第五章 3

   三


 数日後、ヨーロッパからの艦船が押し寄せてきた。

が、そうではなかった。

清水将監を団長にした。愛洲彦九郎、南条氏康、横井神太郎、渡辺親。

吉らが、徹底的に、イギリス語とスペイン語とフランス語を習得して、スペインとイギリスとフランスに渡って、結局イギリスに、設計図面を渡して、大安宅船などの大艦隊を注文して完成まで、現地にいて、細部に亘ってまで注文を付けて、完成させた上で戻ってきたのであった。

旗艦は、さらに倍の大きさになった。

特殊輸送船まで造ってきた。

水軍が、一気に三倍になった。

清水将監らの監督の眼は徹底して厳しく、図面と異なる部分は了解しなかった。

これまでは造船技術はスペインの方が、優れていたが、現在ではイギリスの方が技術も上であり、価格も廉価だったのである。

五人の水軍の眼や、造船技師隊二十人の視線は、基礎製作の段階から厳しいものであった。

 現地で、これはと思うものが、あったら購入の役割も持っていた。

印刷機、活字鋳造機、製本機、製紙プラントを、すべて、技術者付きで購入してきた。

まだ、ヨーロッパ自体も産業革命の起こっていない時代であった。

 艦船はすべて、竜骨と、フィンキールを付けさせた。

国産の船と対して差のない価格で造らせることが出来た。

帆布やロープを大量に購入してきた。

これの製造方も、シッカリと学んできた。

意外にも、ルソンのマニラロープが良いことが判った。

武装は日本で行った。

大砲、迫撃砲、ガトリング砲、ガトリング銃、大弩弓、大弩弓は、弦を戻すのに苦労するのだが、歯車と、滑車を利用して操作が早く、楽になっていた。

投石機、鉄砲の銃眼、火薬矢の矢狭間などを、孫一の指揮下で搭載していった。

旗艦には、帆柱が七本ついていた。

帆が三十枚以上張れた。

 この間に造船技術を活かして、戦車、戦闘装甲車、装甲車の大型のものを製造していった。中でも馬二十頭で曳く本陣車は、圧巻であった。

馬の並べ方は、モンゴル人から習って四列五頭で曳かせた。

勿論、大きな盾と屋根が馭者台ごと被っていた。

馭者は四人が付いていた。

猛烈な速力で、疾走することが出来た。

しかし、本陣車がそんな速度を出すことはなかった。

本陣車は、三階建であった。

炊事車が連結されていた。

廊下で往復が出来た。

炊事車には、水槽と、薪入れまでが付属していた。これが五台出来た。

一台は、漆を掛けて、総金箔張りにしてあった。

 幸村は、鉱山隊を幾つも編制して、金、銀、銅、鉄の鉱山を掘らせていた。

伊豆の大仁、駿河の富士下、甲斐、佐渡、越後、常陸に金鉱を持ち、これを掘らせていた。かなりの量が出たのは、佐渡と越後であった。

それらの金塊を、九度山と、大阪城の金蔵に運んだ。

さらに、こたびの戦の戦利品もあった。

駿河、遠江、三河、相模、安房、上総、下総、常陸、下野、上野、伊豆の十一ヶ国を獲った。それも一気に獲って行ったのであった。

岡崎・浜松・駿府の金蔵の分は大きかった。

これも大阪城と、九度山に運んだが、九度山には、もう、再生工場の敷地がなくなってきたので、大和郡山城の中に金蔵と、再生工場を造った。

製紙工場は、海辺の津と、久居の間に造った。

洋紙と和紙を造った。

パルプのチップが、異様に匂うのである。

印刷機と、活字工場と製本所も造った。

 久しく使っていなかった、本丸の大広間で、会議を開いた。

大隊長以上の幹部が集まった。

鈴木孫一、宮本武蔵、木村重成、薄田隼人、後藤又兵衛、塙団右衛門、明石全登、長宗我部盛親、速水守久、青木一重、真野頼包、伊東長次、伊木遠雄、青柳千弥、高梨内記、仙石宗也、渡辺糺、堀田正高、中島氏種、野々村吉安・・・といった者たちが続々と登城してきた。

 どの顔も、肥やしの効いた畑の野菜のように、生気に満ちていた。

数々の戦での勝利が、自信に結びついているのが良く判った。

そうした顔の中には、南条氏康、渡辺親吉、沼津秋伸、清水将監、横井神太郎、高橋源吾、梶原忠勝、菅道貞、白井賢房、分部光長、櫛来玉海、妻良新之助、松田兵部少輔、大道寺孫三郎や、松井善三郎、内田勝之介、田中長七兵衛などの顔もあった。

 上段の間に、秀頼と、淀が並び、中段の間に幸村、大助、孫一、宮本武蔵が並んだ。

「みなの者大義であった」

 秀頼が言葉を発した。

一同が平伏した。

一同が直ってから、幸村が、

「もう、徳川も打つ手はなかろうよ。元々譜代の臣が多い訳ではない。なぜ、関ヶ原の役で敗北したのか。初めから勝てるではないか。単なる逆賊ぞ。もう、武器での戦は終わったわ。江戸には、米が無く。農民たちも土一揆を起しているという。集団離村も止まらぬというわ。農民に罪はない。判り次第、離村者たちを拾っているがの。徳川が打つ手に何がある。このまま放置しておけば、食い物がなくなるだけだ。人口の比率で、非生産者の数が多くなれば、作り手が少なく、食べて手が多いのだ、飢饉にもなるだろうよ。東北も同じだ。もう武士の数は、大阪城の傘下の武士だけで沢山だ。他の大名たちは帰農した方が良い。こんな狭い領土で戦ばかりやっていれば、食うものもなくなるのは当然だ。田中長七兵衛」

 と発言した。

田中に何事か期待している雰囲気であった。

「はっ!」

「作付けの方はどうか?」

「はい。大規模農業化してからの作付けは、農業規模が倍になりました。廃屋や、水田と畑が混在していたのを区画して、畦道もなくして、田一枚を二町歩単位に直していきましたので、能率が良くなりました。後は収穫が、どう変わるかであろうと思います」

「悪くはなるまいよ」

「はい。山と平野の境も、だらしなくなっていて、耕作もしないでおりました地区を、すべて屯田させましたので、水田がキッチリといたしました。工兵の方々のお蔭で、農道が整理されましたので、夏草の刈取りも楽になりました。水路も、同じように、綺麗に、石垣と煉瓦で整備されましてございます。その上に、農道が煉瓦敷きになりましたので、荷車が楽に行き違い出来ます。作業も、従来の人数の三分に二で済みます。住宅も、長屋式と言いましても、各戸に納屋と、土間が付き、牛小屋、馬小屋と、藁小屋の他に、飼葉用の豆かすや、粟、稗、塩も配給になっておりますので、牛馬が元気になって、働いてくれております。田起しも馬が一斉に十頭が並んで、鉄製の鋤と、その後は、同じく鉄製の、回転式の工作機で堆肥が完全に田の中に撹拌されますので、農民の労力は大幅に軽減されます。堆肥は、堆肥工場の方で造り、藁切りも専門の大型の刃で切れますので、各分野が専門になりました。人手が少なくても効率良く廻っていきます。各戸に畑の用地もありますので、自家消費分の野菜は造れております。本当に優れた、農業政策だと思います」

「む。思った通りであったな。豊臣の直轄地十六ヶ国は、田畑をすべて買い上げ、農民は、賃金制にして、日払いでも十日毎で払ってやる。米は、農民に限り一石一両で買えるようにした。その分、出来た米は、豊臣のものになる。こうすれば、小作も本百姓も、庄屋もない。庄屋の屋敷は、大字の役所にして、賃金の支払いや、その他の掛かりを置いた。長屋単位で、組長、世話役、肝煎りと葬式役の四役を置いて、各長屋に霊屋、産屋、若者宿と溜まり場、診療所、祭り小屋、若者たちで、火消し役を造り、火消しの道具小屋も造った。役所の元締めは、元の庄屋にさせている。全員、どこかの寺の檀家になるようにさせて、過去帳を、各寺に付けさせて、手形を発行させるようにした。これで、農民の日常は廻っていく。三分の

一の余剰人員と、武士階級には、特産品の製造をするように今後も奨励し、開発をして行く。果実園、養蚕、機織り、撚糸、薬草園、木工、石工、大工、左官、建具、畳、畳表、茣蓙、その地方でなくては出来ないものもあるだろう。それらを役所の指導で奨励、補助、開発、販売経路すべてを行っていく」

「十六ヶ国ではそのようにしていたのか。道理で、村の様子が変わって行くなと思っていた」

 後藤又兵衛基次が、感心をして首を左右に振った。

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