第69話 黒髪・黒瞳の秘密





 空間を抜けた先に見えたのは縦三メートル・横二メートル程の楕円形の大きな鏡だった。

 どうやらこれが情報収集源となる大鏡と呼ばれている物らしい。

「説明は不要じゃな」

 ビルヘルムは大鏡を一瞥した後、葵に目をやった。

「国中に配置された魔道具の情報がここに一手に集められるのじゃ」

「手鏡から情報収集するのですね」

「手鏡だけとは限らん。通信機能のある全ての魔道具の情報がここに集められるのじゃよ。ゲルマン王国やアルビオン王国でも同じように大鏡が用いられておるのじゃ。その中でも最大の領土を誇るロマノフ帝国の大鏡は情報量が桁違いなんじゃよ。ロベスがこの大鏡のことをこう言っておった。マザコンとな」

 マザーコンピューターの略称だ。

 葵は改めて周囲を見渡した。

 王宮内にしては珍しく狭い部屋だった。十畳程だろうか。窓もなく大鏡と照明用の魔石以外に何もない部屋だった。

「孔明、こちらだ」

 と先程から黙っていたニコラスが大鏡の裏に回った。

 そこにメテオラ鉱石で作られたとおぼしき、大鏡よりも二回ふたまわり程小さな開き戸があった。

「孔明、わたしと一緒に来てくれるか。マリーも一緒だ」

 言いながらニコラスが扉に手を掛けた。

「お待ちください、陛下!」

 突然アナスタシアが怒声を上げた。

「どういうつもりですか、陛下! 皇族の血を継がない者がここに立ち入ることがどういう結果をもたらすのか、陛下も承知しておられる筈です! ここに足を踏み入れた孔明がどうなるかは明白! それともそれが陛下の狙いなのですか! だとしたらわたしは黙ってはいません1 相手が皇帝陛下と言えどもわたしは…!」

「マリー様」

 とビルヘルムがにこやかな顔でアナスタシアの背中をポンポンと軽く叩いた。

「落ち着きなされ。皇帝陛下にそのような意図はありませんよ」

「ではなぜ!」

 興奮したアナスタシアは肩で息を切っていた。

「陛下の皇室おへやで話されていたことをお忘れか? 孔明殿がこの世界に生まれて、その死後地球と言う世界に転生された話を」

「覚えている。一体それが…」

「関係あるのです」

 ビルヘルムは少し強い口調で言った。

「わしとて、その扉の向こうに行くと言うことが、どのような結果をもたらすかは理解しております。皇族だからと言って黒髪・黒瞳でないお方や、マリー様のお母様のように、黒髪・黒瞳の持ち主でも、受け継がれた皇族の血統をお持ちでない方が、ここから先の一線を越えたら、どのようなことになるのか、知らない訳ではありません」

 つまり「死んでしまう」と言う事なのだろう。

 全てを理解したとは言えないが、断片的に垣間見えた部分はあった。

 そんな葵をアナスタシアが見つめた。

「我が帝国が黒髪・黒瞳の血統に拘る理由がこの中にあるのだ」

 アナスタシアはメテオラ鉱石の扉に目を向けた後、ニコラスに向いた。

「もう話してもよろしいですよね、お父様」

 ニコラスは苦笑いを浮かべた。

「マリーはズルいな。おねだりする時だけお父様だからね」

 話してあげなさい、とニコラスは葵を見た。

(おや?)

 心なしか葵を見るニコラスの眼差しが妙に柔らかだった気がした。

 アナスタシアが説明を始めた。

「この部屋の先には、ロマノフ帝国だけではなくパンゲア大陸全体の魔法マナを制御するセントラルハーツがあるのだ」

「セントラルハーツ?」

「マナのコントロール装置と言ってもよい。皆はここのある大鏡がロマノフ帝国のマナの根源のように勘違いしているが、この鏡もまたセントラルハーツによって制御されているのだ」

「この世界の根幹となる物がここにあると考えていいんですね」

 葵の問いに、アナスタシアは深く頷いた。

「ぼくなりに、こうではないかと考え着いたことがあるんです」

「それはどんなことだ?」

「その部屋には、皇室の血を引き継いだ黒髪・黒瞳の者でないと入れないということなんですよね」

「そうだ」

「そしてその条件に適合しない者は最悪の結果をもたらすことになる」

「その通りだ…」

 アナスタシアは項垂れた。

「ビルヘルムが今し方話した、黒髪・黒瞳を持たない皇族……陛下の腹違いの弟君のオルドレン皇子がそうだ。そして黒髪・黒瞳を持つ我が母上の二人だけが禁断を破り、侵入して命を落としたのだ」

 最初に話したオルドレン皇子は好奇心から侵入を試みたらしい。外傷はなくその死に様は、まるで魂を吸い取られたようだったらしい。

「わたしの母上は、それとは対照的に胸部に鋭利な刃物傷があったのだ。背中まで貫通していた……。公式発表では病死とされたが……母上は殺されたのだ……!」

「オルドレン皇子はともかく、アマンダ妃の死因については、わしは近衛隊から厳しく追及されてしまったがのぉ。確かに傍にいたのはわしじゃが……わしは扉の向こうには入れなかったから、あの時何が起こったのか、分からんのじゃ」

「アマンダはトーマスの死を受け入れられずに自殺したんだよ」

 ニコラスがそう言った。

「違う……!」

 アナスタシアは絞り出すよう言った。

「母上は何かを守ろうとしたのだ。…きっとそうだ」

「わしもマリー様の意見に賛同しております。そして、そのカギを持っているのが、孔明殿、キミじゃよ」

 ビルヘルムの言葉にアナスタシアが反応して葵を振り返った。

「つまりビルヘルム様は、マリー様の母上とぼくとの間に何らかの因果関係があると仰りたいのですか?」

「恐らく……な」

 ビルヘルムの答えは曖昧だった。

「アマンダ妃は目立った魔力は持っていなかったが、一つだけS級に属するマナを持っていた」

「母上がS級のマナを? わたしもそれは今初めて聞く」

 アナスタシアが身を乗り出した。

「それはどんな魔法なのだ?」

「わしはそれを冥府眼と呼んでいた」

「冥府眼?」

「ユニークスキルじゃ。死した先の、つまりその者の生まれ変わりを見ることが出来たのじゃ。アマンダ妃はきっと、トーマス殿下の生まれ変わりを見たのではないか……と、わしはそう思ているのじゃ」

 葵の頭の中で弾ける何かががあった。

 幼少期における葵の記憶は霧がかかったように朧気おぼろげだ。

 八歳にもなっていれば誰しも両親の顔くらい記憶している筈だが、葵はあまり覚えていなかった。

 それでも、家に侵入してきた暴漢から葵を守ろうと身をていした母の必死の形相だけは、今も鮮明に記憶に残っていた。

「軍師殿」

 とビルヘルムは葵に手鏡を差し出した。

「セントラルハーツに入る前に見て欲しいものがある」

 葵は隣にいたアナスタシアと一緒に手鏡を覗き込んだ。

 そこには十一年前に刺殺された葵の母親の静止画が映っていた。

(母さん……なんでここに?)

 そして葵が言葉を発するより先にアナスタシアが震える手で手鏡を握って呟いた。

「お母さま……」

「えっ……!?」

 葵は涙をためているアナスタシアの横顔を見つめた。

 葵の視線に気付いてアナスタシアも振り返った。

「これはわたしの母上だ」

「えっ……?」

 葵は同じリアクションを繰り返すしかなかった。

「どうかしたのか?」

 葵の表情の変化に気付いたアナスタシアが尋ねて来た。

「本当にこの方は、マリー様の母上なのですか?」

「そうだ……何か変なのか?」

 葵はどう返事していいか分からず、言葉を飲み込んだ。

「葵……何かあるんだろ? わたしにはすべて話して欲しい。お願いだ」

 アナスタシアは葵の左腕に両の手を絡ませて見上げた。

「マリ―」

 葵は恐る恐る口を開いた。

「この人は……十一年前に殺された……ぼくの母親なんだ」

「えっ?」

 アナスタシアは目を大きく見開いた。

「ぼくのお母さんなんだ」

 大鏡のある部屋はしばらく沈黙に包まれた。 

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