烈風「真田幸村戦記(大助編)」1

烈風「真田幸村戦記(大助編)」                        


    1


幸村の葬儀は、三回、執行(しぎょう)された。

第一目は、密葬として、九度山で、執行された。

幸村のゆかりの者が多く集まったが、場所が狭いので、来る者を制限した。

中幹部迄で、喪主は、真田大助であった。

導師は、高野山の霊光大僧正であった。

葬儀の二役は、鈴木孫一将軍と、宮本武蔵将軍であった。

その顔も、沈痛な思いで、百雷に打たれた幽鬼のようであった。

幸村の死を、五体で受け止められないでいた。

「人の死のとは、なんなのだ?」

 孫一が、武蔵に訊いた。ごく素朴に訊いた。

「知るか」

 武蔵が、怒こったように、答えた。そして、

「何もかもが、消えた。それは、確かだ」

 と、付け足した。

「うん。何もかも消えたな。儂は死んだことがない。だから、判らん」

「殺してやろうか?」

「それは、判りやすい答えだな。死んで見ればわかる」

「自分が生きていて、死者の事を判ろうとするのは無理だ」

「武蔵よ。お主は、生まれてきたときのことや、その前のことを覚えているか?」

「お袋の腹の中に居たのは、確かだ。突然生まれては来るまい」

「だから、その時のことを、覚えているか、と訊いている」

「そんなことを、記憶している奴がいたら、化け物だ」

「だ、な。お袋の腹に入る前は」

「親父の、飛んでもないところにいたんじゃねえのか」

「大事なことだがから、訊く。その前は?」

「殴るぞ」

「痛いから、よせ。その前だよ」

「知るか!」

「それだよ」

「うん?」

「人間は、生まれてくる前のこともしらん。死んでから先のことも判らん」

「で?」

「この葬儀もそうだ。残された者、つまり、生きている者たちの、想像でやっているだけだ。こうした方が、いいだろうとか、ああした方がいいだろうとかな」

「生まれてくる前と、死んだあとにはなにがある。そう言いたいのだな」

「儂は、神仏ではない。判るわけはない」

 孫一と、武蔵が、掛け合い漫才のような、ことをやっていた。

 すると、突然、二人の背後がから、声がした。

「その死んでからと、生まれる前の、間にも世界がある。中有(ちゅゆう)という。中有(ちゅうう)とも言うがな。真田幸村殿は、すでに、もう、そこに居る。この世の者では、手が届かぬがな。微細な、それは微細な。滴(ティグレ)という。眼にも見えぬ、聞こえもせぬ、匂いもせぬ、味もねせぬ、触ることもできぬ。そういう世界にいる。ただ、動くのは、もの凄く早いぞ。邪魔する物は、なにも無い。岩でもなんでも、通り抜けてゆくわ。少しも、じっとしていない。面白くて、可愛い奴よ。人間も生まれて来る前、母親の腹の中にいるときには、何かと、気を遣うじゃろ。受胎して、三月目、九十日だ、それまでが腹の中で、落ち着くかどうか、気がかりであろう。十日程ずれるが、百か日、死んだ人間も同じだ。気を遣ってやれ。十月十日で生まれる。約一年よの。一周期じゃ。ふん。違いやせん。その、中有から生まれてくる。

人間とは限らん。さて、何になって、生まれてくるのかの、馬か、狐か、はたまた鯨かの。お二人の疑問は、溶けましたかの。

日本の坊主は、勉強も、修行もいい加減でいかん。ちゃんと、勉強すれば、判るものを。禅で坐ったり、水を被ったからといって、判りゃあせん。火を焚いても、同じじゃ。あばよ」

手頃な石の上に、腰を下ろしていたが、素早く立ち上がると、その場から、居なくなった。消え失せたと、いった方が正しいかも知れない。

我に帰った、孫一と、武蔵が、

「今の、ご坊をお探し申せ」

 身なりは、粗末な、墨染めの古びた、破れ衣に、網代笠を被って、古木の杖をついていた。まるで、乞食坊主のような姿であった。

 と、「探しても無理でございます」

 そこに、法華定院行信が、右膝着地をして、跪いていた。

「お探しに、成っても、無理でございます。今頃は、山の林の中を、鹿のような、早さで、走り抜けております」

「行信か・・・何者か? 彼のご坊は?」

「本(心)地覚心禅師の、法孫で、雲流覚法さまです。群れるのを嫌い、宗派を嫌い、孤高を好んで居られます。その見識は、海のように深く、空のように広いのですが、一切の位階を拒絶しておられます。何処に住して居られるのか、手がかりすらも、掴めません」

「仙人か?」

 孫一が、言った。

「とも言えます」

 行信が答えた。

「高野山の大僧正など、屁とも思っておりません。欲と権力の凝り固まった糞じゃ。と申しております」

「当たっているわ」

 武蔵が言った。

「普段は、山のキノコを食べたり、食べられるものを、良く知っているとのことです。木の上で寝ているかと思えば、岩やの洞穴に、住んでおります。病人が居るのを知ると、山から薬草を採ってきて、煎じて飲ませ、快癒させております」

 行信が、述べた。

「本物の、僧侶だな」

 武蔵が言った。そして、

「我々が、御大将を慕って、ご供養するのは、我々の都合と、勝手か」

「しかしな。武蔵よ。人には、得も言われぬ、それぞれの、情がある。その荒ぶる人情を、宥めるのも、大切なことぞ」

「そんな事は、判っている。儂が知りたかったのは、死の真実よ。雲流覚法老師が、言われたこと、いたく、拙者の心の奥を、縛るわ・・・」

「母親の胎(はら)の中の嬰児の如く、死者をいたわってやれか。言い得て妙だ。他に言い様はない。あの、ご坊、名僧ぞ。今一度、会いたし・・・」

 孫一が、言った。孫一も、武蔵も、覚法に魅入られていた。


                 *


 無理をしていた。

情を鬼のように殺して、凜として、喪主席に居並んでいた。

号泣したかろう。

さめざめと、涙を流したかろう。

しかし、雪は正妻である。

大助は、嫡男である。

泣いて、葬儀の場を、乱れさせる訳には、いかなかった。

次々と、焼香の列が進んでいく。

三百人の僧侶の読経が、響き渡る。

『観世音菩薩普門品第二十五』であった。

長行(じょうごう)から、唱えていた。

通常、観音経は、『世尊偈』と言う部分を、唱えるのであったが、弔問客が、多いので、長くなるので、長行から、唱えているのであった。

 その、弔問客の列を、掻き分けて、喪服姿の淀が、柩に取り縋って、よよと泣き、また、号泣をしたのであった。

「殿下・・・この淀を残して・・・ああ・・・」

 と泣き濡れたのであった。

 が、そのときに、大喝にも匹敵する、一声が、獅子吼されたのであった。

「ええーい! 見苦しや、そこな、泣き女、妾を、柩から、取り除け」

 竹林宮、雪の一声で、あった。

 その声に、武蔵、孫一、霧隠れ才蔵、猿飛佐助が、飛び出して、

「淀様、お席に戻られよ」

 と、強引に、淀の体を、柩から、引き離し、指定の席に連れ戻した。

 雪の一声は、小気味良い一声であった。

 その後は、何事も無かったように、粛々と、葬儀が、執行されていった。

 しかし、一声の中の、「泣き女『妾』」の一言は、その場の全員の耳朶と、心奥に、井戸に大石を、投げ込んだ音のように、ズキリと、響き渡った。

(凄い!・・・本当のことを、言っちゃった)

 このときの、淀の面相は、鬼女である、釈迦に会う前の鬼子母も、逃げ出す、形相になっていた。

両眼は、吊上がり、三白眼となっていた。

眉間に皺が寄り、口角が上がっていた。

誰もが、鬼を、連想した。

(よくも、満座の中で、『妾』呼ばわりをし、死ぬほどの、恥を掻かせてくれたわね)

 淀は、一気に、奈落に落ちた気持ちになった。

事実だけに、誰にも慰めようがなかった。

しかし、これが、鳳国、並びに、日本の底流に、流れていた派閥の引き金になった。


 ことは、大阪城冬の陣の戦にまで、遡る。

 このときの豊臣軍は、豊臣譜代の大名陣と、秀頼に付けられた馬廻り衆だけで、これに、徴募の浪人組がいた。

 幸村も大野に乞われたと言っても、徴募組の一人である。

戦に応ずるに当たって、雑賀の鈴木孫一を誘ったのである。

宮本武蔵、塙団右衛門、薄田隼人、後藤又兵衛、木村重成、青柳千弥、高梨内記、速見守久、伊木遠雄、などで、戦に勝利してから、幸村が、それなりに、育て上げていった者が多かった。

 しかし、派閥は三派に割れていた。

豊臣譜代と、秀頼付き小姓は出身で、一つの派閥に数えられる。

それと、もう一つは、徳川から移ってきた者である。

さらに、もう一派閥、小田原の後北条の残党であった。

大道寺孫三郎、松田一族などである。

「遅かれ、早かれ、割れる。殿下亡き後はな。それが、雪殿の一声の『妾』が、引き金になった。小気味良いといえば、小気味良い。本当のことだからな。『統室』などと言うのは、お上の、その場のでっち上げよ。妾は『妾』だ。少なくとも、拙者は、スッキリした」

 武蔵が、言った。

遠慮のない男である。

思った通りを言う。

 孫一も、表情を変えずに言った。

「これで、淀が大人しくなれば良いが」

「なるものか。昔の、豊臣恩顧の者を集めるだろうよ」

「その者たちの前で、秀頼は、『三成の子』と、バラしたらどうなる?」

 知恵者の、青柳千弥が、飛んでもないことをいった。

「証拠がない」

 孫一が首を振った。

「あるよ・・・亡き太閤、秀吉公の日記の書き損じで直筆だ。平仮名がおおく、下手くそだ。だから、

本物なのよ。祐筆が、隠し持っていた物を、奥女中の一人が、色仕掛けで、巻き上げた。文

を呼んだら、驚愕するぞ。『お拾い(秀頼のこと)は よのたねに あらされとも 豊臣の

世がつつくことを おもえは かんにんするほかなし よのものは すてに おとこにあ

らす 淀の おくには ととかす 三成の たねにほかなくそろ』と言うところで破かれ

ている。恐らく、日記であろうというのは、先に述べたとおりだ。これを、奥女中から、十両で買った。恐らく、奥女中は、持っているのが、怖くなったのだろう。で、儂が十両で

買った」

孫一が、儂は、幸村様から、似たような、呟きに、似たことを、聞いたことがある。

「男と女のことは、奥が深い、しかしの、長く肌を合わせていれば、とてつもない、秘密も、判ってしまうようになる。淀は天性の、淫乱だ。秀吉公も、三成も、それに掛かった。儂は、冷静に、あの女の、その部分を観察している。秀吉公のものは、届かぬな。淀の肌で遊んでいただけよ。儂は、聞き流していたがな」

「符節は合う」

 武蔵の眼が光った。

武蔵の、一番、嫌いなことである。

武蔵は、ケリー中将以外とは、恋愛というものをしたことが無い。

その前に、二人の女を押しつけられたが、仕方なく、妻と、女にしたが、心は、動じていない。

「淫乱か。飛んでもないな。いざとなったら、武器になる」

 武蔵がいった。

「人の心を動かすのは、剣では、どうにもならぬ。豊臣恩顧の群れが、派閥を作ってきたら。淀の前で、それを、読むことだ・・・一気に心は離れるだろう。それを、吸収したら、徳川の派閥だが、両者が、一つになったら、手向かう、愚魯はおるまい、後北条は事も無い」


                 *


大阪城の大広間で、淀の方が、喧嘩を、売ってきた。

「『妾』とは、何たる言い草ぞ。事と次第によっては、捨て置きません」

淀が、火蓋を切った。対して、雪が、

「ぷふ・・・」

 と笑った。

淀の、気色ばんだ、顔と対照的であった。

「だったら、妾にならなければ良かったのに。妾に、妾と言ってどこが悪い」

「わらわは、『統室』じゃ」

「それは、お上が、その場を取り繕う、咄嗟の戯れ事。世間では通用いたしませぬ。立派な『妾』です」

「くっ。かくなる上は、槍に掛けて、決着付けようぞ」

「今時、槍だなんて、古い」

「では、合戦に、及ぼうぞ」

「ふふふ・・・大阪城、秋の陣ですか・・・」

「その前に、面白い物が、出て参った。大阪方の面々は、ほぼ予想通り。これを見て、我らに付きたし、と思われた方は、遠慮は要らぬ。いままで、通り。では読み上げる。故太閤秀吉公の、日記の切れ端である」

 と、青柳千弥が、

件の文面を、読み上げた。

さすがに、淀の顔が、顔面蒼白になった。

「そ、そんな、偽物の、紙切れ一枚で、愚劣な・・・」

「いや。儂も、亡き幸村様から、同じような愚痴を聞かされたことがある。そのとき、淀様は、いっそ殺してたも、とおっしゃられたとのこと」

 孫一の言葉に、淀は、

「ぐっ・・・」

 唾を呑んで、言葉に詰まった。

そして、決定打が出た。

 奥の総取締役、淡島の言葉であった。

「文章と、孫一様の言う通りです。孫一は、私の夫です。しかし、なにも、言っておりません。淀様、もう、無理です。私は、あなたが、さんざんに、乱れ切ったあとの、そう、『おうら』、と称する、肛門性交の匂いも、我慢して、褥を片付けて、参りました。よくも、天下の大嘘が、付ける物だな。と思って参りましたが、事ここに及んでは、お覚悟なされませ。もう、淀様を、庇って、下さるお方は、誰も居ないのです。大奥の秘密を、喋ったからには、ごめん!」

 一言いって、懐剣で、自分の胸を、深々と刺していた。

誰も、予想をしていなかった。

「淡島!」

 夫の、孫一が、駆け寄ったが、間に合わなかった。

懐剣は、想像以上に、深々と突き刺さっていた。

「淡島・・・」

 淀は、流れ出る淡島の、胸からの血を、呆けたように、見つめていた。

「終わったな。秀頼は、立派に、三成の子供である。そうで無くて、人が死ぬか!」

 武蔵の、大喝のような、一声で、淀が、バタッと畳に手を突いた。 

 豊臣恩顧の、武将たちが、一斉に席を蹴って、立ち上がった。

「恥ずかしや・・・」

 立ったあと、毛利元康が、そう、呟いた。

豊臣恩顧の武将たちは、武蔵、孫一らの軍の最後尾の、さらなる、後方に、ついて、平伏した。

残るものは、誰もいなかった。

「母上、私は、誰の子なのです」

 と淀の体を揺さぶって、悲痛な声で聞いた。

「秀頼は・・・た、太・・・」

 といって、畳に突っ伏して、号泣した。

「『妾』らしい」

 と雪がいった。

 淀が、急に狂ったように、笑いだした。

ようにではなく、狂っていた。

そうしながら、窓辺に立つと、窓から、身を投じた。

大広間は、高いところにある。

確実に死ぬ。

哀れな一生であった。

秀頼が、脇差しの柄に手を掛けた。

その手を押さえた者があった。

 武蔵でも、孫一でもない。

真田大助であった。

「今日からは、真田秀頼になれ! 父はいないが、母が居る。許しを得よう。母上、真田秀頼に成ること。お許しください」

「子供に、何の罪があろう。真田を名乗るが良い」

 と、雪が、許可を告げた。

 この様子を見た、徳川系の者たちは、中央に、躙りよっていった。

後北条系も例外では無かった。

 国内の葬儀が行われた。大阪城で行われた。

それより、広い場所が、なかったからである。

 僧侶が、一千人呼ばれた。

喪主は、真田大助であった。

そのあとで、国際的な葬儀が、執行された。

場所は鳳凰城であった。

外国から、様々の人々がきた。

ヨーロッパのさまざまな国の元首級が訪れた。

勿論、ドイツの皇帝も出席した。

広い鳳凰城をみて、感嘆した。

どこの国の城よりも大きかった。

一つ山ごとが城なのである。

誰もが驚嘆した。

海に浮かぶ、戦艦から、空砲で、二十一発の礼砲が、撃たれた。

 葬儀外交と呼ばれているように、賑やかな交歓があった。

話題は誰もが、平和を願っていた。


                  *


 ヨーロッパは、ドイツ軍の監視の下にあったが、一応、独立は認めていた。

しかし、再軍備は、認めなかった。

そうしたなかでも、商船の航行は認めていたので、南洋にも、食料などを求めて、交易船が、来るように成ってきた。

相変わらず、まずは、小麦、トウモロコシ、大豆、陸稲などの、穀物類を、まず買った。

そして、牛、羊を生きたままで、買っていった。

そして、胡椒、ナツメッグのスパイ類を欲しがった。

幾らでも、売ってやった。

お望みのものは、幾らでもあったのである。

商船が列を成してきた。

それでも、商品が、足りなくなることは、なかった。

見れば、田園という田園は、いずれもが、青々としていた。

ちょっとや、そっとでは、足りなくなることは無かった。

(ここを植民地にしていたら・・・)

 と言う思いが、ヨーロッパ各国にあった。

しかし、それには、最大の強国である、鳳国を倒さなくてはならないのであった。

鳳国の強さというのは、身に染みて判っていた。

そこに挑むのは、自殺行為であった。

今は、なけなしの金で買うほかは無かった。

鳳国は、武力強国であると当時に、食料強国でもあった。

左右の手に、強力な武器を、もっているのであった。

こんな国は鳳国以外には無かった。

 初代の帝王である、真田幸村は、故人になったと言うが、政権も、行政も、小揺ぎもしていなかった。

幸村を支えてきた、ブレーンたちが、ガッチリと、若い皇帝真田大助を、支えていた。

何処にも隙はなかった。

相かわらずの、超大国振りであった。

見事な、多人種国家であった。

日本は単一国家であるが、鳳国は、大変に多くの民族の者たちが、拘わっていた。

鳳国の、大幹部は、殆ど建国時の、日本人で占められていたが、鄭一家や、武蔵の妻のケリー中将が、大幹部に加わっていた。

上帝の真田幸村が、落飾したのは、大きな、痛手であったが、淀が居なくなったことは、大変にスッキリとした。

それと同時に、淀を巡る数々の面妖な事が溶解して、旧豊臣恩顧の家臣たちも、ガックリしたのと同時に、謎が解けて、スッキリと、鳳国の一員に成ることが出来て、体制的には派閥が無くなって、一つに固まっていった。

崩しようのない、巨大国家に成っていったのである。

多人種の者たちも、一様に、鳳国民であることに誇りと自覚を持ち出していた。

長年に亘る、教育の成果であると言えた。

特筆すべきは、述べることが多くて、余り触れてこなかったのであるが。

アフリカの奴隷救出から始まった、黒人が、徐々に増加して、次第に、目立つ存在に成ってきたことであった。

 しかし、彼らは、勤勉であった。

アフリカに黒人大使として、派遣し、少量の援助もコツコツ行ってきたのが、鳳国に好感を抱き、一家一族で、移民として移住してきたのが、根付いて行ったのである。

黒人の繁殖力は強かった。

見る間に子供の数が増えていった。

人口の増加に、役立っていった。

多くはオーストラリアに移民させられたが、その地で見事に、国民化していった。

黒人大使は、現在も、現地で、活躍していて、移民の勧誘や、食料援助や、廉価での食料の販売に寄与していた、古米や、古古米、古小麦や、古々小麦、古穀類を、販売していたり、無償援助をしていた。

現地の役人に配らせると、自分の物にしてしまうのは、どこの国でも同じであった。

それをさせたいために、現で、救援隊を作って、配給していた。

それで大変に喜ばれていた。

その上で、移民の募集をしたのであった。

先に移民していた者たちの、評判も伝わってきていた。

「私は、かつて、白人に拉致されて、奴隷として、船底で、足に鎖を付けられて、オールを漕がされていたのだ。それが、インド洋海戦で白人が敗北して、船が沈み掛るようになったのを、鳳国の兵士に助けられた。介抱されて、体力も回復して、懸命に努力をして、試験に合格をして、大使として、アフリカのために役立つ仕事をしているのだ。ここには、鳳国の軍隊も駐留している。東南アジアの兵士もいる。東南アジアも、鳳国が出来る前には、白人たちに、狙われていたのだ。それが、鳳国の力で、自立して、鳳国連邦王国として、その傘下に這入った、そして、その国も、例外なく繁栄している。その鳳国にオーストラリアという国ができた、新大陸である。それだけに、人種偏見がない。移民を薦める理由である」

 演説をしたのである。

多くの、アフリカ人が、一族単位で集まって応募してきた。

 オーストラリアに入って、学校というものを知った。

そして国語として、日本語を教育された。

これの試験があった。

三級から特級まであった。

特級の試験に合格した者は、殆どネイティブな日本語を出来るように成り、読み書きも出来るようになった。

その上で、民間人になるか、軍隊に入るかを、選択させられた。

軍隊は、衣食住つきで、報酬が良かった。

軍隊を選択すると、兵学校に入れられた。新兵教育から始まった。

それらの、忍耐強い、努力によって、鳳国軍は、稀に見る、多人種の、しかも、傭兵ではない、しかも、外国人部隊ではない、自国民による、各種の軍隊が、出来たのである。

 大助は、

「行動する皇帝でありたい」

 と、言うことを、大幹部たち、向かっていった。

大幹部には、役職の移動があった。

 大きな所では、武龍の総統の真田信幸、本部の帝王総補佐官も、付いてきたのである。

武龍総統はそのままである。

「儂は、父親の上帝陛下を失なった。もう、取り返しはつかない。武蔵と、孫一が両腕で、居てくれるのは、本当に、心強い、心の底から感謝している。しかし、叔父の信幸が、側に居てくれることが、さらに、どんなに心強いか。今の儂は、不安で仕方が無い。これが、本当の所なのだ。いずれは、慣れるのであろうが、この巨大な国の皇帝であることが、不安だ。きっと誰でも、皇帝の立場に成れば、一度はこの不安に襲われるのだろうと思う。それが、

真実の儂の気持ちだ。それは、儂が、気が弱いとか、そういうことではないと、思っている。

儂は、すでに、四十代だ。しっかりとした、気持ちは持っている、と思っている。ただ、この重い荷物を、背負わされるのは、初めてなのだ。皇帝という、帝王学の訓練を、父から受けては来た。しかし、父が居るのといないのでは、これほどの差があるとは、予想もしていたかった」  

 武蔵と、孫一の前で、大助は、小さな涙を落とした。

 武蔵も、孫一も、大助の気持ちは、痛いほど判った。

 実を言えば、武蔵も、孫一も、

「皇帝。上帝が無くなった今、我らも、皇帝とまったく、同じ気持ちなのです。それほど、真田幸村の、存在は巨大だったのです。無理です。真田幸村の代わりを出来る者は、一人も、おりません。よくぞ、その不安な、お気持ちを、打ち明けて、下さいました。ここで、強固な、本部を作るのは、とても、大切なことです」

 孫一が、大きく頷きながら言った。武蔵も、

「本部の人選を、固めていきましょう。我々二人では、到底、鳳国を、お支えすることはできません。信幸さまには、当然、本部に戻って、頂きます。真田十兵衛にも、戻って貰おう、青柳千弥、高梨内記、田川七左衛門、鄭瑞祥、鄭猛竜、鄭明陽、清水将監、愛洲彦九郎、高橋源吾、勿論、真田十勇士、速見守久、木村重成、薄田隼人、伊木遠雄、それに、香苗、ケリー、と二十七人での、合議制を取った上で、儂と孫一と真田信幸とで、意見を集約して、皇帝と雪様に、決定をして貰う。決定に無理があるときは、雪様に再検討を願い、それを、皇帝が諾否を決定する。この方法を、幸村様が、ご逝去されたときから考えて居りました」

 幸村の位牌は、九度山にあった。三人は、その九度山で話をしていた。との時に、

「ふふふ・・・拙僧は、不必要か?」

 と言う声がした。

「三人が、漏れておる、松井善三郎、内田勝之助、田川七左衛門だ。そして、儂だ」

「ん? あの声は、雲流覚法老師・・・」

「手伝って、やるか、という気持ちなっている」

「え?・・・」

と、驚いたのは、武蔵と、孫一であった。

「世の中は、必要性で、出来て居るんだよ。不必要なものは、自然に、取り除かれて、淘汰されていく。個人も、国も同じ事だ。生き残るのであるなら、みなが、必要であると思う、国、組織にしなければ、人はついてこないぞ。犬だって、ずっと、餌をやらないでいれば、自分で、どこかに、餌を求めて、出て行ってしまう。喰わなければ、死ぬからな。植物だって、水をやらなければ、枯れる。人間は、もっと、面倒臭い、あらゆる意味でな。その面倒臭いことを、敢えてやろうとしているのが、他でもない、お前さんたちだよ。しかし、幸いなことに、お前さんたちの、やっていることには、必要性がある。若い皇帝さんや。顔をみせてくれ」

 と言って、屋敷に上がり込んできた。

そして、大助の顔を、無遠慮に、覗き込んだ。

「無礼者!」

 大助が、大刀を抜き放って、真っ向から、覚法老師に、唐竹割に、振り下ろした。

 が、その大刀を、両手の掌で、拝むように、刃を挟んだ。

大助が、押そうと、引こうと、ピクリとも、動かない。

「ご無体じゃのう、行き成りとは。柳生石舟齊も、この無刀取りを覚えるのに、必死であったな。身に付けたかどうか?」

 大助が、両手から、引き抜こうとしたときに、覚法が、手を離した。

大助は、力が余って後方に、大きく転倒した。

そのときに、

「これは、お珍しい。覚法ご老師様が、お出でとは・・・」

 と言う声がした。雪の声であった。

「これわ、宮様・・・」

 と、平伏した。

「大助。物騒なものを、仕舞いなされ。ご老師に失礼ですよ」

「は、はい・・・」

 と、大刀を鞘に納めた。

「ご老師様。威儀一式、お預かりしたままでございますよ。お着替え成されませ」

「む。幸村殿に、ご挨拶を、せねばならぬの。本来ならば、密葬の折りの、諷経僧で列席すべきであったが、高野(たかの=高野山のこと)霊光と、気が合わん。で、欠礼いたした。

どれ、神牌に、ご挨拶いたしたし」

 と立って、雪の後に、従った。

覚法が、仏間で挨拶した後、威儀を正した姿で、再び現れた。

緋の衣に金襴の絡子(らくす)を掛け、白い護襟(ごきん=襟巻き)を巻き、手には半折を持って、現れた。

一同はその、威儀の高さに位を感じて、思わず、襟を正した。

覚法の背後から、雪が、従ってきた。

相変わらず古木の杖を付いて居た。

極自然に上座に、雪と共に居並んだ。

「雲流覚法ご老師は、本来ならば、富山にある、臨済の、ご本山の管長であるのを、三日で止めて、弟子に、その座を譲られて、好きに遊戯しておられる。権威が嫌いな、ご老師らしい。亡き幸村とは、気が合って、禅の奥義を、授かった。本(心)地覚心様の、法孫なのに、変わった、名僧です。幸村亡き後のことが、心配で、陰ながら、鳳国の末のことを、案じて下さっています。私が、淀殿を退治したのは、まず、そこを筋を通せと。満座の中で、淀殿を、『妾』である、と承知させよと、策を授け、『統室』など、天皇の、資金欲しさの、咄嗟の猿知恵だと、ズバリ仰られて、世間では、通用せぬ、と申されて。しかし、淀殿の最期は哀れであった。淀殿の『残念(この世への残した思い)』を供養せよと、ご老師が申されたので、密かに、大阪城の一角に、祠を建立して、ご老師に供養して頂きました」

「ああ・・・ありがとうございまする」

孫一が礼を述べ、一同が、頭を垂れた。

「で、秀頼のこのだが、本人と話しあい、出家得度をして貰い、ご老師の、存じ寄りの禅林で、目下修行中です。行く行くは、真田の縁の者たちのために、ご老師に、開山して貰って、禅寺を建立。そこの住職にと考えています。そのまま、置けば、大助との、二頭になりかねません。双頭の生き物は、長くは生きません。これも、ご老師に教わったこと。件の奥女中は、真田の手の者、青柳は、百も承知で、あの、秀吉公の、日記の紙片を、十両で買ったのです。幸村は、そのことは、最初から知っていて、大阪城冬の陣で、神輿として全員で担いだのです。『豊臣恩顧』という神輿です。幸村は、大義の前の小義として、淀殿と、男女になって、難儀な戦さを、勝ち抜き、徳川を、完膚なきまでに斃しました。最期の家康の、足掻きが、女直族、ヌルハチと、結託しての、日本本土への、蛮族の上陸でした。これを退治した後は、自然の流れで、気がついたら、鳳国という、大きな国になっていた、と言うのが本当の所でしょう。それに、幸村と、孫一殿の、変質狂的な、機械好きが、次第に、飛んでもない武器・兵器を、生み出して、世界的な軍事力を生み出した」

「変質狂的なとは、酷いことを言う。事実そうだが・・・この、九度山と、雑賀がなかったら、世界に誇る鳳国軍は、出来なかった」

「そして、武蔵殿の、これまた、変質狂的な、軍事演習、ヨーロッパでは、スパルタ教育と呼ぶそうです。本には、そう書いてあります。これで、鳳軍は、思い切り強くなった。そこえ、青柳、高梨の知恵者たち、田川、鄭の国際派、まあこれだけ、良く人材があつまったものよと思います。幸村の死後、淀派を一掃したので、豊臣色は、排除され、一枚岩になりました。ただ、これは、私も、予想していなかったことでしたが、淡島殿の、自刃は、可哀想で、夫の孫一殿には、なんと言って、お詫びしてよいか」

「・・・これも、時の渦の中でのことでしょう。儂にも止めようが無かった。まさかの出来事でした。淡島に子供がいなかったのが、不幸中の幸いでした」

「それも、大阪城内に祠を作らせて下さい。供養をしたいのです」

 と、雪が深々と頭を下げた。

「ありがとうございます」

 と孫一が答礼をした。

「ああ、さっぱりしました。今まで、心の中に溜まっていたものを、吐き出して」

 すると、武蔵が、如何にも納得したようすで、

「雪様には、飛んでもない軍師が、密かに、付いていたと言うことですね」

 と、言った。

「これからは、幸村殿の倅のために、鳳国皇帝の軍師になる」

「先ほどは、飛んでもない、失礼を仕った、幾重にも、お詫び、申し上げる」

 大助が、深々と頭を下げた。

「どうりで、一連の淀殿騒動は、調子良く言った訳だ」

「我々も、長年の胸のつかえが、取れもうした。いつまで経っても、豊臣色が付いて回っていた。それを、ずっと、辛抱していた、上帝は、凄い人物だった。常に、大義を重んじていた。太閤であり、関白で、征夷大将軍であった」

「今後は、皇帝、総統、将軍でよかろうよ。お上のことは、気にするな。日本では、太閤、関白、将軍でな。将軍の中の将軍を、大樹将軍と呼ぶのが筋だ。副将軍を、黄門将軍と呼ぶ。

そのように、なさるが良かろう。総統と将軍の兼任は、宜しくない。一皇帝、三総統、であとは将軍である。並びに提督である」

 覚法が、序列の正しさを説いた。


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