第139話 スニーキング

「……」

 物陰に隠れながら、慎重に窓の内側を眺める私と……緑川さん。


「……」「……」

 お姉様と潤一郎さんが、何やら親しげに話している。その姿たるや、まるで親子のようだ。お姉様の前にはコーヒーが、潤一郎さんの前には紅茶が置かれている。

 しかしそれにしても暑い。日焼け止めを塗ってきてよかった。

 ……なぜ、こんな事になっているのかと言うと……時は少し遡る。


 ・

 ・

 ・

「あれ?お姉様、今日もお出かけですか?」

「あ……うん。その、今日も遅くなるから」

 旅行から帰ってきてからと言うもの。お姉様は夏休みだと言うのに毎週日曜はずっと出かけている。それも、私に行く先も告げずに、だ。

 一体何をしているのか、少し気になるところでもあった。

 お姉様が私に、何か隠していることなんて今までなかったから。

 ガチャン。と、玄関のドアが閉まる。そして私はこの家に1人だ。……ご飯は自分で作るからいいとしても、お姉様が気になってしまう。

 この事を誰かに相談してみようか?でも凛さんは今日白枝さんと図書館に行くと言っていた。奏多さんは確か、空ちゃんの宿題を手伝うって言ってたし、赤城さんは試合が近いと言っていた。今日もおそらく練習だろう。

 なら緑川さん?私は緑川さんに電話をかけ、お姉様が気になるという事を伝えてみる。先輩の悩みを後輩に解決してもらうというのは少し気が引けるが……すると、意外な言葉が返ってきた。


「黒嶺先輩も……なんですか?」

 黒嶺先輩『も』その言葉にいち早く反応する。


「実は、あたしもなんです。あたしもお父さん、日曜日になるたびに出かけていて。どうしたのかなって思っちゃって……」

「潤一郎さんがどこに行ったのか、見当はありますか?」

 その言葉には緑川さんはすぐに『いえ』と言った。


「黒嶺先輩はどうですか?」

「私も……わからないんです。アビスに問い合わせてみても、今日は来てないと……」

「お姉さんもあのお店行くんですね……は……!?」

 と、ここで緑川さん、何かに気付いた様子。


「ま、まさかこれって……」

「まさか、とは?」

「お父さん……浮気してるの!?」


 ・ ・ ・ ・ ・


「あの……バカですか?」

「かも知れません……」

 だが気になるのは事実だ。それも、緑川さんの父親も何か隠しているとなれば……浮気ではないと信じたいが……もし目的が同じだとしたら、2人で何を画策しているのだろう?


「緑川さん。来週の日曜日、暇ですか?」




 そして翌週の日曜日、この日も出かけるお姉様に、私はこっそりと後をついていくことにした。お姉様には、今日はアビスで仕事だと伝えてある。

 緑川さんにも、潤一郎さんが出かけるなら後を付けるようにお願いしてある。あくまで自然な感じでないと、お姉様も潤一郎さんもはぐらかすかも知れないので、あくまで自然と。

 すると、その時は意外と早くやって来た。


「あ、こっちです!」

 手を振るお姉様、それにリアクションしたのは潤一郎さんだ。


(お姉様……やっぱり潤一郎さんと……?でも潤一郎さんと一体何を……?)

 そわそわとしながらその様子を見守る。お姉様と潤一郎さんはゆっくりと何かを話しているようだが、その内容が何かまでは聞こえない。恐る恐る、2人に近付いてみる。……今日は万が一お姉様に見つかってもいいように、普段と私服を変えてある。まぁ、お姉様の事だ。ちょっとやそっとの事では驚かな


「えっと……ねぇ、ダーリン!今日はどこに行くの?」


「「ダーリン!!?」」


 『ん?』と視線を横に向けるお姉様。私と……


「……」

 緑川さんはその視線から瞬時に隠れ、木の影に逃げる。


(なんですぐ近くにいるんですか緑川さん!)

(黒嶺先輩こそです!尾行がへたくそ過ぎませんか!?メ〇ルギアじゃ速攻でゲームオーバーになってますよ!)

 ひそひそ話で話をしているうちに、お姉様と潤一郎さんが何か話をしている。


「そうだな……せっかくだし思い出の喫茶店にでも行こう。キミと初めて出会った、思い出の喫茶店に」

「うん!いいよ!ダーリン!早速行こっか!」

 そして潤一郎さんの腕をお姉様がしっかりと持つ。まるで恋人のように……恋人……恋人!?


 ――お父さん……浮気してるの!?


 ……まずい。もし、お姉様が後輩の父親と浮気している。なんてことがバレてみろ。


「よくて破滅。悪くて……破滅……」

「どっちにしろ破滅するんですね……」

「と、とにかく緑川さん!追いかけましょう!」

 ・

 ・

 ・


 ……そして今に至る。お姉様と潤一郎さんは、喫茶店の中にいるようで、少しいい雰囲気のようにも見える……


「す、スニーキングミッションみたいで楽しいんですけど……結構大変ですね……」

「今日は暑いから……余計にそう……感じますね……」

「それに黒嶺先輩……ここだと何も聞こえません……」

「そ、そうですね……いっそここは中に入りましょうか。……暑いですし」

 そう、考えている時だった。


「何やってんだ?麗華も麻沙美も」

「「はいぃぃぃい!?」」

 男の人の声……奏多さんだ!


「か、奏多さん!?なんでこんなところに!?空ちゃんも含めて!」

「お二人とも、こんにちは」

 深々と頭を下げる空ちゃん。


「いや、宿題がひと段落したご褒美ってことで、空に何かおごろうと思ってたんだよ。そしたら近くにたまたまこの喫茶店を見つけて……て、どうしたんだお前ら……?」

 汗だくな私たちを心配している奏多さん。


「あ、あぁ、大丈夫ですよ!少しラグナロクを経験したくらいですから」

「嘘つけ!今日は特に暑いから、熱中症で倒れるなよ?それとも、何かおごってやろうか?」

「いえ、それはいいです!」

 本心はすごくありがたかったのだが、ここで奏多さんや空さんを巻き込むわけにはいかない。そもそもまだ証拠も不十分な状態なのだ。


「いや、本当……無茶するなよ?喉渇く前に何か飲むんだぞ」

「黒嶺お姉ちゃん、緑川お姉ちゃん、またね!」

「はい、また」

 と、喫茶店の中に入る灰島兄妹。それを見た瞬間に……


「「ううう……」」

 私たち二人は、途端に喉が渇いてきた。


「ど、どうします?緑川さん……このままだと私たち、本当に……」

 今日は特に暑い。肌にまとわりつくような熱気と、照りつける太陽。アスファルトからの照り返しもまた暑い。


「仕方ありませんね……本当は使いたくなかったんですが、これを使いましょう」

 すると緑川さんは、懐から何かを取り出して……


───────────────────────


「はあぁ……」

 クリームソーダを飲みながら、満足げに息を漏らす空。……最初の一口が多い。


「言っとくがあくまで一時的な休憩だからな。帰ったらまたやるぞ」

「うん。でもありがと!お兄ちゃん!」

 それにしても本当クーラーの効いた喫茶店でアイスコーヒーを飲む。これは夏場にしか出来ない贅沢だろう。


「それでお兄ちゃん?ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」

「あ?どうした?」

「お兄ちゃんって、進路とかどうするの?」

 進路……そう言えば、他の5人には聞いているのに、俺はまだ進路を決めかねている。

 今まで『何がやりたい』とか『どんな風に生きたい』とか、そう言ったことは一切考えたことがなかった。

 決して自分に対して自信があったわけじゃない。決して何も夢がないわけじゃない。だが……それでも、何も考えていなかった。


「そう言う空は、何か将来の夢はあるのかよ」

「ないよ!」

 ニコニコと笑いながら、空はきっぱりと言う。


「だって、わたしは今を楽しみたいから!」

「お前気楽だな……お前もあと1年たったら進路決めないといけないんだぞ。高校の」

「あ、そうだよね……じゃあお兄ちゃんと同じ昇陽に行きたい!」

 正直勉強嫌いな空が行けるかどうかは微妙だが……でもあくまで空の希望だ。ここで頭ごなしに否定するのは兄としてもよくない。


「なら、もっと勉強しないとな。俺が行かせてやるから安心しろ」

「わーい!ありがとうお兄ちゃん!」

 そう、話しているうちに……


「いらっしゃいませ」

 と、2人組が喫茶店に入って……


「!?」

 何故かこの暑いのに、頭にニット帽をかぶり、マスクとサングラスで2人とも顔を隠している。


「な、何名様ですか?」

 店員に聞かれた2人組は、前の人物が黙って指を立てる。そして2人は空いている席に案内された。……ちょうど俺たちの隣に。

 そして2人とも、こちらへ驚いたようなリアクションをする。……が、すぐに冷静さを取り戻し、席へと座る。


「な、何……?」

 不安げに眺める空。そりゃそうだ。完全に不審者だもん2人とも。

 仕方ない……2人には悪いが……


「そんなに俺と会うのが嫌だったのか?麗華、麻沙美」

「「なんでわかったんですか!?」」

 2人組が立ち上がる。同時に店内の視線のほとんどが、磁石に吸い付く砂鉄のように2人に集まった。




「あきら先生と潤一郎さんが?」

 すでにバレてる……とは思うが、俺は静かに2人の話を聞く。


「はい。何だか日曜日になるたびにお姉様と潤一郎さんは、2人で密会しているようで……」

「今日も後を追ってみたんですが、このようにこの喫茶店に入っているみたいで……」

 周囲を確認すると……いた。確かにあきら先生と潤一郎さんの姿が。2人とも、何か楽しそうに話している。何の話だろうか?

 まぁ、普通に考えると自分たちの話だろうが……麗華のあのクリスマスの時以来か。この2人が会うのは。


「と言うかもしかして奏多先輩……気付かなかったんですか!?」

「え?……あぁ。でも空も気付いてないみたいだったし別に普通」

「あれ、お兄ちゃんたちの知り合いの人?」

 空が何故か、きょとんとしたような顔を向ける。俺たちがそうだと相槌を打つと……


「さっきから{またあの時みたいにやり直せたら}とか、{この後キスとかしちゃいます?}とか言ってたよ?」


「は……?」


「「はああああぁぁぁ!?」」




 他の人がいるんだから静かにしろ……俺はそっとツッコミをいれた。




問87.『恐れられている人や物の正体が、つまらないものであること、また、なんでもないものが恐ろしく見えるさま』と言う意味のことわざを答えなさい。

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