36
封月昭三の屋敷に彼の家族が集まるのは久しぶりのことだった。
「いらっしゃい」
「ああ、姉さんひさしぶり。ドバイから戻って来たのかい?」
「ええ、今日ね」
「今日?」
「そう」
「親父は?」
「それがね。まだ会っていないのよ」
「会っていない?」
「鷹島が会わせてくれないの。あなたたちが集まるからその時にって」
「……生意気な。親父にずっと仕えているからって分を弁えていないんじゃないか?」
「……まぁ、あの男の地位もお父さんがいてこそだから必死なんでしょうね」
「ふん。親父がいなくなったら奴は終わりだ。それまでは好きにさせるさ」
「そういえばあの件はどうするの?」
「……あの件は忍がうまくするだろ」
「任せておいてもいいのかしら?」
「親父はもうボケているんだ。なにもしようがないさ」
次男と長女がそんなことを話している間に長男も姿を見せた。
独身の長女を除いて二人とも家族を連れてきている。
子供たちもほぼ全員が成人となっているので人数が多いがそれほど騒がしくもならない。
「おおようやく来たか?」
三男一家が到着したのは会話が途絶えた頃だった。
「あれ、織羽は来ていないのかい?」
「……ああ」
長男一家の息子の言葉に三男……封月忍は苦い顔で頷いた。
「どうしたの優樹菜さん? 顔色が悪いわよ」
「はい、お姉さん。ご無沙汰しています」
「……例の件、そんなに大変なのかしら?」
「え、ええ……」
「なにかあるならちゃんと言ってね? 兄弟たちはみんな協力するわよ」
「あ、ありがとうございます」
「いいのよ。私たちにとって、とても大事なことなんだから」
「ああ」
「そうだぞ、忍」
兄弟たちが暗い顔で笑い合う。
彼らが望むのはただ一つ。父である封月昭三が持つ巨万の富の正当な継承。
初恋の女性に似ているというだけの孫を偏愛し、そこに全てを注ぎ込もうとする父親の狂気を是正すること。
そのためならば、自分たちの血縁を排除することも厭わない。
「お待たせいたしました。ご主人様が参られます」
鷹島が現われ、親族たちの集まる広間にその声を響かせる。
「やれやれ、もったいぶるな」
「兄さん姉さん、なにか聞いていないのかい?」
「え? いいえなにも」
「忍、どうかしたのか?」
「いや……」
「心配しなくてとも親父の痴呆症はもうどうにもならないところまでいっている。治りようがないさ」
「そう……だよな」
なにかを察した長男がそう言って含み笑う。だが、三男が言いたいことはそうではない。家を出ていったあの娘が言っていたことが本当なのか……。
ドアが開いた。
「揃っているな、愚息に愚女よ」
力のある声に広間にいた人々は皆、ぎょっとした顔でそちらを見た。
覚えのある声だった。
そして、もう聞くことは二度とないと思っていた自信に満ちた声だった。
「え? お父さん?」
「親父?」
「どういうことだ?」
そんな声が満ちる中をこの屋敷の主人、封月昭三はにやりと笑って見せる。
「なんだ? 儂が元気なのが意外か? ボケるなんぞするわけがなかろう」
「え? いや……そんな……」
「お父さん、元気になった……の?」
「それは……よかった」
「ふん。嬉しそうではないな。残念だよ。家族にそんな顔をされるのは」
「……それはお前が悪いと思うけどな」
ドアの向こうからそんな声がして皆は再びぎょっとした。意気軒高なこの屋敷の主人にそんな口が利ける者は実の息子にだっていない。
では、誰が?
「だからって、別に弁護する気にもならないが」
「そうじゃろうそうじゃろう。ほら、織羽や、おいで」
「ふん」
ドアから出てきたのはドレスで着飾った少女だった。この日のために化粧もしてその美しさはさらに際立っている。
だが、皆が言葉もなく立ち尽くしているのは少女の美しさに見惚れているからではない。自分たちが計画的に追い詰めてきた少女がありえない立ち直りを見せてそこに立っているからだ。
ボケたはずの封月昭三の隣に、彼の望む初恋の君の姿を宿した封月織羽が立っているからだ。
言葉もない子供たちを見やり、昭三はにやりと笑った。
「さて、いろいろと気苦労をかけたようだが、見ての通り儂は元気だ。なんならお前たちよりも長生きするかもしれんな。で、要はそれだけじゃ。儂はこれから織羽とデートに行く。もてなしはすでにできておるから好きにやっていろ。ではな」
「それでは」
唖然とする親戚に織羽は微笑んで見せた。
なにも知らない男たちが見ればその笑みに見惚れたことだろうが、そうではない親戚連中たちにとっては事実上の勝利宣言を突き付けられたようなものだ。
彼らはただ受け入れがたい事実に硬直するしかなかった。
「わははははははは!」
車が動き出した途端、昭三は堪えきれないと大笑いした。
「いや、快なり快なり。こういう勝利宣言をするときというのはやはり楽しいな」
「実の子供相手にそれをやって楽しいかい?」
「死を望まれているのなら、それが子か他人かなんて関係ないじゃろう?」
「そうかもしれないがね。それで、これからどこに行くんだ?」
「普通に食事に行くではだめかの? めったに食べられない最高級の肉とかあるぞ?」
「高い肉もいいが、いまはたらふく食べたいんだよな」
「まぁ食べてみる価値はあると思うぞ。なにしろ……竜の肉じゃ」
「うん?」
「こちらではなかなか食べられるものではないじゃろう?」
「爺さん、ほんとは自分で異世界に行ってないか?」
「異世界になど行かなくとも異世界に触れることはできる。人の見る景色というのは立ち位置次第というものじゃよ。それに、そこにいけば以前に頼まれた換金の件も話が進むぞ」
「なら、行くしかないか」
「よしよし。おじいちゃんの凄いところを存分に見るといいぞ」
「下心ありありでキモ過ぎる」
「ふひひひひ。儂の残りの人生は織羽のためにあるんじゃよ」
「やれやれ」
味方にしてなかったら迷いなく殺してるなと思いつつ、織羽はため息を零すのだった。
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