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 封月昭三について説明しよう。

 この辺りでは有名な金持ちだ。

 家は江戸時代から続く医者の家系で現在では三つの総合病院を経営している。

 そんな封月家の三男として昭三は生まれた。

 彼は医療よりも経済に興味を持って大学に進み、やがて株式投資の世界で大きな成功を果たす。彼は会社経営そのものには向いていなかったが経済の潮目を見ることには優れ、彼が投資した会社はことごとく成功していき、彼自身の財もそれに比例して膨らんでいった。

 やがて、病院の経営難に陥っていた本家に資金援助をする代わり当主の座を譲るようにと持ち掛け、これに成功。そこに長男を据えた。

 ここで重要なのは彼が成功者であり、そして金持ちだということだ。

 そして彼は復讐として実家を乗っ取った。

 復讐をした理由というのは実家が彼の初恋の人物を奪ったからだ。

 その人物の名を君島初という。

 初は昭三の従妹であり、お互いに好き合っていたというのは彼の弁だ。

 結婚を誓い合っていたのだが、実家の政略結婚のために引き裂かれる。その時から実家を奪うために金という力を手に入れることに固執するようになったのだそうだ。

 だが、取り返せるほどの力を手に入れたときには彼女は病気で亡くなっていた。

 そこで昭三の目的が失われていればよかったのだが、そうはならなかった。

 彼は封月家の実権を奪うという彼なりの復讐を行う傍らで、初の娘と自身の息子を結婚さた。

 その二人が封月忍と優樹菜。

 織羽の両親だ。

 そして生まれた織羽は昭三の願望を叶えてしまった。子供の頃はまだ微妙だったが中学生に上がった時にははっきりと織羽には初の面影があった。

 昭三から見れば瓜二つだったそうだ。

 祖父の愛を一身に受けることとなった織羽。幸いであるのか、さすがの昭三も孫に性愛を向けることはなかった。

 その代わり、己の持つすべてを差し出し、織羽を幸せにしようとした。

 子供たちに与える最低限の物を己の財産から切り分けると、残りの全てが織羽のものとなるように手続きをし、またそれが両親などに利用されないよう専属の財産管理人を用意した。

 子供たちはそれでも貰えるものは貰えたのだ。それで納得すれば老人の執念の人生は恙なく終わっていた。

 だが、封月家の実権を奪う駒として使われた長男はその地位を維持し、恨む一族を牽制するために力を求め、地元での便宜を引き出すために代議士にされた次男も政治資金はいくらあっても困らないと求め、長女は自分が初に似ていれば得られたであろう富を夢想し、そして三男とその妻は自分たちが犬のように掛け合わされるために結婚させられたのだと理解し……。

 全員が織羽を憎むようになった。

 さらに織羽にとって運が悪いのはこの場でただ一人彼女を守れる存在であるはずの昭三がアルツハイマー病となってしまったことだ。


「おお……お初ちゃん、お初ちゃん」


 全身を震わせながら車いすから手を伸ばす老人に俺は近づき、その手を握った。

 車いすを押していたメイドが鷹島に指図されて部屋から出ていく。


「お初ちゃん。会いたかったよ」

「まったく……爺さんのせいでこっちはいい迷惑だな」

「お初ちゃん」


 子供の世界へと戻ってしまった爺さんには俺の言葉は届いていないようだ。


「とはいえ、爺さんがそのままなのも迷惑なんだよ」


 遺産の正式な受け取りは成人後だ。

 それまでの間に色々とめんどくさいことが起きるのはごめんだ。


「だから、少し元気になろうか」


 自分の思い通りの操り人形にするのは簡単だ。

 だが、操り続けるのも面倒だ。

 それならいっそ、封月の一族全員が『いなくなって』しまった方がまだ面倒がなくていい。

 だが、俺だって別に大量虐殺者になりたいわけではない。振り払う火の粉を払うのに躊躇する気はないが、敵を敵として潰すのであれば自分を納得させるだけの大義名分は欲しい。

 そしてあえて敵を増やしたいわけではないし、望んでこっちの世界でまで殺人者になりたいわけでもない。

 とにかく、まだ俺には穏便に済ませるという選択肢を残していると言いたいわけだ。

 そういうわけで、俺はこの爺さんの痴呆症を治そうと思う。


「うまくいけばいいけどな」


 一度だけだが、師匠……白魔法のニースがそれをやったのを見たことがある。

 見様見真似だな。


「さて……」


 車いすにさらに近づき、爺さんの両方の側頭部に五指を当てる。


「お初ちゃ~ん」

「っ! エロ爺!」


 織羽のささやかな胸に手を伸ばしてきやがる。エロボケ爺めが!

 鬱陶しいので後ろに回り、再び側頭部に五指を当てる。


「次に動いたらがんじがらめだからな」

「うう……お初ちゃん」


 爺さんの執念に呆れながら意識を集中する。

 白魔法が司るのは肉体の癒し、いわゆる回復魔法だと思われているが、厳密には違う。白魔法は神の領域への静的な侵入だ。世界の記憶と記録へ侵入し、その情報を利用する。故に対象物の情報を明らかにする【鑑定】も白魔法に属する。

 回復魔法は、その肉体の記憶する状態へと引き戻してやっているに過ぎず、医療的な意味での治療や回復とは違う。

 それでも脳だけを認知症に掛かっていないときにまで引き戻すのはなかなか骨が折れる作業だ。なにしろ脳に存在する情報量は他の肉体部分とは違う。それをダウンロードするだけで一苦労だ。

 深く集中し世界記憶へと侵入し、そこから得た情報を魔力とともに注ぎ込む。欠損したり死滅したりした神経細胞を蘇らせ、賦活させていく。


「ふお……ふほほほほほ」


 神経を弄られる感触で爺さんが細かく震え出す。

 が、無視。

 成功の筋道が見えたのだ。一気にやらせてもらう。

 痛い思いをしているのだとしたら、ざまぁみろだ。


「ふぼっ!」


 最後に面白い叫びをあげて、爺さんは大きく体を震わせた。


「旦那様、どうなさいました!?」


 ドアの外で待機していた鷹島とメイドが声を聞きつけて入って来る。

 だが、その時には俺はもう車いすから離れて書机の椅子に座っていた。


「うん? ああ……鷹島か、どうした?」

「だ、旦那様?」

「どうした? うん? 鷹島、少し老けたか?」

「旦那様……お分かりになられるのですか?」

「なにを言っとる?」

「旦那様は……痴呆症になっておられたのですよ」

「はっはっ! なにを言っとる。そんなわけがなかろう?」

「しかし……」

「事実だよ爺さん。あんたはさっきまでボケていたんだ」

「誰じゃ!?」


 車いすから立ち上がった爺さんは、すぐによろけて鷹島に支えられた。


「なっ? あ……初?」

「違う。自分の孫を間違えるな」

「ま……孫? …………織羽か?」

「そうだよ、爺さん」

「その髪、本当に初がそこにいるみたいだ」

「だが俺は君島初じゃない。織羽だ」


 そう言うと爺さんは悲しそうに瞳を揺らした。


「わかっているよ」




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