第12話 大型犬だって病みます。



 昨晩、保住が安齋と二人で赤ちょうちんに行ったと言う事実に田口は衝撃を受けていた。保住は彼とのことを田口に話してはいない。ということは、敢えて言わないということだ。朝から痛んでいる胃が余計にキリキリとした。


 安齋は要注意だ。それは自分も理解していたことなのに。澤井との飲み会の日に狙われるなんて、なんというタイミングだと思った。しかし、自分にはそれを防ぐことは到底かなわなかった。澤井からの誘いを断るわけにもいかなかったからだ。


 ——わかっていたのに、防げないなんて。保住さん、きっと嫌な思いをしたのではないだろうか?


 自分を責めても責め切れない。後悔後に立たずという言葉が脳裏に浮かんでいた。


「だって、田口も飲み会だって言っていただろう」


「おれは……」


 昨日は澤井との約束があったとは、到底言えるわけもなく、大学時代の友人と飲み会だとみんなにも話していた。飲み会いうことは間違いないが、相手が違うだけ。それだけの小さな嘘の代償がこれだということか?


 いつもは品行方正に生きているはずなのに、たまにこういうことになっただけでこの罰はひどすぎると内心、神を呪った。


 目の前の安齋は大変有意義そうに昨晩のことを語って聞かせてくる。


「たまにはいいじゃないか。室長とさしでじっくりと話ができて、なかなか有意義だったぞ」


「いいな~……、ねえ、なんの話したの? プライベート? っつかさ。悩み相談ってなに? 安齋に悩みなんてある訳?」


 大堀の問いに彼は得意げに答えた。それはまるで田口への当てつけのような態度だった。


「お前は本当に失礼極まりないな。おれにだって悩みくらいあるものだ。まあ、昨日聞いてもらった話はプライベートが多かったがな」


「く~っ! ずるいよ。安齋の話ばっかりだったの? 室長のプライベート聞いた?」


「まあ多少はな」


 ——多少は……?


 田口は背中を伝う冷や汗を感じた。保住は酔うと記憶をなくすパターンが多い。彼がどこまで安齋に語ったのかと想像すると、心臓が高鳴ったのだった。


「指輪の謎は? どこの子? 彼女?」


 大堀は田口の不安な気持ちなど想像もできないのだろう。純粋に興味を持って安齋に尋ねている。


 ——これ以上ここで話を聞きたくない!


 安齋が保住と一晩を過ごしたことがショックだ。胃の痛みが限界を越えそうだった。


「それは——秘密だろう」


「どういうこと? 安齋は核心は聞かなかったってこと?」


「いや。——


 ——おれは知っている?


「嘘でしょう? まじで! ずるい! 市役所の子なの? おれも知っている子? ねえ、教えてよ」


 大堀は大興奮だ。彼がこういう話題に食らいつくとは予想外。顔を赤くして安齋に食ってかかる様を眺めていると、なんだか気が遠くなってくる気がする。現実逃避というやつなのだろうか。二人の会話がどこか遠くで響いてくるような錯覚。机に腕をついて体を支えているのがやっとだ。


「室長が話したの?」


「ああ、全部聞いた。すっかりとね」


「うう、知りたい~」


 ——限界だ。居たたまれない。


 田口は机に額を付けた。


 ゴツンという音にはったとした大堀は「田口?」と声を上げた。


「大丈夫?」


 大堀は席を立つと、慌てて田口のところに駆け寄ってきた。


「ごめん。腹痛い……。——吐きそうだ」


「田口! しっかりしなよ~! ……どうしよう? 安齋!」


 大堀がおろおろとしているのを見て、安齋は立ち上がる。


「ともかく病院だろう? 室長は会議で捕まらないし。事後報告でいいんじゃないか? ともかく病院だ」


「田口、しっかり——」


 口元を抑える手が震えていた。胃の激痛は治まる様子はない。冷や汗が出た。こんなに具合が悪くなったことはなかった。人生で初めてかも知れない。梅沢市に来て健康優良児だったはずなのに、風邪は引くし、胃も痛くなるなんて。不甲斐ないと思うしかない。


「おれ、連れていく」


 市役所のすぐそばには熊谷くまがい医院という内科病院がある。保住が熱中症で世話になる病院だ。田口は大堀にそこを伝えて、一緒に付き添ってもらうことになった。





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