大学生とサイン

「頼むから今見たこと忘れてくンねえか?」


 いまだに顔を赤くしている日向はヤンキーモードで俺にお願いしてくる。 おそらくそうしないと恥ずかしくて離せないのだろう。


「別に他言する気はないけど……」

「そうか! サンキュー、やっぱお前はいいヤツだなぁ!」


 そう言うと日向は俺の手を握り、ぶんぶんと振り回す。 そのたびにワンピースの裾がひらひらとしていて心臓に悪い。


 その後、日向から色々と事情を聞かされ大方の理解ができた。 日向は箱根の後にすぐに家族と海外旅行に出かけて今が帰りだという。


 今の見た目もそうだが本当にお嬢様なんじゃないだろうか。 こんな立て続けに旅行に行ける庶民なんて俺の知っている限りいないはずだ。


「それで日向のご家族は?」

「ああ、それなら」


 と日向は未来のいるベンチに指をさす。 いつの間にか未来の横にはとてもやさしそうな夫婦が座っており、未来と楽しそうに会話している。


 ってどんだけコミュ力高いんだよ未来……


「……なんかおふくろと仲良くなってンな」

「なんかごめん……」


 俺が見ていることに気が付いた未来は手でこっちに来てと手招きしてきた。 俺は言う通りに荷物を持って向かう。


 後ろからは日向もガラガラとキャリーバッグを引いてついてきた。


「あらあら日向? お友達?」

「えっと、学校の友達ダチだよ。 それよりおふくろ、疲れてるだろうし早く家に帰らないか?」

「もう日向、その呼び方はやめてよー。 それに私は未来さんと話していたから元気いっぱいよ」


 なんか、すみません。 うちの未来が。


「初めまして、日向さんの友達をやらせていただいている開隆紗月と申します」

「あらあら! あなたが海竜君ね! 私も先生の作品を読ませて頂いてますよ!」


 日向のお母さんは俺のファンだったらしい。 その場でサインを求められ持っていた手帳の一ページにサインを書いた。


 俺なんかのサインなんてもらっても嬉しいのだろうか。 まあ喜んでくれるなら俺も嬉しいけど。


「あ、ずるいぞおふくろ! 私にもくれよ!」

「書くのはいいんだけど、どこに書くんだ?」

「えっと…… ここだ! ここに書いてくンねえか?」


 日向が指さしたのはさっきから引いているキャリーバッグだ。 普通そんな場所に書くわけにもいかないし、日向のキャリーバッグは白でサインを書いたら目立ってしまう。


「ほんとにいいのか?」

「ああ、思い切っていってくれ」


 そう言われてもな…… ほんとに直に書くわけにはいかないし……


 あることを思いつき俺は近くのコンビニに駆け込んだ。 ここならあれがあるはず。


「どうしてコンビニに行ったンだ?」

「これがあると思って」


 俺が袋から取り出したのはネームタグだった。 空港なら探せばすぐ見つかるだろうしこれなら俺の罪悪感もない。


 俺はサインをネームタグの中の紙に書きキャリーバッグにつけてやる。 日向はそれを眺めてから、


「あンがとよ。 その、今度お返しにお茶でもしにうちに来てくれよ」

「え、俺なんかが行っていいの?」


 その瞬間、俺は背中にものすごい殺気を感じた。

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