知らないうちに ①

 翌朝、アキラは仕事に行く時間にユキを連れて家を出た。

 ユキが仕事に行くにはいつもよりかなり早い時間ではあったけれど、ユキを一人にするのが心配だったからだ。

 ユキは歩きながら眠そうに目を擦った。


「眠い……。いつもより1時間半も早い……」

「しょうがねぇだろ」

「んー、まぁそうなんだけどね。サロンに着いたら少し寝よ」

「そうしろ」


 ユキはあくびをしながら、チラリとアキラの様子を窺った。


「アキ、朝はいつもこんなに早いの?」

「今日はまだましな方だな。もっと早い時もある」

「ふーん……」


 アキラはサロンの前に着くと、仕事が終わったら連絡しろと言って足早に会社へ向かった。

 昔は学校なんてサボり放題で一緒にバカばかりやっていたのに、今のアキラは仕事のためにこんなに朝早く出掛けるのだと思うと不思議な気分だ。

 アキラもいつの間にか大人になっていたんだなと、ユキはなんだか感慨深い気持ちになった。


(昔は遅刻ばっかりしてたのに……当たり前だけど、大人になれば人って変わるんだな……)




 サロンの前でユキと別れたアキラは、急ぎ足で職場に向かった。


(アイツ、歩くのおせーよ!こっちが遅刻するっての!!)


 今まで朝から一緒に出勤することなんてなかったから、時間を気にして歩いたことはなかった。

 いつもユキの歩幅や歩くペースに合わせて歩いていたことに、アキラは改めて気付く。


(とりあえずアイツに何事もなく一日が終わればいいんだけどな……)



 昼休憩が終わった後、ユキのサロンに新規の客がやってきた。

 大人しそうで清楚な感じのその女性に、ユキはどことなく見覚えがあるような気がした。


「予約していた広瀬です」

「広瀬様ですね。どうぞ、こちらへ」


 彼女は、今朝サロンがオープンすると同時に電話で予約をしてきた。

 初めて来店するので、ユキがいろいろなパターンのサンプルを見せながら好みを聞き出すと、彼女は落ち着いた色合いのあまり派手ではないネイルを希望した。

 ユキは彼女の手にハンドマッサージをしながら、いつもの新規の客と同じように話し掛けた。


「広瀬様、ご来店くださったのは初めてですよね?このサロンに来ていただいたきっかけは何だったんですか?」


 彼女は少し考えるそぶりを見せた後、強ばった表情で口を開いた。


「あの……ユキさん……ですよね?」

「え……?あ……はい……」


 思ってもいなかった返事に驚き、ユキの手が止まった。


「私……、広瀬 栞奈……です……」

「カンナって……えっ……?アキの……彼女?」




 今日最後の客を送り出したユキは、カウンターの中で一人ぼんやりとしていた。


『私、本当にアキくんが好きなんです』


 カンナの言葉を思い出し、ユキはため息をついた。



 カンナが選んだネイルを施しながら、ユキはカンナの話を聞いた。

 アキラが自分の事をどう思っているかわからないのが不安だとか、付き合おうとか好きだとかハッキリした言葉を聞いていないので、自分は本当に彼女だと思われているのかもわからないとも言っていた。

 アキラの方からは会いたいと言ってくれたことが一度もないので、あまり頻繁に会いたいと言うと面倒だと思われるかも知れないと気を使い、会う時はいつもカンナから連絡をして、月に二度ほど会っているそうだ。


「知り合いからよく聞くんです。アキくんにはユキさんって言うすごく仲のいい女の人がいて、二人でバーにいるのをしょっちゅう見かけるって」

「……そうですか……」


 彼女であるはずのカンナは月に二度ほどしか会っていないのに、ユキはアキラと家が近所と言うこともあり頻繁に会っている。

 ユキはカンナに無言で責められているような気がした。

 今までアキラといることにやましいことなんてひとつもなかったけれど、彼女にとっては穏やかではなかったのだろう。

 よくよく考えてみれば、当たり前のことなのかも知れない。

 小さな子どもならまだしも、いい歳をした大人の男女が頻繁に一緒にいると、それだけで深い仲だと思われる。


「ユキさんは……アキくんとはどういう関係なんですか?」


 かなり思いきって尋ねたのだろう。

 カンナの顔が強ばっていた。


 「腐れ縁と言うか……中学時代からの友達なんです。過去に付き合ったこともないし……今だって近所に住んでるから時々飲みに行ったりはするけど、それ以上のことなんて何もありませんよ」


 ユキがそう答えても、カンナはまだ少し疑っていたようだった。


「アキくんは私をどう思ってるかわからないけど……私、本当にアキくんが好きなんです。こんなことユキさんに言うのは失礼だとわかってるんですけど……」

「……はい」

「お願いだから……私からアキくんを取らないで……」


 うつむいたカンナの目からポトリと雫がこぼれ落ちるのを、ユキは胸を痛めながら黙って見つめていた。



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