09


 ダンジョンはそのまま消え失せ、トンネルは元に戻った。


「なぁ、仲間を紹介したいんだ。一緒に来いよ」

「ごめんだね」

「なに?」

「異世界ごっこはそっちで勝手にやってくれ。俺は、帰って来たんだ」


 苛立たし気な後続車のクラクションが響く中、俺は車に戻り運転手に出発を命じる。


「お化けのくせにビビってんじゃねぇよ!」


 ヘルメットの叫びは無視する。

 いや、無視できないか。

 お化けお化けと鬱陶しい。


「まず、この髪を何とかするべきだな」


 ダンジョンなんかどうでもいい。

 サダコと呼ばれるのはもうごめんだ。

 帰ってきたときに朝となっていた。

 両親が起き出してきた時間に帰って来たのだが鬱陶しそうな目で見られただけだった。嫌味でも言われたら毒舌を返してやろうと思っていたので肩透かしを食らった気分だ。


「おはよう……」


 妹……泰羽が二階から降りて来て、ちらりと俺に嫌悪の視線を向けてリビングに向かう。俺はそれも無視して二階の自室に入り、鍵をかける。

 といっても鍵付きドアではないので魔法の鍵だ。

 今日は学校に行かない。


「ああ、そういえば座標の指定がまだだった」


 錬金魔法の師匠ファナーンが何か送って来てくれるって言ってたな。空間に関することは召喚魔法の師匠ハイリーンの領分だが、こういう実験が好きなのはファナーンの方だ。

 魔導タブレットを出して異世界間配送アプリ(α版)を起動して、この部屋の座標を指定する。

 家人も信用できないような家だ。部屋は魔法的防御をいろいろ講じて要塞化しておこう。俺の許可なく誰も入れないようにしておかないとな。


「さて……髪なんだが……」


 制服を脱いで……部屋だし下着姿でいいかと思ったがブラジャー姿の自分を見下ろした後、部屋着らしい大きめのシャツを見つけたのでそれを着た。

 女らしい凹凸には不自由している体だが、それでも女だな。なんだかやりづらい。

 煩悩はちっとも反応しないけどな!

 それからその場に座り込み、いわゆる座禅の姿勢を取って精神を集中する。

 始めるのは仙法の鍛錬だ。

 仙法というのは中国の仙人とか気功とか拳法とかを混ぜ合わせたような思想と技術の集合体だ。魔法が世界の根幹にかかわる神の御業を盗んだものだとすると、仙法は魂と肉体を神そのものにまで高めることを目的としている。


「うう……もう背中が痛い。この体は虚弱すぎるな」


 座禅の姿勢を維持するだけでも辛いが、ここは我慢だ。

 魔力は魂に宿るが気は肉体より発生する。この体は異世界で俺が散々に鍛えぬいたイング・リーンフォースではない。上中下のどの丹田も未完成で全然気が巡らない。


「こんな姿、師匠に見られたらどうなることやら」


 またあの地獄の日々を最初からやり直すなんて考えたくはない。

 とはいえ弱いままの自分なんてのも嫌だ。

 俺は同じゲームは何周しても最終的に同じようなステータスになっちゃうような人間なんだ。一度強い状態を知っているのにそれを捨てるなんてとんでもない。

 とりあえずは【昇仙】ぐらいはできるようにならないとな。

 ずうっとあれやこれやと気を練る努力をする。

 時間はかなり過ぎた……つもりだったが実際には一時間も立たずに体力が尽きた。弱い、弱すぎる。


「ぐふー」


 床でだらりと伸びていると魔導タブレットが通知音を鳴らした。

 通話はなし。メッセージだけだ。


 ファナーン「はよー? おはよ~? こっちはおはよ~。例の物説明書付きでいま送った。時差がどれくらいか教えてね~」

 イング「了解」


 と返しておく。

 さて、俺は召喚した時間に戻されてると言われていたのにおよそひと月の誤差があった。今回はどうなるか。


「とりあえず、シャワーでも浴びるか」


 トリートメントだけだとこの髪のゴワゴワは治らないのかな?

 すでに誰もいなかった。

 父は銀行の支店長。母はデザイン会社の社長。妹は有名私立中に通っている。

 そして私は底辺公立校に通うサダコちゃん。

 なんだこれと思わないでもない。

 もちろん理由はある。これでも小学生ぐらいまでは普通の愛情を受けていたようなのだ。

 詳しい説明はもう少し後でするが……いま端的に説明するとすれば、愛と金だ。どちらも偏るとない側は狂うしかない。それがあると知ってしまえば特に、だ。

 母親のトリートメントをたっぷりと使った髪をすすぎ、湯船に浸かる。

 長い髪には色々と宿る。死霊魔法の師匠ナイアラがサダコヘアなのは髪にまとわりつく想念が目当てだ。

 髪を洗ったついでそれを一まとめにしてアイテムボックスに収納している死霊たちに喰わせた。連中は収納されている間は凶魂石というものに封印されてアイテム扱いだ。魔神王の魂も特別製の凶魂石に封入してある。

 アイテムとして所持しているが、どうしたもんかな。

 飼いならすにはまだまだ時間がかかりそうだし、いまはそれどころでもない。このまま死蔵になるかもな。

 しかしそれももったいない。使わないから作らないというのは違う。使わなくても作る。この精神でなにか考えてみよう。


「おっ」


 風呂から出て部屋に戻ると魔導タブレットの前に木箱があった。小物入れ程度のサイズだが、これぞ宝箱という感じの木箱だ。


「もう来たか」


 開けてみると数本の小瓶と説明書があった。

 髪に塗る物、顔に塗る物、肌に塗る物、飲む物の四つだ。

 説明書を読んで使用タイミングや使用上の注意を確認する。ファナーンの薬はよく効くが使用上の注意を守らなかった場合の反動も凄い。

 熟読してみたが、風呂上りのきれいな状態で使えという以外は特にない。守らなかったら効能が弱いというだけで特にひどいことは起きないようだ。

 錬金魔法を修行しているときにファナーンの所に客が来た。

 彼女は意中の男を落とすための薬を作ってくれと言った。彼が一目見ただけで自分に恋に落ちるような薬をと。

 ファナーンは作った。ただし、飲むのは一日に一滴だけだと、専用の測りも用意して渡した。

 薬はちゃんと効能を示し、男は女のものとなった。

 女は最初はそれを守った。だが、対象となる男を狙う女性は多く、薬が効いていないときの男は簡単に他の女性に惑わされた。

 女はそれが耐えられず、薬を必要以上に飲んだ。男が自分の側から離れないように。

 だが、強すぎる薬の効能に男は狂い。捏造された愛は歪み、やがて男は女を殺し、食った。

 二度と離れないようにするために。

 そんなファナーンの薬だ。気を付けるという行為を百パーセントこなしておかないと安心できない。


「よし」


 説明書を十回読んで、米粒に写経するような小さな文字も暗号も隠れていないことを確認し、魔導タブレットで彼女に到着したことをメッセージで送ると再び風呂に入った。湯上りが良いらしいからな。それに、母親の無駄に高いトリートメントの効果も洗い落としておかないと。

 その前に美容院の予約もしておかないと。駆け込みでしてくれるところはあるかな。

 ああ、財布に金がないな。

 死霊を飛ばして家中を探させる。父親のクローゼットに予備の財布があった。もらっていこう。

 無事に美容院が予約できた。風呂に入り直してファナーンの薬を使用する。髪が瞬く間に艶々になり、肌も水気を取り戻した。栄養不足でくたびれている内臓も活力を取り戻し、急速な空腹感に襲われる。

 本当にファナーンの薬はよく効く。即効性もある。

 美容院に行く前に時間があるから、たっぷり食事をするとしよう。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る