第72話 世界の救世主





 聞きたい事はもっとあった。

 タイムリミットが存在するなら、質問を最重要課題に絞るべきだったと思った。

「もう一度トライ出来ますか? 」

 葵が言うとビルヘルムは首を横に振った。

「無理は禁物じゃ。きっとマリー様は、いきなりと言った形で意識を失ったのであろう?」

「はい」

「わしは、キミの方がそうなると思いマリー様の同行を認めたのじゃがな」

 意外な結果だと言いた気だった。

「血統正しき黒髪・黒瞳の御人でさえ長くは留まれないのじゃ。命を失うことはないが、三日ぐらい意識が戻らない時もある」

 そう言ってビルヘルムはニコラスを見た。どうやらニコラスの事を言っているようだ。

 ニコラスは煙たそうな顔でビルヘルムを一瞥して、葵に抱かれるアナスタシアの顔を覗き込んだ。

 アナスタシアの眉が緩やかに開いた。

 そして葵に抱きかかえられている現状に気付くと、アナスタシアは真っ赤な顔になり、慌てて床に足下ろした。




「マリー、大丈夫かい?」

 ニコライ皇帝の自室を出た所で、葵はアナスタシアを気遣った。

 まだ気分が優れないのか、少し俯き加減で葵に遅れながら付いて来るアナスタシアが気になったのだ。

「ルーシー達にはぼくから言っておくから、部屋で休んだらどうだい?」

「いや、体調が悪いわけではないんです。わたしはキミを……いや、あなたと、言葉遣いも含めて、どのような接し方をしたらいいのか、分からないのです」

「どう言うことかな?」

「だって……兄上様何でしょ?」

 と上目遣いに葵を見た。

「兄……。そういうことか。アハハハハ」

 葵は大げさに笑って見せた。

「葵! そんなに笑わなくてもいいだろ! わたしなりに真剣に考えているのだぞ」

 アナスタシアは立ち止まり、葵に身を乗り出して訴えた。

 そんなアナスタシアに葵は微笑んで見せた。

「今のように自然な感じでいいんじゃないかな。その方がマリーらしいよ」

 アナスタシアはハッとした顔をした。

「この先マリーが皇帝に即位しても、ぼくにとってキミは、ともに貧困層救済に尽力した、あの時のアナスタシア・マリーだよ。その思いは今も変わらないし、これからもきっと変わらないと思うよ」

 アナスタシアはいつもの真っすぐな瞳を葵に向けた。

「分かった。兄上の魂であろうとなかろうと、葵は葵だ。キミが不変でいると言うのなら、わたしも不変でいよう。淑やかでなく、可愛気もないわたしだが、キミはこんなわたしでいいんだな?」

「キミは自分を知らなすぎるよ」

 と葵は穏やかな顔を向けた。

「キミほど優しく思いやりに満ちた女性を、ぼくは知らない。キミ以上の女性は何処を探してもきっと見つからないと思う。ぼくの方こそ問いたい。黒髪・黒瞳を抜きにして、本当にぼくが恋人でいいのかと」

「聞くまでもない。キミはわたしの願いを全て叶えてくれた。だから、最後の願いも叶えて欲しい」

「最後の願い?」

「わたしの夫となり、生涯わたしの隣りにいて欲しい」

「それはぼくからもお願いしたい」

 葵はアナスタシアを抱き寄せてキスをした。

「ありがとう、葵」

 アナスタシアがキスで返した。



 カフェ・ド・マイストールのオープンテラスには、スルーズ達が揃っていた。

 ハルと隣に座るエリーゼを見止めた時、セントラルハーツのトーマス・ミラーの思念に、二人のこの能力について、聞きそびれた事を葵は思い出した。

「孔明様。お久しぶりです」

 エリーゼは相変わらず幼く見えた。十一歳のハルと年の差を感じさせなかった。

「兄さんはこれが好きだったよね」

 ハルが気を利かせてアイスカフェオレを葵の前に差し出し、アナスタシアの前にはアイスミルクティを置いた。

「アナスタシア様はミルクティでしたね」

「ありがとう」

 アナスタシアと葵は同時に言った。

 葵は無邪気に笑うハルに目を向けた。

『転移魔法を使える者は、間違いなく異世界からの転生者か召喚者に限っているのじゃ』

 魔導師長・ビルヘルムの言葉が葵の頭の引っ掛かっていた。

 葵を見つめるブルーコンタクトレンズのスルーズのまなこが少し緑がかって見えた。

 葵に読心魔法を使っているようだ。同時にスルーズの一日の行動と記憶が葵に流れてきた。

《ハルのことを気にかけているようですね》

〈ああ。キミはどう思う? ハルは異世界転生者なんだろうか?〉

《違うとわたしは思います。ハルの記憶に異世界の痕跡は感じられませんから》

〈それにビルヘルムは、転移魔法が使える人間としてハルのことを除外していたが、気付いていないのだろうか? それとも〉

《きっと、の方だと思いますよ》

〈トーマスの思念が、ぼくに不利益になるとして、ビルヘルムに情報を与えなかったと言うことだね。ロゼもそう思うんだね〉

《はい》

〈それにエリーゼのアンチ魔法も気になるんだ〉

《エリーゼの心を覗きましたが、彼女は自分のアンチ魔法に気付いていないようなんです。ただ、彼女は一切の魔法が使えないから、生活の不便は感じているようですが》

〈それって、まるでぼくと同じだね〉

《そうかもしれませんね。でも、葵様にはわたしがいるじゃないですか》

〈そうだね。ずいぶん助かっているよ、ロゼ〉

 スルーズとの会話は他愛なく、最後は笑みで締めくくった。

 だが、葵の心を覗いた以上、ニコライにも認められたアナスタシアとの正式な婚約は、スルーズの知る所となっただろう。

 葵との会話の後に、寂しく揺れたスルーズの微笑みを、葵は見落とさなかった。



 スルーズの今日の記憶の中で、魔法が使えないエリーゼのためにハルが魔法を使っているのに、彼女が触れるとハルの魔法マナが消えてしまう場面が何度も見られた。

 具体的には、ハルが水道管から水を出しているのに、エリーゼが水に触れると水道管の水が止まったり、ハルが魔石で部屋の明かりを灯すと、エリーゼが部屋に入るだけで消えてしまうのだ。

 エリーゼは申し訳なさそうにしていたが、ハルは逆に彼女のアンチ魔法をスゴイと称えていた。

 今まで何でそうなるのか分からなかったエリーゼは、ハルの説明で、アンチ魔法なる物が作用していたのだと認識したようだ。


「さすがはパンゲア大陸最大のロマノフ帝国だな。マリータウンって言ったっけ。こんな商業施設は、ゲルマン王国では見たこともないよ」

 カフェオレを飲みながら、物珍しいのか、リンダの目が落ち着く事なく

上下左右に泳いでいた。

「でもね、半年前はこんな所だったのだぞ」

 アナスタシアは持っていた葵のビデオカメラの映像をリンダに見せた。

「うっそ……! 以前はこんなスラム街だったなんて……?! 本当なんですか? 信じられない」

「孔明様がこの街を作られたのですよ。孔明様がいかにすごい方か分かるでしょ?」

 ルーシーの言葉に、リンダは呆れたような顔をした。

「やっば、軍師殿は只者じゃないや」

 葵は苦笑いを浮かべるしかなかった。

「終わりじゃないよ。課題はまだ残っているんだ」

 葵は解体が始まっている集合住宅棟に視線を向けた。

「老朽化した住宅の建替え及び再開発を、今度はアナスタシア様達が中心になって進めているんだよ」

 リンダはしきりに頷いて見せた。

「アナスタシア様達は本当に国民のために仕事をしているんだな。わたしはこの国に生まれたかったよ。……でもね、わたしはやっぱりゲルマン王国の人達が好きだよ。わたしの生まれ育った祖国も、変わって欲しいし、助けたいと思うよ」

 リンダは深い溜息を吐いた。

「軍師殿はわずか一ヶ月でルマンダに活気を与えてくれたよな。あんな感じてゲルマン王国全体が、活気あふれる街になってくれたらわたしは嬉しいんだよ。あのさ、何時かわたしの力になって欲しいんだ。――いや、分かっているさ。望みには代価が必要なことぐらいは。わたしはアナスタシア様に忠義を以て尽くします。だからいつの日か、軍師殿の力をお貸しください。ゲルマン王国が戦争を仕掛けてくるのは、貧困から抜け出す術を知らないからなんだよ。町の住む人たちはみんないい人なんだ」

「分かっているよ、リンダ」

 と葵は隣に座るハルの頭を撫ぜた。

「この子もゲルマンの子だよ。そしてこの子の姉さんもいい娘だった。なのに、食べて行くために、貧しいから悪いことをしなきゃ生きて行かなかったんだ」

 ハルに配慮してエミールの最期には触れなかった。

「いい人がいい人でいられる手助けを、ぼくはしたいと思う。時間は掛かると思うけど、リンダの思いは何時か成し遂げたいと思っている」

「軍師殿」

「わたしも協力を惜しまない。戦争を無くすにはロマノフ帝国だけが豊かではダメなんだ。ルマンダで過ごした一月ひとつきでわたしは思った。国境など関係なく、人は等しく幸せでなくてはならないと」

 長い道のりになるかもしれないと思った。

(だけど…)

 この世界の救世主として召喚された葵の使命が、そこにあると感じだ。

 そしてそれはトーマス・ミラーの思いでもあるのだと。

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