第9話 駆け引き



 ミーティング室で保住と安齋は向かい合って座っていた。書類の話をするなどというのは口実だ。


「昨日は、すまなかったな」


 探るように安齋を見据えるが、彼は物ともしないのか、悠長に企画書を眺めながらにこやかに答えた。


「いいえ。おれが無理に誘いました。お疲れのところでしたしね」


「酒を飲むと眠くなる。すぐに迷惑をかけるのだ」


「そうなんですか。なんだか年頃の女性のようですね」


 棘のあるような言い方に保住は目を細めた。


「からかうな。気にしている」


 その様子を眺めていた安齋は口元を緩ませて笑みを見せた。


 ——なぜこの男はこんな余裕を見せる?


 保住は内心、焦燥感に駆られながらも平静を装い視線を逸らす。と、安齋は「ふふ」と軽く笑った。


「すみませんでした。上司に対して生意気なことをいたしました」


「いや……。それから。——その」


「なんです?」


 今朝、わざわざ場所を変えて企画書の話をしたいと提案したのは保住だった。昨晩のことについて探りを入れたいのだ。自分は記憶を失くした間に田口との関係性を口走ってはいないだろうかと。焦っている保住と、冷静な安齋では保住のほうがが悪いに決まっている。


 仕事のことについては、どんな困難でも乗り越えられる自信があるのに、私生活についてはからきしダメらしい。言葉に切れがない。少々口ごもりながら気にしていることについて問いかけてみる。


「酔うと記憶を失う。なにかおかしなことを言わなかっただろうか?」


「おかしなこと、ですか?」


「そうだ」


 大変言いにくそうにしているというのに、安齋は素知らぬふりで飄々と答えるのだから、保住からしたら苛立ちの原因だ。内心、むっとしながらも黙り込む。その様子を見て、彼は意地の悪い笑みを浮かべた。


「室長。『おかしなこと』の意味がよくわかりませんが。……例えば、どんなことでしょうか?」


 いつもとは違った歯切れの悪さ。保住が口ごもる様は愉快なのか、安齋は言葉を続けた。


「例えば?」


「例えば——などないが……。私生活のこととかだ」


「室長は部下に言えないがあるのでしょうか」


「そ、それは……」


 ——墓穴を掘った、と言ってもいいのだろうか?


 こういう駆け引きは安齋の方が上手らしい。安齋は不意に席を立ったかと思うと、保住の隣の椅子に腰を下ろした。それから横目に保住を見つめる。


「そんな顔しないでください。泣きそうですね」


 はったとして保住は安齋から距離を取ろうと後ろに体を引いた。からかわれているようで面白くない。保住はむっとして安齋を睨んだ。


「っ! 上司をからかって面白がるな」


 しかし相変わらず安齋は余裕の笑みを見せている。いろいろな駆け引きをしてきた。自分が不利であるという雰囲気を読み取ることくらいはできる。


 ——このおれが押されているだと?


「すみません。ですが、いじめられっ子みたいですよ。いじめられっ子って、『いじめてください』って顔するではないですか」


「安齋」


 このままでは全て持っていかれる。そう思い、なんとか自分に流れを持ってきたいという気持ちが働くものの、その突破口が見いだせない。終始安齋のペースであるのが面白くなかった。


 墓穴を掘ったようだ。この件に関して、安齋に問いかけたり、時間を取るべきではなかったのだ。保住の脳内では現状を理解し、打開策を算出しようと何通りもの予測を弾き出すが、そのどれもがどん詰まりだ。

 内心戸惑いながら安齋を眺めていると、ふと彼が口を開いた。





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