67 瑞原霧視点


 織羽が海外の暴力組織と楽しく遊んでいる間……。


「さて……」


 霧は一人マンションに残っていた。

 織羽がいては絶対にできないことをするためだ。

 すでにその状態でなくとも魔力を感じることができるようになっている。霧はマンションのベランダに出るとそこに織羽の魔力が残っていないのを確かめた。

 いつも織羽がそうしているように座禅を組み、呼吸を整え、意識を心の底に落とす。

【瞑想】を行う。

 織羽が側にいると彼女の強大な魔力が邪魔して自然の魔力を感じることができないでいた。

 いまなら彼女は隣県にまで足を延ばしている。そしてここなら強い風で残滓も吹き飛ばしてくれる。

 織羽の言う当たり前の【瞑想】を行うチャンスだった。


「ん……」


 自我の内面に足を掴まれず魔力を感知するだけの深度は心得つつある。まだ織羽なしでは不安も隠せないけれど彼女がいてはできないのだから仕方がない。

 それに、今夜ならうまくできる予感がある。

 占い師のクラスを持っているものが予感で行動するのはどうなのかと思うが、常に未来が見えるわけでもないし、この予感も馬鹿にはできない。きっとこれもまた占い師と関係しているのだろう。

 自然の魔力が肌を触れていく。

 織羽のそれとはまったく違う。

 彼女の魔力はもっと熱い。マグマの中にいるように濃密なのだけど、しかし決して不快ではない。

 守られている安心感がある。

 いま、霧は一人、そういう守りを感じることなく自然の魔力を感じている。

 夜を吹き流れていく風に紛れる魔力は目前に迫る夏の湿気を無視した清涼さを宿していた。

 強い風。

 優しい風。

 霧は自然の魔力をそのように受け止めた。

 受け止めてそのまま流されてしまいそうになる。体に入り込んでくる魔力と入りきらずに体外を流れていく魔力の風。

 このまま、流されてもいいか。

 そう考えたのが間違いだった。


「え?」


 状況の変化に気付いて声が出た。

 しまった集中が解けたと思っても状況は変化しない。

 霧は流されていた。

 魔力の風に乗り、タワーマンションの屋上から空へと運び出されてしまった。


「これはどういう?」


 バタバタと手足を動かしても流れは変わらない。強い風ではあったけれど台風の時などとは比べ物にならないような程度の風だった。普通に考えればそんな風に女子高生が飛ばされるわけがない。

 なにより不思議なのは風の圧力で飛ばされるというよりは、なにか目に見えない大きなものの手に載せられて運ばれているかのようだった。


「なに、なんなの?」


 風に運ばれて霧はどんどん高くに移動していく。

 もはや街の明かりが星のように地上に散らばり元の場所がわからなくなってしまった。

 どこまで運ばれていくのか、いや戻ることができるのか。

 月がどんどん近づいてくる。

 ……と。


「え?」


 混乱する霧は、さらに混乱する出来事を目にすることになる。

 月が裂けたのだ。

 そしてそこから人の顔が見えた。

 霧の現実感はそこで崩壊し、気絶してしまった。


 我に返った時、霧は白い床の上にいた。

 床……なのだと思う。霧が乗っているのだからそうなのだろう。ただ、石のようなのに冷たくなく、そして素材の切れ目のようなものも見当たらない。

 床ばかり見ていた視線を上に向けていく。

 切れ間なく続く白い床がある瞬間に途切れる。地平線や水平線を見たような気分だった。その先には闇があった。夜の闇だ。星の光が散らばっている。


「驚かせたようですまない」


 その声は頭の上から響くように霧に届けられた。


「今回は特別だ。君はまだまだ修行が足りない」

「え? え?」

「こちらを見なさい。もう見えるはずだ」


 その声に誘われるように霧はそちらを見た。

 そこに、人がいた。

 ただしサイズ感がおかしい。

 巨人だ。

 霧の十倍以上はありそうな大きな人がそこにいた。

 女性だ。

 反物のような布を幾重にも体に巻き付けている。その体は浅黒く、その髪は金色だ。なんとなくだがインド系の美人を彷彿とさせる。

 そんな美人が体を横にして肘掛けに体を預けるような姿勢でそこにいる。

 月夜のような瞳が穏やかに霧を見下ろしていた。

 不思議と恐怖はなかった。


「……あなたは?」

「我は運命を観測する任を下されし。名をフォルトゥーナという」

「フォルトゥーナ様」


 なにか聞いたことがあると思った。

 ああそうだ。ヨーロッパのどこかの国の女神だ。たしか運命の車輪を司るとかなんとか……。タロットの運命の絵の元ネタだったかな?


「あの……それで、私に……用が?」

「奇しくも我と同じ能力を得た乙女よ」

「乙女……」


 面と向かって乙女と言われるとすごく恥ずかしかった。

 いや、確かに男性との経験はないけれど、それ以上のことをもうたくさんしているわけで。


「まだその目は未熟なれど、磨けばそれは我の域に届くであろう。故に同族の情けとして助言を置く」

「え? は、はい。ありがとうございます」


 同じ。え? 同じ!?

 自分のクラス『占い師』と女神のそれが同じ?

 いや、たしかにそうかもしれないけど。でも能力の違いは明らかだと思うわけで、でも、磨けばって仮定をされたからもちろん実力の違いはあるとも言われてるのか。

 え? でも……ええ?


「あの神殺しの者。彼の者と同じ道を進む気であれば覚悟せよ」

「……え?」


 神殺しの者という呼び名には首を傾げるけれど、それが織羽のことだというのははっきりとわかった。


「あの者が進むはいかなる道であろうとも只人の道にはならず。いずれも修羅の巷か、屍山血河の戦場であろう」

「あ、あはははは……」


 それ、両方とも同じ意味では?

 と思いつつもそれはいかにも彼女らしいと思ってしまう。

 異世界帰還者なんて誰だって人に話したくないような暗い記憶の一つや二つは持っているはずだ。

 だけど封月織羽が時折見せる過去に思いを馳せたときの顔の暗さは霧たちの比ではないように思える。

 そして、ただ暗いだけではない。

 心のどこかで、彼女はその暗い部分に再び足を浸けることを望んでいるように思えてしまう。

 いや、間違いなくそうするように行動している。


「そなたはいまだ数多の未来を、果てなき時の深奥を覗くにはまだまだ雛のごとく未熟。故に気付いてはおらぬだろうが、彼の者とともにいればいずれそなたは……

「もういいです」


 運命の女神が何かを言う前に、霧はその言葉を制した。


「彼女がむちゃくちゃなのはわかっています。でも……」


 それでも……。

 封月織羽は瑞原霧の前に道を作ってくれた。

 異世界から戻ってどこか馴染めなかった自分を、他人とは違う感性に迷う自分を受け入れてくれた。

 彼女にとってそこに何の意図があったのかはわからないけど、彼女の思惑なんてどうでもいいほどに霧の心は晴れている。

 彼女といると楽しいのだ。

 楽しさだけで何も考えずにいるのは愚かなことかもしれない。

 だけどそれなら、愚かにならないように注意すればいい。

 そして、覚悟もしておけばいい。


「いつまでこの道にいることができるのかわかりませんが、私はこの道にいることに幸福を感じていますので」

「そうか。ならば余計なことは言うまい」

「ありがとうございます」

「礼は良い。はるかな先の同胞よ」

「は、同胞なんて……」

「ふむ、未来はまだわからぬ。だが、数多の未来は全てが確定しており、そして未確定でもある。我らはその揺らぎを泳ぐもの。運命観測神。いずれ出会うそなたが、今宵のそなたと同じとは限らぬが、時の果てで再び相まみえん。さらば」

「は?」


 そして気が付くと霧は目が覚めた。

 眠っていた?

 夢を見ていた?

 ここはいつものタワーマンションのベランダで、霧が【瞑想】に入った時と同じ場所で座禅を組んでいた。


「……いや」


 記憶はあやふやだけど、【瞑想】明けの体はいつも以上の充実感がある。

 きっとさっきのは夢ではなかったんだと確信した。

 後日、織羽にこのことを話すと【昇仙】を飛び越えて【昇神】したのだろうと教えてくれた。白魔法の基礎として教えてもらったはずの【瞑想】で、いつの間にか仙法に足を踏み込んでいたらしい。

 ただ、常時それができるようにならなければ意味がないので、やはり修行あるのみなのだそうだ。

 神に会ったと言っても信じてもらえないかと思ったが、さも当たり前のように受け入れられたのは、それはそれで不可解だ。

 なんだかよくわからないけれど、とにかく【瞑想】がうまくなったのだと褒めてもらえたのはよかった。



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