75 五井華崇視点
五井華崇……彼は現在、改名した。
一時期はワイドショーを通して世間を騒がせてしまっただけにその名前のままというわけにはいかない。
というわけで改名した。
いまの彼の名前は籠池剛。かごいけつよしである。その名前で戸籍を整えると、執事らしき老人……鷹島に言われた。
「今度こそ、ツヨシしっかりしろ、だな」
「うるせぇよ」
名前が決まった時、織羽にそんな風に揶揄われた。
そういえば剛はごうとも読む。いまだにゴーという呼び名は通用するわけだ。
そんなことを考える崇改め剛は窓から見える海を眺めていた。
豪華客船にいる。
船旅は経験がある。密入国をするときに貨物船に乗ったりした。
だが、こんな立派な船に正規の客として乗ったのは初めてだ。
とはいえ、一緒にいるのはアーロン・ホルスナー率いる民間軍事会社の社員たち……つまり傭兵……その中でも精鋭である異世界帰還者たちだ。
彼らの目的はいまだに特殊な兵器をアイテムボックスに収めたままの剛の護衛だ。
本来なら日本で守りを固めておくべきなのかもしれないが、彼らの雇い主である封月昭三がこの船に来る予定を変えなかった上に、彼らと同行した方が守りを固めやすいというアーロンの言葉で同行することになった。
多分に封月織羽という戦力が織り込まれているような気がしないでもない。
ホテルで見たあの実力を考えればそれも妥当というものだと剛でさえ思う。
剛のアイテムボックスに入っている物はこんなところでは出せないほどに巨大だ。そういう意味でも船の中にいるというのは良い手なのかもしれない。
ここで剛を殺せばアイテムボックスの中身は確率で消滅かあるいは出現となる。消滅しても例の物は手に入れられないし、出現しようものなら船を傷つける。
この豪華客船クラウン・オブ・マレッサでのルールにある『船を傷つける行為はこれを禁止する』を破ることになる。
それは異世界帰還者たち交流の場の一つを乱す行為であり、結果としてどれだけの勢力を敵に回す行為となるのかは不明だ。
剛の持つ例の物は売り手も買い手も大組織だが、だからと言って不特定多数の異世界帰還者を敵に回すような愚を犯すことはない……と思いたい。
だが、映画なんかだと絶対安全と思われた場所が危険なことになるのは良くあることだ。
なので安心はできない。
作り物のフラグなんて気にするなんてと言いたいが、この船にいるのは異世界帰還者たち。作り物みたいな世界を体験して来た人々だ。
そういうことをやってやろうと考えてしまう者がいたとしてもおかしくない。
剛などは逆に危険に関して昔以上に敏感になったという自覚があるし、ほとんどの連中はそうだとは思うのだが、中にはそういう危機回避能力が壊れてしまったような連中はいる。
そういう自滅思考な連中がケラケラ笑いながら豪華客船に襲撃にやって来る。
「……なんてことはないですよねぇ」
「ないとはいえないねぇ」
剛が思わず漏らした不安を笑って済ませようとしたら、護衛の兵士に苦笑で肯定されてしまった。
ちなみに、この部屋の中での共通語は英語である。
やらかした後の剛は海外暮らしばかりだったので、南米でよく使われるスペイン語とポルトガル語、それから英語は日常会話ぐらいはできるようになっていた。
答えたのは色の濃い黒人だった。
「実際にはっちゃけた突貫を売りにしてる奴らは少なからずいるから」
「いや、まぁ……知ってるけど、バクフーリ兄弟とか」
「ああ、南米の。俺が知ってるのはネルタ・ファミリーだな」
それも聞いたことがある。アメリカの銀行強盗専門の犯罪集団だ。
ちなみに剛が挙げた名前は強盗兄弟だ。しかも犯罪組織の麻薬工場を専門に狙うというよくわからない無茶をする。もちろん盗むのは麻薬だ。噂では一発で心臓麻痺が確定するような量を使わないと薬効を得ることができないのだという。
「そういうのなら、イグナート灰帝を忘れちゃいけない」
その名前を挙げたのはたばこを吸っていたイタリア人だ。
「中東で見たことがあるけど、あれは死ぬと思ったね」
「生きてるじゃないか」
「そりゃ、向こうがオレの能力に気付かなかったからだよ。気付かれてたらどうなってたか……ああ、やだやだ」
イグナート灰帝……噂は聞いたことある。
ロシア系の傭兵で、灰帝と付けられているのはイワン雷帝をもじっているからだとかなんとか。
強力な炎を操り、戦場を灰に変えることから灰帝というのだとか。しかもその炎は味方を焼くのさえも躊躇しない。
目的達成を絶対至上とする孤高の傭兵。
それがイグナート灰帝だ。
「ていうかはっちゃけるって意味ならうちのお嬢様もそれに当たらないか?」
黒人が言う。
お嬢様っていうのは彼らの雇い主封月昭三の孫、封月織羽のことに違いない。
「あのホテルでガイル・コルネオの部隊をほぼ一人で翻弄したしな」
「ああ……たぶん、山の方でもなにかしたんだろ? 爆発がどうとか言ってたのがなかったし」
「…………」
イタリア人も加わっての言葉に剛は黙ってうなずいた。
実際になにをどうしたのかはわからないが、ガイルはただの脅しは言わない性格だ。やるというのなら本当に何かを仕込んでいたはずで、それなのに何も起こらなかったのなら、誰かがそれを防いだということになる。
傭兵の隊長であるアーロンはなにも言わなかったのだから、あるいは知らなかったのかもしれない。
「お嬢様ってクラスなんなのかね?」
「ゴー、お前は見たんだろ? どう感じた?」
「どうって……魔法系っぽくは感じたけど……」
部屋に侵入された時も、非常階段で幽霊鮫に襲われた時も、対処の方法は魔法……しかも不吉な死の魔法のように感じた。
だけど、襲撃してくる敵や銃撃に対してまるで恐れない様子は接近を嫌う魔法系のクラスとは違う何かを感じもした。
「見てないけど接近戦もできる気がするし……魔法戦士とかかも?」
「ハイブリッド職か。中途半端になりそうだけど、お嬢様はそんなことはなさそうだしな」
「謎か」
「まぁあれだな」
とイタリア人が呟く。
「さっき上げた連中も敵に回したくないが、俺の本能はお嬢様を敵に回すのが一番やばいって言ってるね」
「それはわかる」
「兄弟もファミリーも灰帝も……言っちまえばただのトルネードだ。去るのを待てばいい……が、あのお嬢様は敵に回すともっと厄介な感じがする」
「だな」
その考えには剛も同意だった。
それぞれに考えに浸っていたその時、部屋に設置された電話が鳴り、三人は揃って背中を震わせた。
自分たちの隊長アーロンからだった。
昼食は昭三の部屋ですることになった。
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