第114話 地獄への道は善意で舗装されている

「えー、君たちも知っている通り、来週、生徒会選挙がある。もし出たいと言う人がいるのなら……」

 黒板を前に先生が、何か話している。

 生徒会選挙か……黒嶺先輩は風紀委員だった。確かそれは他になり手がいないからなった。と言った感じで言っていた気がする。

 あたしには……とても縁のない世界だろうな。そう思い、しばらくの間朝のまどろむ陽気に身を任せようとした。

 その時、隣の席からあたしの右肩を刺す人差し指。


「緑川氏、どうですか?」

「は?なんであたし?」

 その声が聞こえてしまったのかどうかはわからないが……


「うん?緑川、出るのか?会長選」

「え、え!?」

「実は2年生の中で、生徒会会長になりたいと言っているのが、A組の田辺 誠(たなべ まこと)しかいなくてな。困っていたんだよ。対抗馬がいないとそれはそれで問題。と言うことでな」

 田辺 誠……確か1年の頃からスクールカーストにおいて上位にい続ける男だ。

 あたしは話したことはないが、黒嶺先輩はどうなんだろう。……と、そんな事を言っている場合じゃない。

 なぜあたしが出ることになっているんだ?ただ西園寺が色々と言っただけなのに……断ろうとしたが、先生はすでに『緑川』の糸へんを書き始めていた。


「先生!」

「ん?どうした?」

「……」

 あたしは出ません。そう、言いかけた時にあたしは動きを止めた。

 言えなかったんじゃない。『言いたくなかった』んだ。


「……どうした?緑川」

「あ、いえ……何も」

 そのまま座って成り行きに身を任せる。でも、どうして急に何も言えなかったんだろう。

 そしてそのまま、あたしは生徒会選挙に、しかも会長選に立候補することになった。


───────────────────────


 翌日……


「お願いしまーす!お願いしまーす!」

 校門の前に、緑川と西園寺が立っている。しかし、驚いたな……緑川が生徒会会長に立候補だなんて。どういう風の吹き回しだ?

 まぁ……大体の理由は察しがつくが。具体的に潤一郎さんのせいで。

 推薦人は西園寺か。まぁ俺たちは先輩と言うことで、選挙の推薦人にはなれないが。


「おはようございます。奏多さん」

「あぁ、おはよう。黒み……れ、麗華」

 どうも麗華だけは未だに名前呼びに慣れない。


「や、やはり照れますね。特に、奏多さんに言われるのは……」

「ま、まぁ、俺もだけどな。1年前の俺たちが知ったら驚くぞ今の状態」

 少しはにかみながら、緑川の方を向く麗華。


「それにしても……一体彼女はどうして生徒会長に立候補したのでしょうか?なんというか……こう言う事は苦手そうなのに」

「大方、{周りにそそのかされて出ることになりました}とかだろう。あいつが自発的にやるとは思えないしな」

 いや、本当は潤一郎さんの仕業なんだろうが、とにかく俺はあいつが自分自身で決めたわけではない。そう思っていた。

 しかし、緑川がやっている事はまるで効果がなく思える。何故なら校門から入ってきた生徒たちは、彼女たちに目も暮れないからだ。


「それがこの、田辺 誠と言う男だ!」

 その一方で、大声の男の方には多少人が集まっている。


「容姿端麗、頭脳明晰、そして何より人当たりがいい。1年の頃は学年トップの頭脳を持ついわゆるチートキャラ!彼、田辺 誠に任せておけば、この昇陽学園は間違いないだろうっ!」

 その男の隣には、黒髪ショートヘアの、いかにも真面目そうな男が立っている。


「あ、田辺さん」

「ん……?黒嶺先輩。おはようございます」

 あ、そうか。一応風紀委員だから顔なじみなのか。俺は適当に雑談をする麗華と田辺を見つめる。そうしている間にも、校門からくる生徒たちの動きは、緑川をスルーしてこちらに来ている。

 人気なんだなと、俺は少し感心する。しかし俺は一応勉強を教えている身、緑川を応援したいのだが……




 その日の昼休み。


「……はぁ」

 ため息をつく緑川。無理もない。自分がお願いしている間に、あれほどの人々の大移動。これでは勝負にならないからだ。


「そうため息ばっかりつくなよ緑川……てかそもそも、断わりゃよかっただろ?軽はずみでの参加は身を滅ぼすぞ」

 すずが言うと説得力あるな……よくわからんけど。


「でもあさちゃんすごいよね!あたしなんてスルー安定だったのに、それに挑む面の皮の厚さと言うか!」

「バカにしてないかお前!?」

「……」

 何かの紙を眺める凛。


「凛?」

「あ、ごめん。緑川さんの公約を見てみたんだけど……」

 俺たち5人で、その公約を眺める。


『全教室にエアコンを設置し、充実した勉強の時間を確保』

『食堂の価格設定を見直し、誰もが使いやすい食堂に』

『球技系部活に全自動空気入れを配備。部活の時間も過ごしやすく』


「……」

「ど、どうですか?先輩方……」

 麗華が静かに首を横に振る。


「確かに皆さんは食いつくかも知れませんが、月並ですね。{達成できるかどうか}ではなく{達成したらどうなるか}を皆さんは期待しているので、前半はともかく、後半の文字が意味がなく思います。後、ひとつひとつに触れず次から次へと公約を並び立てるだけでは、人々の心は掴みづらいでしょう」

「詳しいねれいれい!なのになんで2年の時の選挙で負けたの?」

「うっ……!」

 ずけずけと聞く梓。やめてやれ。多分トラウマだぞ。


(推薦人1人もいなかったから不戦敗なんて、恥ずかしすぎて言えるはずありません……!)


「どうしよう。でも出るって言っちゃいましたし……今更取りやめるわけにはなぁ」

 悩む緑川。


「というかお前、なんで出るって言ったんだ?他の奴に流されてたのか?」

「……じ、実は、そうなんです」

 え?


「やっぱりそうなんですね……緑川さん、こう言ったことをしない人だと思っていましたし」

「でも断るなら早めに、だぞ。お前の今後の学校生活がかかってんだからな」

「あさちゃん、無理しなくてよかったよ~!」

 ……違う、違う。


 こいつはまた、嘘をついている。自分を守るための、言霊の鎧を着ている。


「……」




 その日の放課後……俺は凛と共に2人で帰っている。


「なぁ、凛。今日の事だけど……」

「……」

 すると凛は、こちらを向いた。


「奏多君も、おかしいと思った?」

「あぁ。何というか、あいつは今回、自分の意思だけで参加を決めてるって思うんだ。でも、なんで俺たちの前で否定したのか……それがわからなくてな」

 少し考えこむ凛。それに合わせるように、俺も無言で日が長くなった繁華街を歩く。


「……鎧」

「え?」

「彼女は鎧を着てる。{嘘}って名前の鎧を」

 嘘……か。確かにあいつはずっと、嘘にまみれた人間だ。

 嘘で自分を守って、嘘で相手も守って、そして、嘘にとりつかれている。


「なんで緑川が嘘ついてるってわかるんだ?」

「あ、やっぱりそうなの?」

 あ、しまった。ここで『なんでわかるんだ?』なんて聞いたら『緑川が嘘をついてる』と言ってるような物じゃないか。


「……似てるの。孤立していて、お姉ちゃんたちの前で強がってた、かつての私に。私もその時……嘘をつき続けて、何とか自分を保持してたから」

 凛は物悲しそうに話す。


「でも……それで凌ぎきれないような壁に当たった時、緑川さんがどうなるか心配」

 それには納得できる。そして、その懸念は……最悪の形で結実してしまうこととなる。


───────────────────────


「ただいま」

 家に帰ってくる。お父さんは泊りがけの出張でしばらく帰ってこない。


「おかえり!麻沙美!」

 お母さんが出迎える。何故か今日は、いつもよりもニヤニヤして。


 ……あたしにとって、とても嫌な顔。出来る事なら、二度と見たくないような『やさしい笑顔』。


「聞いたわよ麻沙美!生徒会の会長に立候補したんだって?」

「えっ……誰から?」

「西園寺さんが言ってたのよ!正確には西園寺さんの娘さんがね!」

「西園寺……」

 あたしは小さく舌打ちする。こうなるとお母さんが取る行動は、ひとつだけだからだ。


「今までと同じように、ワタシがあなたのサポートしてあげるからね!しっかりと!」

「……」

 しっかりとサポート、か。これだけ聞けば『いい母親』なのだろう。

 そう、とてもいい母親。『普通』なら、だが。


───────────────────────


 翌日……


「?」

 何故か、校門に立つ緑川の前に、黒山の人だかりが出来ていた。


「ど、どうした?」

「あ、確か緑川さんと一緒にいる先輩の人!すごいんだよ緑川さん!」

 すごい?何が……と、思いつつ、その男子生徒に貰った公約を見てみると……


「!?」


 そこに書いてあったのは、大量の文字により完成された公約だった。それぞれの公約に、それぞれの公約とそれぞれの補足が載ってある。

 まるで昨日の公約とは違う、なんというか、本物の政治家が書きそうなマニフェストだ。

 それにわかりやすいグラフまで描かれており、本当に読みやすい。

 ……が、俺はすぐに違和感を覚える。

 そもそもあの単純な公約しか書けない緑川が、急にこんなイラストなどを交えてものすごい量のマニフェストを書けるだろうか?

 その証拠に、黒山の人だかりを前に立つ、


「……」

 緑川の顔は、どこか浮かない顔をしていたからだ。


───────────────────────


 ――麻沙美のために、昨日夜通しして麻沙美の公約を改訂してあげたわよ!大丈夫!麻沙美の邪魔はしないから!


 ……お母さんが作った選挙公約を見て、あたしは呆然と立ち尽くしている。

 あたしが作った公約など、それを無視してお母さんは、あたしにこの公約を使うよう求めた。

 いや、求めたのではない。


 あたしがこの公約を使うよう『仕向けた』からだ。


 当然、それは悪意ではない。それに、あたしの努力を無駄にしているわけでもない。何故なら公約自体は同じだからである。

 でも、なんで……?なんでそんなことをするのだろう……?


 お母さんの行っている『善意』を、あたしはそのまま受け止められなかった。

 そしてこのような公約を掲げてしまった以上。もはや引くこともままならなくなってしまった。

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