第5話 鬼の鉄槌



「話にならん! よくもまあこんなクズな企画持ってきたな? お前、おれを愚弄する気か!?」


 澤井は自分のデスクを叩いてよく響く怒声をあげた。流石の安齋も閉口して固まっていた。


「この企画書、これでまさかゴーサインを出したのか? お前の指導がなっとらん。腑抜けめ。やる気あるのか! このクズがっ」


 澤井の苛立ちは当の本人ではなく保住に向けられていた。澤井は安齋など眼中にもない。保住をまっすぐに見据えていた。


 正直に言えば彼任せだったことはいがめない。職員間の調整ばかりに気を取られているのは確か。

 澤井は、安齋をコントロールできていないということを指摘しているのだ。


「申し訳ありません」


 自分に非があることは一目瞭然。保住は安齋の隣で頭を下げた。


「やけに素直だな。謝っておけばやり過ごせるなんて思うなよ」


 嫌味の一つでも返ってくると思っていたのか、澤井は声色を弱めた。


「全く! 肩透かしだ」


 呆れたように椅子にもたれて澤井は黙り込んで保住を見ていた。正直、言い返す気にもならない。澤井の期待に添えないから謝るのではない。これはだからだ。


「今回はおれの不手際です。明日までお時間をください」


「保住」


「室長……」


 頭を下げる保住を見ていた安齋も頭を下げた。澤井は大きくため息を吐いた。


「保住。お前らしくもない。部下の自主性を引き出すのもいいが、時には求心的に引っ張らなければならない。おれはお前にそんなことを教え込んだ覚えはない。組織は上司が全て。組織の命令に従えないものは去る。そうだろう? 忘れたか」


「いいえ。忘れてはおりません」


 保住は厳しい表情のままそう答える。その答えに満足したのか、澤井は今度は安齋に視線を向けた。


「お前」


「はい」


星音堂せいおんどう水野谷みずのやに甘やかされたのかも知れんがここは本庁だ。今の上司はおれだ。おれはあいつとはやり方が違う。部下に自主性など与えるつもりはない。お前の企画書は全くなっておらん。全て作り変えろ。明日まで待ってやる。それが出来なければ、星音堂に戻す」


 彼は企画書を天沼に渡す。


「いらん」


「は、はい」


 彼は安齋たちを気遣うようにそっと企画書を受け取った。


「こいつが不相応なら、保住、お前が作れ。明日までに持ってこい」


「承知しました」


 話は終わりということだ。保住と安齋は、部屋を出た。



***



 二人が出ていくのを見送ってから、天沼は澤井を見る。


「副市長が保住室長に厳しいのは珍しいですね」


 しかし言葉にしてしまってから、はっとした。出過ぎたことだったろうか。


 ––––怒られる?


 しかし澤井は身動きもせずに、独り言のように呟いた。


「あの男をコントロール出来ていない。あいつの力不足だ」


「副市長」


「あんなことで蹟かれたら、このアニバーサリーは乗り切れん。この一件を片付けられないなら保住も下ろす」


「しかし。あの方以外に出来る人がいるでしょうか?」


「いない。そもそもこの企画を取り止めるしかあるまい」


「そんな」


「恥をかくなら最初からやらないほうがいい。それだけだ」


 澤井は立ち上がる。


「次」


 急に別モードになる澤井に、はっとして天沼は書類を持ち上げる。


「次は市長との打ち合わせです」


「行くぞ」


「はい」


 二人は連れ立って副市長室を後にした。



***



 廊下に出て黙って歩く保住の後ろ姿を見て安齋は、黙っていた。

 今までプライドを壊された経験はない。いつも自分より下と思わしき人間ばかり相手してきたからだ。

 どんな時も自分が優位だと、そう思ってきたのに。自分の上司が自分の事で怒られて、頭を下げている姿を見たのは初めて。こんな屈辱を味わうのは生まれて初めてだった。


「室長。企画書のどこがいけないのでしょうか。おれには皆目見当もつきません。澤井副市長は、なにをそんなに怒っているというのですか……」


 そんな言葉しか出ない。保住は振り返る事なく前を向いて歩いていた。


「お前、企画書を?」


 ––––そうだ。差し替えた。


 自分の力で勝負したかったのだ。


「差し替えました」


「お前の企画書はなっていない」


「な、室長までそんなことをおっしゃるんですか?」


「作り直しだ。最初からな」


「しかし、室長……。おれのどこが悪いと言うのですか。おれはなにも……ただ仕事をしていただけで……」


「いや。これはおれの責任だ」


「それは。あなたは確かに責任者かもしれませんが」


「そうだ。おれの落ち度だ」


「室長」


 心がざわざわとする。保住が「お前のせいではない」と言うほど、心が締め付けられる。罪悪感なのだろうか。


 「ある程度の権限をおれにもよこせばいいのに」と思っていたのは事実だ。自分の力を過信していたのだ。その本心が行動に現れた。

 知らず知らずのうちに彼を蔑ろにしていたのを自分がよく知っている。


 星音堂からの異動に伴って「すごい」「さすが安齋」とチヤホヤされていた自分が恥ずかしい。


「バカか」


 保住には聞こえないほどの独り言を呟いて歯を食いしばる。


 上司を蔑ろにして、そして上司に自分の不始末で頭を下げさせるなんて。安齋のプライドはズタズタだった。




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