2、ふりだしに戻ったら(1)

 六年間の全てを無かったことにして、僕はまたアイツに会いに行く。かつて僕が好きになった女の子。受験を理由に僕の告白をフッた女の子。それなのにその一ヶ月後、平沼先輩からの告白を受け入れ先輩とお付き合いを始めた女の子。


 そんな美沙希に僕は会いにいく。


「久しぶりに会って飲まない?」の一言で僕の六年間を消し去った彼女は、果たして何故僕に連絡をしてきたのだろうか。


 平沼先輩に別れを告げられたと聞いた。高校から付き合っていて、最近まで継続していた関係であったのに、急に別れることになった要因も気になる。数ヶ月前に美沙希のことを「大切な人」と形容していた平沼先輩の方から別れを告げたとあっては、二人の間に何があったのか興味が湧くのもいたしかたないだろう。


 美沙希の待つ居酒屋の最寄駅に到着した。時刻は二十一時を回っており、チラホラと疲弊に満ちた顔を浮かべるサラリーマン達が電車に乗り込む。僕はその波に逆らって駅のホームに降り立った。エスカレーターを下って、改札を抜ける。美沙希から聞いた居酒屋は駅から目と鼻の先にあった。安酒を安価で提供する若者御用達のチェーン居酒屋で、思えば大学生活のほとんどを棒に振っていた僕にとって、そこは縁のない場所であった。


 ビルの五階を目指して、エレベーターのボタンを押す。ここでようやく、自分が少しばかり緊張していることに気がついた。美沙希はどう変わったのだろうか。今でもあの時みたいにあの満面の笑みを見せてくれるのだろうか。僕のことをどう見ていてくれているのだろうか。何で今になって僕のことを思い出してくれたのだろうか。どうして僕を飲みに誘ってくれたのだろうか。気になることも聞きたいこともたくさんあった。最終電車まで時間はまだ多いにある。それでもきっと足りないくらい、話すことがある。


 美沙希と話したい。

 美沙希のことを知りたい。


 僕の知らない美沙希があの告白からの六年間という時間を背負ってこのエレベーターの向かう先に、一人待っているのだ。一緒に下校していたあの頃、毎日二人で話していても話題が途切れることなんてなかった。これだけ時間が空いたのだからどれだけ二人きりで話そうと、 今晩だけでは話し終えることはないだろう。


 エレベーターが五階に到着した。扉が開くとすぐ前に店員が立っていた。待ち合わせであることと美沙希の苗字を店員に告げると、すぐに案内をされた。中は平日ということもあってか空いていたが静けさはなく、どこからともなく一気飲みを強要するコールが響いていた。


 まるでお化け屋敷にでも入ったかのように恐る恐る歩を進めていると「こちらです」と店員に通されたのは店内で一番奥にある個室だった。個室と言っても二人用のではなく団体向けのもので、二十から三十人ほどの人数を収容できる広さを持った部屋だった。襖で閉じられているが、中からは耳を劈くほどの大声が聞こえてくる。


 襖を開けるとそこには地獄のような光景が広がっていた。パンツ一丁で机の上に立ち踊る青年、部屋の隅でバケツに嘔吐している男性とそれを看護する女性。真ん中では聞いたことのないコールが叫ばれ、それに合わせて数人が飲み比べをしている。男同士でキスしている者もいればそれを撮影して楽しんでいる者、その隣では男女がお互いの下着の中に手を突っ込んでいた。この部屋の許容人数をゆうに超えているであろう数の人が、まるでゴミ袋に押し込められるかのように敷き詰められていた。


「あ、遅いじゃーん! 変わってなーい」


 どこから聞こえてきたのかすらわからなかったが、間違いなく美沙希の声だった。


「どこ見てんの? こっちこっち」


 人混みの中から片手がひょっこりと現れた。


「あ、髪型なんか真面目になった? スーツだし、真面目社会人かよー」


 ヒラヒラと挙げられた手の元には美沙希が座っていた。これが実に卒業から五年ぶりの再会だった。美沙希の周りは既に大勢の人で席は埋まっており、僕は美沙希の元に辿り着くよりも先に手前の席に座ることを余儀なくされた。


 そこから二時間、僕はただそこに座っていた。何かを飲むわけでもつまみに手を出すわけでもなく、ただただそこに存在しているだけだった。この間数人の男に絡まれもしたが、僕は会釈だけに留め会話を始める気はなかった。


 一体僕は何をしに来たのだろう。何を期待していたのだろう。電車の中で話そうと決めていた話題の数々が披露されることはなかった。美沙希の顔も十秒と見ていない。似合わない化粧を纏った美沙希の顔は高校生の頃より少し丸みをおびていて、着ている服も少し大きめのサイズに改めるべきだと思った。見た目だけで言えば、あの頃の可愛げのある美沙希は既に消えていた。


 僕の頭の中にいた美沙希が更新される。ゆっくりじわじわと、六年前の美沙希が頭の中で死んでいく。いや、死んでいくというより僕が殺していた。


 頭の中で六年前の美沙希を僕は殺した。何度も、何度も。


 何のために僕は呼ばれたのだろう。そもそもこのグループは一体なんのグループなのだろうか。周りの話に耳を傾けて聞く限り、これだけの人をここに集めたのは美沙希らしい。この地獄を作り上げたのは他ならぬ美沙希自身と言うのだ。

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