第一章 6-1

   六


 局地戦になると、大艦、巨砲よりも、機動騎馬隊の単車群や、機動小型戦闘艇の方が、小回りが、利く分、対応がしやすいのであった。

それでも、武蔵は、用心深いので、従来の騎馬隊も、馬が引く戦車や、装甲車や、装甲戦闘車も、現役として使って居た。

火薬矢隊や、槍隊、抜刀隊の、戦力を落したりは、していなかった。

岩石を投げ込む、投石機や、油玉も、いつでも使えるようにしていた。

それだけ、戦力の幅と、奥行きがあった。

武芸者特有の、常に危険の中に、身を置いているという、緊迫感があった。

(今必要なのは、何か)

 常に、そのことを考えていた。

(今、必要なことは、他でもない、このシベリアという、広大な大地に、見合った人口ではないのか?)

 その思いは、「一夫多妻制」で、人口を増やすと言うことであった。

この制度を、公認してから、兵士、工兵、農兵などのやる気が、大きく変化していった。

それと同時に、十数カ国から、移住の申し込みが、殺到したのであった。一人が鳳国人と結婚すれば、その一家と、一族が、移民として、農奴の世界から脱出できるのであった。

女性で、働きに来ている者たちは、必死に成って、相手の男性を、探しながら、働いていた。

この制度の中には、専業主婦という、存在はなかった。

結婚後も、働きなさい、とういう法律になっていた。

その目的は、労働力の確保なのであるから、当然とのことであった。

しかし、結婚する、女性の方も、結婚後も働けるというのは、とても、ありがたいことであった。

何しろ、自国に戻れば、奴隷扱いの、農奴なのである。

いくら、稼いでも、金にはならないのである。

だから、鳳国で、高賃金の仕事で、お金を稼いで、少しでも、国元に送って、結婚相手を見つけて、先ずは、一家。さらには、一族を呼んで、彼らにも、仕事を探させて、全員で働いていたら、人間らしい、生活が出来るのではないか。

仕事は、鳳国にはいくらでもあったし、自分のやりたい、仕事を、掛かりの人に頼めば、希望に、近い仕事を、探してくれるのであった。

鳳国では、真面目に仕事をすれば、その分の報酬は、必ず、返ってくるのである。

少しでも、多くの収入が欲しかったら、鉱山の仕事をすれば、少しは、辛いが、高収入が得られたので、人気があった。

新規の、鉱山が、操業を開始すれば、希望する者の順番で、仕事に就けた。

農業も、どんどん開発しているので、仕事に就けた。

無収入の仕事というのはなかった。

一族で、移住いた者は、すでに、自分たちの家に住んでいた。

希望通りの家が手に入るのであった。

一族が、近くで、まとまって、生活できるのであった。

厳寒がちかづけば、全員に、厳寒用の衣服が、只みたいな価格で、配布されるのであった。

それは夢みたいな、生活であった。

一族の中に、年頃の女性がいれば、別の男性と結婚できるのであった。

鳳国と絆が深く成れば、鳳国の、市民権も、得られるのであった。

一夫多妻制には、抵抗はなかった。

そういう風習の中で生活してきていたからであった。

北方のことは、宮本武蔵将軍に聞くほかはなかった。

そして、真田十兵衛が、武蔵の最高の相棒になった。

カザフスタンから、東シベリアのカムチャッカ半島までを、隈無く探査させた。

その結果、人口と呼べるような、人間の存在はなかった。

たまにであうのは、アザラシを狩猟して、その肉を食べている、ごく少数の現地人だけであった。

彼らには、持って来た、食料を支援してやった。

ロシアも知らなければ、自分たちが、何人なのかさえ判っていなかった。

ロシアは、こうした未開の土地を、領土である、主張する権利は、本来的に、なかったのである。

現実的に、領土として、管理しているという施設もなければ、管理者も居なかった。

そうした現地人に仲間を集めてもらった。

かれらは、報酬の意味も、お金と言うことも知らなかった。

金を見せても、たいした興味を示さなかったが、食料を見せると、欲しがった。

小麦を生で見せても、食べ方が判らなかった。

生肉を見せると、これは、何の肉だ? と興味を示した。

火を焚くことは知っていた。

こうした者たちに、食料を支援した。彼らは、

「何をしたら、食料がもらえるのか?」

と聞いてきた。

取りあえず道案内を依頼した。

この地に来るのには、陸路より、海路の方が楽であった。

さらに、探査隊は、ベーリング海峡から、アラスカに渡った。

まだカナダはできていなかった。

どこまでが、国境、なのか判らなかった。

とりあえず、行った場所に、国旗と、国のプレートを立てていった。

アラスカも住んでいる現地人は、カムチャッカと、同じであった。

相当の奥地まで進んでから、国旗を立てて、一度、チュミカンまで引き返した。

そこには、城塞があった。

船で戻った。

探査隊員たちは、一様に、安堵した表情になった。

探査隊員は、後藤又兵衛、赤座直規の二人が隊長で、一個中隊で、探査をした。

隊員の多くは、武蔵の子飼で、剣の教え子たちであった。

全員、剣は滅法強かった。

しかし、剣を使うような相手には、ぶつからなかった。

ひたすら、行軍と厳寒との戦いであった。

そのことを、武蔵と、十兵衛に報告した。

「すべて、未開地です。人間に出会うのが、珍しかったです。海を渡って、アラスカの奥地まで行って、国旗を立ててきました」

 武蔵と、十兵衛は報告を、大根城で聞いた。

大根城は、キレンスクに置いた。

それ相当の城であった。

武蔵のことである。用心深い城であった。

バイカル湖の北で、レナ川と、シベリア横断川の岐路に近くに、建っていた。

ロシア軍が、ここまで、攻めてくることは、不可能であった。

武蔵らしい、質実剛健な、城塞であった。

高台の山城であった。

確りと、水堀が廻っており、長城が、二重になっていた。

こんな城を攻めるのは、愚かであった。

 西シベリアと、中央シベリアは、順調に、人口が増えていった。

殆どが、東ヨーロッパからの、脱出者であった。

一族単位で、鳳国に逃げてきた者たちである。

全員が希望している仕事に就けた。

子供以外は、殆どが、働いた。

食料や、衣類の支給があった。

横断運河の側には、色々な工場が、建設されていた。

工場の中には、衣類を作る工場が、大きな規模で作られていて、女性たちは、そこで、働いていた。

賃金が、逃げてきた国とでは、比べものに成らない程、高かったので、全員が喜んだ。

しかし、鳳国の中では、圧倒的に、低賃金だったのである。

そうしたことは、どんどん、噂で広がっていった。

最下層の、農奴たちには、鳳国は、地獄の中で出会った、天国だったのである。

噂が広がるなと言う方が無理であった。

連日、最下層の人々が、押し寄せてきた。

武蔵の「一夫多妻制」は、成功したのである。

しかし、南洋や、日本、武龍と比較することは、出来なかった。

もっと人口を、増加させたかった。

もとから、シベリアに居た人々は、特別扱いにした。

しかし、労働人口には、違いなかったが、賃金で差がついた。

以前よりも、環境が良くなったし、学校も出来たし、何よりも、病院が出来たのは、ありがたかった。

今まででは、考えられないことだったのである。

建築、工業、鉱業、化学、土木、造船、窯業、硝子、衣類の縫製、繊維、精肉、加工肉、乳業、セメント工業、石炭業、木材、製材、木工、石材、精錬、鋳造、冶金、農業、酪農、毛皮の製造、鋳造、大工、左官、石工、建具、家具、製紙、印刷、製本、各国の翻訳、経理、総務、製図、測量、看護師、介護士、法務、医師、瓦、煉瓦、絵画、彫刻、音楽と、あらゆる事を、教育していかなければ、ならなかった。

どんな分野も、機械を扱った。

分野によって、教育の期間が違った。

それぞれの分野で、厳しい試験があった。

学校を卒業しても、試験に合格しないと、現場には、出られなかった。

修学中は、学費免除の上に、小使い程度の給料がもらえた。

試験に合格すれば、どの仕事であっても、資格が貰えた。

資格には、三級、二級、一級があって、一級になると、賃金が、破格なものになった。

 これとは、別に各種の兵学校が、あって、陸軍、海軍、海兵、工兵、農兵の学校があった。

民間も、兵学校も、身元検査は、徹底的行われた。

特に思想検査は厳しかった。

軍隊に入隊出来た者は、エリートであった。

その、人物だけではなく、一族が、特別の扱いを受けた。

勿論、一族の身元も、徹底的に調査を受けた。

民間の学校は、年齢制限があって、一六歳から、四〇歳までに、限られた。

例えば農業学校をでると、一般の農民を指導して、鳳国式の、農業を、一般農民に教えていった。

ロシア人も、鳳国に逃げてくる者もいた。

彼らの移民は、身元調査を徹底に行った。

十兵衛の、東海党が、大活躍した。

間諜の入り込みを、徹底して、阻止したのである。

さらに、ロシアの現状を、徹底的に尋問された。

何日間かは、特別の部屋に全員が留め置かれて、調べられた。

その調査では、絶体に、嘘は、つけなかった。

調査しているのは、間諜のプロである。

その調べ方は、徹底していた。

そうした、調査の中から、現状のロシアの国情が、浮かび上がってきた。

相当に疲弊しているのが、判明してきた。

だからといって、鳳国に戦を仕掛けるということは、考えられなかった。

戦勝時に、ロシアの船、兵器、武器を徹底的に分捕って来ていたので、軍隊を新たに作るのには、相当の資金が必要であった。

ロシアの国庫は、空にしてきているのである。

税金を、再軍備のために、徴収しようとしたら、国民から、一気に抵抗が起きて、暴動が起きるのは、目に見えていた。

それでなくとも、今回のような、敗戦は、国民に、相当の打撃を与えていたのである。

再度同じような、敗戦をしたら、国がなくなる、と言う気分が、国民の間に横溢しているのが、判明した。

到底、敵う国ではない。と言う思いが、溢れていた。

 武蔵は、黒海から、地中海への出入り口である、ボスボラス海峡と、ダーダネルス海峡がある、トルコに、黒海から、交易を持ち掛けたのである。

食料や、その他の物品を、船に積んで、トルコの港町に船を、止めた。

当時のトルコは、エンパイアトルキシ、つまり、トルコ帝国と称して、ドイツ帝国と、拮抗して、勢力を拡大していたのである。

そこに、鳳国の方から、交易の話が、持ち込まれたのである。

トルコに取っては、悪い話ではなかった。

トルコにしても、それなりに、鳳国の調査はしていた。

東南アジアの帝王であり、チャイナを征服して、カザフスタンを、買い取り、ロシアのシベリアを、買い取り、それなりの、大金を、支払ったのに、ロシアの皇帝が、知らないといったので、

「そういうことなら、戦争しかあるまい」

というので、もの凄い、戦闘力で、ロシアを、徹底的に、叩き潰して、シベリアと、カザフスタンを、自領にした。

すでに、中国を、武龍という国して、ウイグル、チベットまでを、傘下にして、モンゴルも、連盟国として、太平洋の殆どの国を、傘下にして、豪州という、新大陸までも、自領にした。

麻薬と、奴隷を、徹底して禁じて、ヨーロッパの商船を、総て、拿捕したので、ヨーロッパ連合を作り、五百隻もの、大艦隊で攻めたが、インド洋で、海戦になったが、一千隻の、鉄艦で、二千発の大砲の発射で、ヨーロッパ連合艦隊は、瞬時に沈没した。

そのときに、船底にいた、奴隷を、鎖から解いて、大量に助けたという。

「これは、凄い国である」

 と、トルコの帝王も、思った。

その後、カスピ海から、黒海に、大きな運河を造って、黒海に入ってきた。

その鉄船の戦艦に守られた、商船が、ヨーロッパに、交易に行くのを、トルコは承知していたが、往来を黙認していた。

今、こんな、とんでもない国と戦っても、勝ち目はない。

その後、ロシアが、宣戦布告もせずに、いきなり交戦してきたが、待っていたように、鳳国の好餌にされてしまったのである。

あの絶大な戦力を誇っていた、強国の北海の白熊が、赤子の手を捻るように、半日も保たずに、降伏して、鳳国の上帝自らが、戦いの采配を振るって、二万余の戦死者を出した。

戦死者を全裸にして、川という川に投げ込んで、生きたままの兵士を、全裸にして、十字架にかけて、五人を、さらし者にした。

ロシアの卑怯なやり方に、鳳国の上帝が怒り、そうした処分をした。

川から、死体を上げようといたものは、男女を問わず、狙撃されて、同じように、全裸にされて、川に投げ込まれた。

これで、モスクワの町は、死臭で顔を覆う程になったという。

やがて、戦勝使節が、クレムリンに乗り込んで、交渉したが、皇帝の、余りに卑劣な、振る舞いに、使節の一人である、

武蔵将軍に、目にも止まらぬ、抜き打ちの一刀で、首を刎ねられた。

トルコには、正確に、その様子が、伝わっていた。

しかし、卑劣なことさえしなければ、紳士的な国である、とも伝わってもいた。

交易の時に、二つの海峡を通航する時の、通航賃も、文句なしに、きちんと支払っていた。

「これは、怒らせると、飛んでもないことになるが、普通の交易をする分には、素晴らしい相手国である」

 と言う判断を、トルコ側はして、交易に応じた。

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