなかった。この間の事も謝る。あの後考えに考えた結果、もう賭け事はやめる事にしたんだ。

 でもやっぱり俺はダメな人間だ。すぐに詐欺で騙された。母さんに先立たれて、ヤケになった俺はお前にも暴力をふるって。もう生きていくのは嫌になった。一応、俺にかけられた保険金はある。ナイアと一緒に、生きてくれ』

 ……だとよ」


 ナイドは数秒間固まった。父親が改心しかけていた事実。仕返しの詐欺さえしていなければ、家族の絆は取り戻せていたのかもしれないという叶わない希望。それを打ち砕いたのは、他でもないナイド自身だった。


「僕達が……金を取り戻すなんて考えなければ──」

「オレを恨むか?」


 ナイドの頭を上から鷲掴みにしたジャムは無理やり顔を合わせる。自虐的な発言を重ねようとしたナイドを止め、矛先を変えようとしていた。


「いや、こんなの予想できないよ……だってジャムの力も、あくまでその時考えている事を読むだけだから分からなかっただろうし……」

「そうか。これからどうする? お前は『父親自殺! 金を奪われた哀れな息子!』として報道される事になるがぁ?」


 あくまでナイドの意思を尊重している質問。詐欺によって父親を死に至らしめてしまったが、被害者面をして生きていく事もできる。

 ナイドが選んだ道は。


「僕は……ジャムについていって、いいかな」

「…………マジで言ってんの?」


 心が読めるというのにも関わらず、ジャムはナイドの選択に驚いた。


「もう、戻れないよ。これから嘘をつき続けて生きていくなんて、自分の父親を殺したのに生きていくなんて無理だ。そんなのできる奴は人間じゃない」


 自らの両親が詐欺に騙されている事を把握していたというのに、見て見ぬふりをしていたイアへの罵倒にもなっている。数年後に発端となるのはナイド自身だが。


「言うねぇ」


 ヘラヘラと笑ったジャムは右手を差し伸べた。ナイドは握手を交わし、再び頷く。


「320円」

「え?」

「あのソーダ2本分の金だよ。それ返してくれるまで、オレはお前を逃がさない。途中で嫌になっても弱音なんて吐くんじゃねーぞ?」


 小さな笑いを漏らしたナイドは、信頼を込めた瞳と声をジャムに渡す。320円は14年後も返されてはいない。


「こんな形で手に入れた保険金……どんな汚いお金でも、他と変わりなんてない。感情が篭っていても、思い出があっても……全部同じなんだ。最初からお金を沢山持っていればこんな事にはならなかった。きっと、そうなんだ。だからどんな手を使ってでもナイア……君には幸せになって欲しいんだ。何も知らなくていい。僕や父さんの分まで、幸せになってくれ。

 でも……もし真実を、知ってしまったのならば────」

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