第6話 迎えに行こう



 帰宅しても保住は一言も話さない。説明会の日からずっとだ。だが、田口も声を発することができなかった。なにか言葉にしたとしても、それはなんだか上辺だけの空回りな気がしてしまうのだ。


 本質は違うんだ。そうじゃない——。そう何度も心の中で、叫んでいるのだ。


 こんなことは珍しいことだった。保住が風呂に入っている間、田口はリビングの床に座り込んでじっとしていた。そして考えていた。


 ——自分にできることはなにか。


 ずっと考えている。なんとかしてあげようと思っていたのはおごりだったのだろうか。


 結局「自分にはどうすることもできなかった」という後悔しかない。「受付業務をこなさなければならなかった」なんて、言い訳にしか聞こえない。もっとなにかできることがあったはずなのに——。


 最善を尽くしたのだろうかと自問自答してしまうのだ。


 リビングで、ソファにも座らずにテーブルの隣で、片膝を抱えてため息を吐いていると、後ろで物音がする。保住が上がって来たのだろうか。だけど、彼も疲れている。きっとこのまま寝室に行って寝るのだろう。昨晩もそうだった。そんなことを考えていたのに。ふと背中に温かいものを感じて、ハッとして顔を上げた。保住が、田口の背中に額をつけて座り込んだからだ。


「保住さん?」


「お前に甘えるなんて、最低な男だが。少しこうしていてくれないか」


「……はい」


 この一件は彼にも堪えているのだろう。ここのところ、こんなこと続きだ。松岡の事件から始まった一連の騒動だ。あの時の保住も疲弊していた。田口に怪我をさせたことを後悔している様子がはたから見ても十分に理解できたからだ。


 そして今回だ。これが現実だ。澤井が言っていた現実なのだ。


 ——これが茨の道だとでもいうのか。


 保住が上に取り立てられるほど、きっとこういうことが付き纏うのだ。仕事の忙しさではない。業務とは違った、煩わしさ——。精神的なダメージは計り知れない。彼が打たれ弱いことを田口はよく知っている。ただ黙って田口の背中にくっつく保住はなにを考えているのだろうか? と疑問に思った。


 ——おれは? 一体、おれには、なにができるというのだろうか。なにか考えなくては。


 田口はじっと前を向いたまま、自問自答を繰り返していた。



***



 翌日の土曜日。昼下がりの午後。いつもであれば、土曜日でも仕事に行っているにも関わらず、保住は自宅にいた。田口が昼食の準備をしてくれたものにも手を付ける気にもならない。保住が職場に行かないのを見てか、田口も自宅でじっとしている様子だった。


 しかし、こうしてばかりもいられない。時計の針は二時を指そうとしている。


 ——大堀の家。落ち着いた頃だろうか。


 先ほどから出かける準備を始めたが、田口もこそこそと慌しく動いているのがわかる。きっと自分も一緒に出掛けるつもりなのだろうということは、よくわかった。


 ——だがしかし。銀太を連れて行くつもりはない。これはおれの仕事だ。


 田口に気が付かれないようにと、そっと廊下に顔を出すと、彼は玄関のところで仁王立ちをしていた。


「銀太」


「おれも連れて行ってください」


 彼は保住の前に立ち塞がり、田口は真摯に見つめてくる。その瞳は真剣だ。きっと保住の心中を察しているだろうし、彼も本気。ちょっとやそっとじゃ折れ曲がらないだろうなとは思いつつも、首を横に振った。


 田口は一度、大堀の父親に辛辣な言葉を投げつけられているのだ。これ以上、彼に嫌な思いをさせたくはなかったのだ。


「お前は連れて行かない」


「前も言いました。おれも一緒です」


「いや。これはおれの仕事なんだ」


「保住さん!」


「銀太。お前は連れて行かない」


 保住はもう一度、低い声ではっきりと言い渡す。しかし、そんなことで引き下がる大型犬ではないということもどこかで理解している。案の定、彼は「嫌です」と言ってから、保住の腕を掴んだ。


「どうしておれを遠ざけるのですか。おれはあなたと一緒にいたいのです。心配だとか、大切だとか言うのは止めてください。そんなことは無意味だ。おれにも共有させてください。あなたが抱える、辛さ、切なさ、痛み——」


「銀太」


「自惚れかもしれませんが、おれのためだと思ってくれるのであれば、余計に連れていくべきです。おれだって心配なんだ。大堀のこと。仲間です。それくらいのこと、させてくれてもいいでしょう? 保住さん」


 真っ直ぐに見据えられると、折れるしかない。惚れた弱みではない。田口の人柄なのだ。澤井も指摘していた。田口ほど、まっすぐで誠実な男はいない。真っ向から来られると、見据えられた人間は、よほどのことでもない限り、「嫌だ」とは言い難い。


「お前はおれの後ろにいるだけだ」


「ありがとうございます」


 田口の表情が和らぐ。


 ——まったく。この男は……。


 保住はそうは言いつつも、田口が一緒に来てくれるということが嬉しいらしい。自然に口元が緩んだ。と、二人が外に出ると、そこには安齋が立っていた。


「——お前」


「やはり、今日行かれると思っていましたよ。おれも連れていてください。室長」


「しかし」


「随分待ちました。ここまで待たされて、目的が果たされないなんて、逆に酷い仕打ちなんですが」


 ——みんな考えていることは一緒か。


 保住は苦笑する。


「わかった。みんなで行こう。大堀を迎えに行くぞ」


「はい」


「そうですね」


 三人は、大堀の家を目指して歩き出した。



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