第71話 セントラルハーツ





 開かれた扉の向こうは深い闇の世界だった。

(これは……)

 気後れしそうになったが、隣りに腕を取るアナスタシアを見て、葵の心は強く保てた。

「葵、一緒に行こう」

「ああ」

 もう怖くなかった。アナスタシアもきっと同じ気持ちだったに違いない。

 二人は同時に一歩踏み出した。

 すると、闇だと思っていた世界に、いきなり光が差し込み、二人の体を包み込んだ。

(あの時の光の渦だ…)

 そうだ。異世界に召喚された時、葵を包み込んだ青や赤の光の渦が、再び現れたのだ。そしてあの時と同じように、黄色やオレンジに色を変えながら、最後に金色の光の渦となり、葵とアナスタシアを包み込んでいた。

「大丈夫だよ」

 少し不安な表情を見せるアナスタシアを抱き寄せた。

 有限を感じさせない光の宙空に浮いている、そんな感じだった。


 ――― 来たんだね、葵。それにマリーも ―――


 突然頭の中に声が聞こえた。男の、いや、少年の声だった。

 アナスタシアの黒い瞳が光に包まれた空間を見回した。

「兄上様……! その声は兄上様なんですね?」

 アナスタシアにも聞こえたらしい。


 ――― そうだよ、愛しのアナスタシア・マリー。トーマス・ミラーだ ―――


「兄上様、何処にいらっしゃるんですか? お願いです。わたしに姿をお見せください」


 ――― マリー、それは無理な注文だよ。わたしは肉体を持たないトーマス・ミラーの思念なんだから。それに、トーマス・ミラーの転生した肉体は、キミの隣りにいるじゃないか ―――


「それじゃ、やはり……」


 ――― トーマス・ミラーは桐葉葵だ ―――


「ぼくがトーマス・ミラーの転生だとしたら、それではあなたは一体誰なんですか?」


 ――― 今も話したじゃないか、わたしはトーマス・ミラーの思念だと ―――


「思念とは何ですか?」


 ――― この場合の思念とは、トーマス・ミラーの記憶と感情だ ―――


「記憶……感情?」


 ―――そうだ、記憶と感情……。トーマス・ミラーはこの世界をより良い方向に導くため、異世界転生に当たって、思念をセントラルハーツに残したんだよ。そのお陰でキミには大変な迷惑を掛けたみたいだね。キミがトーマス・ミラーの記憶を持たないのも、感情が気薄なのも、ここセントラルハーツにトーマス・ミラーの全ての思念を残したせいなんだ ―――


「何故、そのようなことをしたんですか?」


 ――― すべては、異世界転生したキミが今度はこちらの世界に召喚された時、必要となる力をキミに与えるためだ ―――


「力? ぼくにそんな力があるのですか?」

 

 ――― 賢明なキミらしくない発言だね。キミには無尽蔵な力があるはずだよ ―――


「シンクロ魔法……のことですか?」


 ――― キミ達はその力をそう呼んでいるみたいだけど、それは正確な呼び方ではないな。だって、シンクロ魔法として魔導辞典にも掲載されてある力と、キミが持っている力は似ているようで全く違う物だ。とは言え、正式な呼び方を聞かれてもわたしも困ってしまう。これはキミ固有の力だから……つまるところ、名前は付いていないんだよ。そしてキミのその能力は、このセントラルハーツが蓄えている膨大な力そのものなんだよ。ほら、レビリアで見せたマリーの風魔法を何百倍にも高めた、あの時の力の根源は、セントラルハーツのほんの少しの力でしかないんだよ。そしてその力を制御しているのが、トーマス・ミラーの思念なんだ―――


「トーマス・ミラーはレビリアで戦死されたと聞きますが?」


 ――― つまり、何故思念だけがセントラルハーツに残ったのか? そう尋ねているわけだね ―――


「はい」 

 

 ――― 最初に皇帝陛下から聞いていたはずだよ。レブリトールにおもむく時、トーマス・ミラーはセントラルハーツに初めて入ったと。その時、トーマス・ミラーは、契約したんだ ―――


「契約? 一体何を」


 ――― それまでセントラルハーツには一切の思念がなく、マナの管理も制御も出来ていなかったんだよ。マリーなら分かるよね。それまでのロマノフ帝国は自然災害が頻繁に起きていた。溜まった魔力マナが暴走して、暴風や洪水を引き起こしていたんだ ―――


「そう言うことだったのですね―――あなたが他界された頃から、自然災害もなくなり、国土の環境が安定いたしました。人は皆、神となられたトーマス様のご加護だと言っていましたが、まさにその通りだったのですね」


 ――― 神とは大袈裟だな。とにかくその時、トーマス・ミラーが有事の際は魂を異世界転生してもらう見返りに、トーマスの思念を譲り渡すとした契約を結んだのさ ―――


「もしかしてトーマスは、レブリトールで戦死されることを予見していたのですか?」


 ――― まさかね。そんなものはないよ。戦場に行くものならきっと誰もが同じことを考える筈だよ。もしかしたら自分はこの戦で死ぬかも知れないと。実際わたしも軽い気持ちで結んだ契約だからね。まさか本当に死ぬとは思わなかったよ ―――

 

 トーマスの思考が少し笑った。

 存外この男は楽天的なのかもしれない、と葵は思った。

 聞きたい事は山ほどあった。


「ぼくはロベスと言う男に召喚されて今日に至りましたが、全てはあなたの思惑通りなのですか?」


 ――― いや、そこまで綿密な計画は練っていなかったよ。確かにロベスには言付けていた。わたしがもし死んだら、異世界に転生しているわたしを召喚するようにとね。でも、それは異世界召喚士の命がけの究極魔法だから、わたしも強要はしなかった。結果的に、キミが召喚されるまでに八年もの月日が必要だったからね。キミの召喚もなくスルーズやマリーと出会ったことも、召喚の地がマイストールだったことも、全ては自然の成り行きだ。キミが出会うべくして出会っただけだよ。わたしは何も仕組んでいないよ ―――


「ぼくはてっきり。全てはあなたの導きによるものだとばかり思っていました。バルキュリアに殺される所までも思案の中だと思っていました」

 

 ――― わたしはキミほど聡明ではないよ。バルキュリアに殺されることなど意識の外のことだ。ああ、バルキュリアと言えば、キミはスルーズと意識の共有をして、今は感情豊かな生活を送っているようだね ―――


「それはトーマス・ミラーの思惑の中にあったのですか?」


 ――― ないよ。それも偶然だ。もし偶然でないとしたら、トーマス・ミラーではなく、キミの持つ何かを導く不思議な力とでも言うべきだろうな―――


「ところで、スルーズの読心魔法はビルヘルム様の耳には入れてあるのですか?」


 ――― わたしはトーマス・ミラーの思考だよ。トーマスの転生であるキミの不利になる情報は一切公開していないよ。それにスルーズはゲルマン王国出身のバルキュリアだ。知られたらキミが困るのは明白だからね。それと、少なくともロマノフ帝国には、彼女の他に読心魔法の使い手は存在しない ―――


「それではゲルマン王国には他にその使い手がいると言うことですか?」


 ――― 恐らくいないと思う。セントラルハーツがトーマス・ミラーの思考で制御されるようになってからは、スルーズ以外に読心魔法のマナを感じた者はいなかった。ただ…… ―――


「ただ?」


 ――― ゲルマン王国国境線にも、五年ほど前から魔法障壁が築かれている ―――


「魔法障壁とはどういうものですか? たまに耳にしますが、理解するには至っていないのです」


 ――― 分かりやすく言えば、魔力遮断障壁と言うべきだろうね。それまではロマノフ帝国の大鏡で、パンゲア大陸一帯の情報収集が隈なく出来ていたんだよ。それがアルビオンで三十年前に、そして五年前にゲルマンで魔法障壁を作られてから、両国の情報は大鏡で知ることが出来なくなってしまったのさ ―――


「それでは両国にもセントラルハーツが作られたと言うことなんですか?」


 ――― 作られたと言うのはある意味正確な表現だね。セントラルハーツは思念を持たない有機生命体なんだよ。ロマノフ帝国が持つ有機生命体は両国には存在しない。このセントラルハーツは唯一無二のものなんだよ ―――


「つまり、両国にあるセントラルハーツは有機生命体ではなく、人工的に作られた何か、という訳ですね」


 ――― そもそもセントラルハーツとは呼ばないよ。あれらは、もっとおぞましい物だ ―――

 

 抑揚に嫌悪感を感じた。


 ――― 大勢の魔導師を一か所に集めて思念を作り上げている、怨念のたまり場のような場所だ。怨嗟の念をエネルギーにしていると言ってもいい。そんな邪念が国の発展に貢献できる筈もない。ただ、ロマノフに向けて魔法障壁を作るが為の生贄にされているのだ ―――


「酷い……」

 黙っていたアナスタシアが呟いた。

「わたしは、短い間だったがゲルマン王国で、そこに暮らす人々を見てきて、そして感じた。彼らもまたロマノフの民と何ら変わりなく、優しく思いやりがあって、そして小さな幸せを望んで暮らしていた。わたしはそんな彼らもまた救いたいと思った。力になりたいと思った。だからそんな仕打ちは、わたしには許せない! 許せ……ない……」

 言いかけてアナスタシアは葵の方に寄り掛かった。

「マリ―?」

 意識を失っていた。


 ――― いけない。膨大な魔法マナに当てられてしまったんだ。葵、マリーを連れて早くここを出るんだ ―――

 

「分かった。でもどうやって」


 ――― そのまま振り返らずに、一歩下がるんだ。それだけだ ―――


 葵はアナスタシアを抱き上げたまま、トーマス・ミラーの思念の言葉通り、一歩下がった。


「おお。帰って来たか」

 突然と言う形でアナスタシアを抱いた葵は、大鏡の部屋に戻っていた。

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