第124話 竜虎相搏つ

 季節は少し進んで、6月も末に迫ってきた日曜日。

 この日は雨だった。図書館の窓に打ち付ける雨音が聞こえてくる。


「……」「……」

 この日は黒嶺さんと2人きりで勉強だ。奏多君は緑川さん以外の2人と一緒に参考書を買いに行っているとか。緑川さんは、今日は父親と一緒に食事に行っているらしい。1週間遅い父の日プレゼントとか。

 父の日……か。私は結局、何もしてあげられなかったなぁ。……せっかく和解できたのに。


「あの、青柳さん?」

「ん?」

 黒嶺さんのセリフで視界が開ける。


「どうしたんですか?先ほどから話しかけているのに、全然気付いていませんでしたから……」

「あ、いや……何でもない」

 ……いや、なんでもないことない。


 ・

 ・

 ・

 生徒会選挙の開票が終わった日、私はいつもと同じように家に向かって歩いていた。


「今日はどうしようかな……またスラシスでもしようかな」

 と、考えていた時、何か声が聞こえてきた。


「……ダメですか?と聞いたんです」

 緑川さんの声?何故か知らないが、私は大急ぎで身を隠す。……身を隠す?なんで?

 そして遠くに聞こえる緑川さんの言葉に、私は……


「……!?」

 顔が真っ赤になった。


「ど、どこか鈍感で、どこか女心をわかっていなくて、どこか察しが悪い……そんな奏多先輩を含めて、ぜ、全部の奏多先輩が好きなんです。あ、う、嘘じゃありませんよ!むしろ、嘘の方がよかった……ですか!?」

「あ、麻沙美……お、お前……!?」

「こ、この思いは……嘘なんかじゃ、きっと止められないんです!ざ、残念でしたね!?」


「奏多先輩!」

 ・

 ・

 ・


「あ・お・や・ぎ・さん!」

「!?」

 再び私はぼーっとしていたようだ。何をしているんだろう。私は。


「……」

 その私を心配したのか……


「青柳さん。少し、お茶でも飲みにいきませんか?」




 近場にある喫茶店で、コーヒーを飲む私と黒嶺さん。


「……それで……青柳さん。今日はどうしたんですか?」

「え!?何が?」

「……隠し事はダメですよ。と、昨年の2学期の中間テストの時言ったはずですが」

 見透かされている……?


「わかってたの?」

「いくら人の気持ちに疎い私でもわかります。青柳さん、普段しないような顔をしていましたから」

 そういえば、奏多君が『私もわかりやすい人間だ』と言っていた。


「……ねぇ、黒嶺さん。好きな人って……いる?」

「えっ……」

 私のその質問に、黒嶺さんは固まった。


「いるん……だね」

「は、はい。一応……は」

 一応、の意味は分からなかった。……でも、それなら聞きたいことがある。……もちろん、緑川さんの事は伏せておこう。


「好きって感覚は……どんなものなの?」

「え?」

 好き……か。

 奏多君を前にすると、最近は少しおかしい。

 妙にドキドキするし、妙に言葉がつながらなくなるし、


 妙にふわふわした気持ちになる。


 でもこれが『好き』と言う感情なのか何なのか、私には考えがつかなかった。だったらここで、恋をしているという黒嶺さんに聞けばすべてわかる。と思った。黒嶺さんの好きな人が誰なのかはわからないし、知ろうとも思わない。黒嶺さんの好きと言う感情に、栞は挟めないからだ。


「感覚……好きって、感覚ですか」

 少し考えた後、黒嶺さんはこう切り出した。


「例えるなら……そう、ですね。あの……川中島の戦いで戦う武田信玄と上杉謙信です」


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 武田信玄、上杉謙信、共に死力を尽くして、互いを打ち倒すために切磋琢磨した存在。そして何度も引き分けを挟み、それでも決着がつかなかった。きっと互いを、好きだと思っていたからです。だからこそ、何度も何度も戦った……

 男同士ではありますが、きっとそこには好き、と言う感情があったのでしょう。そして、その力を引き出せる2人は、無限の愛があったはずでしょう。

 まさに『竜虎相搏あいうつ』!宿命にして、最大の相手ですね!


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「と、言う感じですかね」


 ・ ・ ・ ・ ・


「さっっっっっっっっっっぱりわからない……」

「悪かったですね!?私だってよくわかってませんもん!」

 そもそも黒嶺さんはこう言う恋愛とは無縁な女の人と思っていたんだが……


「黒嶺さんが……好きな人って、どんな人なの?」

「あ、いや、それは言えるわけがないっです」

 それもそうだ……私はデリカシーがなさすぎる質問をしてしまった。少しは反省しないと……

 ……いや、ちょっと待って。


 そもそも、緑川さんが奏多君に告白したからなんなんだ?


 別に奏多君が誰と付き合おうと勝手なはず。緑川さんが告白するのも勝手なはず。なのに、何を考える必要があるんだ。何を……戸惑う必要があるんだ。

 応援してあげればいいじゃないか。先輩として。

 きっと、緑川さんもそれだけ恋焦がれていたわけだし、お似合いの2人じゃないか。

 好きと言う感情が、どういうものかわからない私より……ずっと……


「そう言う青柳さんは、好きな人はいますか?」

「え?私には……」

 この問には即答できる自信がある。だって、好きな人は……好きな人は……


 ――待てよ!『凛』!


 ――クソゲーはクソゲーで、やり込めば良ゲーになるかも知れない。そのまま『クソゲーとしてエンディングを迎える』か『分岐点から良ゲーに移行するか』は、それぞれ次第じゃないのか?

 ――でも……その分岐点って言うのは、今お前の目の前にもあるはずだぞ。


 ――だから、これは俺がやるって思ってやったことだって。お前が謝る必要はないさ


 ――俺が守りたかったのは、お前のその笑顔だ。


 好きな、人、は……口をぼそぼそと動かす。


「……!?」

 え、今、なんて……?黒嶺さんは、目の前で驚きの表情を浮かべている……!?


「く、黒嶺さん……?」

「そ、そう、だ、ったん、です、ね。そう、です、か」

 まるで傷付いたレコードのようにとびとびに、ガタガタと口を動かしながら、何とか言葉を紡いでいる……


「……黒嶺さん。ち、違うの!」

 何かとんでもない事を言ってしまったのかな。私は立ち上がり、慌てて否定する。しかしそれを聞いた黒嶺さんは、突然驚きの事を口走る。


「違うん……ですか?」

「え?う……うん」

「……違うん……ですか」

 同じ言葉で、違う意味の言葉を口走る。同じ言葉……でも、何が『違う』のだろう?聞こうとしたが……


「……あ、わ、私、用事があったんです。そ、その、先に帰りますね!」

 その言葉に、まるで刀を振り下ろされたかのように言葉の続きを斬られた。


「え?あ、う、うん……」

 そのまま黒嶺さんは、脱兎のごとく去っていった。

 ……黒嶺さん……どうしたんだろう?

 私は……何か、黒嶺さんにまずい事を言っちゃったのかな……だとしたら、本当に申し訳ないな……

 ……………………


 いや、言った言葉に……覚えはある。私は、黒嶺さんに……!

 そしてあの反応……まさか、黒嶺さんの好きな人って……!?


「奏多……君?」

 紡ぎ出した私の言葉に、私自身が戦慄した。


───────────────────────


 ――奏多君が、好き。


 青柳さんのその言葉が、私の頭の中で跳ね返る。

 青柳さんは断言した。青柳さんは、純粋な顔をして言った。青柳さんは……


「……」

 雨音が強くなる。


「やっぱり、私では……奏多さんは……」

 竜虎相搏つ。なんてものではない。何故なら私は、同じ土俵に立てない。そう思えたからだ。

 好きとはっきり言えた青柳さんと、そうでない私。恐れから、頬に口付けをかわすだけの私……


 本当に奏多さんが好きな青柳さんに、気まで遣わせてしまった私……


 何をしているんだろう。私は……何を、考えているんだろう。

 気まで遣わせてしまったのに、青柳さんに色々変なことを言ってしまったのに……青柳さんと、仲良くしたいのに……

 こんな事を、頭の中で思い浮かべて、そして声に出そうとする一歩手前まで行ってしまった……


 青柳さんが


 奏多さんから手を引いてくれればいいのに。


 いっそ青柳さんが……いなくなってくれればいいのに。


───────────────────────


 ……月曜日。


「よう、おはよう。凛」

 駅の中で凛を目撃する。しかし、凛はと言うと……


「?」

 俺に気付いているのかいないのか、凛はそそくさと改札を出て行った。それを追いかけるように歩を速める。


「おはよう、凛」

 と、声をかけるが、凛からの声は返ってこない。


「凛!」

「……」

「おい!」

 俺が大声を出しても、凛にはまるで届いていなかった。そしてそれはもう1人……


「あ、おはよう麗華」

「……」

 何故か、麗華もだった。俺の事を横目で見て、軽く会釈をするだけで俺から離れていってしまう。


「……」

 なんだ?なんで、急に……?その場に取り残された俺に残ったのは、折り重なる疑念だった。




問73.次の意味を持った言葉を、ある動物の名前を使って答えなさい。

『男女の仲がいいという事のたとえ』

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