烈風『真田幸村戦記』 第三巻の一 第一章 「南洋の殺風」1
第一章 「南洋の殺風」
一
ジリッ!・・・と、宮本武蔵の、左右の足の、十本の指が、草原の土を、確実につかんだ。
ゆっくりと、右手に大刀、左手に小刀を、腰の鞘から抜き放って、仁王像のような姿で、柳生十兵衛の、眼前に、立ちはだかった。
剣は、中段に構えているが、動かない。微動もしないのである。
しかし、剣の切っ先は、ふるふると震えて、一瞬たりとも、止むときがなかった。
この切っ先の震えを、後年の剣豪、千葉周作は、鶺鴒の尾、と表現している。
千葉周作は、北辰一刀流の一流を立てている。
が、それより先に、武蔵は、その奥義を極めて、今、柳生十兵衛と対峙していた。
十兵衛の剣は、殺人剣である。
ひとたび、腰の鞘を払った一刀が、これまでに、人の生き血を、吸わずに、その鞘に納まったことは、ないといってもよい。
虎と龍の対決も、かくやの死闘が、展開されていた。
二人以外には、誰もいない、見渡す限り、地平線であった。
十兵衛は、抜き放った一刀を、八双に構えていた。一刀で、全身を守るが如くであった。
両者の間に放たれている剣気は、髪の毛一本も入らない、殺気の激突があった。
武芸者の、立ち会いとは、その場の、空気を吸い込んだだけで、窒息するかとの思いを抱かせる、厳しいものであった。
両雄ともに、
『斬る!――』
という気迫で、雑念はない。
共に、銅像のように、動かない。気配すら見せなかった。
南洋の太陽が、容赦なく、両者を焼き付けてくる。
すでに、半刻(一時間)、不動のままである。武蔵と、十兵衛の、濃い影が、草の上で、微かに移動していた。
動いた刹那に、どちらかが斃れるであろう。
しかし、それすらも、両者の脳裏にはなかった。
*
鳳幸村皇帝軍(ほうこうそんこうていぐん)は、シャムの、アユタヤの、ソンタム国王の要請で、シャムの内乱を治めて、シャムを統一して欲しい、という願いを聞き入れて、シャムの、東北部のウドンターニと、さらに北よりになる、山岳部のチェンマイを、鎮めようとしていた。
ウドンターニの王と、チェンマイの王は、兄弟であった。
そして、兄弟はもう一人いた。鳳凰城は、シャムと、カンボジアの両国に跨がって、堂々と建っていたが、シャムのウボンラーチャターニーは、実は、鳳凰城に、最も近いところにあったのである。その王も兄弟だったのである。三人兄弟の、二番目になるのであった。
この、二番目の王が、最も、悪知恵が、働いた。
名を、オーヤ・カラホームと言ったが、オーヤは、官爵名である。
シャムには、官爵は、下から、「オーバン」「オーマン」「オツカン」「オラーン」「オープラー」「オーヤ」の六つがあった。
その上に、幸村がもらった、「オークヤ」があった。
「オークヤ」は七人しかいない、大臣のことなのである。
大臣の上となると、国王で、「チャオ」といった。
カラホームや、他の兄弟たちの、長兄のウドンターニという東北部を支配している、オーヤ・カラサンゴラで、長兄らしく、矢鱈にプライドの高い男であった。
カラサンゴララも国王の「チャオ」を名乗っていた。
そして、一番下の弟は、山岳部のチェンマイの国王を称していたが、手のつけられない、乱暴者であった。
オーヤ・カラサトーンで、やはりチャオを名乗っていた。
三人とも、国王の「チャオ」は、私称で、勝手に称しているだけであった。
かつての日本の戦国時代と同じで、出来星大名が、勝手に「大名」だの、「守護」を名乗っているのと同じであった。
アユタヤのソンタム国王にしたら、苦々しい限りであった。
幸村にしたら、彼らより上の官爵の「オークヤ」であったから、それだけでも、彼らを討伐する大義があったが、その上に、ソンタム国王の依頼を受けているのである。
大義名分は、充分過ぎるほどであった。
策謀家のカラホームは、カンボジアの軍を掌握している、ピア・タイ・ナム将軍と密かに手を結んで、連合軍を結成していた。
そのことは、カンボジアの、コンポント国王は、全然知らなかった。
しかし、鳳幸村皇帝軍は、その情報を、しっかりと掴んでいた。
だが、カラホームは、もう一つ、別の手を打っていた。
当時の南洋には、多くの日本人町があった。カンボジアにも、日本人町はあった。
秀吉から、キリシタン信徒としての、迫害を受けるようになってから、ジャンク(日本船も、そのように呼ばれていたが、さすがに、鳳国の船は、そうはよばれていなかった)で、日本を脱出した者たちが多かった。
日本人町は、自治体方式で運営されていた。その当時、日本人で、名前が知られていたのは、『南洋日本人町の研究』(岩生成一著・岩波書店刊)によると『原田喜右衛門・有馬晴信・角倉与一・三浦按針・村上等安・茶屋四郎次郎・高木作右衛門・末次平蔵・ヤン・ヨーステン・喜左衛門』といった人たちの名が、記録されている。
大名もいた。
高山右近である。
晩年に至って、ルソン(フィリピン)に渡り、病を得て、その地に歿する。
陵墓もマニラの郊外にある。
徳川家康は、瀋陽から、本当に身の回りの家臣だけと、密かに、瀋陽を脱出して、内モンゴル沿いに、ウイグルを目指したが、途中で、病に倒れて、歿した。
柳生但馬守は、同じく家臣と共に、瀋陽から脱出をしたが、ウイグルに行く途中の、砂漠で、土族に殺害された。
これも、家康と共に、哀れの極みの最期であった。
残された、十兵衛と、柳生忍軍の五百人は、異国の地では、どうすることも出来ず、結局、幸村の軍を頼った。
幸村は、それを拾って、明の、馬賊の掃討に使った。
しかし、今の今まで、敵であった男たちである。
さすがに、誰も信用する者はおらず、相手にもしなかった。
鬱々としていた、柳生十兵衛に、そっと手を延ばしてきた者があった。
コーチの日本人町の、顔役の一人である、末次平蔵が、幸村軍の中で、身の置き場所に窮しているような、やるせない、柳生十兵衛と、その一党の忍軍五百人を、ごっそりと引き抜く挙にでたのである。
シャムのカラホームが、密かに、末次平蔵と打ち合わせて、誘いの手を延ばしたのである。
カラホームのことは、『山田長政』(三木栄著・古今書院刊)にも登場してくる。
矢張り、程度の悪い、権力者として登場してくる。
一方で、カンボジアの、ピア・タイ・ナム将軍は、相当の野心家であった。
カンボジアのコンポント国王を倒して、自分が国王の座に就きたいという、クーデターの、野望に燃えていた。
そこに、末次平蔵の話が、舞い込んできたのである。
末次平蔵は、南洋では、相当に顔が広い。
商売も、手広くやっていた。
南洋における、日本人の力は、相当にあって、ヨーロッパの船が来ても、日本人の商人の力を借りなければ、運んできた商品が、思ったように捌けないし、持って帰る商品も、揃わない、と言うほどなのであった。
それには、各国の、日本人町との、深い交流があった。
幸村とは違って、商品のなかには、麻薬も、奴隷も含まれていた。
商いのルートが違うのであった。
彼らは、表面的には、幸村とも、友好関係にあったが、裏に回れば、幸村の存在は、なんとも、煙たいものなのであった。
機会があれば、消してしまいたい存在なのであった。
茶屋四郎次郎の商法を、踏襲していた。
しかし、日本での力や、鳳国や、鳳連邦の力を考えると、とてもではないが、敵対関係には、なれるものではなかった。
けれども、ここへ来て、シャムと、カンボジアに、風雲急を告げる事態が、起こり始めていた。
そこに、柳生十兵衛と、その一門が、不運に見舞われているとの報が、末次平蔵の耳に飛び込んできた。
(面白い・・・)
柳生十兵衛と、カラホーム、ピア・タイ・ナム将軍を、使嗾してみる価値はありそうだぞ。
と、末次平蔵は、部下を使って、この三者に、小当たりをしてみると、三者の反応が、思った以上に、乗り気になっていたので、三者を秘密のうちに、引き合わせた。
三者は、三様に、幸村と対決したがっていた。
「ジップン(日本のこと)の戦闘能力は、凄い」
というのは、南洋では、定着していた。
カラホームと、ピア・タイ・ナム将軍は、この柳生十兵衛と、五百人の柳生忍軍を、全面に押し立てて、ウボンラーチャターニーの、最北端から、カラホーム軍五万人、ナム将軍四万人と、柳生忍軍五百人で、合計九万五百人が、進軍を開始した。
この知らせは、陸路は危ないと思ったのか、足の速い船で、海から、もたらされた。
悲鳴のような、アユタヤの、ソンタム国王から、鳳凰城の幸村の許にもたらされた。
しかし、真田忍軍や、雑賀党や、他の情報隊からは、不穏な動きがあることは、常時、報告がきていた。
敵の数もしっかりと、カラホーム五万、ナム将軍四万人で、九万とまでは掴んでいたが、真田十人組から、
「柳生十兵衛と、柳生忍軍五百人が、裏切って、敵に付きました」
という、最新情報が入ってきた。
「そうか」
幸村は、驚く風も見せなかった。
「莫迦な奴だ。柳生但馬と、変わらぬ道を、進みたいようだな」
と雑賀孫一が言った。
北半球は、真冬であった。そのために、北方方面隊は、南洋の応援に参加していた。
それだけ、戦力に余裕が出来ていた。
「後は、敵がどう動くか。こちらから先制攻撃はするな。あくまでも、相手が攻撃をしてきたので、仕方がない、戦いに応じるという、戦法で良い。決して弱い者を苛める、というようには、見られたくない。王者の戦いを、腹の底から震え上がるように、経験させてやろう」
と幸村が言った。
すでに、戦闘の準備は全て出来上がっていたのである。
鳳凰城の一番アユタヤに近い門から、三十万の兵が、威風堂々と進発をはじめた。
その報告が、幸村のもとにはいった。
「むっ」
と幸村が頷首したときである。
最新の知らせが、本多正純の手の者から届いた。
報告文を、一読後、幸村が、
「なにっ!」
と顔色を変えた。次に、
「武蔵は・・・宮本武蔵はいるか!」
と、大声で叫んだ。すぐに立ち上った。
「馬引けい! 換え馬を忘れるな!・・・盲点を突かれた。武蔵は、根っからの武芸者だ。そこを、柳生十兵衛に、突かれた。決闘を柳生十兵衛に申し込まれたのよ」
「あっ!」
孫一が、叫んだ。
「しまった!・・・」
と、才蔵、佐助が、バネ仕掛けのように飛び上がった。
そして、廊下を走った。
「柳生十兵衛は、捨て身だ。脈々と流れている武芸者の血を刺激してきたのだ。糞!武蔵将軍なら、嫌でも受けて立つわ!」
(ぬっ・・・間に合えば良いが・・・)
と幸村は、あせって思った。
武蔵は、佐々木小次郎と巌流島で、凄絶な決闘をして以来の、決闘であった。
十兵衛には、一対一の、決闘の経験は、なかった。
初めての経験であった。
しかし、捨て身であった。
(どうせ、異国で朽ち果てるのなら、武芸者らしく、剣で、斃れたい)
と言う思いが強くあった。
*
ウボンラーチャターニーの最北端から、九万の兵が勢揃いをして、進発をした。
徒歩の兵がいる。
行軍のスピードは、徒歩の兵に合わせるので、ゆっくりであった。
象は三百頭であった。
対して、幸村を始め、幹部級が武蔵の、決闘現場にいってしまったので、幸村軍の指揮は、誰が執るのか、判らなくなっていた。
すると、
「余と、秀幸で指揮を執る!」
凜といった者がいた。
秀頼であった。
「三十万の兵を、三隊に分けよ。一隊はチェンマイ。もう一隊は、ウドンターニに備えながら進め。チェンマイへの備えの十万は、木村重成。もう一隊、ウドンターニの十万は、薄田隼人が指揮を執れ。秀幸は本隊で、余の補佐をせよ。急ぐな、徒歩の兵に速度を合わせよ。チェンマイと、ウドンターニは、備えだけで良い。斥候隊を四方に放て・・・前へ!」
と金色の采配を、振った。
三十万の兵が動き出した。
「敵は異国の兵である。暮れ暮れも、敵の矢、槍、太刀には猛毒が塗ってあることをわすれるな。先陣は、ガラスの盾隊が進め。敵と遭遇したら、盾で隙間をつくるな。頭の上にも、盾を被せよ。戦車隊、戦闘装甲車、装甲車を、盾とせよ!」
秀頼の指示は的確であった。三十万の軍勢は、圧巻であった。
大助の側に馬を寄せてきて、
「大助。あれで良いか?」
「兄さん。自信をもつことです。あれで、立派です」
*
幸村は、広大なシャムの草原を遮二無二、馬を全力で、疾駆させていた。
従っているのは、孫一、才蔵、佐助と、近衛隊だけであった。
「糞!・・・なんと、だだ広いのだ」
幸村が、言葉を投げ捨てた。
本多正純の配下の者が、案内に立っていた。
南洋の太陽は高い。
北半球が、冬であろうが、南半球が夏であろうが、一切関係はなかった。赤道直下に近い国なのである。
武蔵と、十兵衛は、邪魔が入らないようにと、タークリーと、ブアヤイの、中間地点の草原を、決闘の場所に選んだのである。
二人が、出会ってから、すでに、一刻(二時間)を経過していた。
しかし、一合も剣をあわせていたかった。
共に、微動もしない。
動いた刹那に、どちらかが、斃れることになるのに、違いなかった。
両者は、瞬きもしない。
銅像のように、不動のままであった。
太陽が、両者の肌を焦がしてゆく。
武蔵も、十兵衛も、気息を整えるのに真剣であった。
整えていることも、意識の外にあった。
仏道で言うところの、「無」であるとか、「空」とかと、同質のものではあるまいか。「無・空」は、ニア(≒)「死」である。
すでに、生きてはいないのである。
その境地で、剣に生命を託していた。
畢竟すれば、剣禅一如の境涯で、対峙していた。些かの雑念も許容されない。
「死」は、人生の最大の「整理整頓」であった。
二者は、すでに、勝敗を超越していた。
太陽の光が、両雄の仮託している、刃に反射した。
眼の奥を射てくる。
が、両者が、動じる気配も見せない。
光の奥に、結果がある。
さらに、一刻が、経過していた。
*
幸村はなおも、疾駆していた。
馬が口から、泡を吹いた。
換え馬を、引き寄せた。
幸村の体が宙を舞った。
馬から、馬に飛び移ったのであった。
孫一も、才蔵も、佐助も同じように、換え馬に、飛び移った。
その瞬間に、佐助が、
「居たよ!――」
と叫んだ。
それは、太平洋で、メダカを発見するのに、等しかった。
しかし、二粒の大豆が、大草原の中に、確かにあった。
「あれだ!」
幸村が、叫んだ。
その目標に向かって、全騎が、失踪した。
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