110 国のイニシャル表記は気分です。


 秋葉原の戦いからおよそ半年。

 その間、俺たちはただ沸騰する世界変化の熱に振り回されていたわけではない。

 というか、異世界帰還者として世間に顔が知れることを覚悟した者たちはそんな世間の反応に振り回される余裕もないほどに忙しかった。

 次なるダンジョン・フローを警戒した冒険者ギルドが、国内にある全てのダンジョンの攻略を要請してきたのだ。

 日本中にクランと呼ばれる異世界帰還者の組織的集団はそこそこあったものの、『王国』のように会社規模で整えようとしていたものはない。

 だが、一時は国家としての体裁を整えていた者たちばかりだ。その気になればまとまるのは早かった。

 とはいえそれでも手が足りない。

 ダンジョンの攻略のため、俺たちは日本中を駆けずり回っていた。


 駐車場で降りた俺たちはそのまま体育館に……と思ったら受付で捕まった。


「マスター、お客様です」

「……アポはないはずだぞ?」

「そうなんですが……押し切られてしまったそうでして」


 と、受付のお姉さんも困り顔。

 さっきの事情で亮平やパーティリーダーを任せられるメンバーも留守をしているから強行するようなわがままな連中には対処しきれないところもある。


「どこの人?」

「大使館の方です」

「どこの国?」

「それが……」


 と、お姉さんが俺に耳打ちする。


「はぁ……わかった」

「申し訳ありません」

「いいよ」


 というわけで方向転換。フェブリヤーナは興味がないとばかりにエレベーターで別れた最上階にあるマスター室に向かっている。

 俺もまた数えるほどしか入ってないんだけどな。

 応接室の前にはうちのクラン員じゃないのが立ちふさがっていた。


「すいません、そちらの方はご遠慮願います」


 霧を連れて入ろうとしたらそんなことを言う。

 無視しようとしたら間に入り込もうとした。

 なのでくるりと方向転換。エレベーターに向かうことにする。


「アポなし、他人の庭で指図する。そんな無礼者とする話はない。お帰りを」

「お待ちを!」

「グッバイ」


 断る理由ができてちょうどいい。霧も止めない。

 エレベーターのボタンを押したところでドアの開く音がした。


「失礼。部下が無礼をしたようで」

「部下が勝手をするはずがないだろう。尻尾切り要員でしかないんなら、あんたの下で働くのはずいぶんと苦痛そうだ」

「これは手厳しい」


 俺の嫌味をそいつは平然と受け止めた。


「とても大切な話があります。ぜひとも中でお話をさせてください」

「お断りさせていただく」

「決して損にならない話です」

「そんな話はないと思うなぁ」

「そんなことはありません」


 張り付いた笑みが特徴的な男だった。

 誠意というものは一つも感じられない。蛇のような男だ。


「こんなところにいるぐらいなら母国に帰って貢献したらどうだ?」


 来客はドア前の護衛も含めて全員が異世界帰還者だ。

 しっかり俺に向けて【鑑定】も仕掛けている。全部キャンセルどころか【鑑定】し返しているけどな。


「我々が戻った程度で事態は動けない。本国はそう考えているようで」

「へぇ」

「その件で、なんとしてもあなたに協力をいただきたいのです」

「ふうん」

「詳しい条件をご説明したいので、どうか中に」

「ええ」

「お願いします」


 蛇の笑みがじっとこちらを見つめている。


「まっ、買うにしても喧嘩の内容を見てみないとな」

「いえ、喧嘩を売る気はありませんので。ですが、よい買い物になるかと」


 いや、喧嘩以外なら売るのはこちら側じゃないか?

 なんて思いつつ中に入る。

 今度は止められなかった。

 ただし、護衛も一緒に入って来る。


「それでは改めましてごあいさつさせてください。C国より参りました劉令と申します」

「日本語がお上手で」

「両親の仕事の関係で生まれも育ちも日本です」

「それはそれは。で、いまは宮仕え?」

「今流行りの素性と日本での生活の長さを買われましてね」

「ふうん。それで?」

「用件は二つあります。まずは勧誘。我が国で働きませんか? 主席は最上の地位を用意すると仰っています」

「お断りする」

「早いですね。細かい条件をお聞きになりませんか?」

「悪いが、そこまで国と密接な関係になる気はない。いまのゆるーい関係の方が具合がいい」


 忠誠とか誓わされるのなんかまっぴらだ。

 そんな俺の心情を察したのかどうなのか、劉令は素直に頷いた。


「そうですか。残念です」

「おや、意外に簡単に退くね?」


 もっとねっとりと食いついてくるかと思ったんだがな。


「日本の暮らしが長いと言いましたよ」

「なるほど。なら、二つ目が本命?」

「そういうことになります」

「で?」

「深淵を攻略していただけませんか?」

「深淵?」

「こちらに発生しているダンジョンです」


 と、劉令は地図を出してくる。

 日本海に接した場所に大きな丸が書かれている。北のR国や半島の国境とも接している。

 いや、ちょっとオーバーしていないか?

 続いて写真。

 これはまた、びっくりするぐらいのでかい穴だ。

 ん? これってもしかして地図上に書かれた丸のエリアか?

 と思って聞いてみたら肯定された。

 すごいな関東地方ぐらいは余裕で呑み込めるサイズってことにならないか。


「ダンジョン・フローの結果、こうなりました」

「それはそれは」


 それにしても、こんな近くのことなのに映像が一枚も日本に流れて来ていないな。世界的に混乱が続いているとはいえ、これはあまりにも……じゃないか?


「ダンジョン・フロー以前は人気のない場所でした。いまはフローの結果、御覧のありさまとなっております」

「で、これ、なんなん?」

「もともと、地下に潜るタイプのダンジョンでした。いまはそれがむき出しになった状態なのかと」

「ふうん?」

「深淵の境界は隣接する国境を超えています。問題はそこでして」

「なるほど……いい口実にされそうなわけだ」

「その通りです」

「で?」

「時間が許すのであれば我が国の英雄部隊が解決します」

「ふむふむ」


 C国では複数のダンジョン・フローが発生している。首都近くのものは秋葉原と前後して解決したようだが、そこに集中している間に他の部分は被害を拡大している。深淵の件は日本に映像が来ていなかったが、内陸部のものは見たことがある。巨大な火山が誕生し、流れ出す溶岩とともに発生した火精霊系のモンスターが喜び勇んで火災を広げている。

 消火と退治を同時に行わないといけなくて苦労しそうだなとは思った。

 C国自慢の英雄部隊とやらはこちらの解決に向かっているのか。


「だが今は時間がありません」

「で、外部から人を雇おうと?」

「はい。どうでしょう?」

「海外旅行ってあんまり好きじゃないんだよね」

「もちろん、報酬は高額をお約束します」

「ふむ……?」

「前金で十億円。成功報酬で百億円です」

「ふうん」

「お気に召しませんか?」

「召しません」

「では……」

「最終的な決定はスタッフと相談した後になるが、それでも報酬は最低ラインで前金百億。成功報酬一千億。拘束料一日十億だ。あ、全部円な。ジンバブエドルとかじゃないからな」

「……ふっかけますね」

「オリンピックを開催するよりは安いだろ?」


 俺の冗談に劉令は答えなかった。


「まっ、いま決断できないのであればお帰りを」

「…………」


 俺が出口を示すと、劉令は殴りかかりたそうな視線を一瞬だけ飛ばして立ち上がった。


「本気で受ける気?」


 連中がオフィスから出ていくのを見計らってから霧が聞いてくる。

 その顔には嫌悪感がいっぱいだ。

 まっ、それもしかたない。


「外のうるさい連中、あの国が後ろで糸を引いているんでしょ?」

「さっき、投石姉ちゃんもな」


 劉令と話している最中に隠蔽魔法で姿を隠したアイズバットで姉ちゃんに金を渡した人物を見つけ出した。

 やはり前から目を付けていた関係者だ。


「俺をこの国で居づらくさせて、他の国に亡命させたいってな」


 とはいえ、そういうのは別にC国だけじゃない。

 引き抜き工作はすでにいろんな国から受けている。


「だからふっかけたんだけど、もうちょっと吊り上げた方がよかったか?」

「ほんとうよ」


 霧にしては感情が表に出ている。

 最近忙しくて読書の時間があまり取れてないからな。それで機嫌が悪いのかもしれない。


「さっきの二倍……十倍でもいいぐらいよ!」

「それもよかったかもな」


 なんて思いつつ内心ではどうせダンジョンに潜るんだから刺激がある方がいいとも考えていた。

 強制依頼状態で日本中のダンジョンを潰して回っているが、歯ごたえのあるダンジョンに出会えていない。

 青水晶や手に入れたアイテム類の売却で儲かってはいるものの、退屈なことには変わりない。

 フローしたダンジョンなら楽しめる敵がいそうだ。


「はい?」


 霧のスマホに連絡が来た。


「わかりました。伝えます。織羽」

「うん?」

「お客様よ。今度はお役所の人」

「やれやれ」


 ほんとうに忙しい。


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